――『Afterglow』のスタジオ練習を傍らで眺めながら、エヌラスは蘭達に次のライブに向けてアドバイスをしていた。とはいえ、当人も初心者のようなものだ。大層なものではないのだが、観客に向けた表現技法というのは存在する。
技術で圧倒されるのなら、魅せ方で工夫するしかない。作風に合わせて、やり方を変える。
しかし魔術師である手前どうしてもエヌラスは合理的に判断してしまう。
合理的であるということは、配慮の放棄に他ならない。最適解を実現するために必要な情報のみを汲み取り、不必要な情報を排他する。
無論、それが実行可能かどうかはともかくとして。
「…………」
どうにも、まだ臨戦態勢が抜けきれていないらしい。
あれから抗体を精製することは出来たが、劇薬に変わりはない。なにせ神性の魔力に抵抗力を付与する薬物なのだから。むしろその純度が高すぎるあまりに一時的に邪神と同一性の力を得てしまう。――
無論、神様同士の殺し合いが周囲にどれだけ甚大な被害を及ぼすのかも考慮した上でエヌラスはその劇薬をあくまでもワクチンとして活用すると決めている。
前髪をくしゃりと握りながら、ホワイトボードと睨み合っていた。
やるべきことは決めてある。
今は、まず――先生としての顔を作らなければ。
「あー……ねみぃ」
「大丈夫ですか?」
「今日は長いからなー、もうちっと頑張らねぇと」
「ずっと気になってたんですけど、そのバッグは?」
「ああ、これか? 大した物じゃないんだが……」
エヌラスがバッグから取り出したのは、衣装だった。それを蘭に差し出している。
「……え?」
「気を紛らわせるために作ったから、着てみるか? 元々お前達用だったし」
「あたし達の……?」
「……なんだよその顔は。流石にサイズまで合ってるかわからんから、試着だ試着」
広げたライブ衣装は、黒を基調にしたジャケット。赤いラインが散りばめられており、背中のワンポイントが目を引く。袖には『Afterglow』のロゴ。
夕日をモチーフとした模様を背負う形で、主張し過ぎないデザインだが、魔術文字をふんだんに織り込んである。異国の雰囲気に満ちた、見慣れた衣装。
左胸のワンポイントもそれぞれ髪の色で分けられていた。一晩で五人分――どうやって仕立てたのか甚だ疑問だが、これを気紛れで作ったというのだから驚きだ。
気になる着心地は、ジャケットだけあって少し重みがある。だが素直に動きやすい。
「……意外と、動きやすいかな」
「防御性能ガン無視だからそこらの服と変わらないけどな」
「服に防御性能って必要ですか? 防寒とかは分かりますけれど」
「…………俺は、必要なんだよ。おかげで編み込もうとするといきなり手間が増える」
そのせいで自分の作業はほとんど終わっていなかった。設計そのものは難しくなかったものの、素材ばかりは間に合わない。そのため調度品を解体して繋ぎにしている。おかげでテレビとパソコンとカーテンが犠牲となった。冷蔵庫も洗濯機も解体してしまおうかと思ったが、生憎とそこまで手が回らずに保留となっている。
「そういえば、あのコート最近着てないですよね?」
「コート……ああ、アレか」
「擦り切れた感じの、どうしたんですか?」
「使い物にならなくなったが、ちょっと再利用中。俺のことはいいんだよ、そっちのライブジャケット。サイズはまぁ合わせるとして、違和感とかないよな」
「いいんですか? これ、結構快適ですけど……」
蘭が試しに軽く飛び跳ねてみるが、袖が邪魔になることもない。巴も少し長い袖口を掴みながら両手を上げたり下げたり、腕を左右に広げたりとしてみるがインナーのようにピタリと肌についてくる。
「これ、どうなってるんですか?」
「魔術」
「一言で片付けなくても……」
「といっても初歩中の初歩だ。服飾に使う魔術なんてそれこそ学ぶだけで三年は吹っ飛ぶ」
それを一年足らず、しかも併行して履修した男がいる。エヌラスだ。よりにもよって人形工学と。そのせいで一部から「もしやあいつは末期の人形性愛者ではないか?」という話がまことしやかに囁かれたが、口にした者と一緒に闇に葬られた。
結果、出来上がった最高傑作と自負する二人の女性型自動人形の完成度に「やはりあいつは末期の人形性愛者だったのでは――やべぇぞ逃げろ!」という話がチラホラ。
五人お揃いのジャケットを羽織って、ひまりが嬉しそうにしていた。
「おー、でもこれ物販商品にしたら売れそー」
「ちょっと、モカ」
「た、高そうですねこれ……」
「確かに。あんまり見ない材質かも」
「あーそれ? 昔、ちょっとな……そういう知り合いがいたんだ」
「仕立て屋さんですか?」
「そんなところ」
服飾専門、というわけではなかったが、何かと調達してくれる便利な人がいたのだ。長い旅路の最中で立ち寄る機会もめっきり減ってしまうので、大量に用意してある。その端材で作ったジャケットなので大した性能もない。だが、地球ではそれで十分だろう。
「……まぁ、それ着るかどうかは好きにしてくれ。採寸もしてないから丈合わせるっていうならすぐにやるが」
顔を見合わせて考えこむ素振りを見せる蘭達だったが、巴はすぐに頼み込んできた。折角用意してもらったのなら、使おうとひまりが提案する。
「普段遣いするにはちょっと自己主張激しいかな……」
「そういうのが好みなら用意するが?」
「え、今からですか?」
「慣れてるし。蘭、ちょっといいか」
「ひゃ……!」
腕の長さを測り、胴回りを軽く触れて採寸する。たった、それだけで終わり。
バッグの中に手を突っ込んで引っ張り出したのは黒い生地。
つぐみ達も興味津々な様子でエヌラスの手元を見ていた。
「……魔術文化が人間社会に普及していると、どうしても専門職ってのはありふれる。基礎さえ押さえれば誰でも人並に出来るからな。その中でも個性を出していくことでブランド化していくのが生存競争で残るコツ。その仕事で生活していく上で、だが。中には趣味だのなんだのといった形で履修するやつもいる。俺みたいな」
だがそうすると、どうしても職人の手作業という形に落ち着くために生産数は限られる――これを解決したのが魔導技術による大量生産。職人技の劣化を引き換えに、生産速度を大幅に引き上げた。だからこそ贋作がありふれているし、模倣品も大量に供給される。
エヌラスは完全に趣味の範疇。
「人間国宝、とかそういう感じ?」
「そういう感じ。ま、名のあるやつほど盗作されやすいから独自技術開発して未然に防いでたりするな」
「エヌラスさんは?」
「俺? そこまで大層なものじゃない。そもそも知名度ないしな」
別な意味でならあるのだが――国王に喧嘩売って三日三晩殴り合いする馬鹿とか。
職人としての知名度は皆無に等しい。それこそ、腕前を知る者は一人だけだ。
納期に追われるわけでもなく、ただひたすらに工程を重ねて技術を詰め込んで理想とする完成形へと持っていく。
「ただそれは、魔術社会の話。こっちじゃ、この程度のもんだよ」
端材を流用して、蘭の丈に合わせてジャケットを縫い合わせる。その後加工に魔術を含めて仕上げれば、あっという間に完成。元の素材が手元にあるだけに継ぎ合わせるのは簡単だ。
「ほい」
「……ありがとうございます。あの、大切にしますね」
「耐久性は保証するが、あくまで普通に着てればの話――いや、普通はそうか……」
「当たり前じゃないですか」
自分達が何気なく過ごす日常が、この人にとっては非日常なのだと。その一言だけで察せてしまう。その価値観の違和感に蘭は少し眉をひそめていた。
「向こうじゃ、それくらいが普通なんですか?」
「いや。……いいや、もっと平和だよ。少しだけ身近に争いがあるが、それでもちゃんと自分の身を守る方法もありふれている。なんの事はなくて、ここと暮らしとよく似てるよ」
「じゃあ、同じようにエヌラスさんも過ごせるんじゃないですか? 向こうみたいに」
そんな言葉に、何故か。
エヌラスは、少しだけ目を伏せて逸らした。まっすぐな言葉から目をそらして、逃げ道を探すように。
「……そうだな。それができたらいいな。ほら巴、そっちも合わせるから貸してくれるか?」
「あ、はい」
巴に渡していたジャケットもすぐに丈を詰めて渡す。
「でも、なんで突然私達にプレゼントを?」
「んー? いや、魔術で観客を魅了することなんていくらでも出来るが、それじゃお前達は納得しないだろうと思ってな。だから、俺にできるささやかな応援はこれくらいだ」
「もしかして、以前プロデュースしたユニットって……」
「いや、魔術は使っていない。その頃はそんなこと考えもしなかったしな。純粋にその子達の実力だ」
嫌なものだ。経験を積めば積むほどに自分の中で最適化と合理性を求めてしまう。
今回だってそうだ。あの烈光を葬るための手段を模索して、結局は切り札の残骸に頼ってしまっている。
「休憩はもういいだろう。ほら、練習再開だ。時間は待ってくれないんだから」
「わかりました。……大事にします」
「ああ。他にはない服だから、大切にしてくれ」
練習に戻る蘭達を眺めながら、エヌラスは欠伸をもらした。
――天雷の残骸を継ぎ合わせて辛うじて動力は確保できた。問題は、その出力に耐えられるかどうか。まだ不完全ではあるが、完成図は出来ている。
我ながら一晩でよくやれたものだ。
(……あと残っている予定は、天文部の合宿か。一応執事さん達が持ってくるって話だったが今夜中に完成するかどうか)
エヌラスは眠気と疲労感に耐えながら蘭達のスタジオ練習を眺める。それに時折アドバイスをしながらも影に潜ませたハンティングホラーに周辺地域の見回りをさせていた。
『Afterglow』のスタジオ練習を終えて、陽が傾いて夜が訪れようとしている街の中を蘭達が『CiRCLE』から出てくる。夏の訪れはまだ先だが、それでも夜は気温差で少々冷え込む。
早速袖を通して着心地を確かめていた。それを見ていたモカが何か言いたげににやけた顔をしている。
「ふふふー」
「……なに?」
「蘭、気に入ったんだねーそれ」
「着心地確かめてるだけだから」
「でも動きやすくていいですね、これ」
「エヌラスさんの故郷とか、ちょっと行ってみたいなぁー」
「オススメしないぞ。俺のところは特に」
「じゃあオススメの場所、教えて下さいよ」
「こらこら、ひまり。エヌラスさん困るだろ? それに、行けるわけでもないのに」
「旅行雑誌だって眺めてるだけでも楽しいって思うし! どんな場所なんだろうって思いを馳せるくらいはいいでしょ?」
オススメの場所と言われて、エヌラスが遠く離れて久しい自分のいた場所を考えた。
……そこは、やはり。自分にとって居心地の良い、陽だまりのようなところだった。
活気があって、雑踏があって、毎日人々が忙しく働いていて。だけど笑顔が溢れていて、中にはそれを利用する悪徳業者がいたりして――日本も、そこによく似ている。だからこの居心地の良さに既視感があった。もうしばらく此処にいたいと考えるほどには。
「そうだな――日本に、よく似た場所だよ。あまり代わり映えしないかもしれないが、俺はあそこが一番居心地が良かった」
「じゃあ、日本の暮らしも?」
「それなりに居心地はよかったよ」
だからこそ、壊したくはないと思う。
だからこそ、壊すべきではないと考えている。
きっと、此処なら――あいつも気に入ってくれると思うから。
「さて、と。俺はこのまま天文部の合宿に参加してくる。というか、面倒見てこないとな……なげー夜になりそうだ」
「日菜先輩とこころちゃんですもんね」
「あの元気の塊みたいな二人を相手に、お疲れさまです」
この場合はご愁傷さまですの方が正しいだろうか? そんなことを巴は考えた。
すると、『CiRCLE』の前に一台のリムジンが留まる。その運転席から執事が顔を見せると、エヌラスが片手を振ってすぐに歩み寄った。
「それじゃ、蘭達も遅くならないうちに寄り道せずに帰るように。またな」
「はい。今日はありがとうございました、エヌラスさん」
「気にすんな。なんかあったら電話くれ」
リムジンに乗り込んで去っていくエヌラスの姿が見えなくなってから、蘭達は言われた通りにまっすぐ家に帰るために歩き出す。
いつもとは少しだけ違った、いつも通りの一日。
こんな毎日が続けばいいのに。
これ以上は望まないから。それ以上のことはなくても構わないから。
周囲がどれだけ変わろうと、私達のこれからは、変わらない――。