――湊友希那は、猫の街ウルタールへと足を踏み入れていた。
この街の猫達は本当に、人間のように過ごしている。相変わらず将軍猫はカフェテラスでのんびりと日向ぼっこをしていた。友希那の姿を見ると、すぐに顔を上げる。
「おや、ゆきな様。こんばんは」
「こんばんは、将軍。席、いいかしら?」
「かまいませんとも。ささ、どうぞ」
眠っている間だけこのドリームランドに入る事ができるのは将軍猫の言う“抜け道”のようなものだ。それも厚意から使わせてもらっている。本来ならば、所定の手続きが必要であると言われた。
友希那が椅子に腰掛けると、どこからともなく猫達がやってくる。あっという間に囲むなり周囲でくつろぎ始めていた。元々人馴れしていたからか、友希那に対しても警戒心を全くと言っていいほど抱いていない。
せわしなく周囲を見渡す姿に、将軍猫が尋ねる。
「どうかされましたか?」
「……今日は、あの人はいないのね」
「あの人。はて……ああ。大魔導師のことですか。ええ、あの方は忙しい方ですので」
暇人と自己紹介してたような気がするが、それはそれとして。
「一体どういう人なの?」
「超人、としかお答えできませんねぇ。ふみゃー……おっと、失礼を」
身体を伸ばして大きく欠伸する将軍猫もリラックスしているのか、テーブルの上で香箱座りをしていた。その周囲には様々な毛色の猫が集まって毛づくろいをしている。友希那の周りも猫だらけだ。膝の上に座る猫もいれば、撫でられるのを待っている猫が迫っている。
まさに、猫天国。
「あの方は、ああ見えて一国一城の主ですので」
「とても国王には見えないのだけれども……」
「ほっほっほ。そうでしょうなぁ。なにせ暇人ですから。しかしゆきな様も、ウルタールを大変お気に召した様子」
「そうね。此処はとても静かだもの。それに、にゃーんちゃん達も沢山いるし……」
「ですがあまり入り浸ると帰れなくなってしまいますので、そこはお気をつけください」
「ええ、気をつけるわ」
週五回くらいで。
「時に、ゆきな様」
「なにかしら?」
「最近なにやら地球が騒がしいようですが……お体に変わりは?」
「特に変わりないわ。大丈夫よ」
みゃーんみゃーん。猫たちに撫でてくれとせがまれて、友希那は慌ただしく撫で回す。
「はて……」
「何か気にかかることでもあるの?」
「ええ。実は、地球の知人の猫が重傷を負って運び込まれましてな。私は街を統治する「将軍」という役職の猫ではありますが、それとは別に「猫将軍」なるものがおります。そのものが、どうにも邪神に襲われたと言っておりまして」
「そう……」
「幸い、命に別状はありませんが……気にかかるのは、その襲撃された場所が日本に近いということです。ゆきな様がお変わりないのであれば、ひとまずは安心といったところでしょうか」
「……」
そういえば、何かニュースで騒がれていたような気がする。興味がなかったので特に気にも留めていなかったが、リサ達は気にしていた。
「しかし、油断はできません。以前“抜け道”を用いた者の行方も掴めず、不甲斐ないばかり」
落ち込むように耳を畳む将軍猫を励ますように、友希那が頭を撫でる。
「そんなに気にしなくていいのよ」
「ふみゃうぅぅ……しかしですなぁ……我々の予測が正しければ、現在地球には邪神が
ふにゃー、みゃおー。取り巻きの猫達から、撫でられる将軍に対して抗議の声。羨ましいぞ将軍と言われているような気がする。
「順番、順番だから。いい子にして」
「はふー……。おほん。気を取り直しまして……」
「その、邪神が二体いると何か問題なのかしら」
「一体いるだけでも人類の危機です。それが二体ともなれば、我ら猫と言えど手に負えません」
「……大魔導師に頼んだらどうにかしてくれないの?」
「あの方はなにせ、人間を人間とみなしていませんから。どうにかしてくれはするでしょう。しかしながら、その結果として人類が何割犠牲になるかは想像したくありません」
それこそ散歩のような気軽さで都市規模の破壊活動を行う。他人の命に対する配慮というものをまるでしない。
「あの方に任せたら、それこそ邪神と引き換えに国が一つ消えてしまいます。現にこちらでも」
そこまで言いかけた将軍猫が口を閉ざした。
友希那は気づいていないが、街の中を歩く大魔導師の姿を将軍猫が捉えたからだ。友希那もただならぬ気配に気づく。
何も言わずに近づいてくると、椅子を引いて腰を下ろした。その膝の上に猫が一匹座り込む。
「本日は訪問の予定などなかったはずですが」
「気まぐれだ」
「ほほ、我ら猫に勝るとも劣らぬ気まぐれですな」
「特に何か用事があるわけでもない。だが、私以外にも暇な奴がいたようだな」
「……私のことかしら」
「他にいないだろう」
「あなたと違って暇じゃないわ」
「そうは見えんがな」
大魔導師は相変わらず、といった様子だ。
「それで? お前は此処に何をしに来た、湊友希那」
「……」
「ああ、別に私はそれを咎めているわけではない。単純に興味が湧いただけだ」
「ここに居ることは、何か問題かしら?」
「それなりにな。なにせ、ただの人間だ。魔術に覚えがあるわけでもなければ、なにか特別なわけでもない。どこにでもいる普通の人間が、このドリームランドに滞在している。もしも、この夢の番人に見つかればただではすまんだろうからな」
その話の真偽を問うように、友希那は将軍猫に視線を向ける。それに静かに頷かれた。
「法に抜け穴があるように。抜け道を使う者をあいつらは許さない。当然ながらその手引をしているのが将軍猫であろうともな。厳罰は逃れられんぞ?」
「なら、あなたはどうなの?」
「私か? ああ、門番なら“張り倒してきた”から問題ない。つまみ出せるものならやってみろといった具合だ」
「ほっほっほ。懐かしいものだ。あなたが初めて訪れた時は世界の終わりかと思ったものだ」
「私の邪魔をする門番が悪い」
泣きながら門の修理作業に取り掛かった番人の姿を思い出して、将軍猫が目を細めている。
「……聞きたいことがあるの」
「そうか。聞いてやる、言ってみろ」
「地球に邪神、というのがいるらしいわ。貴方ならなんとかできるのかしら」
「興味がない。それだけだ。そもそも地球などという世界が滅ぼうが知ったことではない。滅ぶべくして滅ぶなら、それまでだ」
将軍猫の言う通り。まるで他人の命というものに興味がない。
「手に負えない、としても?」
「それならそれで、楽しむといい。世界の終わりも、この世の滅びも。人間にとっては生涯ただ一度しか経験できない貴重なものだ」
「……」
「今日、百人死のうが。明日、百人死のうが。百年先に千人が死んだところで何も変わらん」
「いいえ」
大魔導師の言葉に、友希那は明確な否定を示した。
「そこで失われた歌や音楽は、二度と戻ってこないわ」
「……ほう?」
僅かに、興味を示す。それが何を意味するか。将軍猫だけは知っていた。
「命の数ではなく、そこに籠められている芸術性の是非を問うか。なるほど確かにその通りだ。一人欠ければ二度と再現は叶わないものだからな」
「――――」
「何を驚いている?」
「いえ。貴方はてっきり、本当に他人に興味がないとばかり思っていたから……」
「他人に興味などない。だが、芸術は別だ。どれほど無力で愚かであろうとも、人が世界に残せるただ一つの生き様であり誇りなのだから。湊友希那、お前はそれが音楽であるようだが」
何故か、と聞き返す前に大魔導師は膝の上の猫を撫でていた。
「お前の関心は、全てそちらに向けられているようだ。それこそ、命の価値よりも」
「…………」
ジッと、黄金の瞳を見つめ返す。睨み合う大魔導師と、湊友希那。互いに言葉を交わすまでもなく、その瞳の奥にある魂を見つめていた。
どこまでも暗く、昏く――星の輝きすら飲み込む冥い闇。
「それほどまでに音楽に恋い焦がれているというのなら、当然覚えはあるのだろう?」
「勿論よ」
「なるほど。それならば、何か一曲。その声で奏でて魅せてくれるか」
大魔導師の言葉に、友希那は少しだけ考える。何を歌おうか僅かに悩み、気がつけば歌声は喉から出ていた。
その歌に将軍猫達も耳を傾けている。大魔導師も、目蓋を閉じて曲に集中していた。
ウルタールに友希那の歌が響き渡る。歌い終えると、静かに息を整えていた。
「――、どうだったかしら?」
「…………ふむ」
「いやはや、お見事。猫ながらに聞き惚れていてしまいました」
喉を鳴らしながら猫たちも称賛している。
目を閉じていた大魔導師が、口を開いた。
「確かに言うだけはある――だが足りんな」
「…………」
「ああ、気落ちするな。褒めているのだ、これでも。そうだな……」
言葉を選んでいるのか、考える素振りをしてみせる。
「お前の歌は、確かに。覚えがあるようだ。それは間違いない。しかし、だ。それで完成ではないだろう? それが完璧であるとは感じられん。足りない、といったのはそういうことだ。お前の歌声の後ろに、何人かの姿が見えた。多くはないな――四人か」
「――――」
友希那は、目を見開いて驚いていた。
大魔導師は地球という存在を知らない。だが、興味もない。それでも、友希那の歌声に感じる物があったのだろう。その声から、その歌から。他の四人の姿を幻視していた。
「芸術において、完璧というものは存在しない。なぜならば、人間という存在そのものが不完全であるからだ。人間が人間である限り、完璧な芸術など決して辿り着けんよ。だからこそ、それを補うようにして人は集う。湊友希那。お前の歌もその一つだ。お前の歌は、お前だけでは完成しない。故に、足りんと言っている。それだけに惜しい」
「……褒められている気がしないわ」
「いえいえ、ゆきな様。誤解されないでいただきたいのですが。これでも大魔導師は貴方の歌と実力を認めているのです。これほど饒舌に語るのがその証拠」
「これでもとはなんだ、これでもとは。将軍、ハゲるほど撫で回すぞ」
「ふ゛み゛ゃ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛…………!!」
滅茶苦茶に撫で回されている将軍猫が間延びした悲鳴(?)を挙げている。
「……それで?」
「え?」
「四人。目星はつけてあるのか?」
「…………ええ。他には考えられないわ。五人揃ってこその『Roselia』だもの」
「それなら、良しとしておこう」
「……聞きたいとは思わないの?」
「いいや、別に。確かに、歌は良いものだ。芸術というものは素晴らしくあるべきだ。それが失われるのは人類の損失に他ならない。だが――
「……私の歌が、明日失われたとしても?」
「ああ。明日、お前の歌が失われたとしても。私は“惜しい”と思うだけだ」
それがどれほどの功績なのか。友希那は考えもしないだろう。
「邪神に滅ぼされるのなら、それまでの歌だ」
「…………助けるつもりはないのね?」
「助けを乞う為に歌うわけではないだろう? お前の歌は、お前自身を高みへと導くものだ。せいぜい枯らさぬようにな」
「ええ」
そろそろ時間だ。何度か足を運んでいるうちに、現実の夜明けの感覚が掴めるようになってきた友希那が席を立つ。
カフェテリアから離れようとする背中に向けて、大魔導師が口を開いた。
「湊友希那」
「……? なにかしら」
「鳥は羽ばたくものだ。だが、空で終わる命は必ず落ちる。安らかな死を望むのであれば、翼を畳むことだ」
「…………なんのこと?」
「たまには羽を休めろ。そう言っている」
テーブルの上の将軍猫が目を丸くして驚愕に満ちた顔を見せている。その意味がよくわからないまま、友希那は背を向けた。
「…………」
――目を閉じて。目を開ける。
いつもの部屋。見慣れた自分の部屋。見慣れた天井。
カーテンから差し込む朝焼けの光に、時計を確認すれば時刻は朝六時前。
早めの就寝から身体を起こせば、生まれ変わったような心地で身も心も軽い。
――お前の歌は、お前だけでは完成しない。
大魔導師の言葉が、友希那の脳裏をよぎる。
心底、怪物であると嫌悪する。歌声一つで、そこまで解き明かされた。自分の仲間すら。
だからこそ、負けるものかと強く思った。
身体を起こして、友希那は顔を洗うことにした。
あのどこまでも冥い闇を振り払ってみせると。