――魔術師というのは、あくまでも職業であり肩書だ。そこらの会社員と何一つ変わらない。兼業魔術師なんてのも、故郷ではありふれている。
だが、エヌラスの出自に関連する情報の一切はおおよそ想像を絶する。
かの大魔導師が、唯一入門を認めたという存在は、たったそれだけのことで世界中から注目の的だった。ひと目見ようと顔を合わせれば、なんのことはない人でなしでろくでなしで女たらし。
肩透かしを食らうのもいいところだ。そんな男が、なぜ地上最強の魔術師の弟子となれたのか誰もが疑問を抱く。なぜなら、その真価は敵対しなければ絶対に実感の湧かないものだ。それを知って尚も生き残れる相手というのは決して多くない。
エヌラスの出自に関する情報の全ては、門外不出。禁句とまでされている。本人の口から直接出てくることもない。
それは、単純に当人もそれを負い目に感じており、同時に引け目を感じているからだ。
しかしそれを理由に俯くことも、押し黙って耐え忍ぶようなこともしない。
傍若無人、傲岸不遜なまでに胸を張って前に進む。誰よりも先に、一歩を踏み出す。
その眼に宿した炎は、決して消えることはない。
その眼に映した景色は、決して忘れることはない。
その眼に刻んだ笑顔は、決して色褪せることもない。
その命に背負わされた業は、決して償いきれるものではない。
――エヌラスは、人間ではない。限りなく人間に近いが、それは人間として振る舞っているだけに過ぎない。
本質的には、人間の真似事でしかなかった。その化けの皮が剥がれれば、その本性はなんのことはなく、邪神同然の怪異だ。
血のように赤い髪も、血のように赤い眼も、血染めの装甲も、身に纏う血風も、灼けるような熱い血の脈動も、何もかもが――そうであるように造られた。
憎い。嗚呼、憎い。邪神が、魔人が、眷属が。人類の脅威の何もかもが。
彼女たちの“日常”を脅かす全てが。
遥かな故郷に置いてきた、友人たちの日々を脅かす全てが。
この怒りを忘れた日は、一度もない。この怒りがあれば、どこまでも残酷になれる。
瞼の裏に焼き付いているのは、この手で最初に愛した人の最期。
己の手で奪った命だ。それでも彼女は、最後に笑って散っていった。
――あなたの笑顔が見たかった、と。最後にそう残して。
憎い。憎くて、憎くて、堪らない。
生きていることが、堪らなく憎い。
この世界を脅かす存在が。邪神が、怪異が、何もかもが――それは、自分を含めて。
たった、それだけのことなのだ。たった、それだけの話しなのだ。
英雄などどこにも居ない。居るのはただの化け物だ。
――エヌラスは、英雄などではない。誰かのヒーローなどではなく、ただただ人類の味方というだけの化物でしかない。
“それ”を目の当たりにして、月島まりなが後ずさる。生物としての本能的な危機感。人間として逆らえない生存本能。
これは、自分たちとは決定的な違いがあるという確信。
これほどまでに、精巧緻密な人体模倣を成し遂げた怪物を、誰が気づくことができるだろう。
――ダメな人だと思った。この人は、てんでダメ人間なんだと思った。
仕事を覚えるのは早くて、自分のことは無頓着で、住所不定無職の怪しさ全開の人だった。全部合っていたが、全部違った。
この人は――そもそも人間ですらなかったのだ。
「…………」
なんて、声を掛ければいいのだろう。きっと、今の自分は引きつった顔をしている。まりなが思う通り、恐怖に満ちた顔をしていた。だがそれは、エヌラスには見慣れた顔だった。むしろ、その当たり前の表情を見て、いっそ安堵するほどに。
香澄達も、言葉を失っている。
魔術なんてものは、結局はどこまで突き詰めても外道の知識だ。それを書き記した魔導書なんてものは外道の集大成でしかない。
ならばこそ、故に。
それらを究めた腐れド外道が
どんな間違いがあっても、人間の隣に立つべきではない。人と共に生きるべきではない。生きていけるはずがない。
それは、あの烈光の邪神が証明している。
あの光に触れれば、人は消える。滅び去る。灰になって消えていく。だが、エヌラスはそれを受けて尚も生きている。
どれほど久遠の時が流れようとも、その存在は決して消滅しない。時の流れに身を任せる程度では死なない。
その存在を固定している無限の魔力貯蔵庫は、果たして――どのようにして造られたのか。
まりなと、エヌラスの赤い瞳が合う。
寒気すら覚える。おぞましいほど暗い物を抱え込んでいる。一片の光も差さない深海のような暗さの中に、怒りと憎悪を見た。
決して尽きることも、果てることもない無尽蔵の炎。
先程まで瀕死で、今にも死にそうだったというのに。今はどうだ。どういうことか。まるで悪い夢だ。
力強く地面を踏みしめて、立っている。顔を憤怒に染めて、彼方の烈光を睨みつけていた。鳴り響く剣戟の音に耳を澄ませて、拳を作っている。
顔を覆い隠すようにしていた左手を離せば、骨が軋むほどに力を込めていた。
半裸の肉体に張り巡らされた魔術回路が淡く輝いていたが、やがて光を失う。当然だ、それはエヌラスという怪物をこれまで人間同等までに“抑制”していたのだから。
首輪を外された狂犬がどうなるのか――それは、語るに及ばず。
夜空が瞬き、やがてそこから吹き飛んできたのは二代目賢人バルザイの姿だった。
無数の偃月刀が砕かれ、刃を折られてきた。しかし、それでも懲りずにまだ鍛造を繰り返している。両手を炎に突っ込んで新たに偃月刀を二振り携えていた。
息を整えれば、口から白い吐息。極度の気温差によるものであり、事実二代目賢人バルザイは凍傷を負っていた。
烈光の邪神が灰の光と共に降り立つ。その御姿はまるで神の如き威光に溢れている。しかし、それは醜悪な邪悪に穢れきっていた。善なるものならば、人々の心の拠り所となるべく救いの手を差し伸べるだろう。だが、この神の光は全てを滅ぼす。あらゆる時を加速させる。終焉を迎えるその時まで止まることはない。
「異様な気配に様子を見に来れば――成程。お前がそう簡単に滅ばぬわけだ」
烈光の邪神の表情が、割れる。破顔していた。無数に刻まれた皺を生物的に動かしながら。
エヌラスに指を突きつけて、それから二代目賢人バルザイを。そこから、月島まりなを――戸山香澄達に向けて手を差し伸べていた。
「お前達人類の味方など、何処にも居ない。この俺も、そこの魔術師も、その裏切り者も……人間ではないのだからな」
「……」
「――人間じゃ、ない…………?」
「言葉が出ないか? 嗚呼、知らなかったのか。それとも――都合が悪いから明かさなかったというだけか? そんな卑屈なところもまた、人間“らしい”と言うべきか」
烈光の邪神の口ぶりに、エヌラスは首を鳴らし、耳を掻いていた。耳垢のように血液が固まって不快感を覚えたからだ。加えて、話に興味がなかった。
「心当たりはあるだろう?」
傍らのまりなに烈光の邪神が視線を向けるが、それを遮るように歩み寄っている。
「……あ、の――!」
否定したかった、だが、その背中を押すような言葉を投げる前に。
エヌラスは、親指を立てて見せていた。
ハンドサインで店に戻るように指示されて――まるで犬でも追い払う仕草で――縫い付けられたように動かなかった足が不思議と動く。まりなは逃げ出すようにその場を離れ、香澄達と目を合わせると深く頷いた。
「みんな、早くお店の中に戻って」
「でも、エヌラスさんは」
「……多分、大丈夫だから。あの人は」
人間じゃなかったとしても。魔術師だとしても――人類の味方ではなかったとしても。
あの人が口にした言葉は、嘘ではない。
香澄達の背中を押す言葉も、夢に向かって羽ばたく皆を応援する気持ちも何もかも、全部。
まりなに押されて、やむなくライブハウスの中へ戻される蘭は、どこか裏切られたような気持ちで赤髪のエヌラスを見つめていた。
その視線に気づいたのか、目が合う。
モカ達に引かれて『Galaxy』へ戻る蘭は、一瞬だけ見た。怒りではなく、どこか哀しげで、申し訳無さそうに目を伏せるエヌラスの顔は、すぐに邪神へ尽きぬ怒りと憎悪の顔へと変わる。
「……なんで」
「蘭、早く」
何も言ってくれないんだろう、と。
蘭は、垣間見たエヌラスの素顔が目に焼き付いて離れなかった。
エヌラスは無造作に烈光の邪神へ向けて歩み寄る。
「――俺が元の世界で、なんて呼ばれていたか知ってるか?」
「さぁな。興味などない」
「そうかよ」
肩から伸びる副腕が振り下ろされて、それに拳を合わせた。アスファルトに沈み込むほどの衝撃を、しかし今度は受け止めている。灰色の光を纏わせていたにも関わらず、その副腕が砕けた。
それに打ち砕かれたのは、なにも拳だけではない。絶対の自信を持っていた邪神の権威そのものが脅かされる側となった。
「――――」
我を忘れて、怒りに染まろうとしていた烈光の邪神をエヌラスは力任せに殴りつける。
そして、その巨体が今度は地面を転がっていった。自分が何度もそうされて地面に這いつくばっていたように、激しく全身を打ちつけながら。
「“戦禍の破壊神”だとよ。誰がそう呼んだかは知らねぇがな! 反撃開始だ――! その傲慢も矜持も全部
エヌラスが横目で二代目賢人バルザイを見下ろす。
「テメェは、その次だ」
「…………」
その言葉に、静かに、だが深く頷いた。
今は、目の前の烈光を打ち崩す。そのために肩を並べる奇妙な共闘関係。
――それは、いつだったか。
“友達”と呼べたはずの男とそうだったように。