歓声に包まれながら、声援に送られてエヌラスは壇上から降りて差し出される手を叩きながら体育館を後にしようとしていた。その出入り口の近くで、紗夜達が立っている。
夏がくる前に、講師を辞める――聞き間違いでなければ、そう言っていた。
残された時間はそう長くない。それがどういうことなのか聞き出そうとする前に、エヌラスが片手を挙げていた。それに真っ先にハイタッチをしたのは、はぐみ。
「イエーイ」
「イエーイッ☆」
それに続いて、こころと、花音。おずおずと手を出した燐子とも小さく手を合わせる。自分だけやらないのも失礼かと、美咲も苦笑しながら手を挙げた。
紗夜だけは腕を組んだまま、目を逸らしている。それに特に何も言わず、エヌラスはひらひらと手を振っていた。
「――どちらへ?」
呼び止めようとする声に、ただ短く一言。
「羽丘行ってくる」
素っ気ない言葉に「そうですか」としか言えなかった。ずるい人だな、と思う。何も知らないのに、何も答えてくれない。知りたいことを聞いてもはぐらかすくせに。
その態度が気に入らなくて。紗夜も、つい素っ気なく返してしまう。
拍手を背に受けながら花咲川女子学園を後にする。
「あ、エヌラスさんだ! 確保ぉー!!!」
――羽丘女子学園に到着して間もなくして、氷川日菜による強襲を受けた。真正面から突撃してくる相手に、これみよがしに深々とため息を吐いて、腕を捌き、足を崩し、体勢を直してから近くにいたつぐみに向けて突き飛ばす。
「ダメだったよつぐちゃーん!」
「ひやぁああぁあ~~! 日菜先輩、危ないですってばー!」
その勢いのまま、抱きついていた。
一般客に混じって突如現れた不審者に対して、羽丘の女子生徒達の反応は様々。
「あれ? あの人って確か……」
「今井さんの彼氏だったよね?」
「まさか生徒会長と二股!?」
「ハナジョで怪しげな授業開いてたりするって噂だけど」
「でも動画だとポピパとかと一緒にいたよね」
「あ、アレ私も見た。歌上手かったよねー」
「……どうも俺の評判は悪い方向に転がってるようで何よりだ」
こちらも距離を置いていたのもあるが、女子高生に任せておいた評判は尾ひれと背ヒレがくっついて滝のぼり中らしい。どこまで行くんだこの悪評。そのうち顔見るだけで通報されるんじゃなかろうか。
しかし、怖いもの知らずの生徒会長がめげずに再度突撃してくるので同じような方法で撃退。
「もー、エヌラスさんってば照れてるの?」
「すまん、お前が突撃してくると防衛本能が働くんだ」
「あたしそんなに危険じゃないよ?」
「どの口だテメェ!」
「むぇ~……」
日菜の顔を捕まえて頬をこね回す。
「お客様の中に大和麻弥はいらっしゃいませんかぁ!!」
「え、なんですか!? いったいジブンがなにか……ってエヌラスさんじゃないですか! 日菜さん捕まえて何してるんですか!?」
「俺が捕まりそうになってんだよぉ!!」
「なんか以前もこんなことがあったような、って。ぅひゃあぁあ~~!!」
「麻弥ちゃ~~ん、エヌラスさん捕獲作戦ダメだったぁ~!」
顔をひょっこり覗かせた麻弥めがけて日菜をパス、二人まとめて転んでいた。
作戦も何もクソもないだろうに。真正面から突撃してきたら誰でも迎撃する。
顔を覆って頭を抱え、青空を仰ぐ。どうして空は青いのか。
羽丘もハナジョに負けず劣らずの盛況を見せている。一瞬にして騒ぎの中心人物となってしまったエヌラスはこちらに足を運んだことを早々に後悔していた。というのも、その一連の騒動を巻き起こしたのが他ならぬ羽丘の現生徒会長である日菜だからだ。天才少女に目をつけられたのが運の尽き。
「泣かないめげないしょげない、それがあたし! エヌラスさん、デートしよ!」
「ハァ!? 今このタイミングのこの状況でそういうこと言っちゃう!? 正気かよお前!」
「うんっ! だって結局アレ以来エヌラスさん全然あたしに構ってくれなかったし」
「あー……そういやそうだったっけな……」
「だから。あたしと学園デートで勘弁してあげる、どう?」
「……お前アイドルって自覚ある?」
「あるよ? なんで? あ、そっか。ちょっと待ってて。リサちー!」
「うぉおい!? なんでそこでリサが出てくる!?」
相変わらず思いついたら即実行の日菜の予測不可能な行動にエヌラスは振り回されていた。引き止めるまでもなく校舎の中へ走り去る姿を見て、深く肩を落とす。
「……麻弥、俺はどうしたらいいんだ」
「それをジブンに聞かれましても……」
「助けてつぐみ……」
「えっ!? えっと……ファイトです!」
小さくガッツポーズを見せるつぐみに、何の罪もないことは分かっている。分かっているのだが他になにかなかったのかつぐちゃん。制服にエプロンを付けたつぐみの手にはチラシの束。
「なぁ、羽丘はいつもこんな調子なのか」
「エヌラスさんが来たからだと思いますけれど」
「来なきゃ良かったと今心底後悔してる」
「そんなこと言わずに。日菜先輩もエヌラスさんが来ないかなーって楽しみにしてたんですよ」
「アイツがぁ?」
「はい。あの、こう言ったら可哀想かもしれませんけれど……エヌラスさん、羽丘じゃ危険人物扱いなので……」
「そんなんハナジョでも取り扱い要注意人物だっつうの慣れてるよ畜生泣きたくなってきた」
大丈夫かなこの人。本当に頼ってもいいのかな。つぐみは不安に駆られながらも、とりあえず手にしていたチラシを差し出した。
「よかったらこれ、どうぞ」
「ん? クラスの出し物の宣伝? ……へー、結構本格的に喫茶店っぽいのやってるんだな」
「体育館だと劇と『Afterglow』のライブもありますよ」
「ほうほう。そうか」
日菜が来ないとこんなにも平和なのか。一時の平穏を噛み締めていると、階段を駆け下りてこちらへ全力疾走してくる突撃天才ガールを目視確認。神は死んだ。
「ただいま! リサちーから許可貰ってきたよ!」
「アイツの許可必要なくねぇ!?」
「それじゃあレッツゴー!」
「俺の話に欠片でもいいから耳を傾けろやテメェエエエエッ!!!」
日菜に腕を引かれて校舎の中へ半ば強引に拉致されていくエヌラスの姿を見送って、麻弥とつぐみが顔を見合わせる。
「日菜先輩って、スゴイですね」
「エヌラスさんも日菜さん相手じゃなかったらスゴイと思いますけど……」
むしろあんな目に遭っても全く懲りていないどころか益々好奇心に火を点けて迫る日菜には恐れ入るくらいだ。
羽丘の廊下を意気揚々と進む満面の笑顔の日菜。そしてそれに腕を組まれて歩かされている形のエヌラスは仏頂面だった。すれ違う人々も何事かと好奇の目を向けてくる。
「あ、生徒会長だ」
「彼氏さんですか?」
「ううん、違うよ。あたしの命の恩人で、天文部の顧問」
「それハナジョの話な?」
「羽丘も天文部顧問いなくてちょっと困ってたんだよねー。エヌラスさんが兼任してくれるならすっごく助かるんだけど」
「俺はすっごく困るんだけど?」
「あ、合同合宿の件聞いてるよね。今度の週末でいいかな?」
「お前は俺を暇人か何かだと思っていらっしゃる!?」
「何か予定とかあったら話は別だけど、無いでしょ?」
「……多分無いと思うけどよ」
「じゃあけってーい♪」
全くと言っていいほど話に耳を傾けてくれない。
「どうしたの? 難しい顔して」
「いや、自分を暇人だと定義するのはものすげぇ腹が立つだけだ……」
「あたしのせい?」
「日菜のせいじゃないから、気にするな」
決して暇じゃない。自分が暇な時は世界が平和な時だ。それが例え壊れそうな薄氷の上だったとしても。
「それで? 俺をただ闇雲に連れて校舎を歩いているわけじゃないんだろ」
「え? 何も考えてなかったけど」
「俺で遊ぶのも大概にしろよ日菜ちゃん?」
「んー、でもデートって何したらいいんだろうね。こうして一緒に歩いてるだけでいいのかな? なんか恋人っぽいことでもしてみよっか」
「俺を殺したいのか?」
社会的に死ぬ。いやそれ以前に人権もくそもへったくれもないわけだが。
「お。いたいた。ヒナー」
「リサちー、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……さっきのなに?」
「なにって、言ったとおりだけど?」
「いや~、突然クラスに押しかけてきて「リサちー、エヌラスさん借りるけどいいよね!」はないでしょ……」
「お前……日菜、お前……!」
そんなことしたら大騒ぎになるの目に見えてるだろうに。なのになぜそんなことをした。
何事かと気になって教室から顔を覗かせている生徒達の視線が痛い。
今井リサという優良物件がありながら氷川日菜にも手をかけるという乙女心を弄ぶような立ち回りの成人男性。それは多大なる誤解だ。やましい気持ちなど一切ないのだが、どうもそういう風に見えてしまうらしい。
「とりあえず話をまとめておきたいから場所を設けてはくれないだろうか……」
「それならつぐちゃんのクラスで喫茶店やってるからそこで!」
「アタシも行こうと思ってたんだ。ちょうどよかった~♪」
「……君等俺をどうしたいんだ?」
二人に手を繋がれて廊下を歩くエヌラスはもうどうしたらいいのかわからなかった。
――で。
ひとつのテーブルを囲んで座るエヌラス、リサと日菜の三人組。周囲からは何事かと言う目。そして、そこは『Afterglow』のメンバーが勢揃いしていることもあってか大変気まずい空気となっていた。
一応客として来ているので注文しなければならない。早速三人の下へ寄るのは蘭だった。付添としてモカもいる。
「えっと……どういう組み合わせですか?」
「俺を巻き込んだ加害者と、その巻き添えを食らった被害者」
「利害関係とかじゃなくてですね……」
「ご注文をどうぞ~。モカちゃんのオススメはですねー、このカフェモカとふわふわパンケーキでーす」
「じゃあアタシそれで」
「んー、あたしもそれでいいや!」
「コーヒー。ブラックでいい。なんならもう豆でくれ」
「豆から直にいくんですか!?」
「はーい。モカちゃんのオススメケーキセット2つと、コーヒー豆ですねー」
本当にいいのかな、そんなことを考えながらも蘭とモカがテーブルから離れた。
「も、もしかしてこれは修羅場ってやつなんじゃ……!」
「どう見ても生徒会長被害者の会にしか見えない」
ひまりはそんな三人を見て興味津々。巴は触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに距離を置いていた。三人を取り巻く空気も、険悪な様子には見えない。約一名、打ちひしがれているのがいるけれども。
「あの、お待たせしました……」
「リサさんどうぞー」
「ありがと、モカ♪」
「蘭ちゃんもありがとー」
「……えーっと、コーヒー豆ですけれど……本当にいいんですか、これで」
モカの悪ふざけで用意された、コーヒーカップに注がれた豆。底が見えない程度の量だが、まかり間違っても豆のまま飲み食いするものではない。しかし、エヌラスはそれを躊躇することなくカップを手にして口の中に入れた。
バリバリと、まるでピーナッツでも食べるような気軽さで噛み砕いている。
美竹蘭、ドン引きである。
「えっ」
「おぉ~……チャレンジャー」
「エヌラスさん、苦くないの?」
「クソ苦いに決まってんだろうが何考えてんだ日菜テメェ。常識的に考えて豆ごと食うものじゃないだろコーヒーって。普通にホットコーヒーくれ。砂糖は無しで」
(それなら最初から普通に頼んでればよかったんじゃ……)
「蘭~、顔に出てるよー」
言いたいことは解る、とてもよくわかる。だがこれぐらいヤケクソにならなきゃやってられない事態に直面しているんだ。なんだこの甘ったるい状況。なんで俺はのんきに花の女子高生二人とテーブル囲んでコーヒーブレイクしているんだ。