待ち合わせ場所に着いたリサを迎えたのは、眉を吊り上げた紗夜。その理由はなんとなく分かる。突然呼び出された理由もさることながら原因も。そこはクッキーで手を打った。
「ねー紗夜ー。そんな機嫌悪くしないでよ。ギターの練習も付き合うから」
「それは構いませんが。今井さんの手を煩わせるほどのことなのですか?」
「そうは言われても、なんか放っておけなくて」
「放っておくくらいでいいんです。変に世話を焼かないでください」
「……でも紗夜も心配してるんでしょ」
「してません。するだけ無駄ですし、気苦労を背負うだけになるのは火を見るよりも明らかですからね」
「だとしてもアタシは放っておけないよ」
「……湊さんに怒られますよ?」
「次のライブまで練習の時間は多めに取るし!」
それでも食い下がるリサに、紗夜は根負けする。これ以上押し問答で時間を余計に無駄にしても仕方がない。
「早く行きましょう」
「うんっ、ありがと」
日の傾いた商店街を進み、スーパーと薬局で必要なものを買っていく。紗夜は後で請求するつもりなのか、律儀に領収書を切っていた。相手が病人と言えど容赦なしだ。
長ネギに生姜に、あとは鶏肉を買おうと考えたリサはせっかくなので北沢精肉店に向かおうと提案する。それに紗夜も同意してくれた。
歩道を挟んだ隣の羽沢珈琲店を気にしていた紗夜だが、そこからつぐみ達が両手に買い物袋を持っている。リサが手にしている物と同様に、長ネギがはみ出していた。
「羽沢さん?」
「紗夜さん、どうしたんですか。その買い物……あ、もしかしてエヌラス先生のお見舞いに?」
「いえ、私は……」
「違ったんですか?」
つぐみの全くの悪意のない問いに、紗夜が困り顔を見せる。その脇から、ひまりがリサの買い物袋と自分達の物と中身を見比べていた。それがほとんど同じであることに笑っている。
「紗夜はアタシの買い物に付き合ってもらってたの。ちょーっと高い買い物だったけど」
「そこはあの人に全額請求するので」
「……それはあんまりじゃないですか?」
「そうでしょうか……? これくらいは当然かと」
ムッと、何か言いたげにしているつぐみに、紗夜も世話になっている手前言いにくそうにしていた。
「わかりました。そこまで言うなら、私が代わりに出します」
「えっ。いえ、それは……」
「いいんです。エヌラス先生にはこれから私達『Afterglow』のサポートもしてもらうんですから。そのために一日でも早く体調を治してもらわないと。だからこれは、そのための費用を前払いって形で! それで、リサ先輩。おいくらですか?」
「え~っと、いいの? 後で請求するつもりだったから紗夜が結構買ったんだけど……」
「今井さんも半分くらい選んでましたよね」
リサはバイト代もあったので手持ちの金額でなんとか間に合ったが、それを二人分。つぐみが出す出さないの話をしていると、北沢精肉店からはぐみが顔を覗かせた。更に沙綾もやまぶきベーカリーからパンを抱えて出てくる。ご近所さん勢揃いとなった。
「あ、はぐみー。ちょうどよかった。鶏ひき肉欲しいんだけど、ある?」
「うん、もちろん! そうだ、コロッケも一緒にどうかな?」
「コロッケはー……今回は遠慮しておこうかな。でもやっぱ男の人だし、お肉好きそうだよね。よし、豚肉も一緒にいいかな」
「わかった! すぐ用意するから待っててね!」
はぐみはすぐに店に引っ込み、沙綾がそのやり取りを見て、つぐみとリサの買い物袋の中身が似通っていることに気づいて一人で納得する。
「あー、そういうこと。エヌラスさんのお見舞い?」
「沙綾も?」
「うん。つぐみから聞いて。あの人、また無茶したんでしょ? お世話になったから、余り物で良いなら持っていいってお父さんが」
それで袋一杯のパン。モカが物欲しそうに見つめていた。
「ちょっとくらい分けていただけたりはしないでしょうか、やまぶきベーカリーの看板娘様ー」
「んー、そこはエヌラスさんに聞いてみないと」
あわよくば袋まるごと奪いかねないが。
「あたしも香澄達に頼まれて様子見てくるように言われたし」
「……やっぱハナジョだと人気者だなー、エヌラスさんって」
「そうですね」
どこか突き放すような物言いの紗夜にリサは何か胸に引っかかっていた。
「リサせんぱーい! お待たせ! 父ちゃんがオマケしてくれたよ!」
「え、いいのこんなに!? 大丈夫かなぁ、今月」
財布事情を気にしつつも、リサははぐみから材料を受け取る。それから結局、立ち話で時間を潰していても仕方ないのでリサと紗夜だけでなく、巴を除いた『Afterglow』。沙綾もパンを抱えて着いてきている。
共通の話題と言えば、やはり『Galaxy』のイベント。その日程や演奏する題目などで盛り上がっていると、あっという間に目的地のマンション前まで辿り着いてしまった。
そのマンションの前に路駐しているのは、住宅街には不釣り合いな高級リムジン。それを気にしつつも、一行はエレベーターで最上階へ。
その一角、最奥の部屋に。
インターフォンを鳴らしてみるが、出てくる気配がなかった。紗夜がドアノブを回してみるが鍵が掛かっている。戸締まりはきちんとしているようでホッと一安心。
「まだ帰ってきてないのかな?」
「いやいやいや、流石にあんな身体でそこら辺ほっつき歩いてたらどうかと思うよ?」
「困ったことにやりかねないほど馬鹿なんですけどね、あの人」
「……紗夜さん、エヌラスさんのこと嫌いなんですか?」
「…………言葉に困りますね」
紗夜もつぐみには弱いのか、言葉を選んでいるようだ。
しかし、最後尾の蘭が階段を登ってくる足音に気づいて振り返る。そこでは、顔色の悪いエヌラスが廊下に足をかけたところだった。
「あ、エヌラスさん」
「えっ!? 今帰ってきたんですか! どこ歩いてたんですか、早く帰って休むようにって」
「……いや、ちょうど弦巻家に捕まってたんだが。お前らが揃いも揃ってマンションに押しかけてきたから何事かと思ったら、人の部屋の前で立ち止まって何してんだ?」
「なにって、お見舞いですけれど……」
「だったらこんな大人数で来るなよ……休ませる気あるのか……」
脂汗を滲ませながら、エヌラスがふらつく膝を手で押さえる。エレベーターを使えばいいものを階段で登ってきたのは大慌てで話を切り上げてリサ達を追ってきたからだ。こんなところ目撃されては、今度はどんな根も葉もない噂が流れるか予想がつかない。
――どうせ「天性の女たらし」とか「JK侍らす天才」とか不名誉な通り名に決まっている。
エヌラスが鍵を開けてリサ達を部屋に上げる。
そして、リビングで立ち止まった蘭達の手から鞄が落ちた。
命からがら武陵源から日本へ戻ってきて、それから急いで支度をしたものだから血だらけの衣類がソファーやテーブルの上に投げっぱなしになっている。血を拭ったタオルまでもがそのままだった。
「あ、やべ」
時既に遅し。まるで殺人現場のような状況にひまりが既に涙目だ。誰も悲鳴をあげなかったのが救いか。しかも銃器も出したままだ。これでは空き巣も入った瞬間に引き返す。
エヌラスが手早く証拠隠滅。ゴミ箱に全部まとめてぶち込んで、ハンティングホラーに丸投げした。猟犬形態で小突かれて怒られる。
「…………ちょっと散らかってるが気にするな」
「よーしわたしたちなにもみてないぞー、ねー?」
おっそろしく棒読みでモカが同意を求めると、全員が何度も頷いた。紗夜だけはものすごい形相で睨んでくる。
エヌラスも自宅に戻ってきた、ということでネクタイを緩めて上着を脱ぐ。そして、シャツの右側が赤く滲んでいることに気がついた。
袖のボタンを外して、右腕の様子を見れば練氣功で分散させていた毒の影響で内出血を起こしている。その色が健康的な赤色ではなく、黒ずんでいるのはそれだけ瘴気の影響を受けているということだ。
「ほ、本当に大丈夫なの?」
「生きてるから問題ない」
「そんな言い方しないでよ。アタシ達は心配してるんだから」
「気遣いだけで良いって言っただろうが」
「それだけで治るとは思えないし。台所借りるね」
「わ、私も!」
「折角だしあたしも手伝うよ。量も必要そうだし、ちゃちゃっと作ろっか」
リサとつぐみと沙綾の三人が早速台所で準備を始める。
紗夜は説教の用意。咳払いをひとつ。
「言いたいことは山程ありますが。状況の説明を求めます」
「ニュースは見たのか」
「当然です」
「なら何も言うことはない。以上だ」
「…………」
(氷川さん、めっちゃ睨んでる……こわ……)
凄む紗夜の視線をものともせずに、エヌラスはベストのボタンを外して襟元を緩めると自分の容態を確認していた。魔導装衣でまだ症状を緩和しているからいいが、これを完治させるには時間を要するだろう。荒療治でいいならば治すのは容易だ。
「では、弦巻家の方々とは一体どんなお話を?」
「企業秘密」
「………………」
静かに溜まっていく紗夜の怒りのボルテージ。それがわからないほどエヌラスも鈍くない。知ってて言わないだけだ。
ニュース。朝の話題どころか昼の話題も全部かっさらっていった世界有数の大事件――武陵源焼失事件。
それが一個人によるものだとは世界の誰も思わないだろう。紗夜も頭にはきたが、冷静に状況を分析していく――。
「“また”邪神ですか」
「それ以外にいるか?」
「今度は、どんな相手なんです?」
「黙秘権を行使させてくれるか? 事情聴取じゃあるまいし、小言はうんざりだ」
「っ――! 貴方はまたそうやって」
「一応病人……? あ、けが人……なんですし? 落ち着いてください。それに、エヌラスさんもそんな言い方はあんまりです。心配しているのはみんなおんなじなんですから」
「そーそー。言い出しっぺはひーちゃんだけど、蘭もソワソワしてたもんねー」
「……それは関係ないでしょ」
素直じゃないエヌラスも紗夜も、二人の仲の進展は当面先に思えた。
どちらも不器用だからこそ、仲良くなるのは前途多難だ――リサはキッチンで沙綾とはぐみに挟まれながら調理しつつ考えていた。
「エヌラスさん、ひとまず怪我見せてもらってもいいですか? 薬局で色々揃えてきたので」
「……見ない方が良いと思うぞ」
「そんなに酷いように思えませんけど……」
蘭の言葉に、エヌラスは渋々シャツを脱いで魔導装衣を見せる。身体のラインをはっきりと見せるようなアンダーウェアにモカが興味津々だった。ひまりも気になるらしい。魔力を通電しているからか、繊維に織り込まれた魔力伝導体が反応を示している。魔術回路に沿う形で淡く光っていた。
「おぉ~。これ、どうなってるんですか?」
「魔力に反応して、治癒能力を高めてる。これで傷口の侵食を阻止してるんだが」
「傷の、侵食?」
「あ、光消えちゃった」
エヌラスがアンダーウェアを持ち上げて、脇腹を貫通した傷口を見せる。
そのまま脱ぐと、右肩が大きく焼けていた。さらに胸板だけでなく、裂傷が無数に広がっている。抉られたような傷から、赤黒い幾何学的な模様が侵食していた。それを押し留めるように魔術回路から光が流れていく。
その傷跡には、紗夜も言葉を失っていた。
「俺でなけりゃ死んでる傷だ。本来ならとっくに治ってておかしくないんだが、どういうわけか治らない」
「――――」
「放っておくと傷が身体を侵食してくる。そうすると魔力を再生に割かなきゃならなくなる、だから攻撃に回す余剰分がなくなる」
無限の魔力貯蔵庫と言えど、その過負荷に身体が耐えられるわけではない。それに耐えられるだけの“改造”を施術されているからこそ、銀鍵守護器官がどれだけ出力を上げても魔術を行使できる。だが、それだけ膨大な魔力を扱うには術者の技術が要求される。得手不得手は誰にでもあるものだ。特にエヌラスは致命的に治療魔術が扱えない。
まじまじとモカが傷を観察していた。
「んー」
「……なんだ、モカ。そんなじっくり顔を近づけて」
「これってーエヌラスさんの魔術回路?とかいうのが汚染されてるんですよね」
「まぁ、そうなる」
「じゃあこれ、どうやって治すつもりなんですか?」
「侵食速度を再生能力が上回ればいいんだが……」
銀鍵守護器官による再生能力を引き上げても、一向に回復しない。これならばいっそ傷口を上書きした方が早い。だがそれをやれば辺り一面が血の海になる。
「なにぶん、身体がこんな状態だからな。治療が難しい。毒素を解析できれば、手持ちの薬で抗体を作れるんだが」
「そういうのは医療機関に任せるべきでは?」
「普通のウイルスじゃない。ただの病原体なら、とっくに治ってる」
「どういった症状が出るんですかー?」
「発熱と、倦怠感ですか? エヌラスさんが言っていた」
「いや、その二つは治療しているから出ている症例だな。実際のところは、俺もわからん」
「…………、あの。いいから早く服を着てください」
頬を赤く染めながら、蘭が顔を背けていた。ひまりもそれに気づいてそっぽを向いている。
紗夜は傷を見て、それからニュースの情報と照らし合わせて考えていた。
「……病原体を撒くことで、周囲を汚染しているとは考えられませんか?」
「振り撒く瘴気の純度が高すぎてな。触れるだけで死滅する」
「――――」
「それに、汚染も邪神が相手ならいつもそうだ。だから連中は災害の一種なんだよ」
エヌラスが魔導装衣を着用しつつ考える。病原体を振り撒くことで環境を汚染して死滅させる――さながら、死の灰だ。
「今回ばかりは……、――いやなんでもない」
果たして本当にアレに勝てるのか――だが、やるしかない。
喉まで出てきていた弱音を飲み込む。
キッチンから聞こえてくる小気味良い包丁のリズム音がリビングに響いていた。
「……あー、えっとー。うん。でもほら! 今までなんとかしてきたんでしょ? ならきっと今回もなんとかなるって!」
リビングの重苦しい空気に耐えかねてリサが元気づけるが、その根拠となるものなど何も持ち合わせていない。隣の沙綾も、何かフォローをしようかと考えていた。
「また、あんな武器使いませんよね?」
「“天雷”かー。あれもぶっ壊れたしな。あそこまでの奴は他に持ち合わせてない」
「で、ですよねぇ!」
「……造れなくはないが」
「いや造らなくていいですから!」
「武器は現地調達なのが基本だし……」
弦巻家に頼めばきっと何かしら有用な物を調達してくれるだろう。だが、それが邪神にとって有効打になるとは限らない。しかし、ものは相談だ。
(……そういや天雷の残骸、手元に残ってたな)
単体の破片では何の使い道もないが、地球の技術次第で化けるだろう。