ティオとティアの二人に目線を合わせるように屈み込んだイヴが笑顔で尋ねる。この際、細かいことは気にしない方向で行くようだ。
「はじめまして、ティオちゃん、ティアちゃん。お二人はどうしてここに?」
「うーんとねー。ヒナおねーちゃんが面白いところ連れて行ってくれるっていうから」
それは完璧に言い逃れができない誘拐の手口なのではないだろうか。千聖が何か言いたげに日菜を見つめるが、静かに目を逸らす。
「ねー、ヒナおねーさん。“あいどる”ってなに?」
「うーんとねー、歌って踊ってみんなの一番になることかな」
「ふーん……偶像崇拝ってこと? なんだ、御神体みたいなもの? じゃー、神様とおんなじか。人間って面白いことするね、ティア」
「そうだねーティオ。まぁボクらは人間じゃないんだけど」
「ねー」
ニコニコと笑顔を向けながら、ティオがティアの髪を撫でる。そのまま頬に続き、楽しくなってきたのかワシャワシャと顔中を撫で回した。
「もぉ~、やめてよティオ~、あははははは。お返しー!」
「あはははは、あはははははくすぐったいってばティアー」
「どう、かわいくない!? るんってこない!?」
「犯罪です、日菜ちゃん。それに二人も。ご両親が心配するでしょう? お家はどこなの?」
今度は千聖が限りなく常識的な質問を二人にする。手を止めて、言葉の意味を確かめるように天井を見上げて、それから同時に首を傾げていた。
「「ごりょうしん? おうち?」」
「えっと……ご両親っていうのはお父さんと、お母さん。パパ、ママ。わかる?」
「んー……生みの親?」
「見たこと無いや」
「会ったこともないけど」
「「知らなーい」」
「……」
どうしよう、そんな答えが返ってくるとは欠片も思わなかった──千聖が硬直する。孤児なのかもしれない、ということで自分を納得させた。
「じゃ、じゃあお家はどこなの?」
「お家……?」
「うん、帰る場所。どこかわかる?」
「…………」
「…………」
二人が顔を見合わせる。しばらく見つめ合ってから、笑顔を向けた。
「「わかんないや!」」
「…………」
この子達、警察に届けよう。そうしよう。
「ねぇ、日菜ちゃん。この子達どうするの? 事務所に無断で連れてきたのもそうだけど、このままずっと連れているわけにもいかないでしょう?」
「それもそっか。じゃああたしの家で面倒見ようかな」
絶対に紗夜ちゃんは同じ反応をすると思う、もしくは自分より怒るのが目に浮かぶ。だからもっとこう、常識の枠で行動してほしい。
「彩ちゃん、パス」
「えぇ!? 私!? えーと、え~と……!」
「よくわかんないけど、ヒナおねーちゃんもあいどるの練習しないといけないの?」
「うん、そうだよ」
「ふーん……じゃあ見てよっか、ティア」
「そうだね」
二人は手を繋いだまま壁際まで走ると座り込んだ。アイドルに興味があるのか、それともただ単に日菜と同じように好奇心の赴くままに行動をしているのだろうか。とにかく二人がおとなしくしてくれているのなら助かる。
練習が終わるまでの間、ティオとティアは見学していた。事務所のマネージャー達とも何かを話していた様子だが、警察に引き渡されるのだけは嫌なのか嫌そうな顔をしている。しかし、既に日が落ちた中、少女二人を放っておくわけにもいかない。そこを考慮できるだけの善良さをその場に居合わせていた全員が持っている。しかし、難航する話し合いに痺れを切らしたのか立ち上がると身体を伸ばしてストレッチを始めていた。
「ふ、ぁ~あ。んー、もういいや。ヒナおねーちゃん以外は特に見込み無いし、行こ。ティア」
「じゃーねー、あいどるのみんなー。ウチらは帰るから」
そのまま走り去ろうとして、何かを思い出したように同時に踏みとどまってから日菜に駆け寄ると手を引いて頬に軽い口づけをする。
「んひゃ!?」
「これでよし♪」
「じゃーまたね、ヒナおねーさん♪」
「「ばいばーい」」
「あ、ちょっと君達。待ちなさ──」
事務所のスタッフが捕まえようとするも、軽やかな動きですり抜けて二人が駆け出していた。引き止める暇もなくすり抜けて事務所から飛び出す二人の唇の感触を確かめるように日菜は頬に手を当てる。
またね、と言っていた。なら、次はきっと向こうから会いに来てくれる。そんな確信めいたものが日菜の中にはあった。そしてそれはそう遠くないのだとも。
「ただいまー! おねーちゃーん、聞いて聞いてー!」
「今忙しいから後にしてくれないかしら……」
「今日ねー、るんってくる子達に会ったの! ちょうど双子で、ちっちゃくてかわいかったよ! 確かー……ティオちゃんとティアちゃんだったかな? いかにもスポーツマン、みたいな格好でひと目見た瞬間から──」
帰宅してから一部始終を紗夜に話すが、突き刺さる視線が疲労と呆れとその他感情が入り混じったものであることに気づく。課題を片付けている途中だったのか、数学のノートを持っていた。しかしそれが普段使っているものと違うことにひと目で気づく。
「そのノート、いつも使ってる数学のと違うけど……どうしたの?」
「これは……借り物よ」
「そうなんだ。おねーちゃんがノートを借りるなんて珍しいね。よかったら見せて」
「……なに書いてあるか日菜なら分かるかしら。いいわよ、はい」
「わーい、やったっ♪」
早速ノートの中身を見せてもらうと、そこには目眩がするほどびっしりと埋め尽くすほどの数式が書かれていた。目を丸くする日菜だったが、何ページか読み進めているうちに少しずつ法則性を理解する。
「これ、どうしたの?」
「なんて言ったらいいのかしら。あの、例の人」
「エヌラスさん?」
「ええ。白金さんに魔術を教える、と言っていたのだけれども……今は他のことで忙しいから、これでも解読しててくれ、なんて。私も一冊手渡されて──数式ばかりで魔術の要素なんてこれっぽっちも」
「……これ、虚数じゃないの?」
「え?」
「ちょっと前に調べ物してたら似たようなの見たから間違いないと思うんだけど。でも何を計算してるんだろう、これ……んー……?」
数式を用いるということは、解を求めるということだ。だが、何のための計算なのか理解できない。
最初から最後まで読んでも一向に答えは出ていない。何を求めての数式なのか、まったく意図が掴めない。だからこそ、面白いと思ってしまった。こんな高度な計算ができるなんてただ者じゃない。実数ではなく虚数。「無」を求める数式が魔術理論に繋がるというのなら、無理ではないかもしれない。
「借りてもいい? 明日の朝には返すから!」
「かまわないけど。何をするつもり。まさか魔術なんて本気で信じてるわけでもないでしょう?」
「これ解読できたら魔術教えてくれるんでしょ!? あたし、るんっときちゃった!」
「……本当にあの人は余計なことしかしないわね」
パタパタと部屋に向かって走る日菜の背中を見つめて、紗夜は腕を組む。たった一度、目を通しただけで紐解いてしまった。手渡された時も、帰り道も、そして帰宅してからもずっと頭を悩ませていた自分を置き去りにして、あっという間に。
そんなことは些細なことだが、今はそれ以上に──あの男性が疎ましい。魔術師だの、オカルトハンターだの、現代社会でとても真っ当に生きているとは考えられない。
自分の部屋に戻るなり、紗夜はベッドに身体を沈ませて深く息を吐き出す。
なんだか今日は慣れないことをしてとても疲れた。課題を片付けて、それから次のライブに向けての練習もして……、眠気に襲われるが、シャワーも浴びずに寝るわけにはいかない。すぐに身体を起こして紗夜は着替えを用意した。
いつも通り羽丘女子学園へ登校し、授業を受ける日菜だが、必死にノートにかじりついているのは真面目に授業の内容を聞いているからではない。時折ペンを止めて明後日の方向を見ながら考え込み、また筆を進めている。
(魔術って言っても数式で説明できちゃうならあたしでも使えるのかな? でもこれ、何のための計算なんだろう。量子力学? ん~、でもそういう現代科学を魔術って言っちゃうならなんか違う気がするなー。道具とか使わないでやるのかな。そもそも魔力ってなんだろ?)
ぼんやりと考えながらアレも違うコレも違うと思考を張り巡らせる日菜は、休み時間に飲み物を買おうと自販機に向かう。
「「せーのっ、ヒナおねーちゃーん!」」
「えっ?」
突然名前を呼ばれて、押すボタンが狂った。声のした方向を見れば、学園の塀の上にティオとティアが立っている。覗き防止を兼ねて簡単には乗り越えられない高さのはずなのに、如何なる手段を用いているのか二人は自分たちの身長の何倍もあるそこに立っていた。いつものように、当たり前のように手を繋いだまま日菜に笑顔を向けて。
「ど、どうしたの二人とも!? というかあたしの居場所よくわかったね」
「ん? 昨日のこと忘れちゃったの?」
「ティア、あれじゃ人間は気づかないって」
「あ、そっか。こっちの人達はわかんないのか。んーとねー、ヒナおねーちゃんの匂い辿ってきたんだ」
よくわからないが、とにかく二人は自分を探していたようだ。
塀の上に立っている二人に他の生徒達も気づいたのか、徐々に騒ぎが大きくなり始める。塀から飛び降りたと思えば、そのまま壁を蹴って宙返りしながら軽やかに着地して日菜のもとへ駆け寄って抱きつく。
「ねー、ヒナおねーちゃん。ここって何の場所? みんな同じ服を着てるけど」
「あいどるの学び舎?」
「じゃあこの中から御神体を選ぶってこと? この国ってこんなことおおっぴらにやるんだ、すごいねティア」
「えー、でもなんかヒナおねーちゃん以外大したことなさそー?」
「ここは羽丘女子学園。それで、アイドル育成学校じゃないの。それより二人とも。もしかして、あたしに会いに来てくれたの?」
「「うん、そーだよ!」」
無邪気な笑顔を向けて、抱きついたまま二人が頭をぐりぐりと押しつける。そのあまりにも無垢な可愛さに他のことなんか頭からすっぽ抜けて、日菜はかがんで二人を抱きしめると頬ずりした。ちょっと不思議なことを言うけれども、そんな些細なことはどうでもいい。
るんっときてしまったのだから。
(う~ん、こうして二人とずっと一緒にいたいけどあたしも授業あるしなー。それに先生からも怒られるだろうし……そうだ!)
「ねぇ二人とも、ちょっとこっちに来て!」
日菜はティオとティアの手を引いて校舎の中へ入り、階段を一段飛ばしで駆け上がる。身長差から歩幅が違うことも忘れて走るが、難なくついてきていた。むしろ二人がペースを合わせてくれていると感じたほどだ。
変人の住処──羽丘女子学園の天文部部室の鍵を開けて、勢いよく開く。
「授業が終わるまで此処でおとなしく待っててくれる?」
散らかり放題、散らかし放題、置きっぱなし、投げっぱなし、本は開いたまま、積み上げられたまま──とにもかくにも、見るからに足の踏み場もないような部室だった。少し前にオカルト関連の資料を集めに集めて探し回って、ホワイトボードも付箋やら世界地図にチェックマークとまるで落書きじみた光景。もはや部室というよりはゴミ屋敷一歩手前の惨状。
しかし、ティオとティアはそんな室内を見渡すと驚いていた。
「これ、全部ヒナおねーちゃんが?」
「うん。そうだよ。羽丘女子学園の天文部はあたし一人だからね。変人の住処とか言われてるけど気にしない気にしない。ちょっと散らかってるけど」
ちょっと、どころではないのだが。興奮気味な日菜を尻目に、二人は机の上に広げられた星図に注目していた。それは、日菜が閃いたままに行動して書き記した星の座標が大量の付箋にメモ書きされている。
ティオとティアが再び顔を見合わせる。
「やっぱり、ヒナおねーちゃんが一番だねっ」
「そうだね、他の人間なんか目じゃないくらい」
「ねぇティオ。この人でいいかな?」
「うん、いいと思う。ヒナおねーさんで決まりだね」
判断は早かった。たった一人で、此処まで気づいたというのならそれは天才に他ならない。
だからこそ、この人を使おうと思った。きっと上手くいく。
自分たちが動けば、アイツに勘づかれる。だから、人間を使って人類を滅ぼそう。きっとそれは面白い。きっと楽しい。それはとても楽しみだ。
学園に鳴り響くチャイム。それに日菜は慌てた様子で天文部の部室を後にした。残された二人は室内を見渡してから、とりあえずわかりやすく片付けようと頷く。