日本での生活は、ある程度慣れてきた。ガールズバンド時代、というのも頷けるくらい女性が多い。女の子がとにかく多い。八割女性。残り二割男性。小数点以下でそれ以外。
女尊男卑とか言われてもおかしくない世の中で、エヌラスはうまいこと立ち回っていた。意外なことに『Circle』利用客の女性ウケが良いらしい。それには、まりなも首を傾げていた。
そして、その中でも常連客である羽丘女子学園と花咲川女子学園の生徒達からもよく声を掛けられている。特に怪しい会話ではないし、ただの世間話であろう。だが念の為、まりなは聞き耳を立ててみる。
「エヌラスさんって彼女とかいないんですか?」
「…………いねーなー」
「気になる人とかいます?」
「……んー。難しいな。なんていうか、俺は結構惚れっぽいタイプだし? アレだ、チョロい」
「えー、なんかそう見えないんですけど」
「チョロいぞー、俺は。ご飯奢るって言われたらホイホイついていくからなー、あっはっは」
表のカフェテリアで女子高生と和気あいあいと雑談に花を咲かせているのは結構なことだが、バイト中だ。接客するのは良いことだが、仕事をしてくれ。まりなは微笑ましくその様子を引き続き見守る。
「そういえば今井先輩と付き合ってるって噂なんですけれど、本当ですか!?」
「どうしてそうなった!?」
「ほら、この間学園に落とし物届けに来たじゃないですか。それで仲良さそうに話してたから、そうなんじゃないかって学校中の噂になってるんですよ」
「……アイツも大変だな」
「それで、どうなんですか」
ぐいぐいと身を乗り出してエヌラスに迫る羽丘女子学園の生徒達。
腕を組み、唸って考えてみる。
「リサか……。まぁ、かわいいよな。オシャレだし。人当たりもいいし、面倒見良さそうだし。クッキーも上手かったし、料理上手なんだろうな。悪くないとは思うが、俺よりいいやついくらでもいるだろ。俺にゃ勿体無いって」
視線が自分ではなく、背後に向けられていることに気づき、振り返る。
そこには、練習に来ていたリサと友希那が立っていた。一連の話を聞いていたのか、顔を真赤にして震えている。
「……あー、うん。そこのところどう思う、友希那」
「ええ、そうね。リサにはいつも助けられているわ。概ね合ってると思うけど」
「そうか。合ってたか。──というのが俺の意見だが、リサ。どうだ」
「どうなの、リサ?」
「恥ずかしさで死にたい……」
「それは困るわ。『Roselia』に貴方は必要不可欠な存在だもの。私にとってもだけど」
「俺も困るな。またクッキー食べたいし」
今度は耳まで赤くなっていた。何も言わず友希那の手を取り、リサは早足で『Circle』の中へと逃げるように立ち去る。
その様子を見ていたエヌラスが、羽丘女子学園の生徒に尋ねた。
「あれ、怒ってたか?」
「エヌラスさん。もしかしてとは思いますけどー……」
「天然、ですか?」
「天然もなにも、俺は素直な感想を口にしたまでだ。んー、機嫌損ねてなけりゃいいんだが」
(この人もしかして、女たらしなのかな……)
(全然自覚ないってヤバくない?)
海外の人だとそういう感じなんだろう、イタリアではそういった話はよく聞くし。ということで納得する女子生徒達の前から、まりなに呼び出されてエヌラスが立ち去る。何やら店内でお叱りを受けている様子。別に口説いていたわけでもなければ悪さしていたわけではないのに。
週末は学園も休みなのか、私服姿の女子高生が多く見受けられる。友達と買い物をしたり、映画を見たり、喫茶店で食事をしたり、休日の過ごし方も千差万別。ガールズバンドのミニライブや路上ライブとあちこちで開催されていた。
エヌラスも今日は午前中だけでバイトが終わり、午後から完全にフリーなのだが……。
やることが、ない。
恐ろしく予定がない。暇ではないし、やらなければならない事があるのだが、現実問題として直面しているのは本日のお昼ご飯。さてどうしよう。
タイムカードを切ってから悩むエヌラスに、まりなが首を傾げていた。
「どうしました?」
「……いえ、どうしようかなと思いまして。腹が減ったんでメシを食いに行こうにも、俺は日本の通貨を使ったことないんで」
「…………本当に、よく、今日まで生きてこれましたね」
「ええもう、そりゃあ毎日が死に物狂いでしたから」
「私が教えますから、ちゃんと覚えてください」
「何から何まで本当にすいません……」
紙幣はすんなり理解できた。だが硬貨はなんだこれ。なんでこんな細かい区切りが必要なんだ。そもそもなんでコインなんだ。それだけでなく電子通貨やら各サービス対応の通貨種類を説明された瞬間にエヌラスは日本が何かおかしいことに気づく。
「──というものがありますが」
「現ナマ最強ってことでいいですか」
「そうですね、現金だけで十分です」
結論。現物の威力が一番高いということを理解した。
「なにか食べたいもの、ありますか? 近場でしたら紹介しますけど」
「安くてそれなりの量が食べれて手軽なのがいいです」
「それなら、ファーストフード店ですね」
全国チェーン店なので信頼と実績がある。お値段も相場を考えれば安いほうだ。まりなは地図を描いて、エヌラスに手渡した。そこでふと、思い出したようにもうひとつ尋ねる。
「あと、なんか賭け事できる場所とかありません? 金増やしときたいので」
「急ぎでお金が必要なら、多少貸しますけれど。あまりパチンコとかはオススメしませんよ」
「俺の師匠にも言われてるんですけど、背に腹は代えられないと言いますか」
(師匠? ……まぁ、手品師だからそういう人に弟子入りして教えてもらってるのかしら)
それでお金を失っても自己責任ですよ、と注意してからまりなはパチンコ店の場所を教えた。
「あー、そうだ……あと紙とペンか」
「? なんに使うんですか」
「ちょっとした計算に」
「コンビニでも売ってますから、すぐ買えますよ」
「わかりました。それじゃ、お先に失礼します」
「はい、お疲れ様でした。また明日お願いしますね」
『Circle』を後にしようとするエヌラスが持ち歩いている黒コートの内ポケットに手を入れる。そこから取り出したのは小さな鉱石だった。
「これ、よかったらあげますけど」
「? なんですかこれ。青い石?」
「日本に来る前にあちこち飛び回っていまして。その時にとある人物からお礼?みたいな感じで渡されたモノなんですけれど、ちょっと価値がわからなくて」
「授業料としていただいておきましょう」
掌ほどの、小さな石。ゴツゴツとしているが、鈍く青い。しかし、エヌラスのコートのポケットには何も入っていなかったはずだということを思い出す──まぁ手品師だからどこかに隠し持ってたのだろう、とまりなは考えることにした。
後日、それがサファイアの原石であると判明した瞬間に顔が引きつったのはまた別な話。
「いらっしゃいませー!」
「……まん丸お山ちゃん何してんの」
「へ? あ、エヌラスさん!? だから私の名前は」
「はいはい彩ちゃん彩ちゃん。覚えてるから心配しない、ちょっとした冗談」
「もー……何って、見ての通りアルバイトです」
「学生でアイドルやりながらバイトしてバンドって、大変だな」
ファーストフード店では、彩が接客中だった。多忙であろうスケジュールにエヌラスが同情するものの、今はお腹の虫が大激怒中なのでひとまず注文をする。とはいっても、何を頼むか何も考えていなかった。
「……なんかオススメとかない?」
「それでしたら今週から新発売のこのハンバーガーオススメですよ」
「じゃー、これのセットで」
「ありがとうございます!」
サイドメニューと飲み物を決めて、お会計。その前に。
「あともうひとつ」
「はい?」
「スマイル」
「……頼む人、本当にいるんだ」
「いやゼロ円って書いてあるから」
「いいですけれども」
丸山彩は、一度だけ深呼吸を挟んでから、満面の笑みをエヌラスに向ける。それに満足したように小さく頷くと、ポケットからお札を取り出した。
「うん、ゼロ円以上の価値はあったな。一万円で」
「……く、口説こうとしてもそうはいきませんからね?!」
「別に口説いてるつもりはないんだが。素直な感想で」
「~~、いちみゃんえんはいります……!」
赤面しながらもちゃんと対応する彩が番号札をエヌラスに渡す。カウンターで出来上がるのを待っている間、店内を軽く見渡すと大半の席は埋まっていた。食い終わっても居座って喋っている客もいれば、仕事を持ち込んでいる会社員もいる。ちょうど空いている一席を見つけて、エヌラスはそこに座ることにした。
新発売のハンバーガーを頬張り、ポテトを食べつつ、飲み物で流し込んでいく。それなりに安くて腹にたまる。これは確かにありがたい。なんならポテトLサイズと飲み物だけで十分だ。とはいっても、いざ満腹になるまで食事となるとそれこそ際限なく食べる羽目になるのだが。
空の容器を片付けてエヌラスは店を後にした。
退店直後、紗夜と鉢合わせる。
「……」
「……また会ったな」
「ええ。そうですね」
「これから昼飯か?」
「そうですけれど……なにか?」
「いや、なんか意外だと思って。紗夜がこういうファーストフード食うの」
「い、いけませんか。私がポテトを食べて」
「ハンバーガーじゃないのか……」
「……! 私が何を食べても関係ないでしょう? 失礼します」
確かにそれを言われたらその通りなんだけれども、そこまで怒らなくてもよくない? ──と思いつつ、紗夜は意外ととっつきやすいのかもしれない。ツンケンしているが生真面目なだけだ。そして自分に対する評価が低いことも知っているし、仲良くなれるとはあまり考えていない。
そもそもにして、交流を深める気などエヌラスにはなかった。後が辛くなるだけだ、お互いに。
コンビニに立ち寄ってペンとノートを買おうと思ったが予想以上に薄かったのでやめた。もう少し分厚いノートが欲しい。これでは今日中に埋め尽くしてしまいかねない。
(……コンビニじゃダメだな。もっとこう、専門店みたいなところは無いものか)
結局なにも買わずにコンビニを出てから、ふと目に入ったのはショッピングモール。あそこなら一軒くらいそういう店があるだろう。ついでに見て回ろう。
そう思ったときには、すでにエヌラスの足は動き出していた──自ら地雷を踏みに行くことになるとは露ほども思わずに。
映画館に飲食店。服屋に雑貨屋とショッピングモールの品揃えは豊富だった。とりあえず何かしら必要になったらここに来れば困ることはないだろう。家電量販店もある。とはいえ、家具は特に何か必要なわけではない。今、大至急必要なものと言えば紙とペンだ。
ティオとティアの二柱に対抗するには、術式の構築が必要不可欠になる。だが残念なことに、手持ちの魔術では対策が限られていた。属性魔術の三元素、炎、風、雷では光速を越えられない。
──しかし、そもそもにして魔術とは論外にて競うものだ。常識の枠で捉えられない超常の論理を展開することで概念を覆す。その術式を相手に理解された時、魔術師というものは極端に弱体化する。だからこそ、身体を鍛えられた。それこそ死に物狂いで。いっそ殺しに来てたと言ってくれた方がまだ納得がいく修行内容だった。
魔術のみならず、剣術体術に武術。それ以外の論理を叩き込まれた。一部は独学だが。それらに魔術論理を組み込むことで創った“魔導発勁”は外道にして外法。士道や武道などとは掛け離れた代物だ。ただ殺す、ひた殺すためだけに練り上げた殺人剣にして暗殺拳。
おおよそ、まともと呼べるものなどエヌラスには存在しない。
ショッピングモールを見て歩きながら、書店を探す。本を取り扱う以上はそれに類した物があるはずだ。店内のマップで現在地を確認していると悪寒が走る。
「あら? あそこにいるのエヌラスじゃないかしら?」
「あ、ホントだ」
こころと美咲がいた。その底抜けに明るい声に反応したのか、反対側から日菜もやってくる。店内を見渡せばそこかしこに見覚えのある子達がいた。
「……そうか、考えてもみればそれもそうか。完全に俺の短絡的な発想が原因だな」
週末のショッピングモールにうら若い乙女達が来ないはずがない。その中に、なぜ天敵がいないと慢心したのか。
エヌラスは天敵の挟撃を前にして、呆然と立ち尽くしていた。