――羽丘女子学園の校門前でエヌラスを取り囲む人狼達が姿を消しては、様々な“角度”から襲いかかる。そのなかに、顔に傷のある一頭がいた。
邪教崇拝の頭目、その副首領である人狼はレイジング・ブルマキシカスタムのバヨネットの先端から姿を現すと銃を薙ぎ払う。エヌラスの手からこぼれ落ちる銃を見てから、一斉に部下たちを仕掛けた。
四方八方より襲いかかる爪と牙による襲撃を素手で捌くが、それでも受けきれずにスーツの端々が裂けては赤く染まる。それを偶然目撃した六花が顔を青くして口を押さえていた。
「ひぁ……!?」
脇腹の辺りを切り裂かれたのか、シャツが赤くなっている。だが、エヌラスは破れたスーツの裾を広げて舌打ちをしていた。傷の痛みよりも、服の損傷の方が気になるようだ。
「チッ。おいテメェらどうしてくれんだ。たけーんだぞ、スーツ。また買いに行くの面倒くせぇのわかってんのか」
「服の心配してるし……」
それを遠巻きに眺めていた明日香もどこか現実味のない光景に足を止めている。
明らかに、この学校の敷地内で起きている超常異常極まりない光景だが――生徒会長は笑顔で観戦しているし。
なんなら自分の隣に立っている宇田川あこは目を輝かせている。
「エヌラスさん、がんばれーっ! ごーごー!」
「いや、そんな応援しても……」
むしろこっちに向かってくるのではないかと冷や汗ものだが、人狼達は目の前の脅威である魔術師に意識を集中させていた。
得物が無ければ。魔術の媒介が無ければたかが魔術師程度、恐るるに足らず。そう高を括った副首領の号令によって再び部下たちが仕掛ける。
気だるげに首を鳴らし、無造作に一歩踏み込んで――エヌラスが一匹の喉笛を鷲掴みにしたかと思った瞬間、首の骨をへし折った。
ゴキ、と。嫌に鈍い音を立てて投げ捨てると、さらに続けざまに首めがけて振るわれていた爪を防いで手首を返しながら相手を拘束する。
腕を折り、膝の皿を割って、片膝を着いた相手の眼球へ指を立ててえぐりこんだまま持ち上げて地面に叩きつける。タイルに力強く叩きつけられた人狼が痙攣し、辛うじて生命活動を維持していたが足を振り上げて容赦なく打ち下ろした。あえなく絶命して黒い液体を撒き散らしながら四散し、やがて霧となって消えていく。
「死んで詫びろとか、生ぬりーこと言うつもりはねぇよ? ――死ね」
『貴様、魔術師ではないのか!?』
「寝ぼけたことほざいてんじゃねぇぞ、二足歩行で人語を解する獣風情が。俺はこっちの方が得意なんだよ」
死角からの強襲を捌き、足を払って無防備な体を打ち上げると素早く背後に回って首を締め上げる。もがいて脱出を試みる相手に合わせて一瞬だけ拘束を解き、不意を突く形で再度、両腕と首を締め上げると一気に骨を砕いてゴミのように捨てた。
「
『――――』
「俺の魔導発勁はそのためだ。真正面からぶち殺してやるから遠慮なく来い」
『おのれ……!』
こんな島国まで猫を追ってきて、その挙げ句に魔術師殺しに遭遇するとは。だが、そんな悲運を嘆く暇はない。
自らの使命を果たさんとする信徒達が次々に徒手空拳によって血溜まりに沈み、冗談のように消え失せていく。
瞬く間に、数十匹は連れていた配下達は消滅して残るは自分だけとなっていた。
「――おい、“
『…………!!』
犬歯を剥き出しにして怒りで肩を震わせる副首領に向けて、エヌラスはまるで道を尋ねるような気軽さで声を掛けている。
身体の傷など欠片も気にした風もなく歩み寄っているがそれでも指先から血が滴り落ちた。手数の不利ばかりは覆しようがない。それでも一切武器を用いずに半壊にまで追い込んでいることに組織を預かっている副首領にとっては耐え難い屈辱だった。
『貴様に語る口など――!!』
「んじゃいいわ死ね」
身体の一部部を角度に潜ませた死角からの一撃を無視して、エヌラスは指先を手繰る。まるでなにかを操るような手つきに、次の瞬間副首領の腕が飛んだ。続けて膝から下が切り裂かれて崩れ落ちる。
夕陽によって照らされる極細の魔力鋼線が無数に編まれており、それは蜘蛛の巣のように自分の身体を待ち受けている。気づいた頃にはすでに遅く、無数の肉片となって副首領が地面に散らばっていた。
エヌラスは服の裾を広げて、再びげんなりとした様子でため息をつく。
「ったく。あーもー、まじかよ。スーツ買って三日と保たないとかやってらんねー……」
くしゃくしゃと頭を掻きながら落とした銃を鋼線で手元に引き寄せると、エヌラスは懐へしまいこむとそのまま日菜の下へ歩み寄る。
「お疲れ様、エヌラスさん。さっきのワンちゃん達なんだったの?」
「俺が聞きてぇんだよそれは。んなこたぁどうでもいい」
「ど、どうでもいいって……」
正体とかどうでもいいのに殺してたのか。とんだバーサーカーである。麻弥がずれ落ちる眼鏡を直した。
「リサ達が心配だ。ハンティングホラー着けてるから大丈夫だとは思うが」
「あ、つぐちゃんから電話だ。もしもーし!」
「聞けや人の話……」
「ま、まぁまぁ。日菜さんがいつも通りってことでここはひとつ」
「一回くらいこいつのことギャフンと言わせてみてーわ……」
「うんうん……。わかった――。エヌラスさん」
「なんだ?」
「友希那さんが猫連れてどっか行っちゃったってさ」
エヌラスは天を仰いだ。
「今すぐ追いかけてくる。後始末はなんか適当にるんって感じでやっといてくれ」
「オッケー♪ るるんって感じでやっとくね!」
(エヌラスさん、相当投げやりになっているのでは?)
日菜に丸投げして、エヌラスがかがみ込む。
呼吸を整えてからわずかに帯電したかと思えば、外壁を駆け上がって姿が消えていた。ポカンと間の抜けた顔で見送る生徒一同。日菜だけは手を振っていた。
「相変わらずめちゃくちゃやる人ですね……」
「んー、でもどうしよっかなー。さすがにあたしだけじゃちょっとなー。だけどこれだけ目撃者がいたらいっそ信憑性増すから逆に利用できるかも♪」
「ジブン、日菜さんがちょっと怖いです」
よくこんな状況になっても楽しめるなと、感心しながらも麻弥はどうせジブンも巻き込まれることになるのだろうと考える。そしてそれは案の定、何が起きていたのかと肩を揺らしながら歩み寄ってくる教師に向かって自分の手を引く日菜によって確定的なものとなった。
――湊友希那は見知らぬ街の中を走る。
自分を守ってくれていた猫達も着いてきていた。一匹が先導する形で友希那の前を。残りが左右と背後の警戒。のんびりと眠っていた野良猫もその剣呑な様子を見て、頭を上げると中には協力する猫もいた。だが気まぐれなもので一部はそのまま走り去っていく。
せわしなく周囲を見渡しても、人の気配はない。街で見かけたのは猫ばかりだ。しかし、住宅街のようなところを走り、路地裏を走り、大通りに出たところで此処が人が住む街であることにようやく確信を持った。ただ、恐ろしく人の痕跡がないゴーストタウンというだけ。
そもそも、此処がどこなのか友希那はわからなかった。謎の声に導かれるままに走り続けて辿り着いた場所だ。
肩で息をしながらも、抱き抱えた猫を撫でる。傷口からわずかに血が滲んで制服が汚れた。
ちりん、と首輪の鈴を鳴らしながら見上げてくる若い猫に微笑みかける。
「……大丈夫よ。次はどっち?」
“…………”
友希那の問いに、謎の声は返ってこなかった。その代わりに、何か嫌な気配が背後に迫ってきている。振り返れば、狼男達が増えていた。大通りを埋め尽くす軍勢に、足元の猫たちが一斉に背中の毛を逆立てて威嚇している。
両軍を交互に見つめてから友希那は猫達を止めようとしたが、平らな顔が印象のエキゾチックショートヘアが間の抜けた鳴き声を挙げていた。
ぶみゃー。
「……、」
それが、何を言わんとしているのかは。なんとなくわかってしまう。
行ってくれ、と。
この猫達は巻き込まれた自分を守るためにあの群れに立ち向かおうとしている。逃がそうとしている相手が抱えている猫だったとしても。
きっと、この猫達も怪我をするだろう。そう考えると、友希那の足は動かなかった。
「あ……」
引き留めようとする友希那に尻尾を振って猫が身体を低く屈み込ませている。
狼男達の中に、一匹だけ大柄な相手がいた。それが頭目であることは一目瞭然だが、それを守るように並ぶ軍勢に気圧されてしまう。
エキゾチックショートヘアが、一度だけ振り返る。
ぶなー。
低く、唸るような、呆れたような声色。
どうして、こういう時にあの人はいないのか。友希那は一瞬だけ考えたが、今は自分しか頼れない。断腸の思いで自分を守るように並ぶ猫達に向けてなんとか声を絞り出した。
「……、がんばって。きっと、なんとかしてくれる人を連れてくるから」
狼男達に視線を向けたまま猫たちが尻尾を振って答える。それを見てから、ロシアンブルーを抱えて駆け出した。その背中が遠ざかるのを見て、首領が掲げた手を下ろす。
狼男達が突撃して、猫たちも同時に駆け出して衝突する。その敵味方入り乱れる混戦状態の戦場から一歩引いた位置より、首領は住宅を覆う柵の隙間に身を潜めて友希那の後を追跡した。
駆け出す友希那は肩からずれ落ちるショルダーバッグを直しながら、猫を抱えて走る。
影絵の街を走れども走れども、似た景色ばかりで迷路に迷い込んだような心地で不安になりながらもひたすら足を動かしていた。
不意に、建造物の日陰に入った瞬間の急な暗転に目を細める。そして、足をなにかに掴まれた友希那は走った勢いのまま前のめりに転ぼうとするが、咄嗟に抱えていた猫を庇うようにして肩から地面に倒れた。
「っ……! 大丈夫、にゃーんちゃん?」
“…………”
肩が痛む。膝も少し擦り剥いてしまったが、走れないわけではない。しかし、石畳の隙間から姿を現す巨体の狼男に息を呑む。
追いつかれた――違う。最初からこの怪物から逃れられたわけではない。泳がされていただけだ。どこまで逃げても追跡してくるだろう。相手は“猟犬”の性質を持つ超常の怪異だ。
後ずさりながらも狼男を睨みつける。強靭な体躯に、鋭利な爪。隆起した筋肉。細身でありながら獰猛な青い瞳の獣と視線が火花を散らす。
「何が目的」
『……人間に用など無い。貴様の抱えているソレに、用があるのだ』
「この子は渡さないわよ」
『貴様の飼い猫でもあるまい』
「それでもよ」
力の差は歴然。だが、それでもまだ走れるだけの力は残ってる。
(……走れる?)
“――――”
(私が引きつけたら、走って逃げて)
耳元で囁くと友希那はロシアンブルーが逃げられるように少しだけ腕の力を緩めた。
爪を鳴らし、見下ろしてくる狼男は逃げようとしない友希那を見て口端をつり上げている。その魂胆も見え透いているが、この肝が座った人間を供物に捧げて無聊の慰めとしよう。
――コツ、コツ。
「…………?」
『…………』
コツ、コツ――。
石畳を規則正しく鳴らす、革靴の音。足音。この街に迷い込んでから、人間の足音を初めて聞いた。
通りの向こう、交差点で立ち止まってこちらをジッと見つめている。両手をポケットにいれたまま、気だるそうに歩いていた。まるで街の中でも
こと、この異常事態が連続する最中で。まるでそれが“日常”であるかのような振る舞い。非日常と日常の乖離感が引き起こすバグのような動作に、現実感が喪失されていく。
コツ、コツ――と。歩み寄ってくる輪郭が徐々にはっきりとしてくる。
あの人ではない。黒尽くめの、自称オカルトハンターではなかった。
黄金色の髪に、黄金の瞳を持つ、まるで出来すぎた人形のように顔立ちが整いすぎている。それでいて、顔に感情と呼べるものは一切感じられない。精巧な、人間を模した等身大の人形。神が作ろうとした完璧な人類とは、こうであったのかと思わされるほどの威光。
切れ長の目に、どこかぼんやりと眠そうにしていた。
白一色のスーツ姿。革靴だけが黒い。普段着なのか、それとも仕事なのか。どちらにせよそれが絵画のようにピタリとハマっている。ネクタイは締めておらず、どこかラフな印象を受けた。
「邪魔だ」
無造作に。
それこそ、まるで道端の小石でも小突くような短い言葉。あまりにもノーモーションだったものだから友希那は言葉の意味を把握するのに時間を要したし、それを理解するのがあまりにも遅すぎた。そして同時に、理解してはならなかった。
その所作が、あまりにも自然で。
その動きがあまりにも自然体で。
その動きは、本当に道端の小石を蹴飛ばすような動きだった。
無造作に蹴り飛ばされたのは、首領の方だったが――しかし。
次の瞬間には、石畳を崩壊させながら。住宅街を破壊しながら、まるで破壊の連鎖でも、世界の崩壊でも起きているかのような大損害を巻き起こして狼男が通りの向こう側へと吹き飛んでいった。
目の前で、自然災害が通過したような。突如天から降って湧いた災害に見舞われた街は、一瞬にして瓦礫の山と廃墟と土埃が巻き上がる。
「人が古い知人とティータイムを過ごしている横でわんわんにゃーにゃーと騒がしいぞ貴様ら。獣は獣らしく黙って毛づくろいでもしていろ」
怒っているのか、それとも呆れているのか。だが、どこか空っぽな声で。誰に向けているのかもわからない。まるで独り言のようにその男は呟いていた。
肩まで届く金の髪を揺らしながら、首を傾げている。友希那が思わず見上げ、その視線が合ってしまった。
「――――――」
心臓が凍りつくかと思うほど、冷たい目をしている。生気が感じられない。この世全てに飽いたかのような、空虚な瞳をしていた。
これは、人の形をしているだけだ。
これは、人の形に押し込められているだけだ。
人の形をしていて、人ではない何かだ。
足が竦む。背筋が凍る。声が出せない。
「……ああ、居ないと思ったらお前はそこで何をしているんだ?」
手を伸ばして、呆然とする友希那の手から猫を掴み上げると自分の目線の高さまで持ち上げている。怪我をしたロシアンブルーは目一杯威嚇するが、鼻で笑ってからかっていた。
「今度は随分と遠くに行ってきたようだが。あまり将軍の手を焼かせるな。ほれほれ」
フシャーッ。
爪を立てて牙をむき出しに威嚇するロシアンブルーを気にせず、鼻先を撫でて弄んでいる。必死に爪を振りかぶるが、指であしらわれていた。
「…………」
からかって遊んでいた手を止めて、友希那を見下ろす。それから、首根っこを掴んでいるロシアンブルーと見比べていた。
「ほう? 猫より珍しい人間が、こんなところで何をしているんだ」
「…………」
「ああ。というか、
全身が総毛立つ。
このひとは――、この男は。
足蹴にした狼男も、きっと化物ではなく小石同然だった。
街の景色も雑草程度にしか思っていない。
ただ、偶然にも自分は運が良かった。
目の前にいる、この黄金色の怪物の災害に運が良くも間一髪で免れていただけの幸運。
人間を人間とすら思ってもいないのだろう。
「――あな、たは…………?」
「? 見ての通り、暇人だが? どこの世界に猫と茶会を開く男がいる」
このひとは、なにか――とても決定的に人間と“ズレて”いる。
意思の疎通が可能なようで、不可能に近く、その思考と倫理の共感は限りなく不可能に近い。
(……花園さんみたいだわ)
コレに比べれば、どれだけかわいいことか。
友希那はぼんやりと見知った顔を思い浮かべていた。