リサ達が鍋いっぱいにつみれ汁を作り、それとは別に精のつく料理を複数並べる。大量に作りすぎて果たして食べきれるか不安になったが、電子レンジくらいは使えるだろうと思い、余り物はタッパーに詰めこんでおいた。
沙綾が持ってきてくれたパンも一緒に並べる。それにはモカも物欲しそうにしていた。
「つかぬことを聞きますがー」
「食いたきゃ食っていいぞ……」
「おぉ~、太っ腹。じゃあ遠慮なく」
「モカ。エヌラスさんの分もちゃんと残しておいてよ?」
「えー? でも食べていいって……」
「限度。あるから」
「はーい。ちょっとだけちょっとだけ……もぐもぐ……」
両手にパンを持って食べるモカに、蘭が呆れている。心底美味しそうに頬張る姿にはエヌラスも悪い気はしなかった。
「……モカには、パン貰ったしな」
「そうなんですか?」
「ああ。なんかすげぇ微妙な味の惣菜パンだったけど」
「あれ賞味期限切れそうだったんですよねー」
「おまえ……。いや、何食っても腹壊したことないからいいんだけどよ……」
それに実際命を救われたものだからこれ以上何も言えない。パンと一緒にご飯も炊いてくれたのか、炊飯器から炊きあがりを知らせる音が鳴った。つぐみが開けて、しゃもじでふっくらと立つ白米を手際よく混ぜていく。本来は少し置いておくのがいいのだが、空腹感には勝てない。
「よし、完成ー!」
「せっかくだから写真撮っちゃおー」
「お、いいねー。アタシも一枚」
いつの間にやら、家主を置いて盛り上がっている。しかし、エヌラスは自分の不調を抑え込む為に練気功で毒素を分散させるのに集中していた。
かつて出会った気功術の達人も同様の方法で致死量の毒の進行を遅らせていた経験談から、その方法を教授してもらった。教え方はいまいち不鮮明だったが、やってみれば案外難しくない。内勁の達人ならば、成程確かに、とさえ思わせる。だが、エヌラスは武術も魔術も剣術も達人の域には届くが、極めることが出来ない。
「ッ――!」
不意に、左眼に激痛が走った。右腕も同様に、魔術回路が赤く光っている。咄嗟にエヌラスは左手で目を押さえるが、頬を血涙が伝う。右手も痙攣して力が入らなかった。
体内に侵入した瘴気の分解に手間取り、魔術回路への汚染度が進行している。このままでは銀鍵守護器官にまで到達することも時間の問題だ。無限の魔力貯蔵庫が汚染されれば、確かに治療できるかもしれないが――、その直近にある生身の心臓すら汚染される可能性がある。もし、その双方が神性の瘴気に毒されれば最悪の場合、死に至るだろう。
一寸、思考を巡らせた。この状況下で取るべき解毒方法を。
血中の魔力濃度を跳ね上げて、毒素を焚べて分解する。だが、その抗体を精製するために必要な血液も採取しなければならない。
「エヌラスさん、大丈夫ですか!?」
「ああ――、ちょっと、ベランダ出てくる。ハンティングホラー、採血道具出してくれ」
カーペットを叩き、そこから医療箱を引き出すと錠前を開けて中から取り出したのは、小さくて平べったい板。電極のような……。
おもむろに、エヌラスはそれを自分の右腕の突き立てた。
「ひやぁ!? な、何してるんですか!」
「ちょっとまずいことになった……! 毒の進行が早まってる、分解する前に悪化してきた。先に飯食っててくれ」
医療箱を手にしながら、エヌラスがベランダに座り込む。
九龍アマルガムから持参してきた緊急用の施術キット。どこぞの糞爺から半ば強奪したとも言うが、こちらのが新型だ。当然のごとく、麻酔なんてものは存在しない。
電極を右腕の魔術回路に突き立てて、魔力を通す。淡く輝く回路は電子回路のように張り巡らされているが、あちこちが赤黒く汚染されていた。
練気功で全身の毒素を右腕に集中させる。すると一気に侵食が進み、手首から右肩まで赤く危険信号を発していた。黒く変色していくと、右腕の皮膚が赤く爛れていく。
チューブを取り出して、口と左腕を使って右肩できつく縛る。注射器を持ち出して適当に血管に突き立てると血を抜いて置いておく。
黄金の蜂蜜酒とドラッグシガーを用意――多少、身体に支障をきたすが食うもの食って寝ればそんなものどうにでも治る。はず。多分、きっと。おそらく。だといいな、という希望的観測を抱きながらアンプル剤の蓋を割って、内容物を服用する。それからドラッグシガーを咥えて、エヌラスはマッチ箱で点火した。
急激に高まる血中の魔力濃度に、銀鍵守護器官が化学反応を起こして異常を取り除こうと出力を跳ね上げる。血流が暴走したように全身を巡る感覚に、エヌラスが右腕の拘束を緩めた。電極によって堰き止められている魔力の流れが、手首で集中する。内側から血管が盛り上がり、やがて――ぱぁん。と、僅かに小気味好い音を立てて血管が爆ぜた。外部へ一気に押し流される赤黒い血液がベランダを赤く染める。
ジュウジュウと音を立てて、染みを作っていく。濃硫酸のように溶かしていくのを観察していた。そんなものが体内に入り込んでいたかと考えるだけでゾッとする。今頃体内の血管はズタズタになっていることだろう。それも銀鍵守護器官が再生するので問題ないが。
ひとまず、峠は越えた。エヌラスが幾らか楽になったことで息を吸い込み、肩を深く落として息を整える。気が楽になったことで余裕が出てきた。あとはリサ達が帰った後にでも採血した注射器から抗体を用意するだけだ。
真っ赤になった手首を振り、血を拭う。殺菌された脱脂綿で手首を拭うと、傷跡は既に塞がっていた。掌までまんべんなく綺麗にしてから、エヌラスは電極を乱暴に引っこ抜く。医療箱に詰め込むと、ハンティングホラーに渡した。
「一晩寝れば治る……はず、なんだが」
リビングを振り返れば、物言いたげな面々。特に紗夜が親の仇のような視線を向けている。
「言い訳をさせてもらえるなら、容態が急変しなかったら俺もここまで手荒な真似はしなかったんだが」
「それも想定した上で計画的な行動はできなかったんですか?」
「それができるほど余裕がなかったと考えてくれ……」
「まぁまぁ、紗夜。そこまで目くじらを立てなくても」
「……今井さんは甘やかすから心配です」
エヌラスの苦い顔に、リサがフォローを入れた。だがそれも不満なようだ。
「紗夜さん、エヌラスさんに厳しくないですか?」
「そうでしょうか? 私としては残当かと……」
「その、私達も詳しく知りませんけれど――きっと、物凄く大変だったんですよね?」
「だから私も蘭も、モカもツグもみんな心配して見舞いにきたんですし! 特に蘭とか」
「それあたし関係ないでしょ……モカも食べてないで何か」
「もぎゅー?」
「…………」
気がつけば。
沙綾の持参してきたパンが、既に半分くらい無くなっている。流石に蘭がツッコミを入れた。病人相手に食い意地を張るなと付け加えて。
頭を叩かれたモカが涙目で叩かれた箇所を押さえている。
「もぐー……ごくん。蘭、いたいんですけどー?」
「食い過ぎ。もう残ってないじゃん。それエヌラスさんの見舞いの品って忘れてない?」
「モカも腹減ってたんだろ。いいよ、そんな怒らなくて」
「でも」
「いーの、俺が許すから。俺も今日何も食ってねぇし」
『それは食べてください』
エヌラス、総ツッコミを受ける。だって食べる暇なかったんですもの。
それから、夕飯を済ませて全員がすぐに帰り支度を済ませる。
「それじゃお邪魔しました。エヌラスさん、早く治してくださいね」
「ああ、わかってるよ。明日にはいつも通りだ」
「残り物はタッパーに詰めて冷蔵庫に入れてあるから、早めに食べてよ。傷んじゃうし」
「ありがとな、リサ。この礼は何かしら形で返す」
「お、そういうことなら期待してもー?」
「大した物は用意できないかもしれないが……一応な」
リサが紗夜を肘で小突く。つんけんとした態度でそっぽを向くが、髪を弄りながら小さく呟いていた。
「……今後、このようなことにならないように細心の注意を払ってください」
「留意しておく」
「それじゃ、エヌラスさん。あたし達はこれで。また学校で」
「ああ。また学校で。今度蔵練があったら誘ってくれ。なんか持ってく」
リサ達が去っていったあとで、エヌラスはすぐにテーブルに上に医療箱を広げた。それからハンティングホラーが薬品箱を差し出すと、早速抗体の作成に取り掛かった。その後は天雷の破片を用いた対神兵装の図面作成に取り掛かるわけだが――今夜も徹夜になりそうな気がする。
エヌラスのマンションからの帰り道。
リサ達は肩を並べて歩いていた。つぐみと沙綾は今日の料理の出来栄えにそれぞれ健闘を褒め称えている。モカはまだパンを食べていた。蘭に呆れられている。ひまりも少し食べ過ぎたかもしれないと少々後悔していた。
紗夜も厳しい顔で歩いている。エヌラスの無茶は今に始まったことではないが、それでももう少し自分の身体を気遣ってもいいはずだ。あれだけの出血――、ふとそこで思い出す。
あれから、あの人は他の誰かと粘膜接触による魔力の最適化を行っていただろうかと。
「……皆さんにつかぬことをお聞きしますが」
「は、はい? なんですか?」
「んー? どしたの、紗夜?」
「あの人の魔力の回復手段については、ご存知でしょうか」
「……はい。まぁ、一応…………」
「んーとー、性行為で供給されるって」
モカのあっけらかんとした言い方に、一瞬だが気まずい空気が流れる。紗夜が咳払いをしてから、何事もなかったように話を続けた。
「それについては敢えて言及しませんが。粘膜接触による魔力の最適化については?」
「あー、アタシは聞いてたけども……」
「それはつまり……」
「き、キスってことですか!?」
「まぁ。そうなりますね……それでここから本題です。そういった接触を行った方はいますか」
「……いえ、アタシ達は誰も」
蘭の言葉に、つぐみ達が首を縦に振る。嘘を吐くような人柄じゃないことを信用して、紗夜は頷いた。沙綾に視線で問いかければ、少しだけ考える素振り。
「あー……ポピパも、誰もそういうことしてないですよ? そんなことする暇もないくらい大変そうでしたから、エヌラスさん」
「そうですか。ハロハピに関しては……」
弦巻さんが怪しいところ、と言いたかったが、それも沙綾が否定した。あの一件以来、エヌラスは自分達とどこか距離を置いている印象があると。
巻き込んだ後ろめたさか、それとも別な感情か。どちらにせよ、紗夜と日菜以外とはキスによる粘膜接触は行っていないようだ。だがそうなると疑問になるのが、アレだけの出血をしておきながらどうやって情報の劣化を防いでいるのか。
継続的な接触でなければ、その情報のアップデートは出来ないはずだ。
あれから、ずっと――?
九十九兼定との死闘からずっと、それきり。
「そうでしたか」
「紗夜、それがどうかしたの?」
「気にかかっただけです。他意はありません」
紗夜のことだ。こうして皆が気にかけているからこそ、風紀の乱れが気になったのだろう――リサはそう考えることにした。
「でも、それが本当ならさ。エヌラスさん今はものすごい大変なんじゃない? そのー、魔力の最適化? とかいうの、アタシはよくはわからないけど」
「そ、そうですよね。あんなに血が出てたなら、きっと同じくらい流れ出して残ってないんじゃ……」
「――羽沢さんの言う通りかもしれませんね」
それでも、絶対に自分達を頼ろうとはしないのは分かる。
今日だって自分達が心配のあまり押しかけた形だ。何もしなければ、何もないままに終わっている。
「魔力の最適化、というのは、つまり地球上で魔力を用いる上で必要な情報の更新です。もしもそれを怠れば、どうなるか。例を上げれば、学生の本分である勉学を疎かにして期末テストを迎えるようなものです」
どうなるのか、なんてのは身に染みていた。なお、一部の天才を除いて。
「あんな調子では、勝てるかどうかも怪しいですね」
「……何が言いたいんですか?」
「そういった行為に拒否感があるかどうかの、確認です」
「…………」
蘭が少しだけ考える。
あの怪我を見て、何も思わないわけではない。そしてそれを治療する為に、それが必要だと言うのなら――。だが。しかし。
「……拒否感はありませんけれど、出来ません。するつもりも、今のところはないです。あの人が確かに“普通”とは違うことくらいわかりますけど、あたし達がそこまですることないじゃないですか」
「…………美竹さんの、言う通りかもしれません。ですが現実に起きていることです」
この地球から、世界遺産がひとつ消えた。たった一人と、たった一柱の邪神との戦いで。
その戦場が大陸ではなく、この日本になるかもしれない。人の法を守る理由など互いに無い。
エヌラスも、邪神も。あるのはただ対敵を滅するだけのこと。
その戦場が地球というだけで――本当に、はた迷惑な話だ。
「それはわかりますけど……。だからといって、キスをしろなんて言われても……無理ですよ」
蘭の同意を求めるような視線に、モカはぼんやりとしている。
「わ、私達とかでいいならしてあげれなくもないかもしれないけれど! それで、エヌラスさんが頑張れるなら!」
「まぁ、だよねー。つぐならそういうと思った。私もー……、興味ないわけじゃないけど。でもやっぱ全力で放っておけないよ! キスはまだダメだけど!」
「モカは?」
「んー……あんまり興味ないかなー。そこまでじゃないかも」
「……そうですか」
「それで……」
「はい?」
「氷川さんはどうなんですか。あたし達は、聞いての通りですけれど」
「……人命救助と思えば、出来なくはないですね」
それでも、好んで何度もしたい、というわけではなかった。
その態度に、蘭はどこか安心したように薄く笑う。
「なんだ。あたしはてっきり、エヌラスさんのことが好きなのかとばかり」
「なっ――!?」
「厳しく当たるのはいいですけれど。そればかりじゃ、あの人に嫌われますよ。相性悪いと思いますし」
分かれ道で、蘭達が立ち去っていく。
商店街の入り口に差し掛かり、沙綾もつぐみとも別れる。
リサと紗夜が肩を並べて、夜の帰り道を進む。互いに何を話すべきか決まらず、無言のまま歩き続けていたが沈黙に耐えかねてリサが口を開いた。
「大丈夫だってば、紗夜。エヌラスさん、嫌いになんてならないから」
「……いえ、別に。嫌われたところで構いませんが?」
「顔」
指でシワの寄った眉間を軽く叩くと、紗夜が間の抜けた顔をしながら額を押さえる。
「かまってほしいって顔になってるよー? 紗夜は厳しく当たるけど、それだけ気にかけてるんでしょ?」
「……あの人がいないと、困ります。別に個人的な理由ではありません。今世界中を騒がせているオカルト事件を解決してくれる人が、あの人しかいないからという理由で」
「うんうん」
「――わかってますか、今井さん?」
「わかってるってば。そんな顔しないでよ」
「……もう」
そっぽを向いた紗夜の耳が赤くなっていた。きっと、間違っても好きだとは言わないだろう。紗夜のことだ。自分の中にある感情を、納得の行く形で整理でもしなければ気づかない。
「今井さんは……どうなんですか」
「えっ、アタシ? そうだなぁ~……放っておけないのは確かなんだよね。友希那と同じでさ」
「湊さんと、あの人が? とても似て似つかぬと思いますが」
「そうかなぁ。自分の中にある夢や目標に向かって、一目散に進んでる辺りそっくりだと思うけれど。見据えているものが別でも」
「……言われてみれば、そうかもしれませんね」
「きっとさ、独りだと思うから。友希那の傍には、アタシ達がいる。『Roselia』がある。でもあの人は、ずっと独りぼっちだから……そう考えると、なんていうかなー……どこまでも、独りで走っていって、消えちゃうんだろうなって思うんだ」
強い人だから。どんなに傷ついても、どんなに沢山挫けても。必ず、次の一歩を踏み出す覚悟を決めている。今日だって、そうだ。
だけど、どれだけ強くても孤独には勝てない。
「そんなの、寂しいじゃん。考えるだけでも辛いよ。だからさ、アタシは、アタシに出来る範囲で支えてあげたいな、なんて。そりゃー、部活にバイトに『Roselia』にと忙しいけど。友希那が増えたと思えばかわいいものだって」
「……無理、しないでくださいね。今井さんは『Roselia』に不可欠な存在なんですから。勿論全員そうですけれど」
「心配してくれてありがと、紗夜。その素直な気遣い、エヌラスさんにも分けてあげてたらアタシも言うことないんだけどなー」
「……ふふ。そうですね。考えておきます」
「それじゃ紗夜。今度ギターの練習付き合ってね」
「もちろんです。それでは、また」
そうして、二人は道を別れて帰宅する。
――その日も、家に帰ってから長風呂を堪能して一日の疲れを取ると、既に隣の部屋は明かりが消えていた。
最近、友希那は寝るのがとても早い。
(ま、いっか。明日聞いてみよーっと)
この日は今井リサもまた、疲労のため早めの就寝となった。
いい夢が見れますようにと、願掛けをしながら。