――『Afterglow』の演奏に聞き惚れていた。
魔力も何もない人間の歌声のなんと力強いことか。
自分の胸に手を当てる。
人の形を得てからも、師の教えに従ってきた。その意味も、真意も理解出来ぬまま。
教えはただひとつ。
“鍵”を打て、と――。
演奏を終えた蘭達が壇上から退場していく。会場を見渡して、そこにエヌラスの姿が無いことに気づいて蘭が少しだけ唇を噛み締めた。
巴がるーの姿に気づいて、笑みを浮かべて親指を立てる。
その意味はよくわからないが、とりあえず真似をして親指を立てて返した。
次は『Roselia』の出番だ。ステージに上がったあこと目が合う。
親指を立てていたるーの顔を見て、満面の笑みを浮かべて定位置についた。
会場が静まり返る。
その演奏は、あまりに圧倒的な迫力だった。熱狂的に過ぎる空気に触れているからか、ドラムを叩きながら挑戦的な笑みを浮かべるあこの顔を見ていると、自分の胸のうちから湧き上がる感情に戸惑う。
――人は、この感情をなんと呼ぶのだろう。
胸に手を当てて、考える。
宇田川あこを見ていると、この会場の熱気とは別な感情に戸惑いを覚える。
どうしてだろう。
彼女を見ていると、宇田川家のことを考えると術式が乱れる。魔術が安定しない。心が乱されるとは、こういうことなのだろうか。
この歌声を。この演奏を。この奇跡のような時間が、いつまでも続けばいいのに。
しかし、意識をライブハウスの外に向ければ、そこには嵐のように吹き荒れる魔力。人類の理解の範疇を超えた超常の攻防。
まだ遠いが、戦場は徐々に移動している。
あの邪神を、あの魔術師は倒せないだろう。どれほど装備を強化しようと、どんな魔術を使ったとしても――神意の極致を超えることは敵わない。
あの神性は、魔術では越えられない。
半端者の魔術師には、決して辿り着けない境地の神性だ。
――この一秒、一瞬。この刹那に全力を尽くす青薔薇が咲き誇る。
音楽に触れたことなど、今までなかった。だが、こんなにも胸に強く焦がれるような熱を与えてくれる。
この奇跡のような一時も。何もかも全てが台無しになってしまうのだろう。
「…………?」
胸が、痛む。
どうしてだろう。どうして、彼女達のことを思うと、こんなにも苦しくなるのだろう。
失いたくないと、願ってしまう。
これからも、と――そう思ってしまう。
過ぎた願いだとわかっていたとしても。
共に生きることなど出来ないと解っている。
遠くない未来、あの魔術師とは敵対するだろう。
だが、烈光の邪神を相手にここまで粘れているだけでも驚嘆に値する。おおよそ“戦闘”と呼べる代物のものなど経験していないはずだ。勝敗を決するのは一撃、それだけだ。
だというのに――あの魔術師は、如何なる仕儀か。
まだ、鎬を削っている。
――駅前通り。
高高度で激戦を繰り広げていたエヌラスと、烈光の邪神。
眼下には綺羅びやかに瞬く人々の暮らし。頭上には満天の星空。そして、ひび割れた月面。
どこか日常的で、どこか非日常が織り交ぜられている夜空での激戦は、烈光の邪神に軍配が上がった。
穿雷の石杭を正面から直撃を受けても、右足の爆炎でエヌラスを地面に叩き落とす。
駅前広場、そのシンボルでもある噴水を破壊しながら地面を転がり、通行人達が何事かと足を止めた。
衝撃に咳き込み。過剰に魔力を燃焼させている状態のエヌラスはまるでエンストした車のように再びエンジンを回している。
(これだけやってもまだ足りねぇか――!)
銀鍵守護器官の出力に身体が追いついていないのか、不調を訴えていた。頭痛、目眩、全身の鈍い痛みと、それら全てを幻肢痛とねじ伏せて横っ飛びに邪神の追撃を避ける。
急降下の蹴りによって瓦礫と化した噴水の残骸に、衝撃が伴って軽い地響きを起こしていた。
首を鳴らして烈光の邪神が無造作に歩み寄ってくる。足元の瓦礫を踏み潰しながら、肩を揺らして接近してくる姿に向けてエヌラスが倭刀で一閃した。振り抜き、左手で右肩の野太刀を掴みながら超電磁抜刀術で打ち下ろしながら下がる。
鉄塊で強烈に打ち据えられる肩口に、しかし烈光の邪神は歯噛みしただけだ。
煩わしいと一蹴して、だが眼前に突きつけられる砲口。歯を食い縛って、エヌラスが石杭を射出する。衝撃で更に距離を取りながら、空になった弾倉を廃棄して新たに力づくで装填した。
骨身に染みる痛覚を、耐える。歯を食い縛って飲み込む。
なにかの撮影かと、通行人達が足を止めて周囲を見渡すがカメラマンらしき人間もいない。だがただの喧嘩というわけではない。理解の範疇を超えた現象の応酬に、危機感よりも好奇心が勝った。
路上で繰り広げられる超人のストリートファイトに、しかしその牙が自分たちへ容赦なく向けられると慌ただしくなる。
クトゥグアの蹴りを受けて、爆炎に飲まれたエヌラスが店舗へ突っ込んだ。店内の設備を破壊しながらも、戸棚に受け止められてようやく止まる。
巻き込まれた人はいないが、店としてはいい迷惑だ。修理費請求でもされようものなら弦巻家に泣きつく他にない。――のんきにそんなことを考えていたエヌラスだが、即座に店から飛び出した。烈光の邪神が既に“腕”を構えていたからだ。
左腕の円盤を起動させながら、防御陣を展開させる。
内部機構に充填した高純度の“黄金の蜂蜜酒”に、魔力を過分に含ませた血液を投入して反応を起こさせる。爆発的な加速を受けた術式がイタクァの風で氷の壁を作り出した。さしずめ風刃結界といったところか。
その烈光を受けた氷の中で、乱反射した光が急激に減衰していき、外部へ放出される頃には勢いを失って霧散していく。
如何に光速で展開される桁外れの術式と言えど、必ず弱点が存在する。欠点さえ克服できれば突破は容易だ。それはあくまでも、相手の攻撃の話だが。何よりも問題なのが、烈光の邪神本体の常識外れの防御力だ。
穿雷も物質的な構成で成立している以上、劣化は免れられない。だからこそ、使い捨てられるように設計したものが杭打機だ。弩弓のように至近距離から撃ち出される石杭を身体で受け止めるが、一ミリたりとて貫く気配はない。まるでゴム弾でも受けたかのように衝撃で足を止めているだけだ。
「小癪な真似を――!!」
「わりぃが小賢しくやらせてもらうぜ!!」
帯電状態からの蹴撃、反撃の拳を左腕で弾きながら、右腕の杭打機を装填。射突して胸部を強打する。重心が後ろへ揺らいだ隙に、超電磁抜刀術で一閃。刃を向けて刺突からさらに押し込んで突き飛ばす。倭刀が折れていないのは、単純にエヌラスの技量によるものだ。
倭刀を手放し、相手の足が地につかぬ間に右肩の野太刀に手を掛けて一気呵成に打ち下ろす。着地のタイミングをずらされて仰向けに倒れる烈光の邪神目掛けて、右腕を突きつける。ボックスマガジンに装填されている魔術加工された石杭を全弾射出。両腕で壁を作り、防ぎきった邪神が脚で地面を打ちつけると爆発した。衝撃で互いの距離を取る。
道路に立つ烈光の邪神は、ますます不快さに顔をしかめていた。歯ぎしりと共に拳を固めていく。
――こんなことがあっていいのか。
たかが、魔術師風情にここまで手こずっている。あんな出来損ないを相手に、何故これほどまでに時間がかかるのか。
あの魔術兵装にそれほどの力があるのか。否、否。断じて否。そんなはずがない。
他の邪神共と一緒くたにされては困る。あの無貌の邪神ですらこの身には不足であるというのに、これほど食い下がられるのは甚だ不愉快極まる。
一瞬。その思考は刹那の間に躊躇った。
魔導書の展開、即ち権能を全開にした正真正銘の全力。それを、こんな辺境の星で使うのかと自問する。目の前に、これほどの怨敵がいなければ使用することすらなかっただろうに。
それは、この男を対敵と認めることに他ならない。
――魔術師を? たかが、出来損ない風情を? この俺が?
侮りが過ぎたといえば、それまでと言えよう。だが、これほどまでに対策を弄して、まだ絶命至らしめていないという現実が答えだ。
「ッ――!! つけ上がるな、魔術師風情がァッ!!!」
左腕の防御陣による風刃結界が光を霧散させる。しかし、打撃の威力までは防げないのか、崩れた噴水に身体を打ちつけて、尚も止まらずに駅の中へとエヌラスが吹き飛ばされていった。
――忌々しい。嗚呼、忌々しい。この肉体に傷一つつけることすら敵わない脆弱にして無為な攻撃の繰り返し。痛くも痒くもない、煩わしいだけだ。
だというのに――あの男は、“まだ諦めていない”
駅構内へと吹き飛ばされたエヌラスは壁を壊し、改札を破壊して、ようやく止まったのは停留所内の自販機を巻き込みながらも、備え付けの簡素な椅子の上だった。
隣に座っていた女子高生が目を丸くして固まっている。
打ちどころが悪く、額を生暖かい物が伝ってきた。
「よぉ、こんばんは……」
痛みを紛らわせるように片手を挙げて気さくに挨拶をしながら、エヌラスは立ち上がる。悲鳴を上げることすら忘れて硬直している相手を尻目に立ち上がった。
体中が激痛を訴えている。それでも穿雷が衝撃をある程度緩和してくれていたのか、まだ戦闘不能なレベルでのダメージは受けていない。
損傷箇所が無いか確認するが、今のところ稼働に支障をきたしていないようだ。むしろ装填している自分の方がダメージが大きい。
(……これでも打ち抜けてねぇってなると、それこそ本格的に打つ手がねぇな)
手詰まりか――、否。まだある。唯一にして最終手段が、まだ残っている。
だが、それは此処で使っていい代物ではない。
この平和な場所で。辺境の星で扱っていい“権能”などではないはずだ。
戸山香澄の顔を思い出す。美竹蘭の顔を、丸山彩の顔を。湊友希那を、弦巻こころを――この日本で出会った彼女達の顔を思い出す。
それは、決して。この力で壊していいものではない。
夢を追いかける彼女達の背中を押すために。全力で未来を思い描く彼女達の道を破壊するためのものではない。
歯を食い縛る。歯を、食い縛って痛みを堪える。
ひたすらに耐え忍び、前へ向かって突き進む。
拳を構えた烈光の邪神と衝突して、駅構内から叩き出すとハンティングホラーを喚び出す。
外野が多すぎる。人気のない場所まで移動させたいところだが、それも難しいだろう。
アトラック・ナチャによる拘束術式で相手の動きを封じてそのままナイトロによる加速で引き回す。しかし、路面に打ち込んだ腕を楔にして車体を引き上げるとエヌラスを力づくで引き戻して拳で再びビルへと殴り飛ばした。
夜空へと打ち上げられたエヌラスをハンティングホラーがすかさず追いかける。その車体目掛けて光球を撃ち出すが、街路樹や街灯に阻まれて命中しなかった。舌打ちを一つ、爆炎と吹雪を巻き上げて烈光の邪神が宙へと飛び上がる。
――無残な怪物の傷跡を残して。