【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第百六三幕 邪神災害:レベル測定不能

 

 

 

 ――希望の砕ける音がした。

 それは、有り得ない光景だった。

 二度と聞くことも、見ることもないはずの聖句。

 無数の紙片に全身を覆い隠されて、光が漏れ出していた。その内部で烈光の邪神が変質し、変容し、変化が訪れている。

 魔導書そのものを身に纏う、魔導装衣。穿雷と同様だ。

 

 薄汚れた乳白色の装甲。規格外の威圧感。大理石のようななめらかさとは裏腹に、頭部表面には深く、深く。溝が無数に刻まれてあたかも顔を形作っている。

 その皺が歪み、ロールシャッハ・テストのように表情を変えていた。

 全身に展開される魔術紋様が淡く輝く。それは、隆々とした山を思わせるほどに力強い彫像でった。

 両脚の属性が異なる神性、両腕に握りしめられた権能。大きく張り出した肩甲骨からの筋肉が隆起している。

 崖から岩を切り出すように、ひび割れていく。背面に突き出したのは、大きな翼だった。

 イカロスの翼の如き、蝋燭の羽ではない。コウモリや昆虫のような翅の皮膜に覆われたものだった。

 

「この俺が――ここまで全力で相手をしてやると言うのだ。そう簡単に折れてくれるなよ」

 変神した烈光の邪神が歩みだす。その一歩が、アスファルトの道路を沈ませた。足跡を残しながら、咎人のように街路樹へ磔にされたエヌラスへ向かってくる。

 

「テ、メェが……! どうして! ――なんで、そいつを使える!?」

「……愚問だな。俺は、お前を殺すために此処に居る。そうである以上、コレを使えるのも道理というものではないか?」

 脂汗を滲ませながら、右肩を貫いた野太刀に手を掛けたエヌラスは右腕の再生を急かした。左手で柄を握り、力を込める。

 激痛が走った。体組織の破壊と再生を繰り返しながら傷口を自ら広げていく自傷行為には正気を疑われても致し方ないことだ。

 しかし、そんなエヌラスに向けて烈光の邪神は真っ白な手をかざして静かに告げる。

 

「――手伝ってやろうか? 但し、お前以外は“消し飛ぶ”だろうがな」

「ッ――――!!」

「ああ、遠慮はいらん。せめてもの慈悲だ」

 光の奔流に飲み込まれながらも、左腕の円盤で防御陣を展開する。

 両眼を潰さんばかりの光量に呑まれ、全身を襲う衝撃と痛覚に平衡感覚が狂う。自分が立っているのか、地に伏せているのかもわからない。顔に固いものが当たっていることから、地面に倒れていた事が認識できるようになるとエヌラスは身体を起こした。

 自分を支えていた街路樹を含め、ガードレールも、歩道も。そこにあった店も何もかもが文字通りに“消滅”していた。

 夜風が街を吹き抜ける。

 灰が舞った。――そこにあった命を何もかも滅ぼし尽くした、残り滓。

 “死の灰”が舞い上がる。

 

 道端に、何かが落ちていた。

 人間の手。細い指先。白い肌。女の子の手だ。その断面は、見る影もない。

 まるで砂のようにボロボロと崩れ落ちていき、やがて、それは灰になった。

 

「………………」

 言葉にならない。あの光に触れた箇所は、尽くが消滅している。

 これが、世界各地で散見されている行方不明事件の正体だった。運悪く、光に飲み込まれた人間が一握りほどの灰となって、風に吹かれて消えていく。死体すら残らないのだから。

 臓腑が燃え上がるような怒りを覚えた。全身を苛む激痛をも生温い烈火の如く憤怒に身を任せて、エヌラスは自らの右肩を貫いている野太刀の柄を握りしめる。

 力づくで刃をねじり、傷口を抉る。そのまま刃先を上にして震脚と同時に、そのガス爆発にも似た衝撃を利用して切り上げた。

 身体の損傷は問題ない。幾らでも再生する事ができる。痛みさえ捻じ伏せれば。生きてさえいれば、戦闘は可能だ。

 野太刀を取りこぼし、右肩から指先にかけて再生していく右腕の魔術回路が励起する。

 焼けるように熱く、痺れるほど痛い。だが、それでもまだ我が身を焦がす憎悪と怒りを鎮ませるには全く足りていなかった。

 

 ――もし、落ちていた腕が。

 今井リサだったら。弦巻こころだったら。氷川日菜だったら――彼女達の誰かであったとしたら。この辺境の星ごと、この島国ごと、跡形もなく邪神を消し去っていただろう。

 無かったことにしてはならない。そこにいたのだから。此処に居るのだから。

 今、生きていた誰かがそこで死んでしまった。誰にも知られることもなく。

 ただ、そこにいたという理由だけで消えてしまった名前も顔も知らない誰かが。

 

 左腕の円盤も、烈光を防ぎきれずに損傷が広がっていく。右腕の杭打機は辛うじて逃れたのかまだ機能する。

 徐々に、繊細な内部機構から損壊していく。急激な劣化に目配せすれば、目に見えて錆び始めていた。朽ち果てつつある円盤がやがて赤錆の塊となると、エヌラスの腕から自壊して地面に落ちて砕け散る。

 経年劣化による損耗――この、僅かな短時間でだ。明らかな異常現象。

 そしてそれは、烈光の邪神が持つ権能の手がかりでもあった。

 

 即ち――“時間加速(タイムアクセル)”だ。

 万物に等しく流れるはずのものを、滅び去るまで加速させる。物質の老衰だ。

 ――同じ時間に生きる以上、防御手段など存在しない。

 その正体に気づいた瞬間、背筋を悪寒が走った。

 

「……その様子では、俺の持つ権能に気づいたようだな。おおよそお前の考えている通りだ」

 ゆっくりと歩み寄りながら、手を伸ばしてガードレールに触れる。ボロボロと老朽化して崩れ去る鉄粉に、触れた街灯もごっそりと抉られるように消滅して折れた。

 

「故に、わかるな?」

「…………」

「時間より隔絶されたこの俺が、どれほど、この状況を疎ましく思っているのかが。いつか滅び去る。いずれ滅ぶ。必ずだ。()()()()()()()()()()――」

「だから、無価値だと?」

「嗚呼そうだ。何もかもが、無駄なことだ。無為なことだ。俺は“永劫(アイオーン)”を否定する。そんなものがあるはずがない」

 永遠も、永久も、永劫も。続くはずがない。必ず終わりを迎える。だからこそ、その過程に一切の価値はなく、滅んでこその価値がある。

 この邪神にとって、生命で溢れかえる地球という惑星は汚物の塊だ。

 一刻も早く、この“雑務”を片付けて立ち去りたい一心だろう。

 ――これほどまでに熾烈で、苛烈で、徹底した邪神はいなかった。だからこそ、邪神の中でも際立って危険性が高く、隔離されていたのだから。

 この邪神の規律はただ一つ――悉く、滅ぶべし。

 

「……無駄話が過ぎたな。再生は終わったか?」

「…………おかげさまでな」

 アレほど苦痛に苛まれていた神経は過剰に分泌されたアドレナリンで抑制され、怒りで我を忘れている間に右腕は拳を固く握りしめられるほどに治っていた。

 状況は劣勢だ。穿雷の防御機構も破損し、こちらの攻勢も通用するとは思えない。

 打つ手が、ない――切り札が残っているが、しかし。それは街を消し飛ばすことになる。

 使うにしても場所が悪すぎた。

 だが、辛うじて追い縋っていた状態から突き放された戦力差にフラッシュバックするのは――大魔導師に“切り札”を潰された時の光景だ。

 もしも。この邪神が同じことをしたら?

 もしも。それが通用しなかったら?

 もしも、万が一にでも、それを耐えきった場合の次の手段は?

 

「“諦めろ”絶望。お前程度ではこの俺は倒せん」

 それだけはできない。それだけは、絶対に――。

 

「――お前の言う通りだ、邪神。お前の言う通り、無駄なことだ。無為なことだ。そんなことはわかっている」

「ほう……?」

「だが、それでも。人間は生きるものだ。その限りある命に、価値がないとは言わせねぇ! その終わりが無意味で終わらせていい代物じゃねぇことは、俺がよく知ってる! だから――絶対に諦めねぇ! 俺が奪った命が、俺が壊してきた全部が、無価値であるとは絶対に認めたくねぇんだよ!」

 

 数え切れないほどの命を奪った。

 数え切れないほどの世界を壊した。

 数え切れないほど、幾星霜、戦い続けては誰かを悲しませた。苦しませた。

 その一瞬一秒で、ガラスのように砕け散った幸福も日常も何もかもを、無駄であったと終わらせたくないからこそ歩み続けてきた。どれほどの地獄でも、どんな苦痛でも耐えられる。

 それは、自分が手にしたくて堪らなかったはずの陽だまりで。

 心安らぐ温かい場所だったのだから。

 その果てに、自分がどれほど報われない最期であったとしても――そこに、みんなの笑顔が残るハッピーエンドがあるのなら。

 

「絶望を声高らかに宣言して俺の心をへし折るつもりなら、俺の師匠を殺してから言いやがれ」

「……なら。お前を殺した、その後で。黒月を壊し、手向けにお前の師匠とやらを片付けることにするか」

 電磁加速蹴撃から、右腕の杭打機を突きつける。

 しかし、烈光の邪神の張り出した右肩が軋み――“腕”が、生えた。

 肩甲骨から延長した腕が掌で石杭の直撃を受け止める。触れた瞬間に、灰が撒かれた。

 左肩からもまた副腕が構えられる。エヌラスがその場から下がると、拳を振りかぶって烈光の邪神がクトゥグアを纏わせて真正面から打ち据えた。

 地が照らされ、まるで昼間のような明るさからエヌラスが吹き飛ばされていく。

 ビルを倒壊させ、夜空を駆けて吹き飛ぶ姿に向けて、首を鳴らす。

 

 一撃。たったそれだけで、穿雷が全壊した。機能不全を起こしている。内部機関含めて、何もかもが経年劣化を起こしていた。

 衝撃に揉まれながら、エヌラスがスローモーションのように視界に捉えたのは『CiRCLE』の文字が輝く看板だった。

 戦闘に無我夢中のあまり場所を把握し切れていなかったが、隣町から此処まで吹っ飛ばされたらしい。

 状況は、最悪の事態に転がる一方だ。

 過剰に再生速度に魔力を割きすぎたのか、左眼と右腕が腫れたように熱い。錯覚でしかないのだが、それは烈光の権能も作用している。

 追撃の手が来る前に、懐から黄金の蜂蜜酒とドラッグシガーを服用して魔力障害を鎮静させようとするが、夜空に光が瞬いた。次の瞬間、眼と鼻の先で爆発が起きる。辛うじて回避したが、爆炎から烈光の邪神が翼を広げて歩み出る。

 その足元は、あまりの高温にガラス状に溶けていた。

 

「お前が滅ぶか、この国が無くなるか――どちらが先だろうな?」

「一服する暇もねぇのかよ――!」

 これだから喫煙者はどこでも肩身が狭い思いをするのだ。

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