――人類有史以来、解明されない古代文明の謎というものはついて回る。それらを解読していく調査隊というものもまた、現代においても例外なく存在する。
海を越えた先。神話の舞台とされたアテネであっても同様に、そしてここエジプトでも同じように過去の文明に触れて先人の智慧を解読しようと試みる調査団が存在していた。
偉人の墓標として数多く存在するピラミッド。どれほど調査が進んでも未解明の謎と直面する。
しかし、異常気象の“あおり”を受けてか。突如として砂漠の中から現れた、前人未踏のピラミッドが発見された時は歓喜と好奇の声が止まなかった。それほど現代で謎に餓えていた調査隊はすぐに派遣される。
他に比べれば、幾分か小型のピラミッドだった。名のある王家の分系か、あるいは僅かな期間でも国を治めていた者か。墓を暴くことを批難する人々もいるが、我々は誇りある職務に就いているのだというある種の盲信にも似たものが彼らをかき立てて止まなかった。死者は黙して語らず。
ジープから降車して、そのピラミッドを見上げる。砂丘に埋もれていたほどの小さなものだったのだ。病で倒れた王家の若い血縁者かもしれないとも、想像を張り巡らせる。ただひとつ、解ることと言えばこのピラミッドに足を踏み入れた第一人者であり発見者が自分達であるということ。
六名ほどの少ない人数で立ち入る。もちろん、死者に敬意を払う。決して騒がず、決してその眠りを妨げるつもりもない。不慮の事故で棺を見つけでもしない限りは、だが。
古代エジプトにおいて、王と呼ばれた者は数多く存在する。すなわちファラオ。君主として君臨していた者たちは紀元前三千年にも及ぶ。その時代の中に、果たしてこのピラミッドの主の名はあるだろうか。もしや歴史の闇に葬られたものかもしれない。或いは、そうでなかったとしても。
夜の砂漠を越えて辿り着いた未開のピラミッドは、長らく人を招き入れることはなかったのか恐ろしく冷えていた。
石造りの廊下は明かり一つなく、手持ちのランタンやヘッドライトを頼りに進む。
都市から遥か離れた場所に、他の大小様々なピラミッドとも寄り付かず。ただ忘れ去られるように現れたこのピラミッドは如何なる王家のものか。
奥へ進む。ただ奥へ、暗闇をかき分けながら。物音一つしない死者の静寂の最中、調査隊が忙しなく眼孔を動かしながら警戒していた。
どんなトラブルに見舞われるかも分からない。サソリに刺されるかもしれない、墓守の仕掛けた罠が待ち構えているかも知れない――そんな映画のような話を考えながら、進む。
実際には、何も起きることなくピラミッドの中心まで到達することに成功したが――。
そこは、広大な空間だった。しかし、王の棺などなかった。玄室で静かに眠れる王など存在していない。ただ老朽化した壁の隙間を這い回る真っ黒いネズミがいただけだ。
なにもない。そんなはずはなかった。此処は王家の墓に違いない。古代人が造りあげた墓所なのだから。しかし、調査隊の一人が奇妙なことに気がついた。
壁画らしい壁画も、副葬品も、此処には時代を指し示す人類文明が存在しない。ただ石を積み上げて、ただ作られただけの墓所だ。そんな物が存在するとは考えがたい。ならば此処は如何なる者を埋葬した場所なのか?
吐き出す息が、やけに白い。異様に冷える。ネズミの鳴き声が聞こえた。――、何かがおかしいことに気がつくのに、そう時間は要さなかった。
ちちっ……。
美しいエーゲ海のギリシャで起きた異常気象。その最中で、直立するクジラを見たという奇妙な証言が幾つかでていた。死者も出ている。行方不明者多数。奇妙奇々怪々な事件だ。それは人類の言葉で説明がつかないような超自然的存在によるものだ。鼻で笑ってしまうようなオカルトだ。
チチッ――。
ならば此処は? ならば、これはどういうことか。
調査隊が照らして先、壁のくぼみにすっぽりと身を潜めるようにして黒いネズミが両の眼でジッと彼らを見ていた。
ここは、一体いつから砂漠の中で眠り続けていたというのか。前人未踏と意気込んで踏み入れた彼らの前に存在する、手のひらほどの小さなネズミは、果たして――
ネズミが笑った。その額に存在しているはずがない“燃える三つ眼”が彼らを嘲笑って。
もはや、調査どころではなかった。此処は、人類が踏み入るべき場所ではなかったのだ。そう気づくのが遅すぎた。好奇心、猫を殺すとは言う。墓の副葬品目当ての泥棒猫は、まさに自分達であると。
悲鳴をあげて、腰を抜かしながらもほうほうの体で逃げ出そうとした調査隊の前で更なる怪異が起きていた。
人の気配が闇の奥から近づいてきている。踵を鳴らして、一歩一歩、肩で風を切るようにしている力強い足音だった。まるで屈強な軍人のように、その男は闇の中から毅然とした足取りで姿を表した。
短い白髪、色褪せた銀の髪だった。若くはない、老齢でもなく、壮年とも言えない。鋭い眼の眼光が射抜くのは、壁のくぼみから動かない真っ赤な目の黒ネズミだ。
どこで手に入れたのか、俗っぽいシャツにジャケットを着込み、革のズボンを履いている。まるで西部劇にでも出てくるような出で立ちだった。色白だが、アメリカ人ではない。
広大な墓所の空の空間を見渡してから、大男は鼻で笑った。
大股で一歩、また一歩と距離を詰める。
助けを懇願する調査隊の一人の頭を無造作に掴むと、まるでゴミでも捨てるように壁へ投げつけた。凄まじい勢いで石壁に身体を打ちつけて、首の骨をへし折って即死する。だが、大男は意に介した様子はなかった。
「ああ、此処は貴様の古巣か――こうして顔を合わせるのは、久しぶりか。それとも、初見となるか? どちらでもかまわん」
ネズミに向けて語りかける大男の横、我先にと来た道を引き返そうとした調査隊の足音が途絶えていく。瞬く間に、彼らは一人残らず帰らぬ人となった。
塵ひとつなかったはずの墓所に砂粒の山が広がる。
それをジッと見つめていた三眼のネズミは笑っていた。笑ったまま、くぼみの奥へ姿を消す。
『――嗚呼、嗚呼。久しいな。我が同胞、我が同盟、我が戦友』
「貴様の同胞でもなければ同盟を組んだつもりもない。まして戦友? 笑わせるな。俺は独りだ。俺は常にそうだ。望んでそうしている」
『いや失礼。いや失敬。これは失念していた。そうだった、そうであったな、キミは』
大男が空間の中心に立つと、その声は墓所に響き渡った。男のような、女のような。大人のようで子供のような、幾つもの声が反響している。
『して、それで、キミは。私に何か御用かな、用向きのほどはあったかな?』
「近くまで来た。挨拶代わりだ」
『挨拶、挨拶か。キミと親しいものはいない、キミと親しくする者もいない、私もそうだし俺もそのつもりであったが。気が向いたのかね、それとも気が変わったのか。邪神同士、仲良く手を組もうとでも?』
「…………ああ。すまない、言葉が、足りなかったようだな」
機嫌を良くしたのか、上ずった調子の声の主に向けて、大男は破顔した。冗談でも言い合う気さくな友人のように。
「偶々、近くに貴様の気配があった。だから、挨拶代わりに
『――――』
「これ以上なく、俺の用件は伝えたぞ」
『これはまた物騒な。私は何かキミの気を損ねることをしたかな? 嗚呼、数えればきりがないほどに私という存在は人類を愛して止まない。これほど面白い知的生命体は類まれに見ない。
――確かにだ。確かに、私は人類に味方している。だがそれは玩具、お気に入りの玩具で遊ぶのと同じことだ。彼らの破滅を眺めるだけであり、そう、強いて言えば暇潰し、退屈しのぎ、児戯に等しく相応しい所業だ』
「勘違いをするな。貴様がどれほど人類を餌にしようと、アザトースの威光に従おうと俺は知らんし、構わん。好きにしろ」
『ならば何故だと問わせてもらおうか』
「
大男がその場から横へ飛び退く。同時に、床を壊しながら無数の包帯が突き上げた。声の主は姿を見せず、ただ怒りに似た声色で吼える。
『死神め。嗚呼、死神め。だから貴様は辺獄へ追いやられたのだ! 時間と空間の果ての果て、その辺獄で何故黙っていられなかった!』
「――聞けば笑うだろう? 神の、お告げが、あったのだ。神託を賜った。この、俺がだ」
『そんなはずがあるものか。我が主に限って、我が白痴の王に限ってその限りは』
「なに、同じことだ。ところで、だ……邪神を殺して回る狩人気取りの怪物がいるらしいな?」
床から、壁面から、天井から。四方から迫りくる薄汚れた包帯が大蛇の坩堝の如く迫る。しかしその全てから器用に身を翻して男は避けていた。
「恥を知れ、面汚しめ。貴様がそうして人類で弄んでいる間に、アイツは調子づいているのだからな。あまねく邪神、何するものぞと。何人が殺された? 俺が殺すべきだったのだ」
『ならば何故それで私を殺す必要がある!?』
「二度も繰り返させるな――
『貴様――!』
「
この男は、死神だ。理由もなく殺戮する。一切を
時間と空間の果ての牢屋、辺獄へ追いやられていたというのに――。
「だが貴様には感謝している。この星で人類史に寄り添い、姿を消して紛れ込み続けていた。そのおかげで一種のジャミングの役割を果たしているのだからな。しかし、用済みだ」
『この私を殺したところで何も変わりはしないぞ』
「それが、どうした? 貴様は名前が多すぎる、そうだろう? “千なる無貌”、“
空虚な玄室を埋め尽くすように包帯が一斉に男へ襲いかかる。
四方八方から迫る薄手の布に絡み取られて巨大な包帯の繭となって宙吊りにされた。その内部では異常な力で締めつけて全身の骨を砕こうとしている。その手応えも何もかも、声の主は確かに感じ取っていた。
だが――次の瞬間、その全てが“焼き尽くされていた”ことに驚愕の声をあげる。
『――――馬鹿な。馬鹿、な……そんなはずが、あるものか! 貴様にその“権能”は無いはずだ! 何故だ、何故、何故、どうして――貴様が!!』
「口説い」
大男が足を振り上げる。そして、床を叩いた。空虚な玄室を灼熱の炎が舐めるように焼いていくと、声の主が悲鳴を上げた。
「次は森ごと焼き払うぞ」
『おのれ――!!』
初めて、そこで。
大男は両手をポケットから出して構える。
「言ったはずだな、殺しに来たと――“滅び去れ”」
灼熱。閃光。そして静寂。
夜の砂漠に吹き荒び、荒れ狂う暴風。嵐のような風だった。瘴気と狂気とを孕んだ魔風は、砂漠の都市へ進路を向けていた。
その嵐の中心点。宇宙軸のズレから顔を覗かせた無貌の神の古巣、拠点の一つであるピラミッドは地上から“消滅”していた。
大男は虚空へ向けて手を突き出している。その手に握られているのは、縦長の仮面だった。その裏側からは無数の包帯と真っ黒で不定形の液体が伸びている。
力を込めると、亀裂が走った。それに合わせて仮面から苦悶の声が溢れる。
『ガッ、か、かッ――!』
「貴様を殺す事に理由などない、生かしておく理由もない。だが、ひとつ聞きたいことがある」
『なに、を……!?』
「あの“黒い月”は、なんだ? 貴様の差し金か?」
『……知っていて、答えるとでも?』
「それもそうだったな。ならば消え失せろ、ナイアルラトホテップの末端。千ある端末のひとつに過ぎない“顔のない黒いスフィンクス”よ」
『――カ=レトォォォ……!!』
「嗚呼、貴様は同郷だったか? どうでもいいが――失せろ」
男の手で、仮面が砕かれた。そして、急速に力を失った仮面が朽ち果て、無数の砂粒となって砂漠に落ちていく。それを見下ろしながら、大男は自分の手に付着した埃を払い落としていた。
――ちりん、と。鈴の音が鳴った。
それを超人的な鼓膜と超人的な視覚で捉えた男が視線を向ければ、遥か彼方にある砂漠の都市から一匹の猫がこちらを見ている。
互いに、視えているはずがない。だが、確実にお互いを捉えているという感覚だけがあった。
その猫は素早く身を翻すと、姿を消した。
「……猫か」
大男は舌打ちをひとつ残して、砂漠を歩き始める。
何も残らなかった。
何一つ、残らなかった。
ピラミッドも、調査隊の死体も、ジープも何もかも残さなかった。
砂漠の月が照らすのは、男の足跡だけだった。それもやがて砂に埋もれて消えていく。
――そして、それからだった。
世界各地で無差別に行方不明事件が相次ぐようになったのは。