――ライブハウス『Galaxy』で行われているガールズバンドによるライブは大盛況を留まるところを知らず、噂を聞きつけた一般客まで入り込む事となって満員御礼となっていた。列の整理にスタッフが割かれて飲料の販売スタッフが削られており、エヌラスが多忙を極めていたが、ドリンクバーの補充にカウンターを離れる。
不意に、ハンティングホラーの気配が戻ってきた。その直後、背筋が凍りつくような魔力の反応にため息をつく。
奴が来た――。
隣町だろうか。幸いにも近いとは言い難い。しかし、それも気休め程度でしかなかった。
派手に暴れているらしい。人間のありふれている街に立つというだけでもアレは気分を害するだろうに。ゴミ捨て場の中を歩いているようなものだ。
次の演奏は確か『Afterglow』だったはず。よりにもよってこのタイミングか。
そんなタイミングの悪さを、自分の日頃の行いだと割り切ってエヌラスは業務用ドリンクを手にして立ち止まる。
月島まりなが、気まずそうに立っていた。
「…………怖い顔してますよ」
「生まれつきだ。後は任せた」
ドリンクを突き出して、その横を抜ける。もう、こうなってしまっては手遅れだ――いや、まだ可能性はある。
最初から、アレは自分を狙っていた。ならば、自分がこの場所を離れれば被害は最小限に留められるはずだ。
「エヌラスさん」
「なにか?」
「――戻って、きますか」
ドリンクを手にしながら、まりなが不安そうに尋ねる。その気遣いを振り払うように顔を逸らして、考えた。
「今夜は無理だ」
「『Afterglow』のみんな、楽しみにしてたんですよ。ほんの、短い間でも練習を重ねて。衣装を贈ってくれた恩返しだーって、張り切ってて」
それでエヌラスを急遽楽屋に呼んだというのに。これではその意味もなくなってしまう。
「返しきれないくらい、世話になってたのは俺の方だ。だから行ってくる」
「……彼女たちに何も言わずに?」
「――「はじめまして」と「さよなら」の挨拶は耳にタコができるくらい聞いて、大嫌いなもんで」
一度だけ振り返り、まりなの頭に手を置いた。
「痛いのも。辛いのも。苦しいのも怖いのも、全部。俺が引き受ける――だから今夜くらいは笑っていてほしいんですよ、あいつ等には」
「大丈夫なんですか」
「絶対に負けない。絶対に折れない。絶対に、諦めない。例え自分の大事なものを失うことになったとしても。そう約束した奴がいるんです」
太陽のように笑いながら、死んでいった人がいた。
全てを諦めて、死んだように生きる師匠がいた――。
「だから、この誓いだけは。例え神様だろうが破らせない」
皆殺しだ。あの場所に置いてきた全てに牙を剥くものは全部。
まりなの頭から手を離して、一度だけ、疲れたように――エヌラスは、笑ってみせた。自嘲気味で、本当に疲れ切った乾いた笑顔だった。
別れの挨拶は言わず、そのまま黙って背を向けて歩き出す。
「――エヌラスさん。また何かあったら、いつでも『CiRCLE』に来てください。その時はお仕事くらいはとっておきますので」
振り返らずに、軽く後手を振って見せた。
通路を曲がって、その姿が見えなくなったところでまりなは押しつけるように渡されたドリンクを持ち直す。それから、一度だけ気合を入れた。
まだまだ盛り上がる。どんどん盛り上げていく。
今夜のライブは、まだ始まったばかりだ。なら、イベントスタッフとしてやるべきことはひとつだ。
――やりきること。絶対に、投げ出さないこと。
裏口から出ようとすると香澄たちに見つかるため、エヌラスはそのまま表の方へ出てうら若き乙女たちの波をかき分けながら外へ出ようとしていた。
明らかにすし詰め状態ではあるが、人相の凶悪さも相まって気弱そうな相手から道を譲っている。
『Galaxy』の階段に足をかけたところで、一人。眼を引く銀髪の中性的な子を見かけた。
何をするでもなく、ただ突っ立っている。
その手にはチケットを握っていたが中に入れず、落ち着くのを待っているようだ。
「――――」
まるで人形のように呆然と立ち尽くしている姿にどこか既視感を覚える。
先を急いでいたエヌラスは、すぐに視線を外した。
その時、不意に誰かがぶつかってくる。
真っ白な銀の髪。大きな青い瞳。今しがた見かけた姿に似ている。まるで姉妹のようだと思いながらも、今にも泣き出しそうな相手を支えた。
「ひ、ぇ……」
「足元、気をつけてくれよ」
「は……はい……」
そのまま何事もなく通り過ぎるエヌラスの背を見送って、ほっと胸をなでおろす。
(う、うぅ……ほんと怖かった。なんだったんだろう今の人……関係者の人かな)
だがそれにしても、本当に怖かった。
気を取り直して前を向くが、入口前まで伸びている長蛇の列に立ち尽くしている少年らしき相手の姿が目に入る。声をかけようかと考えたが、つい、尻込みしてしまって同じように肩を並べてその場で立ち尽くしていた。
街を歩く人々の姿があった。道路を走る車もあり、そこにはありふれた日常が送られている――その頭上。
遥か夜空の上では、怪異同士が鎬を削っていた。
雷鳴轟く星空の下で、蒼雷と烈光が爆ぜる。
雷の主。それは、遥々この日本まで追ってきた手負いの霊獣だった。
エヌラスとの戦闘の後、烈光の邪神は中国で目に入る怪異を全て殺してきた。
細長い身体に、身近な手足。麒麟と呼ばれる神話上の存在は、稲光と共に烈光の邪神めがけて額の一本角を突き立てる。だが、その顔を横殴りに蹴り飛ばされた。
苦痛にいななく麒麟めがけて、宙を蹴って烈光の邪神が迫る。
「――“
その掌が、燐光を放つ。まるで撫でるように麒麟の太い首に触れたその瞬間に、灰となって空へ散っていく。頭と胴が離れ離れになり、急速に光が失われていく霊獣へ両足の対極を成す一撃を見舞って消滅させた。
急激に熱せられた空気と冷やされた空気が混ざり合い、それは真冬にも似た低温となり街へ降り注ぐ。
口腔から白い吐息をこぼして、邪神は拳を鳴らした。
「たかが獣風情が……この俺の手を煩わせる」
吐き捨てる。その直後――悪寒が走った。
絶対の殺意と憎悪、敵意を向けられて振り向いた視界を覆う、掌。
その指の間から覗く、血のように赤い、朱い瞳。闇夜に融け込むような黒い髪。おぞましくも人間に恐ろしく似た姿で、人間のように振る舞う怪物が睨んでいた。
初手より、奥義にて――“紫電”鬼哭掌が邪神の視界を焼き尽くす。刹那の白雷によって視覚を奪われるが、拳を振るって次の一手を払う。
しかし、空振った。既にその時、エヌラスは胴を蹴って距離を保ちながら額へレイジング・ブルマキシカスタムの強装弾を構えている。立て続けに、五発。頭部を粉砕し、跡形も残さないはずの規格外の火力は、それでも頭蓋を粉砕するに至らず原型を留めていた。
それどころか、まるで強烈に叩かれた“程度”で済んでいる。
ぐらりと頭を揺らして、すぐさま体勢を立て直した相手に、エヌラスはハンティングホラーの背に着地すると“
人馬一体の
上へ、上へ。雲を突き抜けた月下の空で、翔星が空中で静止した。
後を追う形で、エヌラスがハンティングホラー:
完全なる奇襲からの連撃――即殺して然るべきだが、まるでダメージが見られない。
それでも煩わしそうに僅かに焦げた額を手の甲で拭っていた。乱れた前髪を乱雑に上げ直している。
強装弾の速射によってフレームがガタついた愛銃をしまう。烈光に触れればたちまちくず鉄と化してしまうからだ。
「とんだ“挨拶”だな。俺でなければ死んでいるぞ?」
「はっ、馬鹿言いやがれ。お前じゃなくても死んでね―よ、つけあがるな」
この程度の奇襲、闇討ちで殺せる相手などたかが知れている。
「この俺を倒す手立てが見つからず遁走したやつが随分と威勢よく構えるものだ」
「カッコつけなきゃなんねーんだよ。男の子だからな」
「ほざけ、巫山戯ろ――貴様が人間の真似事など。いつまでそうしているつもりだ」
「お前らを皆殺しにするまでだ」
「……嗚呼。不愉快だ。不快極まる。貴様の所業、貴様の存在が目に余る。虚言も大言壮語も甚だしい」
烈光の邪神は、自らが神格に値する存在であると確信している。そしてそれは、他に名を連ねる邪神の普く全ても、そうであれという願いでもある。だからこそ、エヌラスに敗北してきた全てを唾棄すべき面汚しと嫌悪していた。
その敗北が、この男を此処までつけあがらせた。
その傲慢が、この男を此処までたどり着かせた。
その不遜は、万死に値する。
死をもって償え――などと、生ぬるい事を言うつもりはない。
その罪は死で償いきれるものではない。他の邪神も、この男も。
だからこそ、その程度の連中と同じと見くびられることだけは我慢ならない。
「この俺を殺しきれると思うなよ。俺は他の連中とは違う」
「他のやつも全く同じこと言ってた気がするが、殺したヤツのことなんかいちいち覚えてらんねーよ」
――倭刀の紫電と、残光が夜空を翔ける。
死ぬまでに殺しきる。たったそれだけのシンプルな闘争。
だからこそ、姿格好も見てくれもへったくれもなく、ただただ無様に足掻いて足掻いて足掻き続ける。
本当に大切なものは、全部置いてきた。あの場所に。
だから。
この世界で、自分が本当に失うものなど何もない。