【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第百十一幕 キセキの歌

 

 

 

 ――実際のところ、エヌラスが過去に音楽に触れた経験というのは一年にも満たない。

 それまで芸術と呼ばれるものに触れたことすらなかった。

 魔術を学ぶ上で必要であったから、学問の戸を叩く。ただそれだけのストイック過ぎる姿勢だった。単に修行があまりに過酷すぎたというのもある。

 魔術。その学科においては多岐にわたる専門性が山程あげられる。

 例えば薬学。魔術における最適な霊薬の調合法。

 例えば医学。人体の構造を把握することで損傷箇所と最適なコンディションを保つ。身体強化においても必須科目といえる。

 例えば科学。決して相容れるはずがない分野においての知識も魔術には必要とされる。それは単純に対抗するためでもあるし、同時にそれを用いた複合技術としても。最たる物が魔導生命体。

 

 あらゆる分野、あらゆる学問の知識を貪欲に求め、それらを魔術の一点に適用して構成する。

 それが、大魔導師の言う「魔術」というものだった。何より得意とする重力操作も、簡潔に言ってしまえばそれは全て「数学」という学問でしかない。ただし、それは狂人ここに極まれる精度と速度で常時展開されているものだが。

 奇人変人、或いは超人、そうでなければ完全に向こう側の住人。そうでなくても帰ってくるな。

 とかく、エヌラスにとっては恩師であり、育ての親でもあり、同時に天敵であるし、越えられない壁として立ちはだかる怪物だ。

 

 黄金の獣。金色の闇。歩く超常災害。人の姿をした悪魔。単純に、超人とも。怪物であることに間違いはない。

 遠い故郷、犯罪国家と呼ばれる国内において王座に腰を掛ける最高権力者。

 その正体は人間だ。魔道を極めんとするあまりに、人の名を捨て、常識の蚊帳の外で生きることを良しとした異物。恐れられるあまり誰にも触れることができない怪物に、しかし――エヌラスはどうしても離れることができなかった。

 何があっても見捨てなかった。何があっても手放さなかった。

 馬鹿なこともやった。馬鹿な真似も一緒にやった。

 いつか。きっといつの日か越えてやると、最初で最後の一番弟子として固く誓っている。

 そうしたら、きっと――あの地獄が終わると信じて。

 

「…………」

 つまらないことを考えた、とエヌラスは頭を振った。

 今はそんな遠い故郷に思いを馳せている場合じゃない。自分や、それ以外の化物達にとって今日という日は大した一日ではなかったとしても。

 彼女たちにとってはかけがえのない青春の日々なのだから。

 

「……歳は取りたくねぇなぁ」

 そんなことを呟きながら、エヌラスは書き込んだ譜面を確認する。問題なし。

 

 一年足らずの音楽経験だが、楽器になると更に期間が短い。なにせカメラマンとしてのアルバイトがてら学んだ。被写体との交流がてら、ひたすら基礎トレーニングと応用の反復練習。楽譜の見方と演奏。それらを失敗しなければ、形だけは上手く落ち着く。

 何を持って、完成とされるのか。芸術的な意味で完成と呼ばれるものは枠内でしかない。どれほどの情熱を詰め込めるかに尽きる。

 そういった芸術的な話は大魔導師の方が深い。意外なことに。意外なことに、本当にどういうわけなのか。さすが超人は格が違った。そこらの未開拓の土地に足を運んでは現地の生物をとっ捕まえてくる変人は、やることなすこと目の付け所が違う。大概にしろハゲ。

 

 エヌラスが黙々と音楽準備室で五人分の譜面を用意すると、深く息を吐き出した。

 頭痛に苛まれているのは、記憶の奥底に閉じ込めたものを取り出したからだ。思い出すことも、思いを馳せることもしたくなかった。だが――。

 戸山香澄の言う「キラキラドキドキ」は、自分が手にしたかった輝かしい日々の思い出。

 それは、例えば……そう。

 恋人と過ごした日々のような、目も眩む一日の連続。

 思い出そうとして――即座に記憶に蓋をした。思い出すことがないように。

 

 五人分の楽譜を手にして音楽準備室を後にする。

 廊下に出て、道行く生徒に今の時間を尋ねた。小一時間程度経過していたらしい。

 

「ポピパ……あー、香澄達のライブって何時からだ? もう始まってるのか」

「それならさっき始まったみたいですよ。ほら、体育館の方にみんな集まってます」

 それで校舎内の人通りが減っていることに納得したエヌラスはお礼を言いつつ、階段を降りていく途中でふと思い出す。

 さて、楽器を何処で取り出そう。人気のない場所? この一般客と生徒達でごった返しているハナジョにそんな場所があるとは考えにくい。

 つくづく自分は詰めが甘いなと考えていたが、何やら廊下で困っている様子の花音を発見した。

 

「どうした、花音?」

「あ、エヌラスさん……えっと」

「……まさかとは思うが、迷ってないよな」

「ふえ……」

 図星な模様。頭痛くなってくる。

 

「どこに行きたいんだ……?」

「えっと、こころちゃんと美咲ちゃんと待ち合わせしてたんだけど……二人とはぐれちゃって」

「いっそ大声でお客様の中に弦巻さんと奥沢さんはいらっしゃいませんかと叫んでやろうか……」

 間違いなく頭がちょっとアレな人の叫びになるけれども。

 

「あ……」

「ん? どうした」

「えっと、二人が」

 花音に言われて窓から見下ろすと、美咲がはしゃぐこころをなんとか抑えようとしているのが見える。ほぼ無駄な努力に終わっているが。

 頑張れ美咲、お前だけが頼りだ。あっちもこっちもと好奇心の赴くままにこころが歩き回ろうとする。黒服は邪魔にならないように物陰から見守っていた。お前らも止めろや。

 

「あー、こりゃ放っておいたらまた見失うな」

「ど、どうしよう……」

「花音、持ってろ」

「ふえ?」

「そんで失礼」

「ふぇぇ!?」

「もうひとつ。しっかり掴まれ」

 窓を開けてエヌラスが花音を抱きかかえる。窓枠に足をかけてそのまま左右を確認すると、校舎から飛び出す。

 窓から僅かに出ている縁を足場にして駆け出し、壁を蹴り出した。

 

「ふえええぇぇぇっ!?」

 花音の絶叫が響く。

 その声に引かれて顔を上げた美咲が驚いている。こころは顔を輝かせていた。

 宙で足を使い、空気抵抗を制御しながら着地体勢を整える。

 踵から滑り込むようにして減速しつつ、落下の衝撃を膝をクッションにして軽身功で和らげる。それをバネにして宙返りでこころを飛び越えると、音もなく着地した。それから花音を下ろす。

 

「待ち合わせしてんだから動くなや!?」

「す、すいません!?」

「すごいわエヌラス! まるでお猿さんみたいだったわよ!」

「あれくらい朝飯前だ! そして反省の色欠片も無しかよこころちゃんはよぉもー!」

 むにむにとこころの頬をもみくちゃに撫で回してから、エヌラスは花音から楽譜を素早く奪っていた。その手捌きは目にも留まらぬ早さで、気がついたのは楽譜を胸ポケットにしまう姿を見てから。

 

「いつもならはぐみもいると思うんだが、どうした」

「あ」

 美咲が何かを言いかけるが、それよりも先にエヌラスの腰に衝撃が走った。

 あそこにいますよ、と言うより先に。あっという間にはぐみが飛びついている。

 

「腰は、やめような……! お兄さんとの約束だ……!」

「エヌラスさんすごーい! まるでお猿さん!」

「誰が猿だぁおりゃああ!!」

「きゃーっ♪」

 はぐみを捕まえたかと思うと、上に放り投げてすぐにキャッチした。まるで何かのパフォーマンスかと思われたのか周囲から拍手喝采が巻き起こる。

 違うんですその人多分本気で怒ってるんです――美咲はそう思いながらも何も言えなかった。できればこれ以上目立ちたくない。

 

「猿っていうか、ゴリラ……」

「ゴリラに失礼だろ」

「そっち!?」

 自分にプライドとか無いのかこの人。いや多分ないんだろうな。口にはしなかったが、恐らく顔に出ていた。

 そこでようやく、手にしている紙の束が楽譜であることに気がつく。

 

「あの、それ……」

「この後暇なら体育館に来い、以上。それと三年生でバンドやってる奴らも見かけ次第連行してきてくれ」

「エヌラスさん、ライブやるんですか……?」

「本当に! それはとってもステキね!」

「……マジで歌うのは今回っきりだからな」

 

 

 

 ――窓を閉め切った薄暗い体育館の中、ステージ上で演奏を終えた香澄達が息を切らしながら笑顔を向けて挨拶をしていた。

 会場の観客の中には、彩も千聖もいる。昨年以上の集客と盛り上がりに体育館の中はすし詰め状態となっていた。

 自分達が最後となる文化祭ライブに、締めの挨拶としてメンバーの紹介と三年生の門出を前にした祝辞の言葉を述べて解散となる。

 だが、そうはならなかった。

 体育館の出入り口に姿を見せたエヌラスに、香澄が目を丸くする。手に持っている楽譜を見て言葉を失っていた。

 そのまま観客の横を抜けて、呆然としている五人のいるステージへと上がる。

 

「あの、エヌラスさん……なんで」

「ちょっと手伝え」

 マイクを握りしめていた香澄に楽譜を渡す。

 りみに、たえに、沙綾に、有咲にも。五人分。だが、突然楽譜を渡されて演奏しろと言われてもできるはずがない。天賦の才能でも無い限り。

 しかし。エヌラスは魔術師だ。ある程度の無茶をさせることができる。

 額に指を当てて、一呼吸置いた。

 

「見て、覚えて、弾け。それだけで十分だ」

 銀鳴葬送曲の応用。セットした魔術を連続稼働させるのは、楽曲分析と同じ。それを香澄達の脳内に叩き込む。軽い頭痛と目眩がするが、それもすぐに収まった。時間制限付きではあるが、譜面を今一度見ればフレーズも演奏の手解きも可能なレベルにまでなる。

 当然、脳が疲れるので要睡眠だ。

 シャツのボタンを外して、袖のボタンも外し……エヌラスは少しだけ考える。

 

「あー……面倒くせぇから脱ぐわ」

「えっ!?」

 ぶっきらぼうにシャツを脱ぐと会場からは黄色い悲鳴。肌着一枚羽織ったまま、だが腕の傷跡や覗く腹部にも無数の痕が残っている。以前よりも傷が増えていることに香澄達は少し辛い気持ちになった。

 あれは、悪い夢だ。だが現実に起きたことだったのだ。それを全部気の所為だったと思わせるくらい、エヌラスは快復している。

 

 こころ達に連れられてクラスの手伝いをしていた紗夜と燐子も無理矢理体育館へ集められた。

 

「な、なんなんですか弦巻さん……突然体育館に来てくれ、だなんて」

「エヌラスが歌ってくれるのよ。きっと紗夜達にも聞いてもらいたいんだわ」

「…………」

 ステージの上でマイクを手にしているエヌラスが会場を見渡している。

 

「氷川紗夜はいるか。あー、いたいた。白金燐子。いるな、よし。丸山彩、白鷺千聖ーも、いるな。松原花音はついさっき連行したので良しとする」

 会場から小さく笑いが巻き起こる。

 

「最初に言っておく。俺は歌うのが嫌いだ。それなのになんでここに立ってるのかって? そりゃあ決まってんだろ。最初で最後の文化祭だからだ。長期夏季休暇、まぁ夏休み前には非常勤講師も辞める予定でいる。本当に短い間だが、世話になった。だから――あんまりこういうことは言いたくないんだが、本当に奇跡みたいなものなんだ」

 花咲川女子学園の文化祭に参加できて。

 紗夜達にとって最後になる春季文化祭で、こうして立っていられることは。

 自分にとっては些細な一日だが、彼女たちにとっては青春の一幕。ならば、その幕間を飾るくらいのことはしてもいいだろう。

 

「だから一曲だけ。歌ってやる。特別に、だ。今回だけ動画の撮影も写真も許可してやるがフラッシュだけはマジでやめろよ。気が散る」

 エヌラスはそこで香澄達に振り返り、合図をする。

 

「弾けそうか? 出来る範囲で構わない」

「……いけそうな気がします!」

「ならよし」

 息を吸い込み、マイクに向けて吼える。

 

「すぅ……一曲付き合えっ!!」

 会場から一斉に歓声が巻き起こった。右腕を高く掲げる姿に、紗夜達は釘付けになる。

 ――それは、エヌラスにとっても特別な楽曲。だが、彼女たちに贈るには相応しいだろう。

 

 あの路上ライブの時ですら、抑えて歌っていた。

 『CiRCLE』で面接をする時ですら、控えめにしていた。

 ただの一度も、本気で歌ったことはなかった。少なくとも地球上では。

 故郷ですら。指折り数える程、恋人と一緒に歌ったくらいだ。

 だから。

 これが最初で最後の奇跡。自分を救わないものではあるが、彼女達には些細な思い出となるように全力で歌う。

 

「――――」

 ステージの上で、胸を握りしめながら歌う姿に。

 まるで慟哭のように叫ぶ姿に。

 なぜか、とても胸が苦しくなる。響く歌声に心揺さぶられて、氷川紗夜は胸に手を当てた。

 心を焦がすような、胸の奥が熱くなる感覚。込み上げてくる感情があった。

 ただ、言葉にならない。言葉が出てこない。

 

「……、すごい、ですね……」

 か細い声で、白金燐子が隣で呟いていた。それに、小さく頷く。

 ガールズバンドとはジャンルが違う。力強いボーカルに、低く唸るような低音は心地よい。だが高音の清らかさは女性にも負けていない。

 たった、一曲。それがやけに長く感じる。

 ――希望の歌を捧げよう、と。彼は唄った。

 その言葉が、やけに胸を深く穿つ。

 送られてきた動画で見たのとでは、迫力が違う。そもそも意気込みが違っていた。

 魂を燃やす獣の慟哭。怒りで身を滅ぼしながらも叫び続ける姿に、惹かれてしまう。

 

 気がつけば、演奏が終わっていた。

 静まり返る会場に、歌い終えたエヌラスが汗を拭いながら貼りついた前髪をかき上げる。息を切らして、呼吸を整えていた。

 ――圧巻、と言う他にない。それを間近で聞いていた香澄達は特に込み上げてきたものがあったのだろう。演奏を終えてから目尻に涙を浮かべていた。

 だと言うのに、歌い終わった直後には膝に手を当てている歌唱力おばけが一名。

 

「……――っだぁー、疲れたぁ! 以上だ! 花咲川女子学園非常勤講師、担当科目霊能学のエヌラスと! 協力してくれた『Poppin`Party』だ! メンバー紹介、割愛! ご清聴ありがとう! アンコールはきかねぇからな!!」

 会場が沸き立つ。まるで津波のように、拍手喝采と歓声が一斉にステージへ投げられた。それをものともせずにエヌラスはマイクをスタンドにセットして、汗ばんだ下着の裾で顔の汗を拭う。

 一緒に演奏していた香澄達も息を切らしていた。半ば焦燥状態の頭を軽く撫でる。

 涙を浮かべながら見上げてくる香澄に、エヌラスは頭を優しく叩いた。

 

「お疲れさん」

「あのっ……! なんで、歌わないって言ってたのに……」

「女の子は好きだろ、こういうの。青春、青春。それじゃあな」

 脱ぎ捨てたシャツを拾い上げて袖を通しながらステージから降りる。その後姿を見送って、有咲が呟いた。

 

「反則だろ、ああいうツンデレ……」

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