「ねー、ティオー?」
「なにー、ティアー?」
「──なんか、飽きちゃった」
「そうだねー。退屈だねー」
二人の少女が、ティオとティアが見渡す限りの大草原の上で大の字になりながら星空を見上げていた。琥珀色の瞳が興味を失って、子供のように駄々をこねる。
「つーまーんーなーいー!」
「あーあー、面白いことないかなー。なにかない、ティア」
「ボクが聞きたいもーん」
目一杯手足を伸ばしてから、再び地面に身体を投げた。
モンゴルの大草原で二柱は人類へ対する興味と好奇心を失って途方に暮れる。
なにか、面白いことがしたい。
なにか、面白いことが起きないか。
なにをしよう。なにをしたら楽しいだろう?
この星を蹴り壊すのは簡単だけれども。人類を恐怖に陥れるのは余裕だけれども。それはつまらない。もっと面白いことがしたい。
もっとなにか、楽しいことがしたい。
何かを思いついたように、身体を跳ね起こすティアがティオの顔を覗き込む。
「ねぇねぇ、ティア」
「なーにー、ティオー」
「
「…………どこに?」
「此処に。この星に」
どうやって。とは、互いに尋ねなかった。手段と方法は幾らでもある。どんな形でも実現可能だが、それを当事者ではなく第三者の目線で眺めるのは、きっと楽しいはずだ。
きっと面白いはずだ。慌てふためく人類を二人で笑い合うのは。
「いいね、やろうよ!」
「うん、きっと面白いよね!」
「蹴り落とす?」
「ううん、もっと別な方法。それじゃ簡単過ぎるから」
「じゃあ“喚ぶ”とか?」
「えー、それはもっとつまんない。ウチらが最速なんだから、他の連中に邪魔されたくないし」
「そっかー。そうだよねー。他は遅すぎるもん」
互いの鼻先が触れるほど顔を近づけて、大きな丸い目を覗き込む。そこには子供らしい無邪気さの欠片もなかった。瘴気、狂気──神気。正しく“邪神”であった。
信仰も信奉も信徒も求めず、信仰も信奉も信徒もなく、何一つ見返りを求めず、何一つ見返りを乞わず、ただひたすらに“汝の欲することをなせ”と。
誰かに教わったわけでもなく、誰かに望まれたわけでもなく。
そうするべきだと信じて疑わない。
彼女達にとってしてみれば、他のことなどどうでもいい。ただ走る。ただ駆ける。誰よりも速く何よりも疾く、過去よりも未来よりも。
「じゃあ、のろまのおにいちゃんのところに戻ろっか」
「そうだね。ここじゃつまんないし」
身体を跳ね起こして、二人は手を繋ぐ。指先を絡めるように、しっかりと握る。
「ボクらには誰にも追いつかない」
「ウチらは誰にも追いつかれない」
それは絶対の自信だった。事実、あらゆる邪神の中においても彼女達は最速に等しい存在。
だからこそ、世界がズレたその日。誰よりも先んじて地球へ降り立った。
三ヶ月もの間。世界中を跳ね回り、飛び回り、駆け回った。そうして無邪気にばら撒かれた瘴気と神気によって、忘れ去られた人々の空想の中に息づく
この世には、決して人の手で解明できない現象が起きる。超自然的現象、或いは神秘的科学。だがそのいずれもが邪神によるものだ。
無邪気さこそが何よりも狂気に等しく恐ろしい。制御不可能な感性と理解不可能な天性によってこの二柱は人類を恐怖に陥れていた。
「じゃー、戻ろっか」
「そうだね、ティオ。あのちっちゃな島国に」
「うん。路端の小石みたいな島国に」
「のろまのおにーさんはあそこに居座ってるし」
「きっと、他の国なんてどうでもいいんじゃない?」
「まぁどうでもいいんだろうねー」
「そうだね。人類なんて、どーでもよくなっちゃった」
その気になれば、大陸一つ蹴り壊せる。だが、そんなことをするのも億劫なほどに二柱は人類への興味を失った。だが、ただ帰るのもつまらない。せめてなにか余興をしたい。余興を見せてほしい。そのためなら何億人が犠牲となろうと知ったことではない。興味もない。
ティオが笑う。ティアが笑う。
草原に笑い声が木霊する。鈴のような音色で。
「「あははははははははは────!!」」
──米国国防総省において。
“ブラックヒューマノイド”の影に埋もれた本当の狂気がそこにあった。
観測されたのは双子の流星。しかしその軌道は鋭角で曲線的で直線的であり無軌道無秩序そのものだった。
ゆえに──
二柱の無邪気さが、二柱の奔放さが、二柱の無秩序が生んだのは未曾有の恐怖。
米国空軍が捕捉した、常軌を逸した軌道と速度で接近する反応。
そして彼らが帰ってくることはなかった。
笑い声だけが無線越しに響く。高高度において少女の笑い声などあってはならない。
最新鋭の戦闘機が二人の少女によって玩具のように撃墜された等という公式記録は社会に出ることはなく、抹消された。
彼らは機器のトラブルによって帰らぬ人となったのだと遺族に伝えられることとなる。
「…………」
「………………」
ライブハウス『Circle』のラウンジ。新設されたばかりの休憩所のソファーに座り、ノートを埋め尽くすほど数式を書き込み続けるエヌラスを傍らでまりなが見つめて、かれこれ数分。全く気づいていなかった。
「エヌラスさん?」
待ちくたびれて名前を呼んでみるが、聞こえていないのかページを埋め尽くすとすぐにまくって続きの計算を始めている。
まるで親の仇のように睨みながら、鬼のように作業に没頭していた。テーブルに投げられている二冊は既に全部書ききってしまっている。
「コホン。エヌラスさん!」
声を大きくしてみるが、まったく聞こえていなかった。肩を叩くと、そこでようやく止まる。ゆっくりと顔を上げて、そこで気づいたのかエヌラスが驚いていた。
「へ?」
「もう、呼んでも返事がないから気になって様子を見に来たら……何をしているんですか」
「あー……計算中?」
「こんなに。何を。計算してるんですか」
「……なんて言ったらいいのやら」
「これもオカルトハンターのお仕事のうち?」
「ええ、まあ。そんなところです」
今日は無地の黒シャツではなく、七分丈シャツに黒ベスト。それに合わせたジーンズと落ち着いた格好をしている。それほど目立つファッションではないのだが、人目を引くのは左目の刀傷と人柄か、雰囲気だろう。
「もう休憩時間とっくに過ぎてますけど?」
「すんません、すぐ戻ります……」
「そうしてください」
肩をすくめるまりなの横を通り過ぎて、エヌラスはロビーに戻る。ふと気になってノートを開いてみるが、何の計算をしているのか全くわからなかった。一般教養では決して学ぶことがない専門的な数式の羅列に思わず目眩すら覚える。
本当に何者なんだろうか。いや、オカルトハンターという肩書自体とても怪しいものだけれど。
「ちゃんとノート片付ける!」
「はいすいませんでしたぁ!」
何処か抜けてるし、悪い人ではないのも分かる。そしてなんというか、情けない。怒られて素早く戻ってきてノートとペンを持ってラウンジから飛び出す姿を見て、腰に手を当てながら息を吐き出す。
不思議と、どこか放っておけないのも事実だ。
羽丘女子学園の生徒達と花咲川女子学園の生徒達が、ライブハウス『Circle』前に集まっていることにエヌラスは首を傾げる。一体何事なのだろう。有名人でもいるのか、それとも来るのだろうか。ホールスタッフとして表に出ると、一斉に視線が集中した。
(おーっと、自分から死地に飛び込んだなこれ?)
嫌な予感がする。それもハチャメチャに嫌な予感が。そしてそれは的中した。
『Roselia』がそこにいた。何故か、どうしてか今井リサと氷川紗夜が前に一歩出ている。
「…………なんの騒ぎでございませうかお二人さん?」
「そうですね。それは私達が聞きたいくらいです」
「なんでこんなことに……」
事の発端は、休日の出来事。
ファーストフード店前での会話。『Circle』での会話。そして当然ショッピングモールでの出来事。それら全部が女子高生理論によって面白おかしい脚色を加えられて大騒ぎである。
エヌラスは顔を覆った。逃げ出したい。今すぐにでも全力でこの場から逃げ出したい。だがロビーからまりなさんがすげぇ顔で睨んでる。今回ばかりは助けてもらえそうになかった。誰も俺を助けない。この残酷さがいっそ心地よい。
「よーしわかったちょっと待て。状況を整理しよう──どうしてこうなった?」
「私が貴方と話してるのを見た生徒がいた、と。今井さんも同様です。告白まがいのことをされたとあちらでは大騒ぎみたいですよ?」
「身に覚えがございません……」
「あるじゃん!」
「──あー」
顔を真赤にしながら震えるように絞り出したリサの言葉に、エヌラスは思い出す。
「俺がお前をどう思ってるのかってのを素直に口にしただけなんだが……」
耐えきれない、とばかりに顔を手で覆うリサに、周囲からは黄色い歓声。ただでさえ羞恥プレイのような状態だというのに。
それを見かねて紗夜が助け舟を出す。
「貴方、普段からそんな調子なんですか?」
「俺は普段からこんなんだが……」
「……女たらし、或いは天然ジゴロと呼ばれたりは」
「よく言われるが何のことだかさっぱりわからん」
「はぁ……わかりました。このままでは埒があきませんし、いっそハッキリさせましょう。エヌラスさん、今井さんが好きなんですか?」
「そりゃ好きに決まってんだろ」
「では私は?」
「好きだが、それがどうした」
「……」
「どうしてゴミを見るような目をするんだ紗夜……」
「最低です……」
「なんで!? 俺なんかおかしいこと言ったか!?」
「二股、浮気、不倫といった言葉をご存知ですか」
「知らん。大体浮ついた気持ちで他人と付き合うやつの気が知れない」
「……」
今度は紗夜が耐えきれず顔を背けた。しかし、息を整えてから少し紅潮した頬を向ける。
「ど、どこまで本気なんですか!?」
「どこまでって、徹頭徹尾。恋人だの彼氏だの彼女だの何だのと、結局のところ人様に迷惑かけてなけりゃ何人いても個人の自由だろ?」
「法律や道徳や倫理観についてはどうお考えですか」
「知らん! そんなの気にしていられるほど俺は立派な生き方してねぇ! 好きな女を好きと言ってなにが悪い。それが迷惑だって言うなら勝手に嫌ってくれて結構だ、そのかわりに俺が好き好むのも勝手にさせてもらうけどな」
堂々と、それこそ胸を張って言われては何も言えない。変なところで男らしさを見せられても大変反応に困る。野次馬はそうでもないようだが。
「別に手ぇ出したわけでもあるまいし、なんでここまで騒ぎになるんだ」
「貴方が珍しいからだと思うわ」
「そうなのか?」
「ええ」
これまで静観に徹していた友希那が口を開いた。
「そろそろ練習に入りたいのだけれど、もういいかしら」
「あーうん、どうぞ? なんか俺のせいで大騒ぎになって悪いな」
「謝るのなら私じゃなくて……」
顔を赤くして気まずい空気のリサと紗夜はさっさと中に逃げてしまっている。喧騒の只中にあってなおも凛と佇む友希那も会釈してその後を追う。それからあこと燐子が『Circle』へ入店しようとしていた。
「あ、そうだ。燐子」
「ひや……!? は、はい……」
「そんな驚かなくても。後で渡すものがある。そんだけ」
「あ……はい……」
軽く呼び止めてから見送る。残された野次馬女子高生達を、さてどうしよう。
「エヌラスさーん、ちょっといいでしょうかー?」
……その前に、満面の笑みを浮かべているまりなさんから呼び出されているわけだが。
「怒られるのも、仕事のうちだよな……」
こっぴどく叱られました。どえれぇ勢いで怒られました。流石に凹む。
俺が一体何をしたってんだ。
──氷川日菜は天文部の活動をしていたが、前回はレッスンの時間を大幅に遅刻して怒られたので少し早めに切り上げる。
学園を後にして事務所へ急ぐ足が、夕焼けの街の中でふと止まった。
目にしたのは、双子。お揃いの銀の髪で、お揃いの髪飾りを付けて、お揃いの服装で、仲良く手を繋いで走っていた。
半袖のウインドブレーカーからインナーが覗いている。ショートパンツスタイルにサイハイソックスと、見るからに運動系な二人を見た瞬間──“るんっ”ときてしまう。
「ねぇ、二人とも! ちょっといいかな!」
『?』
瓜二つの琥珀色の双眸が向けられる。十代前半くらいの小さな女の子だった。
「みんな見て見て! すっごいるんってくる子拾ってきちゃった!」
「もう、日菜ちゃんはまた遅刻して──なんですって?」
「え、今なんて言いました日菜さん!?」
「拾っ……!? それ大丈夫なの日菜ちゃん!?」
「わぁ、とってもかわいらしいです!」
いつにも増して、ぶっ飛んだ行動力と発言に千聖が軽い目眩を起こす。動揺するメンバーを尻目に、自分と同じような髪色の双子にイヴは手を合わせて喜んでいた。
どうして芸能事務所に連れてこられたのか解っていない双子が顔を見合わせている。だが、しっかりと日菜の手を繋いでいるところを見るに、無理矢理連れてこられたわけではないようだ。連れてきた当人は「どうだ!」と言わんばかりに胸を張っている。
「ねー、ヒナおねーちゃん。この人達は?」
「あたしのお友達で、同じガールズバンドのメンバー」
「へー、そうなんだ。ヒナおねーさんが一番おもしろいかも」
「右がティオちゃんで、左がティアちゃん! どう!?」
──いや、どうと聞かれましても。
「どうしよっか、ティオ?」
「いいんじゃない、ティア。なんかおもしろそーだし、このおねーちゃん」
「ほら、二人ともいいって言ってるし! ばんざーい!」
「「ばんざーい?」」
すんなりと今の状況を受け入れているこの子達も相当なのではなかろうか。そんなパスパレの疑問を他所に、三人で仲良く両手を挙げている。
──いや、どうしろと。
制御不可能な天才の理解不能な行動力に天井を仰ぐ他なかった。