――にゃーん。
「………………」
湊友希那の前に、一匹の野良猫が座り込んでいた。
リサと一緒にスタジオ練習に向かっていたが、買い物があると言ってコンビニに行ってしまったので軒先で待っていたところ、キジトラ猫がどこからともなく現れた。首輪は着けられていない。しかし人間慣れしているのか友希那の近くまで来ると、ジッと見上げてくる。
「…………」
左右確認。周囲確認、他に人影は見当たらない。
目線を下に向ければキジトラ猫が座り込んでいる。何をするわけでもなく、首を傾げていた。屈み込んで近づいても逃げる気配がない。間近で観察してもジッと顔を見つめてくる。前足で顔を洗い、首元を後ろ足で掻いていた。
「……――」
かわいい。
とてもかわいい。
ふわふわしていて、丸くてつぶらな瞳。ゆらゆらと尻尾を揺らしている。
みゃーん。
「――――」
触っても大丈夫だろうか。逃げたりしないだろうか。そんなことを考えながら見つめていると、ふと思い出す。
猫を探しているという人物のことを。平然と猫と話していたが、果たして自分にもできるだろうかと思い、意を決して語りかけてみる。
「……こ、こんにちは」
みゃ。
まるで挨拶を返すように小さく鳴いた。それだけで友希那の頬が緩む。
「あなた達のお友達を探しているのだけれど、知らないかしら?」
にゃー?
語尾を上げながら、まるで言葉が分かっているように野良猫が鳴いた。
「はぅ……」
かわいい、とても、ものすごく。どうしてこんなにもかわいい猫が目の前にいるのだろう。
「……私みたいなにゃーんちゃんらしいのだけれど」
きょとんと、しばし野良猫が黙り込む。鼻を鳴らして近づいてくると、膝に前足を乗せてぐっと顔を近づけてきた。
まん丸お目々に自分の緩みきった顔が映るくらい接近してきたかと思うと、すぐに顔を離す。
「友希那、おまたせー。あれ、どうしたのその猫ちゃん?」
「!?」
びっくりして身を竦ませる友希那につられて驚いた野良猫の尻尾が膨れ上がった。身を屈めて一気に厳戒態勢に移った猫だが、リサの顔を見て少しだけ警戒を緩める。
「……驚かせないでちょうだい」
「あはは、ごめんごめん。んー、ただの野良猫っぽいね。迷い猫じゃなさそうだし、探してる猫ちゃんでもなさそうだよ?」
「そうね」
「あ、もしかして友希那ってば会話しようとしてた? にゃーんって」
「そんなわけないでしょう」
実はちょっとだけ話してたけど、多分偶然だ。人語を理解して会話が出来るはずがない。
リサがポケットからスマフォを取り出すと、カメラを向ける。それにはすぐヒゲを反応させて素早く逃げ出した。あっという間に路地裏へと消えていく姿に、撮影する暇もない。
「あ……」
「ありゃ。逃げられちゃった。折角だから撮ってあげようかなーって思ったのに、残念」
「…………」
「ごめんね友希那。せっかく友達になれそうだったのに」
「別に、気にしてないわ」
名残惜しそうな手を誤魔化すようにバッグを担ぐ友希那に、リサが薄く笑った。
「なに?」
「ん~? 別にぃ? 迷い猫探しに協力的だから珍しいなって思っただけ」
「猫に罪は無いもの」
「そうだねー。スタジオ行こっか。紗夜と燐子もすぐ来るみたいだし」
「ええ」
あこだけは霊能学の受講をするので遅れるとだけ聞いている。本当ならリサもちょっと興味があったのだが、別に授業でなくてもそういう話は聞けると思ったからだ。
「それにしても、最近本当に野良猫増えたよね」
「そうかしら? 元々これくらいだった気がするけど」
不思議なことに、人前に出てくるようになっただけで特になにか悪さをしているわけではない。猫アレルギーの人がいたら可哀想だが、そこは涙を呑んでもらうしかない。
「次のライブに向けてしっかり練習を重ねておきましょう。音楽に妥協はしたくないの」
友希那の言葉に、今日のレッスンはいつもより厳しい物になるだろうなとリサは思いながら頷いていた。
もしかすると、猫に逃げられたのを気にしているのかも知れない。
羽丘女子学園を出て、あこ達もスタジオ練習に向かっている。エヌラスは荷物をまとめるなり何処かへさっさと行ってしまった。明日香は自宅へ直帰、六花は『Galaxy』へアルバイトに向かう、
蘭達はテスト勉強も含めて『CiRCLE』へ足を向けていた。最近はラウンジで勉強する機会も増えている。
「なんか、面白い授業だったね」
不意につぐみが霊能学の感想を呟いた。それにはひまり達も同意している。
「うん。面白かった! 巴は?」
「アタシも楽しかったかな。普通に生活してたら聞けない話ばかりだったし」
「次があるならまた聞いてみたいなー。蘭はどう?」
「あたしは……まぁ、悪くなかったかな」
「はーい、蘭の“悪くない”いただきましたー。おめでとー、ぱちぱちぱちー」
「なにそれ……」
日が傾きつつある茜色の街で、夕焼け空を眺めながらいつも通りの五人で歩いていた。あこも一緒に巴の隣で歩いている。
こんな風に、いつも通りの毎日が送れてたらどれだけ幸せだろう。きっと周囲の環境は目が回るくらい変わっていく。だけど、この五人が揃っていたら何も怖くないと――少なくとも蘭は、そう考えていた。それはモカも、つぐみも、ひまりも、巴も。みんな同じだった。
幼い頃からずっと地続きで繋がってきた友情だからこそ手放したくない。
「蘭、なんか嬉しそうだね。どうしたの?」
「……別になんでもない。ただ、いつも通りだなって思ってただけ」
「うんうん。いつも通りのツンデレですなぁ~」
「そういえば明日からちょっと天気が崩れるらしいよ。ちゃんと傘持っていかないと」
「そうなのか? あこも忘れないようにな」
「うん! お姉ちゃんも風邪引かないようにしてね」
「アハハ、その時はあこが手厚い看病してくれるんだろ?」
妹に笑みを向ける巴だったが、ひまりが頬を膨らませている。
「ちょっとー、そんなこと言って本当に風邪引いちゃダメだからね巴!」
「わかってるって」
「あこちゃん、『Roselia』も今日はスタジオ練習なんだよね?」
「うん、きっと今頃は友希那さん達も『CiRCLE』についてると思う!」
「そっか。蘭、わかってると思うけど喧嘩しちゃダメだからね」
「してないし……するつもりもないんだけど」
自分達の音楽が一番だと思っている蘭と友希那は、あまり折り合いがよくない。それでも最近はお互いに打ち解けてきているのか、ちょっとずつではあるが話す機会が増えてきていた。負けず嫌いというか勝ち気というか、そんな二人が衝突する度に周囲は気が休まらない。
「やっぱり友希那さん達もイベントに出るんだよね」
「イベント? なにかあるの?」
「エヌラスさんがチラシを配ってたから、てっきり『Roselia』も知ってたと思ったんだけど」
「あこ、何も聞いてないよ?」
「そうだったんだ。じゃあ向こうに着いたら教えてあげないとね」
「ほほー、つぐのつぐりっぷりは留まるところを知りませんなぁ。いつか地球を飛び出して宇宙までつぐっちゃいそうな勢い」
「そんなに!?」
「無理にあの人のお世話とかしなくても良いよ、つぐみ。なんとかするだろうし」
そこで、蘭が思い出したように呟いた。
「……コーヒーのお礼、言い忘れてた」
「コーヒー? 蘭、もしかして抜け駆けしてデートでもしてたの?」
「えっ。蘭がエヌラスさんと!?」
「違っ……!? つぐの家で勉強してたら、エヌラスさんが偶々……」
事情を説明して誤解を解く。つぐみも協力して話すが、ひまり達はにやにやと笑っていた。
「蘭もお年頃ですなぁ」
「……先行くからね」
「あー、ごめん蘭ー。冗談だからー」
「ふんっ……」
ツンとそっぽを向いて先に歩く蘭に、モカ達が続く。
最後尾に続くあこが、視線を外して通りにある小さな公園に目を向けた。
砂場に、ブランコに、ジャングルジムに鉄棒。置いてある遊具も最小限、人気のないこぢんまりとした公園は、どこか物寂しい印象を受ける。きっと誰も目を向けなければ忘れ去られていくだけの場所。
危険だからと聞かされて、近年は利用者も減っている。子供の笑い声も響くことのない公園で、ぽつんと一人立っている子がいた。
ブランコを前にして、何をするでもなくただ呆然と立ち尽くしている。
自分と同じか、年下に見えた。中性的な顔立ちの、少年とも少女ともつかない線の細い子。
銀色の髪と、青い瞳に釘付けになる。そんな視線に気がついたのか、あこと視線がぶつかった。
(……キレーな目の色)
無感情で、無機質で、無表情だけれども。
青い瞳につい魅入られて、あこが足を止める。
「おーい、あこ。どうしたんだー?」
巴に呼びかけられて、ハッと気がつく。いつの間にか置いていかれていた。
「あ、待ってよー! お姉ちゃん、あこを置いていくなんてひどい!」
「そうだよ巴、あこちゃん可哀想!」
「アタシが悪いのか……? だから、気づいたから呼びかけたのに。それで、立ち止まってどうしたんだ?」
「あの公園にキレイな子がいたの。髪の毛サラサラで、眼も青くて綺麗な――」
あこが振り返り、小さな公園に再び視線を向けるがそこには誰もいなかった。無人の公園が夕陽で赤く染まっているだけであり、静寂が広がる。
「……誰もいないぞ?」
「あれー? 確かにいたのに。髪、長かったから多分女の子!」
「この辺りの子かな?」
「ううん、見たことない子」
「……もしかして、オバケだったりしてー」
モカの何気ない一言に、ひまり達の顔が青ざめた。霊能学の授業を受けたばかりで不安もある。なおさらそれが現実味を帯びて、思わず押し黙ってしまう。
「と、とにかく急ぐかぁ!」
「そうだね! 遅刻したら迷惑だもんね!」
「ちょっと二人共、突然走ったら危ないよー! 待ってー!」
「蘭もモカも置いてっちゃうぞー」
逃げるように駆け出す巴とひまりをつぐみが追いかける。それに続いて、蘭とモカ。最後尾はやはりあこだった。
どこか後ろ髪が引かれる思いで、もう一度だけ公園に視線を向ける。
「ブランコ、乗りたかったのかな……?」
巴に再び名前を呼ばれて、あこが駆け出した。
――夕焼けの町を駆け出す六人を見下ろす。
電柱の上に立って、走り出しているあこ達を見ていた。
猫の街の“抜け道”を使ったら、辿り着いただけのこと。此処がどこなのか、解らない。
先程の人間にも、興味はない。ただ漠然と、これからどうすべきか考える。
空を飛んでいたカラスが一羽。まるでそこは自分の居場所だとでも言いたげに鳴いていた。
カァ、カァとけたたましく騒ぎ立てる。
それに一瞥もくれることなく、ただ緩やかに指を立てて静かに振るう。
短い断末魔と共に、カラスの首が触れられることもなく断たれて地に落ちる。それは街路樹に引っかかり、地面へと落下していった。
きっと誰も気づかないだろう。腐り落ちて、死臭を撒いて、いつかは土へ還る。
ただ、ぼんやりと。
ただ、漠然と。
何をするでもなく沈む夕陽を見つめていた。
人目につくような行動だけは控えておこうと、努めることにした。
ただそれだけ。
だから何もせず、何も考えず。次の指示を待つ。