エヌラスは羽丘女子学園の中を見て回る。春季文化祭、とはいえ結局はお祭りのような行事。行方を眩ませた日菜のことは気がかりだが、言われていた通りに『Afterglow』のライブ鑑賞へ向かうことにした。
体育館では演劇部による劇場が終わったところなのか、割れんばかりの拍手が鳴っている。それから機材のセットもあるからか、休憩時間として猶予が設けられていた。そこは大和麻弥の腕の見せ所。あらかじめ搬入していた音響機器をセットしていくように指示している。だが、何かトラブルでもあったのか作業の手を止めて話し合いを始めていた。
「困りましたね……こうなったら多少時間は遅れてしまいますけれど」
「よう。どうした麻弥?」
「うぉひゃあ!?」
「そんな驚かんでも……」
「す、すいません! だってエヌラスさん、人の背後に立つのに全く気配がしなかったもので」
「そりゃすまんかった」
気配を消すのも足音を消すのもすっかり常になってしまっている職業柄、驚かせたことを謝りつつ何があったのかを聞き出す。どうやら作業人数が想定していたより少ないらしい。クラスの手伝いなどに人員を割かれているようだ。
「一応音響の道具はこっちで用意はしてありますけれども」
「なら手伝うわ。重いやつからでいいか?」
「え!? いや、そんな悪いですって」
「蘭達のライブを楽しみにしてる奴等、大勢いるんだろ。だったら別に手伝うくらいなんてことない。それに俺も早く聞きたいしな、遠慮すんな」
「そういうことなら頼らせてもらいますけれど……」
「うし、どっから手をつける?」
「じゃあまずはドラムのセットからお願いします! それから他の皆さんでマイクスタンドのセットを。スピーカーは舞台の袖に隠してありますけれど、細心の注意を払って運んでください」
テキパキと指示を出す麻弥に言われた通りのエヌラスが動く。
演劇の背景用小道具で隠されていた箇所にテープが貼られている、そこにドラムを設置する。他の生徒達も麻弥に指示された通りに動いていた。
「あ、エヌラスさん。二階の照明なんですけれど動かしてもらえますか? こっちはジブン達でやれるので」
「任せろ」
壁に向かって走り出し、蹴り上げて柵を掴むとそのまま宙返りして廊下に降り立つ。それを見ていた演劇部だけでなく、主演を務めていた薫も汗を拭いながら見上げていた。
「いやぁ……相変わらずエヌラスさんは素晴らしい身体能力をしているね」
「できれば此処じゃそういうの控えてほしいんですけどね……」
ライトの位置を調整すると、階段を使って降りてくるはずもなく。二階から飛び降りて音もなく着地していた。
「他には」
「あー……えっとですねー」
もうこの人に全部任せてしまってもいいのかもしれない。そんなことを思いながらも、ちゃんとジブン達も動く。しかし、エヌラスが人一倍動くものだから予定よりも前倒しでセッティングが終わってしまった。
「こっちは麻弥に任せていいよな」
「任せてください。いやぁ、ホントに助かりました。本当なら他の皆さんも来てくれたはずなんですけれども」
「お祭りなんだからトラブルのひとつやふたつあるだろ。ところで、日菜の行き先を知らないか? あいつ逃げるようにどっか行っちまってな。用事あるって言ってたが、そんなん後回しにするようなやつじゃないだろ」
「なにかあったんですか?」
「俺が知るか。それで行き先に心当たりとかないか」
「日菜さんが行きそうな場所……生徒会室、とかですかね? 誰もいない場所とかなら、あとは天文部の部室とか……」
「生徒会室と部室か。わかった、ありがとよ。麻弥」
「う、ひゃ……!?」
つい癖で。手を伸ばして麻弥の髪を撫でていた事にエヌラスが気づく。
「ん? あぁ、悪い。昔の癖で撫でちまった。嫌だったか」
「い、いえ!? 別に、嫌ってわけじゃないですけど……その、なんていうか……フヘヘ、驚いちゃって」
「それじゃ、驚かすついでにもう一個おまけだ」
前髪をかきあげて、額に軽いキスをする。
「ふえっへ!?」
「教えてくれてありがとよ、お礼代わりだ。んじゃちょっと日菜のこと探してくる。ライブまでに戻ってくると思う」
素っ頓狂な声を上げて硬直する麻弥の顔を薫が覗き込むと、ゆでダコのように真っ赤になっていた。開いた口が塞がらず、まるで魚のようにパクパクとさせている。
「不意打ちキスなんて、随分とまぁ、罪深いことをするね。大丈夫かい?」
「…………ふへ、えへへ……その、なんていうか……意外と唇、柔らかったです……」
「意外と余裕みたいで何よりだよ。てっきりあのまま気絶してしまうのかと」
「いえ、その、ジブンも結構いっぱいいっぱいなので勘弁してもらっていいですか!」
「そうみたいだ。しかし、恋する乙女のように可憐な表情を見ることができたのは、あの人に感謝しておかないとね」
「~~、あの、予定より前倒しにセッティングが終わったので今のうちに機材の確認の方などしておきましょう!」
半ばヤケクソになることでその勢いを利用してなんとか気絶せずに済んだ麻弥はやけに熱い額の感覚を誤魔化すように手元に集中していた。それでも気を緩めると不意に頬がにやけてしまう。演劇が終わったことで手の空いた薫もその手伝いに参加しているが、つられて笑ってしまった。
羽丘女子学園の中を歩いて回る。すれ違う制服を着た生徒達から好奇心の視線を向けられているが、一切無視した。声を掛けてくる相手はそういない。
一度は双子の邪神によって見るも無残な廃墟と化した学園だが、それを元通りに修繕したのは他ならぬエヌラスだ。あれから様子を見に来ることはなかったものの、どうやら特に異常はないようでなにより。普段どおりの学園生活を送れているらしい。
(生徒会室、生徒会室ねぇ……?)
麻弥の忠告通りに生徒会室と天文部の部室を探しに行こうかと考えたが、ふとそこで気にかかることがあった。果たして、あの氷川日菜が、他人に思いつくような場所に居座るだろうかと。
もう一捻りあると思われる。なにせ日菜のやることだ。
エヌラスは生徒会室に向けて歩いていた足を進める。行き先は三階、から更に上の階。
鍵の掛けられた屋上に繋がる扉を、ピッキングで開ける。三十秒足らずで解錠完了。腕が鈍ったな、とか思いながらエヌラスは屋上に足を踏み入れた。
聞こえてくるのは文化祭で盛り上がる生徒と一般客の歓声。笑顔の溢れる校舎内から離れて一人になりたいという気持ちは分からなくもない。
周りを見渡しても無人の屋上だが、振り返って貯水タンクの設置されている更に上を見上げる。
「――で? お前はなんで逃げたりしたんだ、日菜」
「…………」
目を丸くして、本気で驚いている日菜がしゃがみこんでいた。きっと自分の居場所を見つけられるとは思ってもいなかったのだろう。
「「なんで?」って顔してるな。麻弥から生徒会室か天文部の部室って言われたんだが、よく考えてみれば普段以上に人の多い校舎の中で一人になるとか無理な話だ。んで、俺なりに考えた結果として――屋上にいると考えた。多分お前のことだからどうせ俺がどっから来て、どこに行くのか考えてるんじゃないかと思っ――!?」
言葉を遮るように日菜が飛び降りて来ていた。それこそ獲物に向かって飛びかかる猫のように、目をキラキラと輝かせて、笑みを浮かべながら。エヌラスは日菜の身体を受け止めて転ばないようにしっかりと抱きしめると回転しながらゆっくりと着地させる。
「あぁっぶねぇなお前!? 怪我したらどうすんだ!」
「すごい! なんで! あたしの考えてることなんでわかったの!?」
「別れの話を切り出したのものあるが多分お前の考えなんてそんなこったろうと思ったわバカかお前は! そんでもって離れろ!」
無理矢理引っ剥がしてエヌラスは深く息を吐き出した。日菜は頬を膨らませてふてくされているが、それでもピッタリと隣にくっついて離れようとしない。
立ったままなのも疲れるので腰を下ろすと、日菜がその膝の上に座って見上げてきていた。
「ずっと不思議だったんだ。エヌラスさん、魔術師なのは納得したんだけど。本当はどんな人なんだろうって。ティオちゃんとティアちゃんの話を整理すると、地球がおかしくなったのはエヌラスさんのせいで。そのせいで世界中でオカルトが巻き起こってるんでしょ?」
「そうだよ、悪かったな」
「それはこの際どうでもいいんだけど」
「どうでもいいってお前な……」
「じゃあ、エヌラスさんはどこから来たのかって話になるよね? 此処じゃない別な世界、異世界ってことだよね。どんな世界なのかなーって、考えたんだ」
「……なんで知りたいんだ?」
「行ってみたい!」
無邪気な一言に、なんて答えるべきか。
「そうか」
「うんっ! きっとすっごくるんっ♪ってする体験が出来ると思うんだけど」
「そうだなー。まぁ、日本なんか目じゃないくらい忙しくて、毎日楽しいだろうな」
「ホントに?」
「ああ。俺にとって、日本は退屈だ。この星は窮屈で仕方ない。地球“なんぞ”のためにこれ以上苦労したかねぇよ。いっそぶっ壊したいくらいだ」
「でも、そんなことしないよね」
「――お前らがいるからな」
「あたし達がいるから、壊さないの? なんで?」
「俺は別に地球が無くなっても平気だが、お前たちはそうじゃないだろ。だから、壊さない」
別な世界に、異世界に意思疎通が可能な知的生命体が存在していることはエヌラスにとって別に珍しいことでも何でもない。そういう相手がいるからこそ、邪神もまた利用しようと魔の手を忍び寄らせるのだから。総じて、人間に近い生き物。高度な思考能力を持つ存在に。
エヌラスにとって人間は脆すぎる存在だ。ガラスの靴のように、壊れやすい。
特に女の子は。何の変哲もない普通の人間の女の子は、大の苦手だ。
「本当の事言うと、そんなに戦うのが好きなわけじゃないんだよ。俺は。ただ、他に自分にできることが無いからこうしているだけなんだ」
「ふーん……」
「かといって嫌いなわけじゃないし、嫌なやつをぶちのめすのは気分が良い」
「だから、邪神狩り?」
「そ。オカルトハンター」
「……そもそも、なんで邪神狩りなんて始めたの? あんなに痛い思いして、辛い思いしてまでやらなきゃいけないこと?」
「ああ。俺にとってはな」
手持ち無沙汰になったエヌラスが、不意に手を伸ばして日菜の髪を撫でる。指で梳くように整えていく。それを嫌がるどころか、少しだけくすぐったそうにしていた。
「……俺にとって一番大事なことだよ。アイツ等を殺し続けることだけが、今の生き甲斐なんだ」
「――お師匠様に、言われたから?」
「いいや。こればかりは、俺の意思だ。クソ師匠は関係ない」
「エヌラスさんにとってお師匠様ってなに?」
「クソムカつくことに、俺にとっての師匠を一言で説明するとしたら――育ての親、としか言いようがないんだよ」
心底嫌だし腹が立つが、そう表現する以外にない。
エヌラスは日菜の髪を指で梳いて、撫でるように整える。その手つきの優しさに普段との違和感を覚えて背中から寄りかかった。温かくて、優しくて、心地よい。
「あたしの髪触るの好き?」
「まぁな。というか、俺に触られるの嫌じゃないのか?」
「別に嫌じゃないよ? なんか優しいし。普段からそうだと嬉しいんだけどなー」
「他に見せられるか、恥ずかしい」
「照れなくてもいいのにー♪」
「大人をからかうな。こんにゃろ」
髪を撫でていた手を離して、頬をつつく。くすぐったそうにするが、逃げようとはしない日菜の顔を見てエヌラスは軽く抱きしめた。
「ん? どうしたの?」
「……日菜。もしも、俺のいる異世界に来れたら何がしたい?」
「うーん、そうだなー……やっぱりあたしは冒険してみたいかな。後は、ショッピングとか! エヌラスさんは絶対ダメって言うと思うけど、魔術も知りたいし」
「そりゃそうだ。特にお前みたいなのは危険だからな、学習能力が高いと短命なんだよ。まぁ、ショッピングだけならいい場所知ってるから案内してもいいけどな」
「ほんと? じゃあ約束! あたしだけじゃズルいから、ちゃんと皆のことエスコートしてよ?」
「その時が来るかどうかもわからん約束、する気はないぞ」
「いいじゃん、するだけなら」
「お前がよくても、俺がよくない。胸のどこかに引っ掛かると後味悪い」
だから、口約束でも出来ない。
「ごめんな、日菜」
「あーあ、フラレちゃった」
「フラれたってお前な……」
「うん、でもエヌラスさんはそうでなくっちゃ! 難易度高い方があたしは面白いかな。だからもしも次にまた地球に来れたら、その時は忘れないでよ?」
「覚えてたらな。俺も、お前も」
「うん! あたしは絶対忘れないから大丈夫!」
何年後、十年、二十年――それとも、何百年とかかるかもしれない。それなのに、日菜は再会を信じて疑わない。その目は、こころと同じように輝きに満ちていた。
日菜の身体から離れて、立ち上がったエヌラスが手を差し出す。
「ほら、蘭達のライブに行くぞ。一応、まだ学園デート続いてんだから」
「もーしょうがないなー。エヌラスさんって顔に似合わず甘えん坊なんだから」
「テメェこっから放り投げんぞ」