買い物に出かけることになったし、その金を全額出すのは全然良いのだが――如何せん、絵面が少々危険なことになっていた。道行くお母様方、違うのです。別に年頃の女子高生侍らせているわけではないんです。むしろ俺を誰か彼女達から助けてください。安らかな休日の幕開けが朝日と共に露と消えてしまったのです。
日本の陽射しが目に痛いエヌラスにとって、サングラスは手放せないものとなっていた。特に朝方はキツイ。寝起き眼で、かつ澄んだ空気と共に太陽の光が部屋に差し込むと。
サングラスをかけた左眼に刀傷のある男性が私服の女子高生五人と共に市街を歩くというのは中々に印象深い。
警察は勘弁してもらいたいがそれとは別に現状もできれば勘弁してもらいたい。しかしそんなエヌラスの心境は誰も察することなく、お昼の献立以外でも話題が盛り上がっている。
空が青い。
「こんなに空は青いのにどうしてこう、俺の気分は晴れないんだろうな……」
滅べ太陽。そして話を聞いているか戸山香澄とそのお友達。
ぜってぇ聞いてねぇなこれ。自分達の話に夢中で独り言とか耳を傾けている余裕すらない。
「そうだ。夜はハンバーグにしよっ! おたえ大好きだもんね!」
「うん、お肉大好き。じゃあ付け合せにフライドポテトとかどうかな。香澄好きだもんね」
「ハンバーグにポテトにご飯! 考えるだけでもお腹空いてきちゃうよー!」
「私は胸焼けしてきた……」
君等まさかとは思うが夜まで人の家で遊ぶ気か? 勉強しような?
何も言わずこのまま姿を消してやろうかな、なんてことを考えていたエヌラスが不意に視線を外せば、そこには気ままな野良猫が一匹。
ふみゃーお。挨拶代わりに一声かけてきた。
「よ、どんな調子だ?」
みゃーう。頭を寄せ、ブロック塀から飛び降りてエヌラスの肩に座り込む。重いので降りろとは思うが、相手は喉を鳴らして上機嫌。とりあえず近況報告も兼ねて話を聞くことにした。
商店街のネズミ退治は順調な模様。魚屋の誘惑にも負けず、店員達からの厳しい対応にもめげずに仕事に励んでいるようだ。報酬が楽しみだ、と。三毛猫が語る。この辺りに住んでいる野良猫にしては顔が広いというか、割りと自由に動いている。
他に何かあるか、というエヌラスの問に対しては、言葉を探していた。
最近、猫の街では将軍の倅の話題が挙がっているらしい。仲違いをしているとかなんとか、猫社会も大変だな。他人事のように聞き流しながら喉を撫でていると、振り返った香澄と目が合った。
「あ、猫ちゃんだ!」
「エヌラスさんって本当に猫に懐かれてますね」
「俺はどちらかというと犬派なんだけどな」
居心地がいいのか、エヌラスの肩から頭の上に移動して座り込む。懸命に手を伸ばして撫でようとする香澄を見下してふんぞり返っている。なんて意地の悪い三毛猫だ。
「むぅ~う、このこの~!」
「おい、こら、香澄。人に飛びつくな」
「でも猫ちゃん触らせてください! ほーらほら怖くないよ~」
猫なで声で近づいてくる香澄だが、三毛猫は威嚇してドントタッチミーの意思を示している。猫というのは近づくと逃げるくせに自分からすり寄ってくるものだからタチが悪い。それにいいようにあしらわれている香澄も両手を伸ばしてエヌラスに身体をくっつけてくる。
「ね~こ~ちゃ~んー!」
「お前も似たようなものだろうが、香澄猫」
「みゃふっ!?」
鼻柱を指で押し返すと、涙目で頬を膨らませていた。それを見て、ざまーみろとでも言いたげに三毛猫が鳴く。そのまま肩を足場にして住宅街のブロック塀の上を走り去っていった。香澄が恨めしげに手を伸ばすものの振り返ることなく脱兎の如し。
「あらら、逃げられちゃったね」
「ん~。エヌラスさんみたいに猫ちゃんに好かれるにはどうしたらいいのかな?」
「香澄。猫の気持ちになればいいんだよ」
「そっか、流石おたえ! こうかな。みゃー」
「猫の手の方が猫ポイント上がると思う」
「こうかな。にゃー、どうですかエヌラスさん!」
「髪型も相まってネコだよお前もう」
適当に返事をしながら、エヌラスは先にスタスタと歩いていく。
「ネコ認定されちゃった! やった!」
「よかったね香澄」
無邪気に喜ぶ香澄に、たえもどこか満足気にしていた。君等なにがしたいんだ。一緒に歩いているだけで気力が削られていく。エヌラスは再び空を仰いだ。どうしてこんなにも空は青いのか。気が晴れるほどの晴天にさんさんと輝く太陽。穏やかな気温に、温かい風が吹いている。
「……暖かいなー、今日も」
「そうですねー。これくらいの気温が過ごしやすくて私達は嬉しいんですけど」
「冬の寒さも悪くないよ? オッちゃん達がモコモコでフワフワになってくれるから」
「暖房器具かよ」
換毛期だから仕方ないとは言え。
まだ後ろの方で香澄がみゃーみゃー言いながら有咲にからんでいた。迷惑そうにしながらもやぶさかではないらしい。エヌラスは二人が置いてけぼりにならないように、立ち止まってちゃんと振り返る。
「おーい、二人でじゃれてないでついてこいよー?」
「はみゃーい!」
「うぅ……香澄のせいで私まで怒られた……」
「と、言いながらも気を遣ってもらえて満更でもない有咲だった」
「香澄に構ってもらえて一石二鳥」
「そうなの、有咲ちゃん?」
「勝手に変なモノローグつけんじゃねぇ! そしてそうでもねー!」
「お前は本当に苦労人だな」
貴方が言えた義理ではないと思うんですけど? ――沙綾はそんなことを思いながらエヌラスの横顔を見上げていた。
そうして気がついた頃に、おなじみの商店街にたどり着く。お昼前ということもあってか、客足が多く見かけられた。もうじき人で溢れかえることだろう。
羽沢珈琲店、北沢精肉店、やまぶきベーカリー。エヌラス命名「ぐみぐみ交差点」に足を運ぶ人は平日であっても多い。本日は代休ということもあるからか、羽沢珈琲店の店内ではウェイトレス姿のつぐみがテーブルの間を忙しなく動いている。
店内のテーブルの一角でお茶をしている二人と、偶然にも目が合ってしまった。
髪色が似ているからか、すぐにそれが氷川紗夜と氷川日菜だとわかる。コーヒーを口元に運ぼうとしていた紗夜が危うく噴き出しかけてむせていた。日菜は口の端に生クリームをつけて、フォークを口に咥えたまま固まっている。
エヌラスは顔を覆った。おお、もう、どうしてこう……。本来ならば、朝飯食べて惰眠を貪るはずだった優雅な(?)休日が大波乱を巻き起こしそうな香りを醸し出しているのか。
「どうかしましたか、エヌラスさん」
「沙綾。お前たちだけで昼飯の買い出し頼んでもいいか」
「え、かまいませんけれど……どうしたんですか?」
「トラブルにまた巻き込まれる気がする。とりあえず二万渡しておく、好きに買ってこい」
「じゃー、急いで行ってきますね」
「あと、家の鍵渡しておく。俺が戻れそうになかったら先に帰って料理始めててくれ」
自室の鍵を渡された沙綾は香澄達の背中を押してその場からそそくさと離れる。
そして、その背中が人混みの中に消えて行ったのを確認してからエヌラスは気息を整えた。間違いなく日菜のことだから突撃してくる。
案の定、羽沢珈琲店から飛び出してくる私服の氷川日菜が目元をサングラスで隠して笑顔で突っ込んできた。
「確保ー!!」
「させるかぁ!!」
低めのタックル。それを転ばせないように細心の注意を払いながら、腕を払いのけて捌く――しかし、同じ手を二度も食わないのか。日菜は飛びつく直前で腕を引きながらブレーキをかけた。エヌラスの手が空振った隙に更に屈み込み、ワンテンポ遅らせた突進で飛びかかる。だがそこは流石百戦錬磨の武芸者。くぐってきた修羅場の数が違う。
後ろへ飛び退きながら日菜の伸ばした手首を掴み、下へ向ける。そのまま前のめりに転びそうになる相手を、今度は手首を持ち上げることで重心をズラす。
「わっ、わ!?」
自分のバランスを整えようとしている自衛本能の虚を突いて、エヌラスはそのまま日菜の腕を回り込む形で押さえ込んだ。拘束をすぐに解くと、頬を膨らませている。
「もー、今回はいけると思ったのに」
「今回も次回も次次回も、ぜってぇお前には捕まらねぇ」
「ちゃんとブシドー対策もしたんだけどなー、あれー?」
ブシドーじゃなくて俺のは暗殺術なんだけれども。あえて言わないことにした。一体何事かと道行く人達もチラチラと見てくる。エヌラスが一瞥するだけでそそくさと逃げるように去っていったが、別に睨んでいるわけではないし凄んでいるわけでもない。
「エヌラスさん、今日はあたしとお揃い♪」
無言でサングラスを外した。陽射しが目に痛いからか、どうしてもにらみつけるような目つきになってしまうものの日菜がそれを気にした様子はない。目頭を押さえてから、またサングラスをかける。
「は~……お前は、何をしているんだ?」
「あたしはお姉ちゃんとお昼ごはん! この後『Roselia』の練習があるから、それまでの間一緒にお出かけしてたんだ」
「んで? 日菜はこの後パスパレの収録とかあるのか」
「午後からレッスン。学校もお休みだし、みっちりやる予定なの」
「そうか。ま、程々にな。練習で身体崩したら元も子もない話だ」
「うん、ありがと! 体調気にかけてくれるくらいなら、あたしのマネージャーにでもなってくれればいいのに」
「御免こうむる。ぜってぇ勘弁。他に頼め」
「えーーー。ボディーガードは無償でしてくれるのに」
「当然だろうが。危険から守るのはかまわないが。お前の、マネージャーだけは。絶対に断る」
「なんで?」
「お前を満足させるのは一生掛かっても無理そうだから」
キョトン、と。日菜が目を丸くしていた。
羽沢珈琲店を覗けば、突然店を出た日菜に何事かと店内からの視線が突き刺さる。ひとまず、日菜を連れて店の中へ戻ることにした。
「い、いらっしゃいませー……」
「……よぉ、つぐみ。席、空いてるか?」
「えっと、今はちょっと。相席なら」
「じゃあお姉ちゃんとあたしのテーブルでいいよね! はいけってーい♪」
「うわっと、おいちょっと待て日菜。引っ張るな」
あれよあれよと言う間に、眉を釣り上げた紗夜の前に座らせられる。その隣に日菜が腰を下ろすと、コーヒーを下ろした。
「こんにちは。相変わらず貴方の周りは賑やかですね」
「今回に限っては日菜が十割責任あると思うんだが」
「ええ、本当に。困ったものです。ですが、ちょうど話があったので都合が良かったです」
「誰も俺の都合なんか気にかけちゃいねぇ……」
沈み込むエヌラスの前に、つぐみがお冷を運んでくる。
「どうぞ。こちら、メニュー表になります」
「ああ、ありがと……とりあえずコーヒーで頼む。えーと、ホットのブラックで」
「はい。少々お待ち下さい」
「パンケーキもオススメだよ」
「それとクッキーも」
(女子高生の間でクッキーって流行ってんのか?)
やたらと皆作っている気がするが、美味しいので別に問題はない。飯は美味いに越したことはないからだ。
店内を見渡すと、蘭達の姿もあった。視線が合うと、軽く手を振って挨拶をしてみる。
それに蘭は小さく会釈をして返し、巴が笑って手を振り返す。ひまりとモカも小さく手を振っていた。
「店、結構繁盛してるんだな」
「もちろん、商店街の名物だからね」
「それで、紗夜は俺に何か用事か?」
「ええ。大したことではないのですが……文化祭の時に、戸山さん達に見せていた楽譜。あれを見せていただけないかと」
「なんでまた」
「ギ、ギターの練習に良いと思っているからです。他意はありません」
日菜に目線で「本当に?」と尋ねてみる。小さく首を横に振っていた。だろうな。素直じゃないというかなんというか。
「すまんがそれは断る」
「……何故ですか?」
「ライブ前に言ったと思うが、夏になる前に日本からは離れるつもりだ。その土産にあの楽譜を置いていってくれ、という頼みならわかる。だがあの曲を弾くのはオススメしない。別れの歌だからな。遠くに行くわけでもないだろ?」
「そうですが……」
「あれは、そういう歌で。そういう曲で。その場その時、その瞬間に魂を込めて歌うものだ」
少なくとも、花咲川女子学園春季文化祭では全力で唄った。あの瞬間だけは。
「だからお前には教えない。他の誰にも。香澄達も覚えてないだろうし」
「残念ですが、そこまでの理由があるのならわかりました」
「ギターを聞いてくれって言うならいくらでも聞くけどな」
「ホットコーヒー、おまたせしました」
「ああ、ありがとう」
エヌラスがマドラースプーンでコーヒーをかき混ぜる。
どうせならドギづい奴が気付けに良いのだが。
コールタールのように粘つくぐらい濃厚な――。
……あれは、いつのことだっただろう。遠い昔のように感じる。顔も名前もよく思い出せない。
一度だけ作ってもらったことがある。
「…………」
コーヒーの揺れる水面に映る自分の顔を見て、エヌラスは頭痛に顔をしかめた。
記憶の蓋を閉じる。今はいらない記憶だ。
「エヌラスさん? どうしたの」
「……なぁ、つぐみ。これ、もっとドス黒い珈琲とかにできるか?」
「えっ? ど、ドス黒い……?」
「こう、なんていうか……いや、やっぱなんでもない。気にしないでくれ」
コーヒーをかき混ぜていた手を止めて、軽く冷ましてから一気に飲み干す。
「……にげぇ」
「ブラックコーヒー飲み干したら当然です」
「思ったより苦かったが、ケーキだけじゃなくてコーヒーも美味いな」
「ありがとうございます」
気さくに会話をする紗夜達を見て、ひまりが巴の袖を引く。
それからメモ帳を持ってテーブルに近づいてきた。
「あのー、エヌラスさん。これ、わたし達の番号です」
「へ? ああ、ありがとよ」
エヌラスがD-Phoneを取り出してカメラを起動させる。それからメモ帳の番号に向けて写真を撮ると、画像と文字を自動認識した。二進数から数字が歪み、やがて蘭達の番号と名前が登録されていく。
(……あのクソメガネ、技術力だけは確かなんだよなぁ)
D-Phoneのアプリ機能はネットワークが使えなくても正常に機能しているようだ。念の為電話帳を開き、ちゃんと番号が登録されていることを確認する。
その手元を覗き込んでいた日菜が感心していた。
「人の携帯を覗き込むな、日菜」
「だって気になるんだもん」
「お前にプライベート丸裸にされるとか末恐ろしいわ」
べったりとくっついてくる日菜をあしらいながらエヌラスはD-Phoneをポケットにしまいこむ。
不意に視線を感じて外を見れば、買い物を手早く終わらせた沙綾達が覗き込んでいた――のだが気の所為か人数が増えている。
こころに美咲に花音にはぐみに薫。なんで増えてるんだハロー、ハッピーワールド!
人のアンハッピーの扉を豪快に開けないでくれ。