――烈光の邪神が纏う風の神性・イタクァの属性による蹴撃を防御魔術によって防ぎきった二代目賢人バルザイであるが、その口腔からは凍えるような吐息がこぼれていた。
偃月刀の内部にまで浸透した神性によって構成術式が凍結していき、刀身が崩壊する。
地面に新たに鍛造した偃月刀を突き立てて制動すると、視線を感じた。
ぶなーお。
潰れた顔が特徴的なエキゾチックショートヘアが路地裏からこちらをじっと窺っている。なんとも言えない表情の猫と見つめ合うこと数秒、口を開いた。
『我らが敬愛するイレク=ヴァド王より伝言である。これまでにない規模の
「…………」
それは、顔に似合わず驚くほど渋い声で脳に響いてくる猫の言葉だった。
『これより待つのは、即ち――邪神による『地球侵略』である。その斥候である数多の眷属が屠られたとはいえ、邪神の脅威に相違ない。烈光を放つ邪神が持つ魔術は、生命の冒涜に他ならない。それは星の寿命も例外なく、壊死させるものである』
例え何万年という寿命であったとしても、それはあの烈光の邪神にとって結末が先延ばしになっているだけに過ぎない。全ての時間、全ての命あるものを滅ぼし尽くして尚もやまぬ狂気と憤怒と権能。それを邪神の矜持とするだけの実力。
他と一線を画した存在に、二代目賢人バルザイは自らの身体を凍死させんとする冷気を魔刃鍛造の熱量によって打ち消した。
『イレク=ヴァド王の言葉によれば。あれは、邪神であり魔術師である。故に、その前提を履き違えてはならないとの助言である。確かに伝えたぞ』
――あれは、魔導書を用いた。その一点を鑑みて、成程確かに一流だ。しかしながら、何故そこまでする必要があったのか。ただ邪神という格だけで他を凌駕するだけの権能を誇るというのに。
二代目賢人バルザイは、思考する。思案する。
あれは、邪神であるということに誇りを持っている、だからこそ、愚弄する存在を許さない。拒絶するはずだ。あの魔術師を排除しようとするのは、それが理由のはず。
ならば、その魔術は“不純物”であるはずなのに――そこで気づく。
炎の神性・クトゥグアも、風の神性・イタクァも所詮は対魔術師用の防御策だ。それを攻撃に転化しているだけに過ぎない。なにせあの魔術強度だ、魔導書で制御しなければならないのだろう。だからこそ、邪神であり魔術師という側面も持ち合わせていなければならない。
そういうことか、と。ならばどうにでも出来る。
この手には賢人の鍛えた“鍵”があるのだから。
おそらく、あの魔術師は相手の魔術を解呪するという術式が苦手だ。本来ならば初歩で学ぶはずのモノが成立していない。自分の中で全て完結している。攻勢術式の強度は確かに驚異的ではあるが、どうにも魔術師としては“ちぐはぐ”だ。一点に特化しているならば、こちらの動き方も自ずと理解できる。
意識を集中させる。左手で剣指を立てて、逆手に構えた偃月刀の刀身に魔力を奔らせる。
――ヴーアの無敵の印において、力を与えよ。
口訣を結び、攻勢術式を補強する。先程の一撃に耐えられないようならば、これより先の戦略は成立しない。
『……ところで、御仁。若殿を知らないか? ウルタールを飛び出してというもの姿が見えないのだが? なにせワシもいい歳なものでな、探すのが億劫極まりない』
「…………」
知らない、と首を横に振ったところで視界の端で瞬いた光を斜めに構えた偃月刀で弾く。表面にニトクリスの鏡を付与することで反射させて防ぐのは、先刻、魔術師がやったのと同じことだ。
それを見たエキゾチックショートヘアは素早く身を翻して路地裏の暗がりへと消える。
大きく広げた銀の翼から鱗粉とフレアを撒きながら、ジェット機さながらの様相で烈光の邪神が迫ってきていた。
どうやら、ハスターも討たれたらしい。汚物のような腐臭が漂っているものの、背にはシャンタク鳥の翼。
死にかけの魔術師よりも、こちらを先んじて片付ける腹づもりのようだ。
周囲を確認する。こちらは商店街より離れた住宅街との境にある橋の近辺。背後には森林と川のせせらぎが聞こえてくる。
これより後ろに下がるわけにはいかない。
そこに、俺の居場所がなかったとしても――あこ達の帰る家があるのだから。
――腹部を貫かれ、商店街を転がるエヌラスの体内で蠢く異物感。炎にも似たエネルギー体であるクトゥグアが魔術回路の魔力を侵食して更に爆ぜる。
血反吐に沈む身体を支えようとする足に力が入らず、地に伏せた。
口腔から吐き出される熱に顔を埋め、左眼と右腕の感覚が無くなっている。
“黄金の蜂蜜酒”と、ドラッグシガーの過剰摂取による魔術回路の不調を含めた、魔力障害だ。
(寝ている、場合じゃあねぇってのに……!)
立ち上がろうとする。まだ、辛うじて動く左手で身体を押し上げようとして、酩酊感と嘔吐感を堪えきれずにぶちまける。
口から吐き出されるのは、致死量の血液と壊れた体組織。
烈光の一撃を食らって、なおも存命しているというだけでも十分過ぎる。それを何発耐え凌いだかすらわからない。だが事実こうしてエヌラスはまだ生存している。
足の感覚が無い。背筋が冷たい。
懐かしい、本当に懐かしい。本気で“死”を自覚したのは、久しい。
その度に自分の心臓が握り潰されるような圧迫感を覚える。
自我を手放しそうになる自分の意志の弱さを殴り倒す。
欠損するならばまだしも、幸いなことに貫手で済んでいる。
それでも常人なら致命傷の一言だが――、エヌラスは常人ではなく常軌を逸する存在だ。
朦朧とする視界の中でも、周囲を警戒する。こちらに向けて烈光の邪神が追撃してくる気配はなかった。どうやら片割れを追跡したらしい。今は、自分の再生に意識を集中する。
悲鳴が遠い。倒れている自分の凄惨な姿を見て騒動が起きているようだが、そんなことに気を遣っている暇はエヌラスにはなかった。
不意に、自分の視界に誰かの姿が見えた。こちらに向かって駆け寄ってくる。
輪郭も朧気で、その顔もよく見えないが――黒い髪の、女性であることは辛うじてわかった。
「――、――――!!」
なにか、声を掛けてきている。しかし、いやに耳が遠い。耳鳴りというよりも、聴覚すら失われつつある状態だ。
目蓋が重い。眠気にも似たものに襲われて、それに耐えていることが遥かな苦痛に感じられた。
(……嗚呼、俺は――――)
あれに、邪神に敗北したのか――。
心のどこかで、勝算を見出だせないことに気づいていたのか。敵わないと、思ってしまったのだろう。あの言葉を聞いてしまってから。
――“
頬に、熱いものが伝う。
「…………、さん! ――――!!」
眼の焦点が辛うじて相手の顔の輪郭を捉えつつあった。
ピントが合わない視界の中、朧気であったはずの相手は自分のよく見知った顔だった。
遠かったはずの耳も、徐々に戻りつつある。だが、まだ身体に力が戻らない。
血を流しすぎた。無限の魔力貯蔵庫による自己再生といえど、その資本となる体力が追いついていない。その前借りをしていた薬物も全部逸脱した出血量で一緒に流れ出てしまった。
「――エヌラスさん! しっかりしてください!」
「………………、」
月島まりなが、顔に手を添えて泣きながら懸命に揺り起こしていた現実に引き戻されて、エヌラスは自分が商店街の反対側まで吹き飛ばされていた事に気づく。
覚醒しつつある意識が次に自覚したのは、当然ながら痛覚という異常事態だった。それは生物として当然の反応ではあるが、脳が処理できる情報量を遥かに越えている。
骨も肉も、筋繊維も、悲鳴を挙げていた。絶叫、あるいは断末魔に近い。事切れそうになる自分が最後に見る光景が、誰かの泣き顔であることにエヌラスは拒否反応を起こした。
どれほどの苦痛と悲劇があろうとも、必ず乗り越える。
エヌラスは、ハッピーエンド至上主義だ。
その結末だけは、自分の命が擦り切れようと塗り替えてみせると誓った。
「――ま、りな」
「……、よかった……! まだ、生きてます?」
死んでいておかしくない傷だ。そうでなければおかしいが、この人は出会ったときからどこか変わった人だった。だから、まだ生きていることに違和感を覚えない。
「表の方で騒ぎが大きくなったから様子を見に来たら、こんなことになってて……」
「…………」
説明を求めても、話してはくれないだろう。そんな気がしていた。
これが、この人の“仕事”だから。手品師でもなければ、霊能学講師でもない、オカルトハンターとしての。
業務内容における守秘義務は、社会人として守って然るべきだ。
「……死にたくなけりゃ、絶対に、外に出るな……!」
かすれた声で辛うじて呟き、エヌラスは自分の脚で立ち上がる。
血まみれの背中を支えようとして、拒絶された。
『Galaxy』から覗き見ていたガールズバンドのメンバーも、声を失っている。
「……俺には、これぐらいしかできないもんで」
自分の足元にできている血溜まりを、紫電で分解していく。蒸発させて、魔力に変換するとエヌラスはそれを自己再生の魔力に回した。
夜空を見上げて、清々しい夜風を吸い込む。
血の臭いが充満する、瘴気を孕んだ魔風と邪神災害。
死地へと向けて歩み出す。その身体を赤い電撃が走っていた。
左手で顔を押さえて、エヌラスは深く息を吐きだす。
この怒りも、憎悪も、抑え込むにはあまりに膨れ上がりすぎた。
血のように赤く、赤く――エヌラスの髪が変色していく。
それは、むせ返るほどの血の臭いと共に現れた。
魔術師であることを捨てた、血の怪異。
――“ブラッド”としての本性。怪物の証明。
「アイツ殺すのに、加減していた俺がバカみてぇだ」