何を買いに来たの? ──氷川日菜の疑問に、エヌラスはペンとノートと率直に答えた。
それくらいならわたしがあげるわよ? とりあえず百冊くらいでいいかしら? ──弦巻こころの突拍子もない言葉に、エヌラスは訝しんだ。隣の美咲に目配せする。静かに首を横に振った。
「……多分、百冊でも足りないな」
「えっ」
「えっ!」
「そうなの? じゃあ、そうねぇ。千冊くらいあれば間に合うかしら?」
「それだけあれば十分だな」
師匠なら十分の一で済むどころか暗算で済ませてしまうだろうが。
「わかったわ、じゃあノートとペンを千個ずつ用意するわね!」
「……本当に用意するのか?」
「? 必要なんでしょ?」
「まぁ、必要だが……薄いノートとかじゃなくて、もうすこしこう……分厚い感じのがいいな」
「ルーズリーフみたいな感じですか?」
「そっちのが管理しやすいか」
「そんなにたくさん、なんに使うつもりで……」
「あー……ちょっと計算に」
最大限言葉を選んだエヌラスに、日菜は首を傾げた。
(何を計算するんだろ……?)
押してばかりではのらりくらりと逃げられることは前回で学習済み。ここは少し様子見で相手を探ろうと、エヌラスとこころ達の会話を見守る。
「他に何か必要な物は無いかしら。日本に来てから不便してたら遠慮なく言ってちょうだい」
「……なんでこころはそんなグイグイ来るんだ?」
「多分、気に入ったからじゃないですか」
「俺が?」
「ええ」
「なんで?」
「……なんででしょうねぇ」
美咲がなげやり気味に肩をすくめた。
「ねぇ、こころ」
「なぁに、美咲?」
「なんでこの人に付きまとうのか、あたしもよくわかんないんだけど」
「う~ん、そうねぇ……わたしもよくわからないわ!」
「胸を張って言われても困るんですけど……」
「でもエヌラスって何だか不思議な人じゃない。きっと今までにないドキドキが待ってると思うのよ。美咲はどう?」
「あー、うん。それもハロハピの活動に関係ある?」
「当然よ。そのためのバンド活動だもの!」
「……だそうです。こころに目をつけられたのが最期、ご愁傷さまとしか」
「ハロー、ハッピーワールドは弦巻こころ被害者の会かなんかか?」
「あながち否定できないのが辛いところですね……はは」
ノートとペンはこころが用意してくれるようだが、千個もどう準備するつもりなのだろう。冗談だと受け止めていたエヌラスに、美咲が思い当たったように手を挙げる。
「あの、エヌラスさん。そういえば、着替えってどうしてるんですか?」
「ん? 着替え?」
「初めて会った時から同じ服ですよね」
「そりゃ、これしか残ってないしな。そもそもこの無地の服だって隣の国で……」
「うんうん!」
「……貰ったものだしな!」
言えない。お隣の国で龍退治をした時にダメになったから路地裏で拾ってきたとか口が裂けても言えない。何ならちょっと人に言えないことをしてきたとか絶対に言えなかった。危うく口にしそうになったが、好奇心に負けた日菜の一声で踏みとどまる。含みのある言い方になにか引っかかるようだが、こころはそれに頷いていた。美咲も気にはなるが、敢えて聞かないようにする。
「じゃあ、そのコートは? 見かけないブランドね」
「ああ、これは……」
「うん!」
「…………師匠からの贈り物」
「えー、またそんな言い方をして。気になるじゃん」
他にどう言えってんだ。本当のことを言ってしまえば局地環境対応型サイバネコートであり、これも相当摩耗している。これ一着で雪山だろうが火山だろうが大抵の悪環境下で活動できる。一部機能に独自改修を加えているためにポケットが軽く異次元と化しているが、それも魔術の応用だ。
もちろん、そんな本当のことを言えば日菜の好奇心が大爆発するので絶対に言わない。
「触ってみてもいいかしら!」
「触るくらいならいいが……」
「ほらほら、美咲も触ってみたらどう? 少しチクチクして面白いわよ!」
「ちょっとだけ失礼します。……結構使い込まれてますね、これ。繊維がほつれてるのかな」
「あたしもあたしもー! なんかサメ肌みたい!」
三人はコートの慣れない手触りを楽しんでいるが、日菜だけはちゃっかり裏地の方も確認していた。左脇の辺りにあるはずのタグも、襟元のサイズ表記も無いことに首を傾げている。
「あれ? ブランド物なら何かあると思ったんだけどなー?」
「そりゃ作り変える時に取っ払ったからな──」
しまった、と思ったときにはすでに遅い。キラキラしたこころと日菜の視線にエヌラスが冷や汗をかく。
「さっき師匠からの贈り物って言って──!」
「修行の一環で自分の衣装くらい自分で作れというのがあってだな。俺はそれで元になる生地と型紙を貰って自前で素材を選んだり編んだり踏んだり蹴ったり紆余曲折を経て苦労の末に完成させたのがこちらの一点物のコートになります、以上ッッ!!」
「衣装作りができるなんて凄いわ!」
(物凄い早口でまくし立てられて何言ってるかちょっと聞き取れなかった……)
有無を言わさずまくし立てた解説には流石に質問をする隙も見せなかった。大きく深呼吸をしてから、コートを小脇に抱える。
「それで。俺の用事はともかく。そっちはなんでここに?」
「わたしは美咲と映画を見に来たのよ。とっても楽しかったわ!」
「あたしはアロマの材料を見に来たんだ。そしたら偶然にも出会っちゃったから仕方ないよね」
「そーねーしかたないねー偶然ってこわいねー」
次から平日昼間の、学生が学園に拘束されている時間帯に来よう。できるだけ。
もう、疲れた。何もせず帰って寝たい。だが、こころが何か思いついたのか手を叩いた。
「そうだわ! それならエヌラスの服をみんなで選ぶのはどうかしら。きっと楽しいわよ♪」
「俺を着せ替え人形にする気でいらっしゃる!?」
「いいねそれ、面白そう! 確か千聖ちゃんも来てるはずだからメールしてみるね」
「はぐみと薫と花音も呼んだらもっと楽しいと思うの!」
「止めろ美咲、頼む。お前だけが頼りだ」
「いや、ごめんなさい。無理ですね。こうなったらもう止まらないので……」
「たすけてまりなさん……」
嗚呼、空が青い。ショッピングモールの中からでも見える吹き抜けの天井から射し込む日差しと青い空が憎らしい。人の気も知らずになんでそんな晴れてんだ、ぶっ壊すぞ銀河系。
頭を抱えるエヌラスに、しかしこころと日菜がやめる気配はない。美咲はもう流れに身を任せていた。
心底思う。痛感する──女子高生って怖い。
こころによって招集された、ハロハピメンバー。そして、日菜の下に集ったのは──白鷺千聖と若宮イヴの二名。
今此処に、エヌラス天敵四天王が集合した!
「俺帰っていいか?」
「ダメですね。多分被害が拡大するだけなのでおとなしくしてください」
すっかり打ちのめされて抵抗する気力もないのか、沈み込んでいるエヌラスを励ますイヴと、同情の念を禁じ得ない美咲。それらを無視して盛り上がるハロハピ問題児三名。日菜に少し呆れている千聖と、どうすることもできず狼狽える花音。混迷を極めていた。
「大丈夫ですか? 元気出してください」
「ありがとうなイヴちゃん……」
「はい。ばっちりお世話させていただきます!」
「君のその気合の入れ方は俺にとどめを刺しに来てるからな?」
「これが……“介錯”、でしょうか?」
「ごめんな、まず俺が腹を切らなきゃいけないから包丁買ってくる。その後で頼むわ……」
(切腹は知ってるんだ……)
日本の知識が偏っているのはどうやら二人とも共通しているらしい。が、その前に。包丁を買いに行こうと立ち上がるエヌラスを美咲が引き止めた。
「──って、ことなんだー」
「日菜ちゃんの話はよくわかったわ。でもさすがに見ず知らずの男性の服を選ぶのはどうかと」
「えー。じゃあ千聖ちゃんは不参加?」
「……あんまり気乗りはしないわ。イヴちゃんは?」
「私は頑張ります。エヌラスさん、困ってるみたいですし」
「それ、今の状況のことだと思うのだけれども……」
千聖は腰を下ろして顔を覆っているエヌラスに視線を投げる。明らかに年下の女の子に囲まれて何も出来ない自分の情けなさを嘆いているのか、見ているこっちまで情けなくなってきた。しかし来てしまった手前、放置しておいた方が危険かもしれない。
「はぁ、仕方ない。少しだけ付き合うわ」
「紳士服売り場は二階ですね、行きましょう。エヌラスさん、立てますか?」
「立てるし歩けるし走れるし何なら俺は今すぐこの場から全力で逃げることもできる」
「じゃあ逃げられないようにみんなで包囲していこっか」
「お前は俺に何か恨みでもあるのか日菜ちゃん……」
すっかり抵抗の意思を無くしたエヌラスを包囲する形でこころ達が紳士服売り場に向かう。傍から見るとまるで保護者のようだが、むしろ保護されている側である。
二階に続くエスカレーターで移動すると、何やら騒ぎが起きていた。『Afterglow』のメンバーが三人組の男性客と口論している。
「ぅわ、明らかにガラ悪そー」
「たまに見かけるのよね。あの手の不良みたいな人達」
見るのも嫌だと言わんばかりに日菜と千聖がげんなりとしていた。巻き込まれないように、と思っていたがエヌラスだけが既にヒートアップしていく巴達の下へ歩み寄っている。
自分たちに近づいてくる人相の悪い、それこそ通報待ったなしの不審者に不機嫌そうな男性達も嫌そうな顔をしていた。だが、それ以上に機嫌の悪いエヌラスにはただの格好の的だ。つまるところ、八つ当たりである。色々なやるせなさを何かしらの形で吐き出してしまいたい──手っ取り早く暴力で解決するのが一番だ。
「あ、エヌラスさん……」
「何の騒ぎだ?」
「コイツらが蘭にぶつかってきて、謝りもしないで立ち去ろうとしてたんだよ」
「なるほど。巴の言い分はわかった。んで、そっちは?」
「なんだテメェ?」
──問答無用で、エヌラスの拳が動いていた。脱力した腕から、目蓋を叩くように素早く手刀を叩き込む。まさに面食らった相手は狼狽する。
「もっかい、聞くぞ。テメェらの言い分は?」
「──んだテメ」
今度こそ問答無用だった。
逆上した相手の顎をさらうように拳を打ち込み、掌底を腹部に叩き込んだ。たたらを踏んだ相手の頭を鷲掴みにして、片腕で持ち上げたかと思えば設置されているゴミ箱に入れる。上半身をゴミ箱に突っ込んだ男性客は気絶してピクリとも動かない。連れの二人も同様に頭を鷲掴みにすると筋張るほど腕に力を込めていた。
「なぁ、おい。この国じゃ人様に迷惑かけたら何ていうんだ?」
頭蓋骨を締め上げながら質問しても、相手はそれどころではない。
「いっだだだだ! んだ、この、ばかぢからぁ……!?」
「だっ、くそ! 離しやが、あぁぁぁぁあ!?」
「そーかそーか、この国じゃ相手に謝罪する時は「いてぇ」と「離しやがれ」と言うのか」
頭を鷲掴みにしたまま、二人を持ち上げる。
自分の頭から響く不快な音を聞いて、だが派手な服と香水を付けた二人はそれでも謝罪の言葉をようやく口にした。
「ご、ごめんなさいぃ!」
「すいません、でし……あぁぁいってぇぇ!」
万力から解放されたかと思ったのも束の間、二人は顔と腹に拳と蹴りを入れられてうずくまる。
「ゴミがしゃしゃり歩いてんじゃねぇぞ、ぶっ殺されてぇか」
「ぉ、ぁ……!?」
「テメェらのお連れ様はゴミ箱に捨てといたから拾って帰れ、面見せんじゃねぇ」
痛みに呻く二人に、エヌラスは再度蹴りを入れた。それからしゃがみ、染めた髪を乱暴に掴んで目線を合わせる。
「テメェに、言ってんだ。返事はどうした」
「は、はひぃ!」
「……チッ」
舌打ちを一度。片割れの頭を床に叩きつけて、もうひとりの頭をついでに蹴っておく。
あースッキリした。エヌラスは呆然と見ていた巴達に近づく。
「ぶん殴っといた!」
「……いや、それは……」
「一部始終ばっちり見てましたし……」
「ちょっとやり過ぎです」
「え、これで? 骨折ってねぇのに? 何なら口がきける状態で放置してやって? どうなってんだこの国」
「むしろエヌラスさんの国じゃどうなってるんですか」
「相手見て喧嘩売らねぇやつは死ぬ。売らなくても死ぬ時は死ぬ」
一体どれだけ治安が悪い国で生活してきたのか蘭達には欠片も想像がつかない。だが、ひとつだけわかったことがある。──この人、絶対に危ない人だ。それもそこいらの不良など話にならないくらいには。
先程までとは打って変わって、戦々恐々とした様子で紳士服売り場にエヌラスを連行するうら若き乙女達は少しだけ距離を置いていた。