羽丘女子学園の朝。いつもの通学路、いつもの登校時間。
友達と親しげに話し合いながら、笑って朝の町を歩く。昨日のテレビの話題や、SNSで見かけた信憑性も疑わしい話で盛り上がっていた。
その生徒達に混じって一人、男性が混じっている。
ビジネススーツを着た、黒髪長身の男性。身なりだけはまっとうだが、左目の刀傷に、鋭い目つきが人を寄せつけようとはしない。サングラスを着用しているからか、その風貌の悪さが増していた。常人ならば近づこうとしないだろう。まっとうな危機管理能力があるならその人物に近づこうとは考えない。
常人なら、だが。
その後ろ姿を見かけて歩いていた足を早めると、駆け足で背後から飛びつこうとしていた氷川日菜が歩速を緩める。それから肩を叩いた。
「エヌラスさん、おはよー」
「おはよう。日菜」
「なんか機嫌悪そうだけど」
「眠いだけだ。結局一晩中猫探してたからな」
「見つかった?」
「いーや、手がかり全くなし」
寝る間を惜しんで野良猫と探し回って、結局時間を浪費しただけだった。
エヌラスの隣を歩く日菜が顔を覗き込んでいたが、すぐに前を向く。
「そんなにその猫ちゃん探さないといけないの?」
「まー……そうだなぁ」
軍属の猫たちの雇用主である猫将軍も老齢だ。街を治め、人知れず平穏を守っていられるのもそう長くない。
跡継ぎになるはずの倅が行方知れずとなれば心労も絶えないことだろう。
エヌラスは深くため息をつく。
「それもオカルトハンターの仕事?」
「いんや、ただの厄介事」
「断ればいいのに」
「断ったら余計に面倒なことになるのは目に見えてる。猫の手も借りたいのは事実だからな」
ここまで日本で上手く仕事ができたのも猫たちのおかげだ。ひどく不愉快なことに、師匠の言いつけ通り、困ったら人よりも猫を頼れ。というのは正しいらしい。
「人間だけじゃなくて猫にも目をつけられてたらやってらんねーよ……」
「だよねー。あ、リサちーだ! おはよー!」
駆け出して離れる日菜の背中を見送り、エヌラスが不意に視線を感じて車道を見れば一台の高級車両が徐行していた。
窓が開かれると、そこにはサングラスを掛けた執事。弦巻家で世話になっていた人物だった。
「おはようございます、エヌラス様」
「おはよう。どうした執事さん達。揃いも揃って?」
「急ぎ、お伝えしたいことが」
「今度はなんだ……」
車を停め、執事が降り立つとエヌラスに書類をまとめた封筒を手渡す。それを紐解き、中に入っていた資料に目を通した。
海外で起こった行方不明事件――それは、わずか十人にも満たなかった。
遺跡の調査隊、と言えばあまり聞こえはよくない。名目上は考古学者だ。しかしそう名乗る盗掘者も跡を絶たない。しかし、彼らは情熱を持て余した学者達だったのだ。
突如、地中から現れたピラミッドの調査へ向かう。そう言って彼らは調査に必要な道具をまとめて飛び出した。だが誰も戻ってこなかった。それどころか痕跡ひとつ残っていない。
「……」
「これはまだどこにも流れていない情報です。弦巻家独自の情報網によって入手しました」
「どうしてそれを俺に?」
「このような事件は、専門家に任せるべきだと旦那様が」
あの邪神災害以来、そういった人類の脅威が他にも潜んでいると踏んで弦巻家は監視網を敷いていた。その専門家も身近にいるのだから。
豪胆というべきか、そんな与太話を信じて大金を捨てるような真似をよくできるものだ。――仕方のないことかもしれない。たった一人の愛娘がそんな馬鹿げた話に巻き込まれたのだから躍起になるのも無理もない。
場所はエジプト。街からは遠く離れている。情報も手がかりも痕跡も何もかも、少なすぎる。目撃情報すら残されていない。邪神関連であったとして、それがどういった相手なのかも不明だ。
「……情報が出たら、真っ先に知らせてくれると助かる」
「我々もそのつもりです。こころお嬢様の身に、これ以上危険が迫る前にどうか……」
「――俺も尽力はする」
だが保証はできない。相手が邪神である以上はこの地球全土が戦場となる。
「旦那様に伝言を頼みたい。この馬鹿げた話も、夏までだから安心してほしいと」
「それまでに、片を付けるおつもりですか」
「その前に猫探しの旅だ。情報どうも」
封筒を鞄に入れて、エヌラスは執事に会釈して立ち去った。
羽丘女子学園の校門の前で、日菜とリサ、友希那の三人が立ち止まっている。
「どうした、遅刻するぞ」
「おはよ、エヌラスさん。さっきのは?」
「弦巻家で世話になった執事さん達だよ。仕事の話だ、お前たちは気にしなくていい」
「そう……ところで、猫を探しているというのは本当なの?」
日菜から話を聞いたのだろう。珍しく友希那が気にしている。
「猫探しくらいならアタシ達も手伝えそうだけど」
「ただの猫なら頼んでる。ところが探してる猫はちょっと特別でな」
「どんな猫なの?」
エヌラスが無言で指し示した。日菜とリサの視線が向けられる。
「…………? なに?」
友希那だけは首を傾げていた。
「こんな感じの猫、見かけたら教えてくれ」
「オッケー」
「麻弥ちゃん達にも知らせておくね」
「……リサ。どういうことか教えてもらえないかしら。私みたいな猫って、どういうこと?」
「んー……気高い感じ?」
「近寄りがたい雰囲気とか?」
「毛並みとかそっくりだろうな。まぁ、いいから中に入るぞ。今日みたいな日はこれっきりにしてほしいもんだよ」
朝から頭の重くなるような話は勘弁してほしいものだ。
羽丘女子学園の教師達とも挨拶を済ませ、その仲介人として生徒会長である日菜。そして巻き込まれる形でつぐみが立っていた。
プリントを提出するために職員室に来たら、捕まった。なんとも運のない話だ。
さんざん突っ込まれて心無い言葉を投げられたりもしたがエヌラスは腕を組んで終始無言で聞き流す。欠伸を噛み殺しながら。
サングラスを外してくれと頼まれたので、言われたとおりにした。教師は激しく後悔する。
「失礼しましたー」
「し、失礼しました!」
職員室から退室して、頭を下げる。その隣、エヌラスだけは鞄を片手に無言で後にしていた。
寝不足に加えて機嫌の悪さも不愉快な話も全部顔に出した結果、素顔を見た瞬間に教師達が縮み上がった。生きた心地さえしなかっただろう。
「チッ。クソが、一発ぐれぇぶん殴って黙らせおきゃよかった」
「ダメだよーエヌラスさん。そんなことしたら警察沙汰なんだから」
「そうですよ。そんな危ないことしないでください」
「まぁどっちにせよ、二度と来ねぇよ。此処には」
「そう言わずに。ほら、天文部の合宿だって」
「それだって俺の予定を聞かずにお前が勝手に決めたことだろうが」
相当に機嫌を損ねている。日菜もそれから押し黙ってしまった。つぐみもなんと声を掛けたらいいか分からないので結局声を掛けないまま分かれる。
「エヌラスさん、時間まで何してるの?」
「図書室で読書。あと昼寝。なんかあったら来い、んじゃあな」
「はーい」
「……エヌラスさん、怖くないんですか? 日菜先輩」
「今は“おっかないモード”だから近づかない方がいいよー?」
「は、はい」
イライラしていたりするとすぐ顔に出るのがエヌラスのわかりやすいところだ。
自分の機嫌の悪さを棚に上げるようなこともせず、怒りが収まるまで人を遠ざけてるのも処方箋の一つ。この時に運悪く近づいた相手がどうなるか。良くて病院行き、悪くて半殺し、最悪死体も残らない。
かくして、エヌラスは図書室という静かな空間に辿り着いたことでようやく安息を得られた。始業開始のチャイムと同時に生徒達は教室から出てこない。
机に鞄を置いて、中からペンとノートと、弦巻家から渡された資料を広げる。
地球の地図も一緒に用意して、事件が起きた場所をチェックしていく。
現在地、日本。事件の発生地点、ギリシャとエジプト。この数ヶ月で起きた怪事件は数え切れないほどだ。添付資料の写真を見ても、何の変哲もない。ただの風景写真でしかなかった。
自らの痕跡を何一つ残すことなく出現することができるのか。仮に、それが可能な邪神であれば脅威は一気に引き上げられる。魔術というのは、必ずその痕跡が残る。手がかりさえ掴めれば対策は可能だし、何かしらの弱点を見つけることもできる。
しかし――、オカルト事件なのは解るが、“何も残らない”というのは不気味極まりない。果たしてそんなことが可能なのか。
「…………いやクソ師匠ならやりかねないが」
だが、魔術の毛色が違う。大魔導師の扱う魔術は基本的に酷い爪痕を残す。それは、使った後のことなど知らん、という人間性の欠落からくるものだ。ここまで綺麗さっぱりやる事も出来るが絶対にやらないと断言できる。必要性がないからだ。
まだ日本の裏側で起きているからこそいいものの、これほどの相手と交戦するとしたら日本でだけは絶対に避けたい。
「…………」
結局、自分をがんじがらめにして縛りつけているのは彼女達の存在であることにエヌラスは頭を抱えていた。振り切ることもできるはずなのに、その一歩が重くて堪らない。
今までも繰り返してきたことだが、どうしても慣れない。
あと一歩。もう一歩踏み出せば、何もかも捨てることができるのに。
それらを捨て去る下準備もしているのに、何をしているのか。
「…………~~~~、寝るかぁ!」
もはや何もかも投げ出すことにした。どうせ徹夜してたってろくなことにならないんだ。
猫探しの旅もあるしそこに邪神退治と霊能学教師とライブハウス合同イベントのスタッフと、できる仕事とできない仕事くらいある。ところで労働基準法ってご存知? ぶっちぎりで違法だが、顔なじみのせいで無賃金労働とかにも慣れてしまった。
エヌラスは椅子に腰を下ろして、天井を仰いでから深く息を吐き出す。鉛のように重い身体と鈍い頭を机に預けて眼を閉じた。
(……そういや、最近調子よくねぇな…………)
粘膜接触による魔力の最適化も永続的ではない。日本の空気が悪いわけではないが、あまり肌には合わない。というのも、清潔なのだ。良くも悪くも土地柄が合わない。これなら墓場で寝たほうが幾分かマシというもの。
人肌が恋しいと思いながらも、エヌラスは自分の意識からその考えを消し去って仮眠を摂ることにした。