花咲川女子学園では、文化祭前日ということもあり生徒達が準備に追われていた。
羽丘女子学園でもまた、文化祭の開催へ向けてラストスパートをかけている。両学校とも前年度に劣らぬ盛り上がりを見せていた。
明日には一般開放される。それに伴ってトラブルが起きたりするかもしれないが、そんな不安は開催に向けた期待の前には些細なものだ。
学園内を見回る燐子と有咲はそれぞれのクラスで開かれる催し物が無事に準備できているかどうか確認している。手元のバインダーには学年ごとに振り分けた帳簿。問題がなければチェックを入れていく。
ほとんどが問題なく準備を終えているものの、ごく一部は開催間近というのに間に合うかどうか怪しい。
「やっぱり喫茶店とかやるクラスは食材管理で忙しいみたいですね」
「そ、そうですね……場所も、限られますから……」
校門から校舎まで続く通りにはずらりと屋台が並んでいる。鉄板やら仮設テントの設営などで生徒たちが慌ただしく動いていた。
あくまでも、文化祭。学園の催し物という体裁だから本気で稼ごうとすると怒られる。市販品などで賄い、もちろん衛生面にも気を使う。
「今の調子なら全クラス問題なく文化祭を迎えられそうですけれど……」
「よかった……あの、市ヶ谷さん」
「はい?」
「あの、今年も……みんなで、たくさん盛り上げられると……いいですね……」
「そうですね。香澄が馬鹿やらかさないように見張っておきます」
はしゃぎ倒して他のクラスに迷惑かけないようにしないと。有咲はそれだけ懸念していた。しかし、それを聞いて燐子は薄く笑っている。
「本当に、戸山さんと仲がいいんですね」
「へっ!? あ、あー……いや、まぁ……あ、でも! ほら、あの霊能学の先生、来てくれるんですかね!?」
「あ、えっと……エヌラスさん……ですか?」
大怪我をしていた。その翌日には元気に走り回っていたが、多分かなり相当めちゃくちゃ無茶をしていたに違いない。有咲はそう思いたかった。
どう考えても治るはずがない。一昨日見かけたのはきっと他人の空似だ。沙綾と香澄とはぐみが間違えて声を掛けたに違いない、と有咲は考えていた――が、それはあっけなく打ち砕かれた。
「……? なにか、外が……」
「騒がしくなってきましたね。どうしたんでしょう」
何事かと、窓を開けて外の様子を覗くと。言った傍からスーツ姿のエヌラスが登校していた。
ビジネスバッグ片手に気だるそうにしているが、何故か頭に子猫を乗っけている。
「…………」
「…………えっと……猫ちゃん、かわいいですね……?」
ツッコミどころはそこですか生徒会長。しかも多分当人は気づいていない。生徒たちに囲まれていたが、そこへ突撃していく香澄の姿を見て有咲が目頭を押さえた。
「すいません、白金先輩。ちょっといってきます……」
「は、はい……」
「エヌラスさーんっ! こんにちは! 元気みたいでよかったです! 頭の猫ちゃんどうしたんですかかわいいですね触っていいですか撫でたいです!」
「うるせぇ」
「四文字!? しかもひどい!」
元気ハツラツ、キラキラ爆走の香澄をわずか一言でエヌラスは真正面から蹴散らした。眉をひそめて自分の頭に手を伸ばし、もふもふとした感触を引っ剥がす。首の後ろから鷲掴みにされた子猫があくびを漏らして鳴いていた。
なー。
エヌラスが口をへの字に曲げている。
「頭が重いと思ったらテメェのせいか猫助この野郎」
「その猫ちゃんどうしたんですか? 首輪付けてないみたいですけど」
「あー、戻ってきた時に公園に寄って休憩してたんだよ。多分その時に人の頭に座り込んでたんだな。気づかなかった俺も悪いんだろうが、にしたってテメェなんのつもりだこの野郎。ほれほれ」
ふみゃー。
お腹をくすぐり、わしゃわしゃと撫で回す。すると指を捕まえて噛みついてきた。精一杯の抵抗なのだが如何せん愛らしい姿に恐ろしさ皆無。その姿に香澄達の心も鷲掴みにされていた。
「かわいい~~!! エヌラスさん、私も撫でていいですか!?」
「ほい、パス」
香澄に手渡されるキジトラ子猫。顔を寄せようとして、早速前足で全力の抵抗を受けていた。素早く手元から離れるとエヌラスの足から登って頭の上に座り込む。
ふしゃー。見下ろしながら威嚇される始末。
「触るな、だってよ。っていうか俺の頭に居座るんじゃねぇ」
なおーう。
「……この糞猫、皮剥いで楽器にしてやろうか」
「そんなことしたら可哀想ですって! ほーら怖くないよー、にゃーんにゃーん」
「人に向かってにゃんにゃん鳴くな、可愛いだろうが」
「にゃおーん? ふみゃおう!?」
香澄の鼻をつまんでエヌラスは横を素通りした。頭の上の子猫は居心地が良いのか、ゴロゴロと喉を鳴らしている。香箱座りですっかりくつろいでいるところ悪いが、降りろ。
頭を傾けてみるが、爪を立てて抵抗しようとするので辞めた。こんなことで怪我をするくらいなら大人しく後で捨てた方がマシだ。
注目の的だけども。
「先生、動画見ました!」
「あ、私も見ましたー!」
「あの動画どんだけ広まってんだよ!? お前ら揃いも揃って暇人か! そもそも明日文化祭なのになんで学校来てるんだ」
「……えっ? 文化祭前日だから設営してるんですけど」
「…………そんなギリギリのスケジュール管理でいいのか」
代休として月曜日はお休み。当然である。しかし会話している生徒の視線は頭上の子猫に注がれていた。
「エヌラス先生、もう出歩いてて大丈夫なんですか? 香澄達の話じゃ、大怪我したって」
「治った。問題ない」
「……そうなんだ。じゃあやっぱり皆がちょっと大袈裟だっただけなんですね」
「そういうことにしておいてくれ。あと頭の子猫なんとかしてくれ」
引っ剥がそうとすると唸るし。
花咲川女子学園へ姿を見せたエヌラスはすっかり生徒達に囲まれながらも屋台を見て回る。どのクラスが何を出店するのか見つつ、その進捗状況を聞いていた。どうやら問題なさそうだ。
そこへ有咲がやってくる。
「……マジだ」
「よう、有咲。元気か」
「いやそれはこっちのセリフなんですけど……怪我は?」
「完治した」
「バケモンだ……」
「人聞きの悪いことを言うな。鍛え方が違うだけだ」
どう鍛えたらそうなるのか問い詰めたい。納得いくまで。是非とも。
エヌラスの頭上の子猫があくびをひとつ。
「まぁ、なんかそれはこの際置いておくとして……今日はどうしたんですか?」
「文化祭前に顔見せておこうかと思って。本当にギリギリになったけどな」
「開催明日ですけど……」
「俺も本当は昨日来る予定だった。ちょっと別件で忙しくてな」
そういえば、海外旅行の時にとんでもない前金を受け取っていた気がする。
「もしかして」
「例の資産家の依頼、納品してきた。そうしたら、いたく気に入ったらしくてな。俺を抱えの芸術家にしようと金を積まれた。全額拒否したけどな」
「えっ、なんで」
「なんでって、そりゃお前。仮にもハナジョの教師だぞ。断るに決まってんだろ」
「…………いや、一生を棒に振ってるも同然」
「本業オカルトハンターに何言ってるんだお前は?」
「私がおかしいみたいな言い方すげぇ納得いかねーんですけどー!?」
「金に興味ねーもの、以上この話終わり」
とんでもない大物かとんでもない大馬鹿野郎のどちらかだが、エヌラスは後者。
にゃうにゃおーう。子猫もそうだそうだと言っている。
「なんで頭に子猫乗せてるんですかっ!」
「俺が知るか。降りねーんだものこいつ」
変に賢いせいで中々に手強い。ちびの癖に。
有咲の顔を見て、ふんふんと鼻を鳴らしたかと思うと、キジトラ子猫が飛びかかった。だが、飛距離が足りずに顔に張り付く形となっている。
「へぶっ!? な、この、ねこくせぇ!」
「有咲ー!」
「うわぁ、こっちくんな香澄ー!?」
ふにゃー!
子猫を突き出す有咲だが、その子猫が香澄を嫌がって顔を前足と後ろ足を総動員で防いでいた。
「にゃぶっ!?」
「んじゃそっちは任せたぞー」
「ちょ、マジで言ってんの!? 猫! 子猫は!?」
「b」
「いや親指立てながら立ち去られてもぉ!?」
肩の荷が下りたように頭が軽い。首を慣らしながらエヌラスは校舎へ入ろうとするが、その前に立ちはだかるのは紗夜。いつものごとく、例によって眉を釣り上げて不機嫌さを隠そうともしなかった。
「……元気そうですね」
「そっちもな」
「怪我はもういいんですか?」
「治った」
「そうですか」
「様子見て回るだけだ」
「それくらいなら、まぁいいでしょう。どうぞ」
「……なぁ、なんで俺はお前の許可をとってるんだ?」
「私に聞かれても困ります」
そちらが言い出したことでしょう、とでも言いたげだ。
「怒ってるのか?」
「怒っているように見えますか?」
「なんか機嫌悪そうには見える」
「別に怒ってません。いつもどおりです」
言われてみれば、腕を組みながら後ろをついてくる紗夜の姿はいつも通りだ。
「私がいつも怒っているとでも?」
「俺といる時は大体怒ってる。それ以外の顔ほとんど見たことねぇや」
「貴方が周囲に迷惑と心配かけてばかりでまるっきりダメなお手本の反面教師である限りは仕方ないことです。生活態度を改めてください」
「あー耳がいてぇ……」
おねがいですやめてください死んでしまいます、心がしんどい。人の急所を的確に突いてくる紗夜の指摘には何も言い返せない、完全論破。
「――ですが」
「ん?」
「元気な姿を見れて、安心しました」
「そう簡単にくたばんねぇよ。俺は健康なのが取り柄なんだ」
「健康で健全な成人男性は死に目に遭いませんが。何か反論は?」
「俺は悪い大人なのです。反面教師ってさっき自分で言ったじゃねぇか」
「…………」
してやったり。とはいえ、自分の育ちの悪さを棚に上げて言いくるめてもあまり良い気分ではない。代わりにエヌラスはビジネスバッグの中から紗夜にお土産を渡した。
「……なんですか?」
「依頼の副産物」
「……」
手渡されたのは、青いギターピック。『Roselia』のロゴが彫り込まれ、花弁の一つがエメラルドグリーン色に輝いている。高級感のある光沢に、指でつまんでみればしっかりとした感触。
「あの、これは……」
「暇潰しに作ったピック。良けりゃ使ってくれ」
「……はい?」
「なんだよその顔は?」
「作ったって……コレを?」
「なんだよ、いらないならそう言え」
「一言も言ってません」
しかし、手にしてみれば驚くほどしっくりくる。ハンドメイドとはとても思えない出来栄えだ。
「これほどの物、タダでいただくわけにはいきません」
「いーんだよそんな固いこと言うな、適当に貰っとけ。色々心配掛けてるし迷惑料代わり」
「そうだとしてもなにかお返しくらいは」
「だったらお前の手料理、何でも良い」
「……」
「手作りなんだから、手作りで返せ。以上」
手料理と言われても、パッと思いつくのはクッキー。まだ練習中の身だが、それでもいいのだろうか。
「クッキーでもいいでしょうか。今井さんほど美味しくはないかもしれませんけれど」
「別に味はどうでもいい。紗夜が作ってくれるならそれだけで十分だ」
「わかりました。最善を尽くします」
俺の話聞いてました紗夜さん? エヌラスが怪訝な表情を見せるが、当の紗夜は表情と姿勢を崩すことなく維持していた。
――その内心、素直な感謝と期待していないようなそっけない態度に対する苛立ちと、どこか素直になれない複雑な感情が渦巻いている。
外からはまだ有咲と香澄がはしゃぐ声が聞こえてきていた。子猫はとっくに逃げ出している。