――それは、一夜の悪夢だった。
大規模な破壊活動。到底、現代では考えられないような超常現象の嵐に見舞われた街の被害は、台風や地震にも似ていた。
電車は止まり、一部では停電。それに留まらず、怪我人も出ている。
しかし、そこに死者はいなかった。
あくまでも
『Galaxy』で行われていた合同ライブイベントは結局、早期終了という形となる。本来ならば長丁場となるはずだったイベントだが、それでもアンケートの集計だけはしっかり行われた。
その結果発表を待っている間、控室では重苦しい空気が流れる。
今日、自分たちを見送ってくれたエヌラスの本性を垣間見た。それは、どれほどの現実感を喪失したことだろう。
それを知っていた紗夜達ですら、言葉にならなかった。
意外にも、その沈黙を破ったのは『Afterglow』。美竹蘭だった。
「……あの人がああいう人だったって、知ってたんですか」
それは、誰かに向けたわけではない言葉。独り言に近い。しかし、正体を知っていた香澄達は静かに顔を逸らす。
どんな怪我を負っても、笑って接してくれていた。自分たちの日常が崩れないようにと、精一杯気を遣って。
それは残念な結果になってしまったけれど。誰もが黙っている。
最初から、変わった人だと思っていた。だけど、あそこまでとは想像もしなかったし、地球であんなことが起きているなんて欠片も思わなかった。
「……んー、まぁ……でもアタシ達も知らなかったんだ」
それに答えたのはリサ。一番最初にエヌラスと出会った一人。そして、モカは相変わらず口を閉ざしている。
「あんな人だとは思わなかったなぁ。あ、悪い意味じゃないんだけど」
第一印象からは、とてもではないが予想できない。それを咎めることは蘭もできなかった。
羽丘女子学園で声を掛けた時も、風体はともかくとして態度そのものは悪い人ではなかった。そこから、あの印象に紐付けることはあまりに難しい。
それほどまでに、人間に対する“擬態”が上手すぎた。
『RAS』のボーカルであるレイヤは、たえを心配そうに見つめている。以前、ポピパが海外に小旅行で日本から離れた際も引率者としてあの“先生”は同行していた。それに加えて、ネットで流れた動画にだって映っていた。
「……花ちゃん」
「?」
小首をかしげている姿に言いにくそうに話を切り出す。
「あの人とは、これ以上一緒に居ないほうが」
「レイ」
射抜くような、短くハッキリとした言葉に目を合わせる。たえは、腕を組んでレイヤを見据えていた。どこか軽蔑するような眼差しで。
「そんなこと言わないで。エヌラスさんは、私達の命の恩人なんだから」
「でも」
「うん、心配してくれてありがとう。でもそれ以上言うなら、私はサポートしてあげられない」
「――――、そこまで……言うんだ」
「私、本気だから」
理由はどうあれ。これ以上の言及は自分にも、相手のためにもならないとレイヤはすぐにその話題に触れることを辞めた。
「……ごめん」
「ううん。気にしてないよ。確かにさっきのエヌラスさん、ちょっと怖かったもん」
あそこまで鬼気迫る顔をしたのは初めて見る。
少しずつではあるが、恐怖を紛らわせるように口数が増えていく。そうでもしなければ、先程の出来事に心が押し殺されそうになる。
椅子に座ったきり、俯いているあこに巴が声を掛けた。だが、気づいた様子がないのか肩を軽く叩く。すると、そこでようやく気づいて顔を上げた。
「……お姉ちゃん?」
「あこ、大丈夫か?」
「うん。……でも、るーくんが」
「…………」
るーもまた、同様にライブハウスを飛び出してから戻ってこない。
あれだけの騒ぎに首を突っ込んだ手前、戻ってきたらまた大騒ぎになると解っているのだろう。心配なのは巴も一緒だった。
扉がノックされて、疲れた様子のまりなが入ってくる。
「みんな、お待たせ。アンケートの集計結果が出たから、ステージの方にきてもらえるかな? 表の騒ぎもあってちょっと時間かかっちゃったけど、これが終わったら今日のイベントは終了だから早めに帰宅するように」
その言葉に、一同が頷く。
なにがあっても、演奏を続ける。それは今夜に限ったことではない。
泣いても笑っても、今日の結果次第だ。
口約束だったとしても『Afterglow』が『Roselia』に負けた時は、関わりを断つと言っていた。
――ドリームランド・レン高原の地にて。
光の御柱が降りた。そこから弾かれるように姿を表したのは、子供のような体躯の枯れ木。
腕を突き出し、足を棒のように伸ばしたまま直立不動の体勢で立ち上がり、足元の背丈の低い雑草を塵にしながら降り立つ。
それこそが、クァチル・ウタウスの“本体”だった。人間の巨漢を形作っていた
無数の皺が寄り集まってできているような顔が、わずかに歪む。
怒りに震えていた邪神は、自らの敗北を噛み締めていた。この屈辱も、この敗北も、この怒りも何もかも忘れはしない。
必ずや報復を。あの宇宙ごと消し去らねば気が済まない。
その復讐を誓うクァチル・ウタウスが、荒れ果てたレン高原の地平線に修道院を見つけた。そこは記憶が正しければナイアルラトホテップの神官がいたはずだ。忌々しい、まったくもって忌々しい。
この土地は、様々な場所を“漂流”している。ゆえに、特定の場所に留まらず、所在地が特定されることはない旅する地域だ。だが、周囲の景色を見渡せば此処がドリームランドであることが見て取れる。
ならば、と場所を変えようとしたクァチル・ウタウスが立ち止まった。
この荒涼とした高原を踏みしめる足音を聞いたからだ。どのような狂人が物見遊山に散策しているのかと振り向いたのが運の尽き。
黄金の瞳。金色の髪。纏う衣服こそは、それこそ俗世のものではあるが纏う雰囲気は人外のそれだった。だがこの場において、最も異彩を放っているものは手にしている桶。まるでこれから温泉にでも向かうかのような道具一式が籠められている。
「――――」
「……ん? なんだ、邪神か」
その男は、まるでこちらを脅威と認識すらしていなかった。傷つき、権能は削がれ、戦闘能力も大幅に減少しているとはいえ、それでも邪神の一柱だ。それを、まるで野良猫でも見つけたような気軽さで流す相手に、クァチル・ウタウスはその不敬さに死罪を与える。
「見ての通り。私は少しばかり温泉巡りのぶらり旅の最中だ。手負いの邪神に構う暇などないよ。疾くと立ち去るが良い」
問答無用に、その突き出した掌から光の槍を放つ。それは黄金の男が小脇に抱えていた風呂桶をボロボロに経年劣化させて、塵芥にした。
「立ち去るのは貴様の方だ。これより北方は人間には踏み入ることすら叶わぬ神々の土地カダスと知っての狼藉か。恥を知れ」
「人間は基本的には愚かで無知蒙昧であると知らんのか? 厚顔無恥とはこのことだな」
その軽口が、記憶に新しいあの魔術師を彷彿とさせる。憂さ晴らしとでも言わんばかりに、クァチル・ウタウスはその男へと接近した。
愚にもつかない人間め、命知らずの無法者め。その手から光が放たれる。
しかし――そのいずれもが、その男に触れることはなかった。
小脇に抱えていた風呂桶が無くなって、衣服に付いた誇りを払い落とすと腕を組む。
「さて。言い忘れたが――今の私はとてつもなく機嫌が悪いぞ」
「――――」
クァチル・ウタウスの持つ権能の光が届かない。目を凝らせば、その光は全て男の前で屈折していた。
同様に、男が手をかざす。その周囲に浮かび上がる黒い球は、一切の光を反射していない。まるで空間をくり抜いたような黒い球が放たれた。
それを防ごうとしたクァチル・ウタウスの右腕が“飲み込まれる”。
「なッ――」
「お前の権能は、光か。光速の時間加速による経年劣化だな。なるほど? ならば光に触れなければいい。――
「これは……、これは“ン・ガイの闇”か!」
「なんだ、知っているのか。なら話は早いな。とはいえ私の場合は、疑似的なものだがな」
重力波を押し込めた空間圧縮による超重力弾。それは、光すら逃れ得る手段を持たない高等魔術だ。男が手を振り上げれば、その周囲を守るように無数の超重力弾が浮かび上がる。
「魔術師同士の闘争において、必ずしも魔術の腕が決定的な勝敗の差には至らない。同様に――超人同士の血闘においても、因果律の操作は必ずしも有効打とは限らない」
「ちィ……!!」
一度のみならず、二度までも敗退を許すか。これほどの屈辱を甘んじて受けなければならないというのか――だが今は敗走に勝る勝算はなかった。
「おっと。逃さんぞ?」
指を鳴らした、次の瞬間。クァチル・ウタウスがその場に沈み込んだ。まるで自らを大地に沈み込ませるかのような圧迫感、目に見えない圧倒的な質量に圧し潰されそうになるが、機神招喚ではない。周囲の空間を歪めているだけだ。
「――重力操作程度で、この、俺を――屠れると思うなァ!!」
その手が、男の頭部に触れる。
確かに、触れていた。鷲掴みにしている。ならば結果は必然。窮極の腐敗を持ってして絶命して然るべき――!
「…………貴様ら神は、人間を侮りすぎる」
だが、男の口からは冷徹な言葉だけが吐き出されていた。消滅も腐敗もすることなく、クァチル・ウタウスの頭部を掴んでいる。力を込めれば空間が金切り声を上げるように不快な音を立てていた。
「何故、そこで止まる。何故、相手の肉体を消滅させて勝利を確信する」
「――!」
何故、という疑問ばかりが湧き上がる。
――
「貴様は、死んでいるのか――!!!」
「死んでいるものを滅ぼせるものか。死を
クァチル・ウタウスが自らを縛る重力結界に眼と耳を凝らせば、それは無数の死霊だった。人だったモノもいれば、人ではないモノもいる。どれほど万物を滅ぼそうと、そこに残された怨念は決して滅び去ることはなく立ち止まっていた。
それが、今。自分の全身を蟻のように蝕んでいる。この場に縛り付け、この場に留まらせ、のみならず重力の境界を越えて怨嗟の声と共に死をもたらそうとしていた。
死霊術。死霊秘術――人道における禁忌の魔道。人外の理にあって、尚も外道とされる術を用いるこの男は、人間であると言うよりも、最早その精神性は邪神に近い。
「――マスター、オブ…………ネクロノ――ミコン……」
「さてどうだか。“消え失せろ”」
大魔導師の手の中で、クァチル・ウタウスの頭部が砕け散った。ボロボロに朽ち果てた枯れ木のような小さい体躯が、灰となっていく――まるで、
降り積もった塵を見て、大魔導師はその上を踏み歩きながら道を引き返した。
「……まったく、せっかくの風呂支度が台無しだ」
その手にした邪神の残りカスを払い落としながら、無駄な時間を過ごしたとぼやく。
前人未到の未知なるカダスの地に、何も求めてなどいない。
ただ、嗚呼。
この退屈を紛らわせる時間があればそれだけで。
「しかし、あの程度の邪神に手こずったバカはどこのどいつだ。半殺しでは済まさんぞ」
顔を見ることが叶うならば、一度殺した程度では飽き足らん。