【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第百三四幕 わんにゃん逃亡活劇

 

 

 

 花咲川女子学園で授業開始までの間、エヌラスは図書室で読書に勤しんでいた。

 日本文化に触れる。語学に始まり、そこから一通りの言語学収集を終えてから歴史を紐解いていくと、これが中々に興味深い。

 漢字も、似たような文学に触れていたので理解はそれほど難しくなかった。

 弦巻家から贈られてきた山のようなノートも半分以上消費している。暇を見つけて練習してはいたが、そのせいで睡眠時間を確保することの方が難しかった。

 香澄達の名前を書いて練習してみたりする。

 

「……」

 エヌラスは自分の胸の中に苛立ちが積もっていくのを感じ取っていた。

 何か、街の中で不穏な気配が蔓延っている。その一つ一つは小さな砂粒だが、それが感知できる範囲内で動かれると鬱陶しいことこの上ない。

 一番最初に日本へ来た時、人狼を追っていた。それが最後の一匹だとは考えていなかったし、他にもいるはずだと思っていた。しかし、それがなぜこのタイミングなのか。

 

 猫は見つからないし、不穏な気配は蠢いているし、体育の授業も押しつけられるし。

 散々な目に遭っている。

 

「あー、腹立つ」

 ペンを回してから、ノートを叩いた。しかもライブハウス合同イベントも迫ってきている。

 やることなすこと次から次へと頼んでもいないのにトラブルばかり舞い込んでくる。これなら以前のように怪異退治に集中できる環境へ身を置いていた方がマシだ。

 来る日も来る日も、化け物の相手ばかり。

 日本に来てから――彼女達と出会ってからというもの、随分と自分は人間らしくなったと思う。

 社会的責任だとか、体裁だとか。そういうものを気にしていられる余裕なんかない。

 なにせ相手はそんなものお構いなしに襲ってくるような化物ばかりだ。

 始業のチャイムに、エヌラスは席を立つ。

 なにはともあれ。今は、先生役を引き受けている以上その体面を保つ努力をしてみてもいいだろう。もっとも、自分に教職なんてものは絶対に似合わないと思うが。

 

「さーて……」

 行きたくない。できれば行きたくない。

 

 

 

 霊能学担当講師による体育の授業は、拷問に近い。

 五十分間、延々と運動させるわけではないし、実運動時間は十五分から二十分程度。休憩を挟みつつではあるが、運動量そのものが過剰なわけでもない。単純に、ただ単純に――厳しいだけ。

 だが悩めるティーンエイジャーは多かった。特に脂肪燃焼。バストアップ効果など。

 まず事前に、これからの運動がどういった効果をもたらすのかを説明する。どの部分に効果があるのかも付け加えて。

 そしてまずは準備体操。普段は授業に乗り気ではない生徒も今日に限って頑張っている。

 もちろん、体育が終わると肩で息をするほど息が上がっていた。

 

「はーい終了ー」

 手を叩いて、エヌラスが授業を切り上げる。クールダウンも兼ねて、次の授業へ向けて身体を休ませていた。

 体育担当の教師が戻ってくるまでの間、ずっとこんな調子で授業が進められる。

 どうしてこんなにキツイのか。答えは単純、楽な肉体鍛錬なんて効果が無いのと一緒だ。

 

「死ぬほどキツイのは最初だけだ。俺もそうだったし、実際気絶するほど鍛錬したし、死にかけて師匠に半殺しにされた」

 死にかけた上で!? ――生徒一同、心からのツッコミ。

 

 体育の授業が終わってから、放課後の短時間ではあるが霊能学の授業の用意。

 最初は興味本位。それからは段々と部活やテスト勉強に向けて生徒が減ったものの、今では授業を受ける生徒はほとんど決まっている。

 毎回飽きずに足を運んでくるのは香澄とこころ。もはやこの二人は鉄板である。有咲や燐子は生徒会もあるからかあまり来ない。紗夜もギターの練習に風紀委員もある。バイトで来れない美咲や花音に、アイドルの仕事で彩も千聖もイヴも中々来れない。沙綾も実家の手伝いで中々参加できていなかった。

 

「……今日もいつもの顔ぶれが揃ってんなー」

「エヌラス! 今日の授業も楽しみだわ!」

「エヌラスさん、よろしくおねがいします!」

「あー、そうだな……」

 相変わらずすげー仲良しな君ら二人は。エヌラスは他人事のように思いながら教壇に立つ。

 

「――というわけで、今回は霊薬の解説を始める」

 何度か繰り返し授業で説明はしてきたが、魔術師というのはとても複雑な職業だ。どんな専門知識でも必要とされる。特に薬学は重宝されるため、学ぶ魔術師は多かった。

 その中でも特に、魔術師用の薬を霊薬と呼ぶ。

 

「れーやく? 普通の薬と何か違うんですか?」

「それについてこれから話す」

 普段から服用しているタバコと蜂蜜酒については解説は省略。あれは霊薬の中でも禁忌とされているものだ。どんな魔術師でも劇毒に間違いない。一度服用するだけで副作用に苛まされる。そして二度と使おうとは思わないだろう。

 強制的に回路を励起させる、そのバックファイアというのは酷いものだ。

 通常ならば、一度焼かれた回路は二度と修復されない。だが、エヌラスの場合は回路が外付けで身体に施術されている。壊れたとしても同じ手段と方法で魔術回路を修復が可能だ。だが――それでも痛いものは痛いし、基本的に麻酔なんてものは使わない。

 

「エヌラス、お医者さんなの?」

「頭が良くなる薬とか作れませんか!」

「作れなくはない」

 恐らく香澄が想定している知能指数上昇の効能がある薬ではないが、似たようなものは作れる。感覚を研ぎ澄ませる薬物は存在するが、飲んだら頭が良くなるなんて都合のいい薬物は無い。無いったら無い。

 エヌラスは魔術師が作れる霊薬の種類を箇条書きにしてまとめる。

 基本的には人間の薬と何も変わらない。だが、効能と副作用によっては危険が伴う。

 

「が。脳に作用する薬っていうのはとてもデリケートなものでな。調合も難しいし、活用するのも難しい。だが上位の魔術を制御するために必要なもので――端的に説明するとだな。バカが受験で全教科満点取るくらい難しい。服用するとそれが可能になる。が、その代わりに頭超痛くなる。金槌で頭割られた方がマシなレベルの痛み」

「エヌラスさんは経験したことあるんですか?」

「物理的な方で経験したことある」

 薬を服用して頭が割れたことは一度もない。

 物理的手段による頭蓋骨骨折は数え切れないくらい経験している。

 そんなわけで、いろいろなお薬の解説。

 ちなみに――魔術師にとって覚醒剤、というのはエナドリと同義。

 麻薬とか、そういった忌避されている薬物も多く取り扱う。

 

 本日の授業終了。途中で生徒会の仕事を終わらせてきた燐子と有咲も参加した。

 

「さて、それでは最後にひとつだけ俺から“警告”だ。今日は日が落ちる前に家に帰るように。暗くなってから怖いものに遭っても、絶対に近づかないように。いいな」

 いつになくエヌラスが真面目に言うものだから誰もが息を呑む。

 

「エヌラスさんのお仕事に関係あるんですか?」

「そうでもなければ言わない。今日は早めに帰るように。“お仕事中”の俺はおっかねぇぞー?」

 おどけた調子で、指で角を表現してみる。日本で言うところの鬼の真似だ。

 それが冗談ではなく、恐ろしいほどの迫力であることは間近で見たことのある香澄達だけが知っている。

 

 霊能学の授業が終わり、生徒達が帰宅していく中でエヌラスが聞き耳を立てた。

 ちりん――。どこかの飼い猫が首輪の鈴を鳴らして去っていく。

 

「――――」

 おもむろに、エヌラスは教壇に置いていたペンを手にして窓を開けて投擲する。恐ろしい速度で飛来したペン先が、壁を走る黒い影を射抜いた。獣の小さなうめき声と共に霧が散っていく。

 窓枠に足を掛けて駆け出し、エヌラスはそのまま壁に向けて拳を引き絞った。

 拳を突き出し、壁の中に潜んでいた相手の細い首を掴んで引きずり出す。

 

 それは――エヌラスが以前に追っていた黒いオオカミの人影だった。

 鈴を鳴らしながら猫は走り去っていく。

 苦悶の声をあげながらもがく狼男の首を掴んだ腕に力を込める。

 

「よぉ、また会ったな生き残り」

 食い残し、というべきか。拠点も地形ごと消し飛ばしてやればよかったが、あの時はそれどころではなかった。

 

『――、キ、サマ……! なぜ、極東に魔術師(マギウス)が……!!』

 苦悶の声を挙げる人狼を一瞥し、エヌラスはそのまま走り去っていった猫を目で追った。

 どこか怪我でもしているのか、走り方も危うい。だがそれでも懸命に駆け抜けている。この狼男達に追跡されているのは間違いない。

 

「なんで猫なんか追っかけてんだ、テメェら」

 返答するよりも先に、かぎ爪を振るってくる人狼の手首を掴む。

 

『ッ……!』

 ならば逆の爪を振るおうとする相手の首をへし折り、地面に叩きつけるように投げ捨てる。それでも手首は掴んだまま、影の中に消えるのを許さなかった。

 足を振りかぶり、エヌラスはそのまま人狼を蹴り飛ばす。当然ながら電磁加速蹴撃で。

 つま先が胴体にめり込み、胸骨を粉砕して背骨に到達した。だが、その衝撃を逃さずにエヌラスは掴んだままだ。

 何事かと覗き込んでくる生徒達の中には、香澄達も当然いる。

 

「え、エヌラスさん!? なんですかその二足歩行ワンちゃん!」

「俺が聞きたいくらいだ」

 ぐったりと脱力して生命活動を維持できなくなった人狼の身体が霧となって消えていった。何度か地面を叩いて魔力追跡をしてみるが、他に影は見当たらない。どうやらこちらよりも猫を最優先しているようだ。

 壁に突き刺さったままのペンを取り出して、胸ポケットに入れる。

 

(……なんで猫を追っかけてるんだ? こいつら、邪神の眷属のはずだ。ただの猫を追跡する理由なんか無いはずだが……いや、アレがただの猫じゃないってだけか?)

 ならば――、エヌラスは猫が走り去っていった方角に視線を向けた。しかし、すでに姿は見えなくなっている。逃げ足が速い猫だ。

 この人狼達は通常のものと違う。食屍鬼でもあるが、それ以上に邪教を崇拝する暗殺集団だ。なぜ地球に存在しているのかエヌラスには分からなかったが、それも自分の戦闘が影響しているものだと考えている。

 ここが学園の敷地であることを思い出し、両手の土埃をはたき落としてからエヌラスがネクタイを緩めた。

 

「――とまぁ、こんな感じに。おっかないのに巻き込まれる前に今日は帰宅するように。俺は今から“本業”だ」

 気配で追えただけでも一匹、二匹、三匹――少なくとも五匹以上はいる。だが、気配を隠して街に潜伏しているものも含めれば十匹以上は確実だ。

 

(まったく、本当に勘弁しろよな……! これ以上厄介事持ってこられても処理しきれねぇよ!)

 それこそ猫の手を借りたいのはこちらの方だと言うのに。

 しかも、この方角は羽丘女子学園の方だ。嫌な予感しかしない。

 

 

 

 物陰から飛び出してくる爪を避けそこねて、後ろ足を怪我してしまう。それでもまだ、走る。

 なんとか“抜け道”まで辿り着くことができれば逃れられる。だが、自分を追跡してくるこの食屍鬼達は普通の相手と毛色が違う。

 猫の街まで逃げたところで、果たして本当に生き残れるだろうか――?

 あの邪神は普通ではない。もしも追ってきていたのなら、この国ですら焦土と化している。

 残酷で無慈悲なる烈光の覇者。あんなものを相手にできる存在がいるのなら、それは同類に他ならない。

 あれを、誰が倒せるのか。あれを倒せる人類が、果たしてこの日本に存在するのか。それとも地球上に存在しているのかどうかすら、定かではない。だが、それでも今は駆けることしかできなかった。

 捕まれば死は避けられない。戦おうにも戦力差は歴然としている。こうなれば、街まで逃げて軍に任せるしかない。

 祖父に叱られるのも、父親にまた怒られるのは目に見えている。だが、若さだって武器のひとつだ。今の自分にできることをして、なぜそれで怒られるのだろう。多少の無茶は誰でもやってきたはずなのに。

 

 自分を追ってくる相手の気配が不意に消える。

 立ち止まり、周囲を確認。人間たちが何事かと集まってくるが、こちらはそれどころではない。

 鼻を鳴らして、魔力のにおいを辿る。そこから“抜け道”へ逃げ込めるはずだ。

 場所は――人間たちが集まる学び舎。魔力の香りに誘われて飛び降りて人間の女の子達の足の隙間をかいくぐり――、そして、ベンチから飛び出してきた獣の爪によって今度こそ転倒した。傷は浅いが、勢いがついていただけに転んだ衝撃の方が大きい。

 

 地面のタイルの隙間。その“角度”とベンチの背もたれの隙間から風船のように身体をふくらませるようにして、自分を追跡していた人狼達が現れる。

 

『逃げ果せると思っていたか、泥棒猫』

『我ら《悪心・影》の拠点へ侵入した罪はその命で償ってもらう』

『どこの手のものか、答えるならば。足の一つで免じてやるが?』

 甲高い悲鳴が重なり、人々が狼狽えているのがわかる。

 あともう少し。あともうちょっとだと言うのに――。

 

 一匹、二匹、三匹と囲まれて、最早ここまでかと諦めかける。

 祖父が言っていた。将軍猫が言っていたのは、このことか。

 

 我ら猫の一族は、とある盟約に従っている。すなわち、人類を邪神の脅威より人知れず守ることである――みだりに世を乱せば、それは奴等の思う壺。人類に付け込む隙を見せることになる。恐怖は伝播するものだ。

 いつか人類が、“魔を断つ剣”を手に戦える日まで――我らが守らねばならんのだ。

 

 結局自分は、若かっただけだ。若くして、無茶をして、そして盟約を破り、ここで短い生涯を終えてしまうのか――。

 

 この状況を打破しようとする勇気ある人類は、その場にはいなかった。自分達が守ってきていた人間なんてものは、所詮その程度でしかなかったのだ。

 守られるばかりで、戦う勇気もない軟弱者が戦える日が来るのを待っていたら、それこそ宇宙が終わってしまう。

 

「あれー? 猫ちゃんだ。怪我してる」

『…………』

「ひ、日菜先輩!? 危ないですってば!」

「そうですよ日菜さん! 早く逃げた方が!」

 自分を取り巻いている食屍鬼達の隙間から覗き込むようにして、人間の女の子が立っていた。

 じろりと、赤い目で睨みつけられてもにこやかな笑みを浮かべている。

 

「逃げたほうがいいのはこっちの狼男さん達の方じゃないの?」

 日菜は小悪魔のように笑いながら、両手で角を作って鬼の真似をした。

 

「だって、おっかなーいのが来るんだよ?」

「いや、そうは言われてもですね! 流石にエヌラスさんでもそんな都合よくは……」

『おい、小娘』

「ん? なに?」

『失せろ』

「じゃあ警告! 危ないから逃げたほうがいーよっ、オオカミさん達」

 胸を張り、その場から一歩、二歩と下がった直後――学園の塀を飛び越えて黒い人影が現れる。凄まじい速度で、爆音と共に踏み込んで日菜に向かって爪を振り上げていた一匹の首がくの字に折れて即死させられた。地面を転がり、土煙を上げながら霧散する。

 

「……ちょっと遅かったかな?」

「日菜、テメェ後でみっちり説教してやるから覚悟しとけ」

「でもバッチリ来てくれたし、あとはお願い!」

「羽丘で本業やるのはこれで二度目だ! しかも両方テメェの目の前で! どうなってんだこの島国は! それともなにか、お前はなんかいけないものでも呼び寄せる体質か!? なんか変な儀式とかしてねぇだろうな!」

「えー、してないよ。失礼なんだから。あ、でも天文部の合宿でこころちゃんと何かしよーって話はしてたかな」

「するんじゃねぇ!!」

『……き、キサマ! 一体なにも』

 ノールックで懐から取り出したレイジング・ブルマキシカスタムが一匹の頭部を吹き飛ばしていた。

 

「うるせぇ、ぶっ殺すぞ!」

「もう殺してるんですけど……」

 麻弥からのツッコミは聞こえないふり。

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