【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第百三七幕 猫の街、ウルタール

 

 

 

 呆然と尻もちをついている友希那を見下ろし、暇人と名乗った相手はロシアンブルーを差し出して視線を外す。

 そこで、ハッと気づいた。

 

「通りの向こうでにゃーんちゃん達が」

「知っている」

「なら――」

「すでに逃げてる」

 猫の危機回避能力は広く、すでに範囲外に逃れている。となれば、相手をしていた人狼達はこちら目掛けて一目散に駆けつけてきているのは必然と言えた。

 首領の姿はなく、狼狽えていたのも数秒。すぐに首領は壊れた住居の隙間から姿を見せる。

 

「ほう。上手いこと防いでいたか」

『邪魔立てする気か!』

「私のティータイムを邪魔したのは貴様らの方だ。失せろ」

 それは、簡潔にまとめた警告であった。それさえ守ってさえ入れば生命を保証するというあまりに短い言葉。だが、邪教集団《悪心・影》にとってその敗走は許されない。なぜなら彼らも帰る古巣を失っているからだ。

 邪神に追われ、敵を発見したと思えばこのザマ。崇拝する黒い仏に面目が立たない。せめて手柄の一つ、供物のひとつを手土産にしなければ割りに合わなかった。ならば、少女の一人。猫の一匹でも仕留めておきたい――だが、目の前に突如現れた黄金色の怪物は、果たして。

 

「……貴方も、魔術師?」

「魔術を扱うやつは全て魔術師だ」

「……オカルトハンターなの?」

「なんだそのバカが名乗りそうな職業は」

 友希那はそのバカの顔を思い浮かべながら、後ずさる。

 

「それで?」

「――え?」

「その、オカルトハンターとかいうバカな職業はどういう仕事なんだ」

「……私も詳しくは知らないわ。ただ、怪異を相手にすること、くらいしか」

「人外の論理を構築し使役する以上は、魔術師も総じて“怪異”だ。人間以外全部敵に回す命知らずの極めつけなどバカくらいしか名乗らんだろう。そんなバカの顔を一度見てみたいくらいだが……いや、やめておくか」

「どうして?」

「面白半分で半殺しにしてしまうかもしれん。それで死なれてもつまらん」

 食屍鬼。人狼、狼男――猟犬の軍勢。

 

「それと時間の無駄だ。暇は持て余しているが、暇ではないのでな」

「……???」

 矛盾している言葉に友希那が疑問符を浮かべていた。だが、のんきに話している場合でも状況でもないはずだ。だというのに、顎に手を当てて暇人はなにか考え込む素振りを見せている。狼男達の方など一瞥もくれていなかった。

 

「召し物が汚れているな。それに膝も擦り剥いている。この先の広場で猫の手当も必要だろう。そこまで自力で歩けるな?」

「え、ええ……助けてくれるの?」

「お前に興味はないが、その猫に死なれると少々面倒でな。巻き込まれたくなければ抱えていた方が賢明だ」

 まるで生きた人間に価値など無いと言っているのと同義だ。人の命を、命とも思ってすら居ない倫理観の重大な欠落を抱えている。今、自分の生命線はこのロシアンブルーキャットだけだ。それを手放せば命はない。

 友希那はもう一度だけ猫を抱え直して立ち上がる。少し足と肩が痛んだが、頬に猫が前足を当ててきた。心配でもしてくれているのだろう。思わず緊張が緩み、微笑んだ。

 

「ありがとう。大丈夫よ」

「さて――それで、お前らは帰る気はなさそうだが。どうするつもりだ? 路頭に迷っているというのなら、生憎と路銀も持ち合わせていない」

『貴様の命を頂いていく。それで十分だ――!』

「そうか」

 印を結び、四方へ散る軍勢の手には影で縫われた苦無や手裏剣が携えられている。姿を消した相手に向けて何をするでもなく、無造作に一歩踏み込んで石畳を鳴らした。

 ただ、それだけ。たったそれだけだったはずなのに――友希那は悪寒に身震いする。

 魔術の素質も素養も、教養も何一つ持ち合わせていなくてもわかる異常な気配。目の前で重力が歪んでいく。加算されていく力場の圧力によって瓦礫が軋んでいた。

 その重力場に耐えかねて影から這い出そうとした人狼は、しかし力尽きて全身の骨を砕かれて圧死している。

 力場から逃れ、死角に回った人狼の手には苦無。逆手に構えたまま首へ向けて振るうが、小気味良い音を立てて刃が折れていた。呆気に取られる相手の後頭部を鷲掴みにして、地面に叩きつけると頭蓋からまるで熟れた果実の如く脆く潰れている。

 投げられた手裏剣を避けるまでもなく、まるでハエでも払うような仕草で叩き割っていた。薄いガラスのように割れて砕け散る得物を失い、ならばと爪で顔を引き裂こうと振り抜く。

 

 バギャ、――! 何かが、飛んでいった。重苦しく鈍い音を立てて、地面に落ちたのは人狼の腕。その表面に冷気が漂っていた。最初から冷凍保存でもされていたのかのように、氷像のように落ちている。

 首を掴み上げると、人狼が突如として悶え苦しみだした。まるで奇病のように全身へ蔓延していく白い霜に全身を焼かれている。

 

「たかだかマイナス300℃で生命活動を停止する雑魚に用はないぞ」

 白い吐息を吐き出しながら、暇人は人狼の一匹を粉砕した。同様に二匹、三匹と襲いかかってくるが同様に木っ端微塵にされている。

 重力場に潰されて動けなくなった相手を解放し、目線の高さまで持ち上げた指を鳴らす。

 まるで空気の鉄槌でも降ろされたかのように目の前の空間が“ひしゃげた”。圧殺される群れから逃れたところで、同様に死が待ち受けている。一向に歯が立たない。

 相手は涼しい顔をして、まるで鬱陶しそうに手で払うばかりだ。それどころか、その場からただの一歩も動いてない。

 ふと、ポケットから取り出した懐中時計に目を向ける。本当に、自分を取り囲んで殺意を叩きつけてくる人狼達を羽虫程度にしか見ていない。

 

「貴様らの命など、茶葉にすら劣る程度の価値でしかない」

『おのれ、おのれ――!! 貴様は一体なんなんだ!』

「何か、と聞かれれば。さて……どう名乗ったものやら。なにせ私は自分の名前すらどうでもいい始末だ。それでもなお、まだ名乗れと言うのなら――貴様らに名乗る名前などない」

 ポツポツと右腕の周りに、何か黒い球状の物体が無数に形成されていく。それを見た首領が絶句して後ずさっていた。それだけでなく、数の減った部下達も腰が引けている。

 

「“これ”が何か、わかるな? 鬼ごっこの開始だ」

 パチン、指を鳴らせば高速で発射される無数の黒い球。それに触れた次の瞬間、ごっそりと削り取られて消滅していた。咄嗟に手で防ごうとするが蜂の巣になって消えていく。

 絶叫。悲鳴。混沌。混乱――その場における、完全なる支配者は黄金色の怪異だった。

 影へ身体を潜めた一匹が“角度”を無視して追尾してくる黒い球に撃ち抜かれて消える。それどころか、隙間に身を隠すことすら叶わなくなっていた。それでも首領は部下を犠牲にして、手にした影の苦無と手裏剣を投擲して攻撃を凌いでいる。

 空中で衝突した黒い球と苦無が、まるで吸い込まれるように消滅した。それに目を凝らす友希那が見たものは、極限まで圧縮されていく二つの黒。

 

「……ブラック、ホール?」

「見てわかるだろう? そーら追加だ」

『貴様、貴様ぁああああっ!!!』

 まるで冗談のように、今度は倍の数をけしかける。そして、自分達を完全に包囲するブラックホールに飲み込まれて“悪心・影”はこの影絵の街から存在を消した。

 ただ一匹。腕を失った首領だけを残して。間一髪のところで、辛うじて首の皮一枚。ギリギリで回避に成功したが、もはや戦闘を継続する体力も残されていない。

 命乞いの言葉を待つまでもなく、再び重力波を頭上から叩きつけられて地にひれ伏していた。それに抵抗するだけの余力もないのか、辛うじて堪えている。

 その人狼を無感情に見下ろしている男は、懐中時計の蓋を閉じた。

 

「死を恐れぬ崇高なる邪教の信徒にくれてやる名誉などなにもない。強いて挙げれば、この俺の手を煩わせた手間くらいのものか」

『……!』

「喋るな。たかが二足歩行の獣風情が」

 指を鳴らす(スナップ)。たったそれだけで、街が崩壊し、怪異が消滅していく。

 ――圧巻。圧倒的。恐怖すら覚える蹂躙。一方的な暴力の災害。

 残るのは、物言わぬ瓦礫の街。その場から一歩も動かずに人狼の群れを制圧どころか、消滅させていた。

 銃や刀といった武器を一切用いずに、ただ魔術と呼ばれる超常の論理構築によって。

 生物としての、否。

 存在そのものの、次元が違いすぎる。

 

「さて」

「……!」

 目が合うだけで足がすくむ。身体を強張らせる友希那の横を素通りして、男が立ち止まる。

 

「何をしている? 目的地はこの先の広場だろう?」

「……そう、なの?」

 恐る恐る友希那は、抱えている猫に視線で尋ねた。まるで黄金の怪異から目を背けるように。

 

“…………”

 しかし、友希那と目を合わせていたロシアンブルーはそっぽを向いてしまった。気まずさから口数が減っている。

 

「怒られると分かっていて、答えるはずがない」

「え?」

「そろそろ頃合いだな」

 さっさと先を歩く相手に、友希那はどうすることもできずについていった。

 

 間もなくして辿り着いたのは、円形の広場。中央には水の流れていない噴水が沈黙を守っている。その一角ではオープンカフェのように椅子とテーブルが数セット並んでいた。

 そのうちのひとつに、ティーポットをジッと見つめている長毛種の猫がいた。尻尾を垂らして左右にゆっくりと揺らしていたが、友希那と男性の姿を見かけると向き直る。

 隻眼の老猫は男性が椅子に腰を下ろすと顔を近づけた。しかし、そのまますぐに友希那の前へ向かって歩み寄る。

 

「探すまでもなかったな、将軍。多少怪我はしていたが、無事に帰ってきたぞ」

 人間のおまけ付きで。そう呟きながらティーカップに紅茶を注いでいた。どこで調達してきたのかプレーンスコーンも置かれている。

 すんすん、と鼻を鳴らしてから老猫が会釈した。

 

「――まずは御礼を。不出来な跡継ぎを救っていただき、誠にありがとうございます。なんと御礼を申し上げたらいいか」

「…………――――――」

 友希那は、周囲を見渡す。

 誰も居ない。無人の街だ。

 ただひとり、紅茶を飲み始めている男性を除いて。だが、これほど丁寧な口調で礼を述べるような人物では決して無い。断じて無い。それに、どこかしわがれた声だ。

 目を丸くしている友希那の前で、老猫が笑う。

 

「ああ、驚かせて申し訳ありません。私です」

「…………にゃーんちゃんが、しゃべってる……」

「? お前の世界の猫は喋らないのか?」

「普通は喋らないと思うわ」

 にゃー、とか。みゃーとか。かわいらしい鳴き声はあげているが。

 

「そうか。猫と会話しないのか……随分と思考レベルが低いんだな」

「……会話、できるの?」

「できるが?」

「ほっほっほ。まぁ、そう仰らず。まずはお掛けください。ああお召し物も汚れていらっしゃいますね。それにお怪我も」

 みゃーお、と。老猫が一声かける。すると、何処からともなく猫たちが数匹集まってきた。

 

「こちらのお嬢さんの怪我の手当を。上着もお預かりしてよろしいですか?」

「……か、かまわないわ」

「それとそのドラ息子も」

 人懐っこく近づいてくる猫に、友希那はまずロシアンブルーを下ろした。続けて、甘く鳴いて急かすトラ猫に制服の上着を渡す。何匹か集まってきたかと思うと、制服の裾や袖が地面につかないように背中に乗せて歩いて去っていった。

 下ろしたロシアンブルーは仲間たちから次々に頭を叩かれ、何か叱られている。それでもよたよたとどこか危なっかしい足取りで連れて行かれた。それに老猫は威嚇するように一声鳴いた。

 

 救急箱を持ってきて地面に下ろすと、器用にも前足で錠前を外して中からガーゼや消毒用のアルコールを取り出している。スカートやソックスの汚れにも猫たちが近づいてきて前足で土埃を払っていた。

 

「は、はう……!」

「よろしければ撫でますかな? 私のような老体でよければですが」

「お前が撫でられたいだけだろう、将軍。若い奴等をよこしてやったらどうだ?」

「えっ、あの……私は」

「ふぅむ。貴方の言う通りですな。では若いものを呼びましょう」

 にゃおー、と一声。将軍と呼ばれた猫の招集に、どこから出てくるのか。物陰や家の窓、路地裏と様々な場所から猫たちが集まってきた。その中には、友希那を逃がそうと狼男達の軍勢に立ち向かった軍属の猫もいる。エキゾチックショートヘアも無事だったが、中には姿が見えない猫もいた。

 

「……にゃーんちゃんが、こんなにもいっぱい」

「ほほほ。此処は“猫の街”ですからな。人間が立ち去ってからも随分と久しいものです」

 友希那の足に擦り寄り、膝の上に座り込み、テーブルに登って鳴き声をあげながら頭を差し出してくるまさに猫パラダイス。

 かつて、これほどまでに猫の群れに囲まれたことはなかった。街中猫だらけ。猫島とか、そういう規模ではない。

 手を伸ばせば、我先にとまっしぐら。頭を寄せてくるし、足には無数のふわふわがひしめきあっている。かといって騒がしいわけではない。

 すっかり頬が緩みきって撫でるのに夢中になっている友希那を見て、将軍猫は嬉しそうに目を細めていた。

 

「お気に召したようで何より。存分にご堪能ください。少しでも気を紛らわせることができたのなら、こちらも幸いです。今回はとんだ不幸に巻き込まれたようで……」

「そんなことないわ」

「しかし、怖い思いをしたでしょう? なにせ奴等がこの“ドリームランド”まで迫ってきたのも随分と遠い昔ですから」

「……そうなの?」

「ええ。確か……二百年ほど前でしたかな? 最後に見たのは」

「にひゃ……」

「当時はまだこの土地にも猫以外に人が住んでいたものですが。今となっては限られた者しか立ち寄りません。こちらの方もその一人です」

「気にするな。私も暇だった――といっても、年中時間を持て余しているわけだがな」

 友希那と将軍には一瞥もくれず、心底興味がなさそうに紅茶を口に含んでいる。

 

「ほっほっほ。しかし、それでわざわざ此処“ウルタール”へまで足を運ぶとか、今回は随分と遠出をなされましたな?」

「俺に仕事を催促する連中が多くてな」

「それで?」

「全部片付けた上で、上乗せして丸投げしてきた」

「相変わらず意地の悪い御方だ」

 平然と。

 友希那の目の前で男と猫が会話をしていた。だが、両手は若く毛並みが整った猫たちの人気者となっている状態では聞きたいものも聞けない。顔にまですり寄ってくる始末。

 いっそのこと、この猫の群れに埋もれていたいとさえ思ってしまうのも無理はない話だ。

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