第十一幕 Circleの新米スタッフ、オカルトハンター
ライブハウス『Circle』の新人スタッフとして雇われたエヌラスの仕事ぶりを見て、月島まりなは首を傾げていた。休憩所として表でカフェも経営しているが、ホールスタッフとしては優秀だ。愛想は悪くない。注文の確認と最低限の受け答えはできている。
髪は伸ばし放題で左目の刀傷を気にする客もいるが、顔は悪くないからかそれをあえて問いただす客は少なかった。その、あえて、を聞く客にエヌラスは「いやー、昔やんちゃしてましてねはっはっは」と笑って誤魔化す。他人の過去を詮索するような客はいない。
「エヌラスさん、料理はできますか? 簡単なものでもいいんですが」
「壊滅的です」
「わかりました、壊滅的なんですね」
コーヒーを淹れるだけなら、という程度の生活能力にどうやって今まで生きてきたのか疑問が残る。一応その点も尋ねた。
「他人の善意におんぶに抱っこです。生きててすいません」
「いえ、そこまでは言っていないんですけれど……」
つまり──根っからの、ヒモ。この人、本当に一人で生きていけるのだろうか、という小さな不安がまりなの頭に浮かんだ。
ライブハウスの掃除に機材のメンテナンス、スタジオのスケジュール管理、イベントの派遣スタッフ。最近、併設されたラウンジの掃除。やることは多い。だが、その全てをすんなりと理解したのか慣れた動きで仕事をこなしていく。要領は悪くない、むしろ良いほうだ。甚だ疑問である。
どうしてこの人、今まで食い扶持を稼げなかったのだろう?
「休憩にしましょうか。午後からまた忙しくなりますから」
「あー……そっすね。今日スタジオで練習あるのは」
「今日は『Pastel Palettes』だけですね」
「パステルパレット……」
「エヌラスさんは初めてですよね、彼女達に会うの。芸能事務所、つまりはアイドルのガールズバンドです」
「へー」
様々なガールズバンドがスタジオを借りて練習を重ねていく。ミニライブを開催するバンドもあれば、ただ憩いの場として表のカフェを利用する子達もいる。総じて年若い女の子だ。どうやらガールズバンド時代、というのもあながち嘘ではないようだ。だからか、新人の男性スタッフとして雇われたエヌラスは非常に目立った。最初こそ外見の問題で客足が遠のくかと危惧していたが、最低限身だしなみは整えるように、というまりなのアドバイスに素直に従っている。
赤いヘアピンで伸ばした左半分の前髪を留め、襟首が隠れるほど伸ばして跳ねている後ろ髪も黒いヘアゴムでアップにまとめていた。
普段着であろう無地の黒シャツに黒いズボンも何とかならないか、という言葉には少し苦言を呈している。
「いやー、替えの服が無くてですね……」
「……お金、貸しましょうか?」
「いえ結構ですそればっかりは遠慮します」
「いやに早い返答ですが」
「金の貸し借りにはちょっと酷いトラウマ抱え込んでいるもんでして……」
「借金とか、あります?」
「……ちょーっとばかり返しきれない額の恩はありますが。多方面に」
「悪い人たちに追われてたりしませんよね」
「むしろこっちから追いかけてぶちのめす側です」
「あの、本当に手品師なんですよね?」
「手品師ということにしておいてください……」
手品師、と呼ぶとエヌラスはあまりいい顔をしない。なのでまりなはちょっとした嫌がらせや仕返しをする時以外はそう呼ぶのは控えることにした。
「寝泊まりとかはどうしてるんですか?」
「…………いやーははは……」
「正直にお願いします」
「近場の森林公園で……」
「…………」
考えてもみれば、そうか。不法入国者ないし、パスポート未所持、身元確認書類未所持、あるいは身分を明かせる所持品を紛失している。持ち物らしい持ち物と言えば、黒いコートのポケットに入っていた一万円札だけだった。手品の道具も持ち歩かず一人で日本にやってきたというのは、まりなにしてみればとても珍しいタイプの人間に見える。
「うーん、流石にホームレス生活までは私も面倒みきれませんし。家に上げるわけにも……」
「やーそこは気にしなくても大丈夫です」
「そこは人間として最低限気にするべきところなんですけど!?」
この人、こんな調子で今まで生きてきたのだろうか。だとしたら、なんとなくだが納得してしまう。自分に関してとことん無頓着、社会の規則に縛られず奔放な生き方をしている。
一応オーナーにも相談してみた。すると、意外なことにも別に住み込みでも良い、とのこと。どんだけ心が広いんだ。ただし当然ながら給料から利用料を引かれる。それでは雀の涙程度の金銭しか手元に残らない。五桁残るか怪しい生活を強いられる。
「いや困りましたねー」
「他人事みたいに笑って済ませないでください、当事者なんですから」
「とはいっても、俺みたいな不審者を泊めてくれるような場所とか」
あるよ、というオーナーの言葉。どうやら同業者に心当たりがあるらしい。とあるマンションの経営者にツテがある、と。
昨今、水面下で騒ぎになっているのはマンションやアパートで多数目撃される幽霊。その被害が知人の経営するマンションでも起きたらしい。そのせいで退去者が出たらしく、部屋が余っているようだ。しかし、問題はそこから。
どうもその幽霊の目撃情報は全国各地で起きているらしい。不動産関係者も困っているし、霊能者とか身近にいるわけが──あった。自称ではあるが、オカルトハンターがオーナーの目の前に立っている。
提示された交換条件。経営しているマンションで起きる怪現象を解決してくれれば、一部屋貸してくれるそうだ。この時代になんとも涙が出るほどありがたい話である。エヌラスは当然それを快諾した。
──都内某所、マンションにて。
エヌラスは地図を頼りに問題のマンションへと向かった。正直、住所を書かれても全く分からなかったので周辺一体の地図を借りることにした。
「あー、アレか……」
高級マンション、ではないものの規模としてはそれなり。
話によれば、三ヶ月ほど前から幽霊の目撃情報が相次いでいる。これまでで三十六件。怪現象に幽霊と、住民は大騒ぎだ。図太い住人はまだ居座っているが、それでもやはり苦情は寄せられているらしい。
問題のマンションを見上げて、エヌラスは黒コートのポケットからシガレットケースを取り出した。その中から細身の煙草を一本、口に咥える。火は点けず、咥えたままマンションの入り口で疑心暗鬼な管理人と話し合っている住人達に近づいた。
「どうもー、ライブハウス『Circle』から派遣されたオカルトハンターです……」
我ながらとんでもねぇ馬鹿げた自己紹介だな、と思いながらエヌラスは会釈する。
「あぁ、貴方が。本当にできるんですか? その、除霊を……」
「除霊っつーか物理的解決っていうか……まぁいいや、言ってもしょうがねぇし。此処で起きてる怪現象その他、全部解決すれば一部屋貸してくれると」
「うちもねー、ほら。この人達も我慢の限界みたいで。それが出来なきゃ出ていくって聞かなくてですね」
「大変そっすね」
「そうなんですよ。なのでお願いしますね」
「んじゃ行きますか」
問題の部屋へと向かって階段を登る。エレベーターもあったが、良くないモノが居たので後回しにした。
「…………全部で五十七体」
「はい?」
「幽霊の数。此処、土地的に気の流れが悪いみたいで溜まりやすいみたいっすねー。ついでにお祓いしときます」
「は、はぁ……」
いまいち理解していない管理人と、胡散臭そうに顔を見合わせる住民達。
言葉で理解するはずがない。エヌラスはさり気なく煙草に指で火を点けた。
主流煙、副流煙、紫煙、それら全てに魔力が働く。当然ながら、それは普通の人間にとっては劇物に等しい。嗅ぎ慣れない爽やかな柑橘の甘いに鼻をこする。
──ドラッグシガー。魔力の燃焼効率を上げるために服用する“劇毒”だ。魔術師であるならば一度服用するだけで魔力を行使するための回路が焼き切れる。だが、エヌラスの身体は“普通の魔術師”ではない。
一時的に吸引した管理人と住民達は、軽い目眩を覚えた。しかし、すぐに症状が治まる。
そして、次の瞬間には悲鳴を上げていた。幽霊が、そこにいた。日常的に使う廊下に、自分達が普段使うエレベーターに、階段に、手すりに。ドアの横に、そこかしこに立っている。だが、エヌラスは手当たり次第に拳で除霊していた。
「邪魔だテメェ等。いつまでも現世にしがみついてんじゃねぇぞ」
顔の砕ける幽霊というものを初めて目の当たりにする管理人達は言葉を失う。そして、そんな光景を何度か繰り返して、エヌラスは一室の前で立ち止まる。そこは一週間ほど前に住民が行方不明になった曰く付きの部屋だった。
「管理人さん、ちょいとここの部屋開けてもらえます? 力づくでもいいんですけど」
「あ、開けます! ちょっと待っててください!」
震える声でマスターキーを使い、扉を開ける。そして、戸を開けた瞬間に伸びてきた手を見て即座にエヌラスは閉めた。指が吹き飛ぶ。それを確認してから再度開けて、入室すると幽霊を殴り飛ばした。その光景を冗談かなにかのように見つめていた住民達だったが現実は目の前にある。
部屋の中にいたのは、女性の幽霊だった。しかし、オカルトハンターに一切の慈悲なし。髪を掴んで顔面を殴り抜ける。霧のように消え失せる恨めしそうな顔と声に背を向けて、エヌラスは部屋を後にした。
そして、そんな調子でエヌラスの“除霊”は順調に進み、一時間足らずでマンションから五十七体の幽霊を消滅させる。
お祓いといってもマンションに手を加えるわけではない。悪い流れを逸らすだけだ。そして、それらを都合の良さそうな場所に向ける。後は知らん。
「んじゃー幽霊退治終わりましたんで、約束通り一部屋借ります」
「あのー、本当にもう幽霊は出ないんですか?」
「呼び集めることもできますけど、やります? 多分さっきの比じゃないですよ。あんなん子供のイタズラですって、はっはっは。住民を驚かせてご満悦に浸っているような幽霊ですよ? その程度でおっかなびっくりしてたらダメでしょう」
「いや、そうは言われましても……」
「死人が出てないだけマシですって」
「幽霊騒ぎで死人……?」
「俺の地元じゃ日常的によくある話なんで別に驚かないんですが、こっちじゃそういうの無いんですか?」
「すいません、ちょっと現代日本じゃ聞いたことないですね……」
「マジかー日本って超平和だなー、信じらんねぇ」
こちらからすれば貴方の方が信じられないんですけど!? ──その場にいた全員がまったく同じ事を思った。
羽織っていたコートを脱いで、エヌラスはライブハウス『Circle』までの道を走る。その後姿が見えなくなってから、管理人達はマンションを見上げた。
そこにあるのは、いつもの建物。集合住宅の一室が帰る家。そこに蔓延っていた幽霊というオカルトの代表格も綺麗さっぱり消え失せていた。
そして、新たに加わる住人がオカルトハンターということに管理人は不安で一杯だった。
「ただいま戻りましたー」
「あら、おかえりなさい。エヌラスさん、オカルトハンターのお仕事はどうでした?」
「チョロかったです」
「……詐欺とかしてませんよね?」
「してません、誠心誠意仕事に尽力してきました」
「じゃあこっちのお仕事も尽力してくださいね」
「うっす……」
エヌラスの昼休憩は幽霊退治に消えている。おのれ許すまじ。
ホールスタッフとして客に愛想を振りまきつつ、スタジオの掃除とセッティングを済ませる。
「そろそろですかね、パスパレの皆さんが来るのは」
「ちなみにどんなガールズバンドなんですか」
「そうですね。やはり芸能関係だからか人気ありますね。アイドルとして活動してるのもありますけど、ガールズバンドとしても実力も高いですね」
「なるほど」
テレビの前に出るのなら、そこまで素っ頓狂なメンバーでもないのだろう。エヌラスはそう考えていた。ハロハピの罪は重い。特に弦巻こころ。
表の様子を見ていたまりなが仲良く話しながら『Circle』へ入店してくる一団を見て笑みを浮かべていた。
「噂をすれば来たみたいですよ、彼女達」
「へー」
エヌラスが振り返る。入店してきた一団の中に、ひとり。またひとり、天敵が存在した。
「こんにちわー、まりなさん」
「いらっしゃいませ、パスパレの皆さん」
丸山彩。白鷺千聖。若宮イヴ。大和麻弥──そして、氷川日菜。
目を合わせた瞬間エヌラスは察した。この感覚は、リサに生徒手帳を届けに行った時と同じ。つまり、パスパレとは氷川日菜の所属するガールズバンドであり、ライブハウス『Circle』の常連客でもあるということだ。
「あっ」
と、千聖が止める暇もなく。
日菜はエヌラスに向けて突撃していた。
「ブラッドはっけーーーんっ!」
「ちょぉりゃあぁぁぁっ!!」
タックルをしてくる腕を捌き、流れるように方向転換させると、パスパレのメンバーに向かって突き返す。
「──ありぇ?」
「ちょ、ジブンっすか!? うひゃあぁぁー!?」
麻弥に真っ直ぐ向かったベクトルは、二人を転倒させるという形で落ち着いた。
「おー、ブシドーです! 合気道ですか?」
「ノーブシドー! っていうかまりなさん、あの、アレ、あの子! もしかしてとは思いますが紗夜の妹の日菜って子!?」
「なんだ、知ってたんじゃないですか。そうですよ」
「個性の集合体かよ!!!」
顔を覆って、エヌラスは絶叫する。
うっかり武術で対応してしまったことから、イヴにも目をつけられた。そして日菜は麻弥の上から身体を退かすと、二人揃ってエヌラスの前に距離を詰めてきている。
「俺急用思い出したので帰っていいっすかまりなさん!?」
「だめです♪」
「はっはっは」
詰んだ。逃げ場がない。笑うしかなかった。もうどうにもならねぇやこの状況。