地に伏せていた烈光の邪神が、重々しく立ち上がる。砕けた副腕を再生しながら、激情で気が触れそうになっていた。
有り得ない。こんなことがあってなるものか、と。
しかし、現実には自分が打ち崩されていた。圧倒的な神威を誇っていた烈光も、全身を覆う神殻兵装も。
邪神の“権能”をすら、エヌラスは正面から粉砕していた。
そんなはずがない。そんなはずはない。そんな、そんなデタラメがまかり通るものか。
構成術式すら決壊させる程の権能を所有しているなど、一言も聞いていない。
「たかが――! たかが
出来損ない。邪神ですらない。眷属ですらない、爪弾き者の分際で。
愚にもつかない劣等を相手に遅れを取ったとあっては、邪神の沽券に関わる。
俺は違う、俺は他の連中と違う。あんな奴らと一緒にされるわけにはいかない。
「あー? なんだうるせぇ、
その言葉は、烈光の邪神の逆鱗を撫でる程の破壊力を発した。
自らを他と一線を画していると豪語してならない烈光の邪神に対し、同一とみなすだけに留まらず、格下に見るという侮辱は耳にすることすら憚られる。
副腕を構え、怒りに身を任せて地を鳴らしながら駆け出す烈光の邪神に対してエヌラスは肩を回し、全身に赤い紫電が奔る。
二度目の、正面からの衝突。結果は変わらず、烈光の邪神の装甲が砕けていた。しかし、無傷ではない。少なからずダメージを負っているにも関わらず、それらを無視した蹴撃が邪神の身体を再び蹴り飛ばしていた。
――それを隣で見ていた二代目賢人バルザイは、その滅茶苦茶な闘い方に苦い顔をする。
そもそも魔術ですらなかった。それは、相手の術式に介入して崩壊させるという荒業だ。
デタラメで、滅茶苦茶で、あまりにも荒唐無稽が過ぎる権能。一歩間違えれば星の生命すら崩壊させかねない破壊の権化。
しかし自分がやるべき役割もまた、似たようなものだ。
二代目賢人バルザイは偃月刀を携えてエヌラスの後を追いかける。
状況は一転して、烈光の邪神が窮地に立たされることとなった。
対策を講じてきた。クトゥグアも、イタクァも。だが、その権能がよもやこれほどの脅威とは思いも寄らなかった。魔術師である領分を攻略してしまえば、打倒することは容易であると。
それは、油断というものだったのか。それとも邪神の驕りだったのか。否、どうあろうとも自らに敗北は無いとしていた慢心と矜持だった。
そして、それが今――自らを追い詰めている。
見解を改める他にない。業腹だが。
驚きに足をすくめて立ち止まる通行人に向けて、烈光の邪神が副腕を向けた。
エヌラスがこの地域の人間を守る為に戦っていることは理解している。しかしこれまでそれを逆手に取らなかったのは、取るに足らなかったからだ。今は状況が変わっている。ならば使えるものは使うべきだ。
その副腕から光の槍が放たれる。触れた人間は灰となって消滅するはずだったが、それを遮ったのは宙に浮かび上がる炎。
偃月刀の遠隔鍛造。二代目賢人バルザイの手には、魔術紋様が淡く輝いて浮かび上がっていた。
小細工を弄した結果、烈光の邪神の目前にエヌラスの赤い拳が迫る。
それを受け止め、逆の拳もまた同様に防ぎ、互いに腕を掴み合う形となっていた。
体格も、魔力も、何もかも全て上回っているはずだ。しかし烈光の邪神の両腕部が力任せに粉砕される。無理矢理に引きちぎられて、その断面は塩の塊のようになっていた。
躊躇なくエヌラスはぶら下がる腕を握り潰してゴミのように捨てる。
「悪いなぁ、こうなるともう、俺自身何をぶっ壊してるのか全っ然自覚ねぇんだ!」
「――――!」
両腕を樹木のように再生させながら、烈光の邪神が副腕より光弾を連射した。しかし、それを真正面から受けながらもエヌラスが自分の身体を電磁加速で地面から撃ち出す。磁場加速による光速移動から切迫して、胴体に向けた拳を打ち込む。
巨体が揺らぐ。千年樹のような大柄な神意の装甲が、撓んでいた。
「ぬっ、おっ……!」
敵わぬはずだった相手が、初めてそこでダメージを見せる。反撃を掻い潜り、さらに一撃。
――戦闘経験だけで言うならば、エヌラスには遥か及ばない。世界の脅威、人類の真なる仇敵である邪神と戦い続けてきた魔術師との圧倒的な経験の差。能力が対等ならばこそ、それは覆せないほどの力量差となる。
自らの身体ごとクトゥグアの炎熱で発火させようとするが、二代目賢人バルザイの投擲した偃月刀が右脚に突き刺さった。その刀身に刃紋が走り、形状が変化する。
大きく歪んだ三日月状の刃から、黒い鍵へと変貌してより深く烈光の邪神の右大腿を穿った。
神性の術式を解呪しようという試みに、烈光の邪神が再生を終えた腕で鍵を粉砕する。だが、その顔面にエヌラスの拳が強烈に打ち込まれた。
魔人。人ならざるもの。人に限りなく近いが、神に遠く及ばない存在。半端者、とされている。だが、エヌラスの持つ権能は、明らかに過剰だ。魔人の領分に押し込められていい権能ではない。
それは、破壊の力だ。生きとし生けるもの全てを容赦なく奪い去る無差別な暴力だ。生命への暴虐に他ならない。
これを使われれば、如何に邪神と言えど無事では済まない。何故ならば、神であろうとも例外なく“存在”しているのだから。
烈光の邪神は、これまでの疑問が一気に晴れた。だがそこに爽快感などはなく、あるのはただただ屈辱感だけだった。だからこそ、その内心で神威の灯火が燃え盛る。
「貴様だけは――此処でやはり消えるべきだ! この星諸共、滅び去れ!!
――シャンタク!!!」
背面の大きな銀の翼を広げて、烈光の邪神が夜空へと飛び上がった。
自らを光球と化し、やがて止まると副腕を合わせる。
同様に、両腕も合わせて指を組む。
――それは、神への祈りにも似た姿だった。
「“
こうまでしなければならない屈辱を、甘んじて受けよう。
だがあれは、此処で消すべきだ。此処で滅ばねばならない。この星で最期にしなければならない。
あれは、あらゆる異界を崩壊させる代物だ。
存在すべきではない。
否――
「『カルナマゴスの誓約』の名に置いて、今此処に盟約を果たす――!」
「――――」
その名を口にされて、二代目賢人バルザイの眼が見開かれた。
邪智なるもの。邪悪なる賢者。そして、偉大なる預言者にして、我が師と相反する対敵。
その名を、カルナマゴスという。
手にした魔導書も、その身に纏う神殻兵装も何もかもが邪智暴虐なる預言者の賜物。
「我は“神威”なりし――刮目せよ。いざや招来。天を仰ぎ見よ、塵芥。救済の時来たれり」
それは、光の奔流。天を衝く光の柱だった。
青白い光が迸り、それに触れる全てを塵へと変化させていく。
「死せる星々と、数多の世界から成る宇宙の彼方より来たるもの。
我が烈光より逃れるものはなく。我が救済は万物に分け隔てなく与えられる。
――窮極の腐敗と魂の解放を此処に」
あらゆる生命には、終わりがある。命の終わりとは、平等に訪れる。それがどのような形であれ逃れることはできない。どれほどの苦痛と困難があろうとも、その末路だけは変わらない。
天国も地獄も無く、あるのはただの虚無。無為転変、森羅万象逃れ得ることはまかり通らぬ。
「真名解放――!! エクスクロピオス・クァチル・ウタウス!!」
光輝なる窮極の腐敗。その光刃が振り下ろされる。
あれに触れれば、例え星の生命と言えど滅びの時を迎えるだろう。何千、何万、何億という時の壁を越えて。
即ち、人類終焉の時。大地に触れれば、その瞬間に風化してしまう。地球という星の寿命だ。
だが、エヌラスはその光に向けて手をかざしていた。
あまりの光量に眼を開けてもいられないほどだが、しかし――。
その光は、冥き宿星を照らすにはあまりにか細い道標でしかない。
そこは貴様の墓標でしか無くなっていたという憐憫の情すら覚えて。
エヌラスは、ただ一言。口訣を結ぶ。
――権能解放。
「機神招喚」
それは――破壊神と呼ばれる由縁。
空が割れる。無から、有へと。零から壱へと至る術式。
虚数展開。
無数の歯車と、無数の術式が絡み合い、それは一つの形を成した。
巨大な。あまりに巨大な、機械の腕だった。
“機神の右腕”が、夜空に召喚される。その掌には、防御陣を描いていた。
衝突する光と光が、魔力の本流を散らしている。
「――馬鹿が、この程度か。俺の師匠を殺すなんざ、誇大妄想も甚だしい」
列車ほどもある機械の腕は、“生きていた”。機械の中で蠢く気配も、鉄の脈動も感じられる。しかし、烈光の邪神が放つ極光の刃はそれを滅ぼす程の力を有していなかった。
光が霧散する。その機械の腕は、唸っていた。
存在するだけで、風が唸りを上げている。圧倒的なスケールの存在感。それは、天文学的な密度の術式によって構成される“機械の神”だった。
「デウス……、マキナ――“
「俺もテメェもそうだろうが、いい加減に消え失せろ烈光。目障りだ」
巨大な防御陣を解き、指を折っていく。エヌラスの腕の動きと同期して、機神の右腕は拳を作っていた。ただの一撃、だがそれを構成している術式は破壊の権能。
それを受ければ、必滅は避けられない。しかし、回避する猶予などはなく、烈光の邪神――クアァチル・ウタウスは天から振り下ろされる機神の拳を防ぐしかなかった。
「――Aaaaaa!!?」
副腕、両腕、更には両脚。権能も含めて、魔導書の力も総動員することで辛うじて受け止めることに成功したクァチル・ウタウスだが、自らを押し潰さんとする圧倒的な質量に全身の神殻兵装がひび割れていく。大地を踏みしめれば、そこは巨大なクレーターとなって陥没した。
地球と機神の右腕の板挟みとなり、圧死も目前となっている邪神めがけて二代目賢人バルザイが駆け出している。その小柄な体躯を活かして、両腕に携えた偃月刀を“鍵”へと変化させながら滑り込むようにクァチル・ウタウスの両足に突き刺し、足の間からスライディングで抜けていく。
「き、さま……!? 何を……!!!」
バラ、バラ――と。それは、ほつれるようにして。
神殻兵装を構成していた魔導書が、紙片となって全身を覆っていたクァチル・ウタウスから引き剥がされていく。
二代目賢人バルザイは、指を構えている。
その力の在処が、“魔導書”であるというのなら――解呪は簡単だ。
“書き換えてしまえばいい”のだから。
――“
パチン、と小気味良い指の音を最期に。クァチル・ウタウスから、二代目賢人バルザイへと術者が書き換えられていく。
そして、安全圏へと離れた手には『カルナマゴスの誓約』を改めて『カルナマゴスの遺言』が握られていた。
変神が解かれ、機神の右腕をそのままに受け止める形となったクァチル・ウタウスは無機質な表情の二代目賢人バルザイを睨みつける。
果てしない憎悪と、怒りと侮蔑を込めて、万感の怨念を込めて口にした。
「――呪われろ」
そして。
窮極の腐敗の邪神、クァチル・ウタウスは機神の右腕に圧し潰された。
夜空へと手をかざす機神の右腕が、吼える。夜風を浴びて空気が震えている音でしかなかったが人々の心に絶対的な恐怖と存在感を植え付けるには十分すぎるほどの破壊の権化だった。
だが、それも光となって解けて消えていく。
まるで夢のように。
悪い夢だ。
――そんな、悪い夢はいつか覚めるものだ。
残されたのは、二人。
カルナマゴスの遺言を手にした二代目賢人バルザイ、魔人としての本性を露わにしたエヌラス。
大地には、大きく穿たれた巨人の爪痕。そこには一握りほどの灰が残されていた。それも風に流されてどこかへと消えていく。
これ以上の戦闘継続は、互いに分が悪い。ならば、日を改める他にない。
「…………テメェがどうして俺の味方をしたのかなんか、どうでもいい。今は、人間の味方ってことでいいんだろうな」
「…………」
エヌラスの言葉に、二代目賢人バルザイは静かに頷いた。
「ならいい」
そう短く呟いて、足を鳴らす。影の中から飛び出したハンティングホラーの背に跨るや否や、ニトクリスの鏡を展開。
魔獣の咆哮を残して――その日から、エヌラスは戸山香澄達の前から姿を消した。