【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第百三二幕 宇田川あこの運命的直感

 

 

 

 雨の中、傘を差して宇田川あこは『Roselia』のスタジオ練習を終えて帰路に着いていた。雲は厚く、暖かい陽は遮られている。息を吐けば、どこか肌寒い空気が吐き出された。

 次のライブハウス合同イベントに当然出演を希望した友希那の意気込みに、異論はない。頂点を目指すという理念に、一点の曇りもなく真っ直ぐ向かっていた。

 少し遅い帰り道を歩いていると、人気のない公園に差し掛かる。

 すっかり寂れて遊具も減った物寂しい小さな遊び場に、ポツンと――またあの子が立っていた。

 何かをするわけでもなく、何かを考えている様子もなく、ただ呆然と立っている。

 雨の中、傘も差さずに。ブランコを見つめていた。

 

(……またあの子だ)

 立ち止まり、ついつい見つめてしまう。

 ずぶ濡れになりながらも、ジッとブランコを見つめている。

 あこは公園の中に入り、立ったまま濡れ鼠となっているその子に声を掛けた。放っておくのもなんだか後ろ髪を引かれる気がしたからだ。

 

「ねぇ、なにしてるの?」

「…………」

 声をかけられても、すぐに反応しないで少し遅れてからあこと目を合わせる。

 背丈はそう変わらない。綺麗な青い瞳を見つめて、あこが傘を差し出した。頭の天辺からつま先までずぶ濡れになっている相手にはもう手遅れかもしれないが、見ていられない。

 近くで見ると、驚くほど肌が白い。まるで丁寧に手入れをされた人形のようだと思ってから、相手が外国人であることに気づいた。

 

(ど、どうしよう! 日本語大丈夫かな!? えと、こういう時はなんて聞いたらいいんだろ!)

 話しかけられて、突然押し黙られた相手も迷惑しているだろうか? あこが不安になって顔を見るが、無言で無表情、感情を露わにすることなく続く言葉を待っていた。

 

「……えっと、日本語。じゃぱにーず! おーけー?」

「…………」

 なんとか捻り出した言葉に、相手がゆっくりと、静かに頷く。とりあえず日本語が理解できるというのなら、大丈夫だ。

 

「風邪引いちゃうよ? 大丈夫?」

 無言で頷く。大丈夫、とは頷かれても放っておくわけにもいかない。

 

「昨日もこの公園にいなかった?」

 あこに尋ねられて、少しだけ視線を外して思い出そうとしている。それから、再び頷いた。

 

「やっぱり気の所為じゃなかったんだ! あこ、昨日も声をかけようとしたんだけどいつの間にか居なくなってたから気のせいかと思ってて。ねぇ、何処から来たの?」

「…………」

 何処から――? 何処、とは。何処だろう?

 首を傾げる姿に、あこは少し困った顔をする。

 

「えーっと、迷子?」

「…………」

 再び、首を傾げた。

 

「う~、どうしよう……」

 これには、流石にあこも困り果てる。お家を聞いてもわからない。かといって泣いてばかりもいられない。

 なんとかしてあげたい一心で、あこは濡れた髪が顔に貼りついたその子の手を掴んだ。

 

「とりあえず、このままじゃ風邪引いちゃうよ。あこに着いてきて!」

「…………」

 何度かまばたきを繰り返して、それから繋いだ手に視線を落とす。相変わらずの無表情だけれども、驚いているのかもしれない。

 手を引いて歩き出したあこの隣に並んで、二人で少し暗い帰り道を歩き出した。

 

(……手、冷たくなってる)

 もしかして、ずっとあそこにいたのだろうか? もしそうだとしたら、どうして誰も声をかけなかったのだろう。少しだけ、世間から無視されていた隣の子に同情してしまった。

 小さく指を握ると、僅かにではあるが握り返される。

 一人ぼっちで、ずっとあそこに居たのだと思うと胸が締め付けられる。きゅうきゅうと、息苦しくなってしまう。

 

 

 

 ――宇田川家。

 ずぶ濡れになった見知らぬ子と手を繋いで帰ってきたあこに、巴は驚いていた。

 

「その子、どうしたんだ?」

「公園でずっと立ってたの。なんか、放っておけなくて」

「頭から足までずぶ濡れだな……ちょっと待ってな、タオル持ってくるから。それにお風呂も沸かしておかないと」

「ごめんね、ちょっと此処で待っててくれる?」

 せめて顔だけでもと、あこがハンカチで拭う。柔らかい頬に、小さな口もすっかり冷え切っていた。

 すぐに巴が戻ってきてタオルで髪を拭き始める。

 

「迷子?」

「そうみたい」

「こういうの、やっぱ警察に通報した方がいいのかな……?」

「でも、濡れたままで可哀想だよ」

「それもそうだ」

 とにかく今のままでは風邪を引いてしまう。一通り拭いてあげてから、巴はあこが連れてきた子を風呂場まで案内する。

 

「使い方、わかる?」

「…………」

 脱衣室を見渡して、小さく頷いた。

 

「じゃあ一人で大丈夫そう? もしわからなかったらあこ達待ってるから、すぐ呼んでね」

「…………」

 あこの言葉にしばし時間を置いてから、再び首を縦に振る。

 

「はぁー。まったく、あこ。どうするんだ、あの子? 今日は家に泊めるにしても」

「だってぇ……」

「……ま、たしかにアタシも同じことしたかもしれないけどさ」

 あこの話では、雨の中ずっと公園にいたらしい。親は何をしているのか。まさか虐待? とも思ったが、巴は考えを振り払った。仮にそうだとしても警察に連れて行くべきだ。

 

 ――それから十分。二十分と経過して……三十分。随分と長い入浴に、二人が首を傾げる。

 

「……長いね」

「そうだな」

 シャワーの音は聞こえない。湯舟に浸かっているにしても、少々長風呂に感じられる。

 

「もしかして、お風呂で寝ちゃってるとか」

「そうだったら危ないな。ちょっとだけ様子見てみるか」

 呼びかけても返事がない。

 慌てて巴が浴室の戸を開ける。

 

「――――」

「…………、」

「………………」

 突然開けられて、流石に驚いていた。だがそれ以上に、巴もあこも裸のその子を見て、驚いている。白い肌、華奢な身体、少女とも少年ともつかない肉付きに、しかし一点だけ決定的な違いがあった。

 一気に巴の顔が赤くなる。

 

「――男の子だったんだ」

「…………」

 あこの、どこか間の抜けた声に、その子は頷いた。

 

 

 ――改めて。

 帰ってきた両親に事情を説明する。

 さてどうしようか。ひとまず泊めるにしても、着替えにしたってそうだ。

 ずぶ濡れの服しか持っていなかったし、今は洗濯中で他に服がない。ひとまず父親の古着で我慢してもらうことになったが、見つからないので背格好が近いという理由で巴の古い寝間着を借している。違和感がないだけに少し困った。

 今晩だけ泊めて、それから明日改めて警察に連れて行くという方針で決まる。

 見つかるまでの間は家で面倒を見ることになるかもしれない。だが、それを両親は咎めはしなかった。むしろその心優しさに笑顔を見せている。

 肝心の少年は、相変わらずの無表情で大人しい。名前も何もわからない。かといって言葉を発するわけでもなくコミュニケーション手段に困る。日本語が通じているというだけでも助かっているがもう一歩なにか欲しいところだ。

 

「んー……そうだ」

 巴が用意したのは、ノートとペン。筆談ならできるんじゃないかと渡してみたはいいが、ペンを持って固まっている。

 

「名前、書ける?」

 あこが横から尋ねてみると、ノートに筆を走らせた。

 ――達筆が過ぎて読めない。

 解決方法を用意したはいいが新たな問題に直面して巴が頭を抱える。だが、あこはその筆跡を見て目を輝かせていた。

 

「カッコいい!」

「…………」

 よくはわからないが。あこにとって、その読めない筆記体は魔法みたいでカッコいいようだ。しかしそれはともかくとして、名前がわからないのはとても困る。

 

「あこ、この子の名前がわからないんじゃ大変だろ? どうするんだ」

「じゃあ、アダ名考えてあげる! んー……」

(あんまり変なの考えるようならアタシも考えておくか……)

「じゃあ、るーくん!」

「……なんでそのアダ名になったんだ?」

「髪が銀色だから!」

 なるほど。シルバー、だから、るーくん。安直に過ぎるセンスかもしれないがわかりやすくていいと思う。肝心の少年は、感情表現があまりに乏しくてどうなのかわからないが。

 

「……えーっと。るーくん、ってことになるけど、いいのか?」

「…………」

「どう?」

 巴とあこに聞かれて、少年は静かに頷いた。

 それから、小さくお腹の音が鳴る。くぅ、と。それが誰のものなのかは聞くまでもなかった。

 二人が顔を見合わせると、お昼も食べていなかったのだろうとすぐに思い当たる。

 

「すぐご飯持ってくるから、ちょっと待っててね」

 ソファーに腰を下ろしたまま、まるで借りてきた猫のようにおとなしく待っている姿を見てから巴も腰を上げて夕飯の用意を手伝った。

 

 

 

 ――ヒマラヤ山脈に、その組織は存在した。

 そこに人類の形跡はなく、痕跡もなく。霊峰の地下深くに、異形の存在があった。

 全身が黒い毛皮に覆われた獣達が口腔から紡ぐ祝詞。呪詛にも似た、邪神を崇拝する呪文。

 そんなモノは、地球に存在していない。だが、彼らは人類に観測されることなく永い時をこの暗闇の中で過ごしていた。

 地下魔界クン・ヤン。黒い仏を崇拝する秘密結社に、しかし人間は存在しない。

 人類に観測されることなく、彼らは日々を崇拝する邪神に捧げていた。

 だが、無遠慮にその組織に我が物顔で踏み入る侵入者の影があった。

 

「…………」

 言葉もなく、ただその目に殺意を宿して滾らせている。同じ怪異、同じ異形、同じ化け物であるにも関わらずその男は自分以外の全てを排他する。

 

『貴様……!!』

「熱心なものだな、黒き邪教。救いなき邪神、黒い仏――ナイアルラトホテップを崇拝する食屍鬼ども」

『何処から入ってきた!』

「ご丁寧に入り口を用意しておきながら、よく言う。アイツの気配をこの俺が見逃すとでも?」

 数百、数千にも及ぶ赤い双眸が男に殺意と敵意、畏怖の念を込めて叩きつけられていた。だがそれをものともせずに一歩踏み入る。

 御神体である黒い仮面を見て、目を細めた。

 

「諸君、長き時に渡る崇拝活動畏れ入る。その狂信の働きに褒美をくれてやる――苦痛なき死だ」

 理由もなく、男はその場に居合わせた信徒を皆殺しにしようとしていた。彼らもまた、自分達に逃れ得ぬ死が来たのだと察している。だが、男は口角を吊り上げると笑みを形作った。

 

「だが。一つだけ貴様らが生き残る術がある」

『――――』

「俺の軍門に下れ。命ばかりは見逃してやる」

 その言葉に逆鱗を撫でられて、食屍鬼達は一斉に飛びかかる。

 暗闇の中から、あらゆる“角度”より殺到する狼達を前にしても男は笑っていた。

 最初から交渉の余地はない。従わぬなら殺す他になかった。

 爆炎が舞う。赤い熱風が吹き荒れて、信徒たちを焼き尽くす。

 

「貴様らが死を恐れぬことは知っている」

『ガッ――か、かっ――!!』

「だが、いつか滅ぶ。いずれ滅ぶ。滅ばぬ刻はなく、今がその時だ――選べ、服従か。それともこの場で消えるか」

 喉を掴まれた一匹が、身体を激しく痙攣させる。藻掻いても藻掻いても抜け出せない怪力もそうだが、何よりも恐ろしいのは捉えられた信徒である狼が急速に老いさらばえていくことだ。朽ち果てるその瞬間まで、まるで枯れ枝のように衰えていく。

 解放されてからも、立っていられるだけの力も残されていないのか身体を横たえて浅い呼吸を繰り返していた。

 

「俺はどちらでも構わん。無為の時を信仰に捧げる貴様らは、目に余る。ならば俺の為に動け。それが出来ぬのならば、貴様らの主同様に滅び去れ」

『ぐ――く、オオオォォォオ……!!』

 我が身を御身に捧げる。それは神を崇める彼らにとって恐れることではない。だが、異門、異教徒に下ってまで生き永らえることは屈辱以外の何者でもない。それでも、目の当たりにした神の威光を前に考えてしまう。

 にじり寄る死神の気配に、食屍鬼達はうめき声を上げていた。

 

 ――ちりん。

 

 その場に似つかわしくない、鈴の音に男が立ち止まる。暗闇の中から睨む赤い双眸に混じって、背の低い青い双眼があった。それは間もなくして姿を消していく。

 また、猫だ。不愉快なことに。

 

「……――――おい、貴様ら。あの猫を追え」

『なに……?』

「アレは“この世のモノ”ではない。貴様らと同じだ。故に滅ぼす」

 従わぬならば、どうなるか――死神が足を振るうだけで再び紅蓮が信徒を焼き尽くす。

 

「往け。今この瞬間から貴様らは、俺の“猟犬”だ。この星の裏側まで追い詰めろ。どちらにしろアレは貴様らの敵でもあるのだからな」

 食屍鬼たる狼達は、蜘蛛の子を散らすように“角度”へ身を忍ばせて姿を消した。屈辱ある服従よりも、彼らは崇拝する神の敵である猫を追跡し始める。

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