紳士服売り場であれがいいこれがいい、と選ぶ日菜達に混じって蘭達も服を選んでいた。エヌラスはただそれを遠巻きに腕を組みながら眺めている。それぞれのバンドに別れて一番気に入った服を選んだチームが勝ち、という遊びらしい。なお、景品もなければエヌラスには拒否権すらない模様。
一連の騒ぎを聞いた警備員が肩を叩き、事情聴取してくる。
「あのー、さきほど喧嘩があったと聞いたのですが」
「喧嘩してませんよ?」
「いえ、目撃者が大勢いまして……」
「喧嘩に見えました?」
「はあ……」
「殴り合いのことを喧嘩っていうなら、喧嘩ですらなかったんですけれど。本当に喧嘩があったって通報されました?」
「あー、いや……」
「確かに。ちょっと騒ぎにはなりましたけれども、ほら。何事もないでしょう? 特に誰も騒いでませんし」
「そのー……」
警備員がバツが悪そうにショッピングモールの中を見渡す。確かに、もうそんな騒ぎがあったとは思えないほど平和なものだ。しかし、仕事の手前簡単に引き下がるわけにもいかない。
そこで、ふと。相手の眼を見てしまった。血のように赤い、真紅の瞳。
「
寒気がした。死を直感するくらいには、怖気が走るほど冷たい目をしていた。冗談ではない、給料据え置き、家には妻も子供もいる。
誰も警備員である彼を職務怠慢などとは咎められない。不良が三人、ちょっと怪我をしただけ。
「あの、以後気をつけてください」
それに、エヌラスは異国の言葉で返事をした。聞き慣れない言語に、目を白黒させる警備員に愛想笑いを返して、頭を下げて遠ざかる警備員を見送る。
(うーむ、どうも日本だけじゃなくてこの世界。どうにも戦闘能力ひっくいな。アレでちょっとした騒ぎとかマジかよ)
基本的には武装しているものの、それだけだ。本当に、もう、それだけだ。鍛えている人間がいるにしても、想像以上に戦闘レベルが低すぎる。それだけこの世界が平和だという裏返しでもあるが、エヌラスは肩を落とした。
これだけ平和だと、本当に自分の居場所など何処にもない。ぼんやりと考えながら紳士服売り場で盛り上がる一団を眺める。
「エヌラスさん、エヌラスさん。ちょっといいでしょうか?」
「はいはいなんでしょうか、イヴちゃんや」
「好みの服とかありますか?」
「特にこれといったものは。強いて挙げれば、動きやすい格好」
「はい、わかりました! 失礼します」
ニコニコと笑いながらイヴが離れ、入れ替わるように美咲がやってきた。
「エヌラスさん、今大丈夫ですか」
「大丈夫だが。どうした?」
「いえ。お金、大丈夫かなって……」
「そんなに持ってないんだが」
「ですよね……多分、こころが出してくれると思うんですけど」
「……ちょっと待て。さっきのノートとペン千個セットといい、俺の服といい。アイツそんな金持ってるのか?」
「あっ。そっか、エヌラスさん知らなくて当然か……。う~ん、なんて言えばいいのかな」
「もしかしてとは思うが、めっちゃ金持ちとか?」
「……お察しの通り、とんでもなく裕福な家庭の一人娘なんですよ」
「……俺、アイツ苦手だわ。いい意味で」
「? いい意味で苦手ってどういうことですか?」
苦手に良いも悪いもあるのだろうか。美咲のふとした疑問に、エヌラスははぐみと薫に服を見せてはしゃいでいるこころの姿を見つめていた。だが、それはこころを見ていない気がして美咲はますます首を傾げる。
「いいか、美咲。俺が苦手な女性は、金持ちでお人好しで世話好きで料理上手で口やかましくてツンデレで巨乳だ」
「……ほとんどこころが該当してるんですけど」
「ちょっと待てアイツそんなスタイルいいのか?」
「そこに食いつくんですか……」
「勘弁しろよ……」
(……巨乳のくだり必要なのかな?)
とにかく、エヌラスが苦手としている女性像の大半がこころに該当しているようだ。
「今後もこころから無茶振りされるかもしれませんけれど、悪気はないんです」
「わかってるよそれくらい。アイツの顔見りゃ。怒ってないから気にすんな」
「……こころのこと、嫌いになったりしません?」
「ならねぇよ、呆れはするが」
「なら良かったです」
美咲はこころに呼ばれて売り場に戻る。しかし──どうしてこうなった。エヌラスは改めて自分の置かれている状況を振り返る。ただノートとペンを買いにショッピングモールに来ただけだというのに。
「あの……」
「……今度はなんでしょうか美竹さん御一行」
「ふっふっふ~、ご老公様の御前であるぞー」
「モカも悪ノリしない。アタシ達も参加させられちゃいましたけど、いいんですか?」
「別にいいよ、好きにしてくれ」
「じゃー下着も選んじゃおっか」
「そういうことすんじゃねえよモカちゃんテメェこら。止まりやがれください」
パーカーのフードを掴んでモカを引き戻す。何が悲しくて女子高生に自分の下着まで選ばれなければならないのか。
一応つぐみとひまりが選んだ服を持ってきてくれていた。
「サイズがちょっと分からなかったので小さいかも知れませんけれど……こういうのどうでしょうか?」
「黒いな……」
「黒い服、好きなのかなって思いまして」
「あー……」
別に黒い服が好きなわけではない。自然と黒くなってしまうだけだ。
柄物の黒シャツ。モカが手にしているのは黒のパーカー。他人が着る服であっても自分の好みを曲げない辺り流石のマイペース。
「普段着にするには悪くないかもしれないな」
「本当ですか」
「お、これはいい感じにつぐれてますなー」
「つぐれるってなんだ……」
「ん~、モカちゃん辞典ですと「つぐれる」っていうのは「頑張ってる」って意味なんですけどー。他にも「馴染んでる」とかー」
「それ初耳なんだけど?」
「あたしも初めて言ったけどー?」
「……モカ」
呆れたため息をつきながら、蘭が再び服を選びに戻った。
──それから結局、美咲が言っていた通りにこころが支払いをしてくれた。危うく「じゃあこのお店ごと買っちゃえばいいのよ! そうしたら毎日着る服に困らないわ!」とか言い出して実行されそうになったが、エヌラスを含めてその場にいた全員に止められて断念。下着は流石に自分で選んだ。
陽が傾いた頃にショッピングモールを後にする。何人かはまだ中で買い物をしたりするようだが元気なものだ。エヌラスはもう色々と限界に近い。疲れた。えらく疲れた。年頃の女の子の相手をするのがとても疲れた。特にこころとはぐみと日菜とイヴ。四人揃って天敵四天王。お前ら絶対集まるんじゃねぇぞと強く念じながら、エヌラスは自分の服が入った袋を持ち直す。
服だけでなく、他にも色々と買ってもらった……というか、気がついたらこころが会計を済ませていた。
「……俺はもう一生こころに頭が上がらないかもしれん」
「そんなしみじみ言われましても……」
「いいか美咲。貧乏人は札束で殴られたら死ぬんだよ」
「そこまで!?」
「なんかみーくんとすっかり仲良くなってるね!」
「あー、はは。なんか、うん、話しやすくて……」
「他人の気がしねぇ……」
主にこころの被害者という意味で。
「で、でもこころちゃん。あんまり、その……男の人の服を選ぶのはやめたほうがいいかなって」
「あら、どうして花音? とっても楽しかったわよ? いつもと違ってドキドキしたもの」
「そうなんだけど……」
「花音が言いたいのは、裕福な家庭の一人娘さんが男に色気づくのはどうかと思うって話だろ」
「えっと、その……」
「流石に俺も同じ事を考えてる。ので、こころ。取り返しがつかないくらい大騒ぎになる前にできれば俺に近づくのは控えるようにな?」
「あら、どうして?」
「職業柄、オカルトハンターの身の回りには危険が一杯なんだ。巻き込まれても自己責任、命の保障もできない。そうなる前に距離を置くようにしてくれ」
エヌラスの言葉に、一瞬だけキョトンとした表情を見せるこころだったが、すぐに笑顔を向けていた。
「ええ、そうね。わかったわ!」
すんなりと理解してくれたのか頷いてみせる。それから、すぐに手を差し出した。両手をポケットに入れたまま歩いていたエヌラスが眉を寄せる。
「それじゃあ、笑顔になりたかったらいつでも会いに来てちょうだい。ハロー、ハッピーワールド!は笑顔を届けるガールズバンドだもの!」
「いや、どうしてそうなる」
「だってエヌラス──全然笑ってないじゃない」
立ち止まって。こころの差し出した手を見つめる。
屈託のない満面の笑みを浮かべながら手を取ると信じて疑わないこころに、静かに背を向けて歩き出していた。
「……そうだな」
「だからいつか、わたし達が笑顔にするわ! ハッピー!」
「ラッキー!」
「スマイル!」
『イエーイ!』
「だからなんで毎回打ち合わせなしで揃うかな……」
こころに合わせて、はぐみと薫までもが乗り出す。それに付き合いきれない、とでも言いたげにエヌラスは独りで歩き出していた。
「──それじゃあ、笑顔を届けるのはお前たちに任せるとするか」
「えっ?」
「人知れず笑顔を守るのがオカルトハンターのお仕事だからな」
決して振り返らずに後ろ手に振り、立ち去る。
「今日はめちゃくちゃ疲れたが、まぁ楽しかったよ。それじゃまたな」
「……行っちゃった」
「うん……美咲ちゃん、あの人……」
「怒ってたわけじゃないけど、なんだろ」
こころに最後は見向きもしなかった。まるで笑顔から目を背けるように、眩しさから目を逸らすようにして。
(考えすぎかな……?)
多分、呆れていただけだ。底なしの元気と人のことなどお構いなしに突っ走るロケットのようなハロハピに。いや自分もその一員なのだけれども。
少しだけ、一人で去っていったエヌラスのことを気にかけながらも美咲と花音はこころのとんでも発言と行動にその日も振り回されていた。
──人知れず笑顔を守る。我ながら、馬鹿げている。そんな上等なことをしているわけではないのに。そんな殊勝なことを掲げて戦っているわけでもないくせに。綺麗事に反吐が出る。
エヌラスはマンションに戻ってくると、エレベーターではなく階段を使って最上階まで登る。お祓いの効果は出ているようで、綺麗さっぱり幽霊騒ぎは治まった。しかし、他所では相変わらずそういった話が絶えないらしいが知ったことではない。金出せ、金。そしたらやってやるから。
我関せず、部屋に戻って手荷物を置くとすぐにチャイムが鳴らされた。
自分がここに住んでいることを知っているのはごく僅かな人間だけだ。或いは、あの二柱。そうでなければそれに類する相手に感づかれたか。
エヌラスは左手にマグナムリボルバーを召喚して隠し持ちながら扉を静かに開けた。
立っていたのは黒服の女性。サングラスを着用して素顔を隠している。
「失礼いたします。エヌラス様ですね」
「何処の誰の何者だ。正直に答えろ」
「こころお嬢様の付き人です。お届け物を」
「どうやって住所突き止めた」
「弦巻家の情報網であれば容易いことです」
「わかった。で、届け物は?」
「ノート千冊。ボールペン千個のセットです」
「マジで用意したのかよ……」
部屋に積み上げられるダンボールの山。さながら不良在庫を抱えた物置と化した自室に、エヌラスは小さく唸った。生活スペースが無いのはどうでもいい。床で寝るくらい慣れたものだ。何なら屋根があるだけでも感激だ。
「確かにお届けしました。それでは」
「待て」
「なにか」
「最後にひとつだけ忠告しておく──口外したら消し飛ばす、弦巻家に伝えておけ」
「……はい」
正真正銘の殺意と殺気を叩きつけられて黒服は静かに頷くことしかできなかった。静かにドアを閉じられてから、深呼吸を繰り返す。自然と涙が出てくる。
殺されるかと心底思った。
エヌラスは早速ダンボール箱を一箱開けて、ノートとペンを取り出すと書き心地を確かめてから頷く。悪くない。
それから、術式の計算を始めた。極めて高度に暗号化された魔術は抽象的なものに落ち着く。今回の場合はそれが数式になっていた。パターン化したものはすぐに対処されてしまうが、そこから新しいものを作り上げるとなると尋常ではない集中力と疲労がついてまわる。
寝食も忘れて演算に没頭するエヌラスがふと外を見ると、夜が明けていた。
その時点で既にノートは三冊埋め尽くして投げられている。
これではダメだ。この計算式では、
エヌラスは舌打ちして、四冊目を埋め尽くして放り投げた。