第百二二幕 静寂の波紋
その宝石細工は、この世のものとは思えないほどの美貌を誇っていた。それを親愛の証として贈られた資産家は上機嫌が留まるところを知らない。周囲の者はその様子を、まるで宝石に魅せられたようだと語り合ったりもしていた。
美術館で特別に展示するほどに、彼はその妖精女王と銘打った作品を気に入っていたのだ。
国内でも有数のそこで開かれた展示会は、日々の疲れを芸術品で癒そうと訪れた人ばかり。過去の文化に触れることで感性を養っていた人々にとって、その宝石の妖精に目を惹かれてしまうのは仕方のないことだった。
――その二人組もまた、宝石の妖精を前に立ち止まっている。
かたや、大男。まるで神話の英雄、ヘラクレスのように筋骨逞しく精悍な顔立ちをしている。その隣に立っているのは、中性的な顔立ちをした、男性とも女性とも取れない幼い子どもだった。似ても似つかない二人に共通した、銀の髪。
視線の先。綺羅びやかな妖精を見つめる眼差しは、まるで心奪われているのかのように一点を見つめていた。
常人なら、これをこの世のものとは思えぬ可憐な妖精と見るだろう。だが、常軌を逸したものであればこれが魔術を用いて作られたものであると一発で看破できる。彼らは後者だ。
“人間の”感性で言うならば、これを綺麗と呼ぶのだろう。彼らは違った。
異常である、と感じた。その作品に込められた執念と情熱とを汲み取った上で。そこまでするほどの熱意と意欲は狂気すら感じ取れる。
「魔導書でもあるまいし、これほどの物にする理由があるのか」
「…………」
大男の言葉に、少年は何も答えなかった。どちらにしろ、返事は期待していない。独り言のようなものだ。
他の人々が暫く心奪われ、足を止めて眺めては離れていく。しかし、二人だけはその場から離れようとはしなかった。
差し出されたしなやかな腕、躍動感に溢れる衣類の流れは風が感じられる。だが、表面上の美しさだけでなく、内面。込められた狂気を紐解いていく。
ジッと作品を見据えて動かない二人に、持ち主である資産家が上機嫌で声をかける。
この作品は親愛の証として無償で渡されたものであるということを話すと、大男が静かに口を開いた。
どのような人物から渡されたものなのか。その問いに、資産家は言葉を濁した。
最初は冗談、茶々のようなものだった。しかしこれほどの腕前を見せられては返す言葉も無くなってしまい、敬意を払うしか他にない。それだけでなく、彼は自分達の命の恩人でもある――そう話すと、大男がピクリと眉を動かした。
「ほう……?」
「今でもまだ、夢のように思えてならない。化物に襲われた窮地に現れたのが、彼だった。瞬く間に化物を退治するとどこかへ去ってしまったよ」
「……」
腕を組み、少年に目配せをする。しかし、何の反応も示さなかった。
「その者の名は?」
「はて……なんだったかな。教師をしていると言っていた。確か、なんと名乗っていたかな……そう、そうだ。うん、確か――「覇道」と名乗っていましたな」
「ハドウ……」
口角を僅かに上げて、大男は目を細める。何がおかしいのか、笑っていた。
「覇道か。なるほど。なるほど、な……確かに。これほどの狂気を秘めている男が正道や王道の類で収まるはずはない」
「……失礼ながら。彼の知人か、知り合いですかな? どこかその……そう、雰囲気だ。貴方の纏う空気のようなものが、ミスター覇道に似ているもので」
「いいや、顔も知らん男だよ。だがひとつだけ確かな事がある」
「と、言いますと?」
「顔を見たら、殺し合うことだけは確かだ。行くぞ」
少年の背中を軽く叩いて踵を返す。
資産家は二人が立ち去った後に、首元を緩めた。あの大男の前に立った時に感じた圧迫感は、まるで生きた心地がしない。
しかし何者だったのか。てっきり彼の知人かと思い、声を掛けてしまったが――。
この国で起きた異常気象だけでなく、謎の失踪事件もある。その調査は進展が絶望的だ。
何一つ手がかりが存在しないのだから。
現場に残されていたのは、灰。被害に遭った住宅は隕石でも直撃したように抉られていた。
現実的に考えれば、隕石の落下。その直撃を受けた悲劇の一家、ということになるだろう。
だが彼は、こうも考えた。あの悪夢を目の当たりにして、何かこの地球で異常な出来事が起きているのではないかと。その怪事件のひとつではないか、とも考えた。
その脅威を前にして無力な人間に何が出来るだろう? ――専門家がいない今は、ただ祈るしかない。
街を歩く。人のように、人の真似事をして。
こんなことをして、何の意味があるのだろう。
少年が大男と並んで歩く。人間の目には、それが親兄弟、家族のように見えているのだろうか。
血の繋がりもなければ、なんでもないのに。
居心地が良いとか悪いとかは、わからない。
「……あれの追跡は、可能か?」
その問いに、静かに頷く。
「どの方角だ」
方角を指し示す。遥か東、小さな島国だ。彼はそこから動こうとはしていない。
一度だけ、こちらに接近してきたことはある。あの人間とも接触をしていた。その残り香は感じ取れた。だが、それだけ。
ここから移動するとなると、少々時間を要する。人間なりの方法であれば、の話だが。
「遠いか?」
微妙なところだが、頷く。
「“抜け道”は使えるか?」
難しいところだ。アレは一部の者にしか使えない。それに、あの場所は自分達にとってあまり良くない場所だ。自分だけならば問題はないだろうが。下手をしたら余計な相手に目をつけられることになる。その可能性を考慮すれば、推奨はしない。
「……お前だけでも先に行け。俺はしばらく掃除をしてから行く」
短く頷いた。それから、別れる。
あれは、死神だ。あらゆる怪異と万象に死をもたらす。それに例外はない。
――少年と別れてから、大男は再び歩き出した。
この惑星に来る際に、何匹か取り逃がした。それは同じように身を隠している。
そして、この星に住まう怪異もまた同様に存在する。理由はない、だが生かしてはおかない。
――朝、目を覚まして。
久しぶりにアルバイトに向かう。
「おはようございます」
「はい、おはようございます」
笑顔でホウキとちりとりを手渡してくる月島まりなに、エヌラスは笑って返す。
最近はすっかり扱いに手慣れたもので。とにかく仕事がぶん投げられてくる。他のことに手を付ける暇がないくらい力仕事を含めてパシリもやらされた。
服を着替えて、上着を羽織る。一身上の都合で気温が上がろうが夏だろうがなんだろうが長袖の着用。その理由に関しては許可をとってある。
カフスのボタンを留めて、前髪と後ろ髪を適当にまとめて邪魔にならないようにして準備完了。
「ところで、まりなさん」
「はい」
「何で俺、料理ダメって言ってるのに表で接客やらされてんでしょうね?」
「なんでもオーナーが「エヌラスくんがカフェで接客やってくれると客の入りがいいんだよね」とのことでしたので。そういうことです」
「世知辛ぇ~~」
そんな理由で表も裏も仕事回されて馬車馬のように働かされてるのか俺は。エヌラスは就職先を間違えたのかと考える一方で、自分の周りの女性はこんなんばっかか、とも考えていた。
しかし、驚くことに。妙に客の入りが良い。
店に入らずとも見知らぬ女性に手を振られたりもする。とりあえず返してはいるが、はて。全く心当たりというものがない。
「……なんか今日は、やけに女性に手を振られたりしてるような気が」
「ご自分が何をしたかご存知で?」
「いやまったくと言っていいほど心当たりがないんですけれど?」
呆れた様子でため息をつくまりなと受付の女性スタッフ。
スマフォを取り出して、動画を再生する。
ひとつは、海外の路上ライブ。
もうひとつは記憶に新しい花咲川女子学園春季文化祭の飛び入り参加ライブ。
エヌラスの顔がさっと青ざめた。
「昨日。ものすごく問い合わせが多かったんですからね?」
「いやぁ繁盛することはいいことですね、仕事戻りまーす」
「待ってください? これはどういうことなのかご説明していただけますね?」
「おーっと、俺は美人に言い寄られることは慣れてますけどまりなさんには慣れてませんよー?」
「なんでこれだけギターも弾けて、化物みたいな歌唱力を持っていたのを隠していたんですか」
「今化物って言いませんでした!?」
「いいから答えてくれませんか?」
「あっはい、すいません」
なぜか、と聞かれても聞かれなかったから。
「んー……強いて言うなら、音楽をやるつもりがなかった、としか。いや、興味がなかったわけじゃなくて。あんな風にステージの上に立って、観客に向けて歌を届ける自分の姿とか、全然想像できなかったので。あー、言ってしまえば……ガラじゃないってしか」
「はぁ~……よく言いますね。これだけ堂々と唄っておきながら」
「それにこの海外の路上ライブだってメディアで取り上げられたらしいですよ」
そこまでの歌だっただろうか、とエヌラスは訝しんだ。だが、本当は少々事情が異なる。
歌には言語を用いる。当然の話だが、エヌラスは
無名のアーティストが唄った、不思議な歌。それは、誰が聞いても内容が理解できるという不可思議な楽曲だった。
その理由を聞かされて、エヌラスは納得する。そういうことか、と。
「ああ、なら……別に俺の歌が良かったわけじゃないのか」
胸を撫で下ろして、どこか安心した様子で呟く表情は、落ち込んでいるようにも見えた。
「私は好きですよ。この歌」
「……そりゃどうも」
「エヌラスさんの考えた歌詞なんですか?」
「いいえ。俺の好きだったバンドの曲です」
「じゃあカバー曲なんですね」
「弾き方を真似して、歌も真似して。俺がしたことと言えばそれくらいのもんです」
モノマネをしただけ、と言ってもそれを再現できるだけの腕を最低限持っている。決して低くはない演奏技術だ。耳コピや完コピにしたって、完成度が高すぎる。
「って、もうお昼か。忙しくなりますなー、表の方」
「今日はエヌラスさんがいるのでいつもより、ですね」
「別に俺は招き猫ってわけじゃないんですけどねー。んじゃ、表の方戻ります」
休憩していたエヌラスが外に出てキッチンスタッフと挨拶を交わして接客に戻った。
その後姿を見ていたまりなが腕を組んでため息をつく。
「……メンバーでも揃ってたら、デビューでもしてたのかなぁ」
「あ、まりなさんもしかしてファンになっちゃったとかですか?」
「んー……まぁ、もしやってたら応援くらいはしてたかな、ってくらい。そういうの、あんまり本人に言うものじゃないし。あの人って意外と照れ屋なところあるから」
「…………」
「?」
「まりなさんって、エヌラスさんのことよく見てますね」
「えっ」
他のスタッフに言われるまで全く自覚がなかった。
「ほら、なんか目が離せないところあるし? なんていうか、危なっかしいところあるし。なにかトラブル起こさないか心配で見てたってだけなんだけど……」
「そういうことにしておきます」
「本当にそうなんだけどなー……」
だけど、確かに。
嫌いになれないことも事実なのは、少々困りどころでもある。