第百七一幕 今井リサのモーニングコール
――エヌラスは、人里を遠く離れて山中深くに身を隠していた。
人気のない場所で、傷の治療に専念する。
烈光の邪神、クァチル・ウタウスとの死闘で乱入してきた少年。アレは、神代の魔術師だ。人間の時代より遥か前、人智遠く及ばぬ異界からこちらの世界にやってきた魔術師であり――邪神の気配も同時に有している。
それは、つまり、自分とほぼ同じ境遇ということだ。
魔術師という肩書で覆い隠した本性。邪神と、魔人という違いでしかないが今度という今度ばかりは、小細工をどれだけ弄したところで意味を成さない。
左胸を抑えてうずくまる。停止させた銀鍵守護器官の魔力を総動員して、魔人の権能を抑制していく。
この心臓は、自分が人間として振る舞うための“制御装置”でもある。全身に施術された外付けの魔術回路がそれだ。
存在そのものが、危険性を孕む権能を有した魔人としての力を抑え込む為に魔力を回す。だが、抑制していく度に窮屈感を覚えて拘束具を破壊しそうになる。
いっそ、このまま。この星ごと、この宇宙ごと、何もかもを壊してしまえば気が楽になる。そんな甘い誘惑を振り払うために、エヌラスは手短な樹木に頭を打ちつけた。
拘束を振りほどこうとする権能が、半ば暴走状態で振り回される。頭を打ちつけた樹木がくの字に折れて倒れていく。地響きに驚いた野鳥たちが騒ぎ立てて飛び立っていった。
「――――、俺は……!」
この手で奪った生命の数は、数え切れないほど。この手で奪った未来の数は、数え切れない。
この命が生きていられる理由など自分の中にはない。だからこそ、誰かの為に。自分の大切な誰かの為に使い続けると決めた。
両手で顔を覆う。
此処で出会った、皆の顔を思い出す。それをこの手で奪ってでも成し遂げたいと思う。だが、そうしてまで成そうとする願いは、本当にそれだけの価値があるのかと己に問う。
何もかも見捨てて、忘れて、過ぎ去っていく時間に身を委ねて。
どこか、遠い。
自分のことを知らない、遥かな遠い世界で、自分ひとりだけが安穏と生きる選択肢だってあるはずだ。もうこれ以上辛い思いをしなくていい。そんな思いを誰にもさせなくてもいい。そうすべきであると自分にすら言い聞かせたくなる。
今以上の重荷を背負って、どうするというのか――。
だが。それでも、と。
――だからといって。
自分が辛くて、苦しくて、泣き出したい一心で、救われたいと乞い願ったとして。
自分が奪ってきた生命の全てが、それすらも出来なくなった。なのに、自分だけが救われたいなどという自分勝手を、エヌラスは許さない。
背負った重荷で自分が潰されようと。
奪った生命に、自分が奪われようと。
それを無為にする事だけは、絶対にできない。
だから、諦めない。絶対に。何があろうとも。
例えこの先にどんな地獄が続いていたとしても、必ず。
「……絶対に、諦めねぇぞ……!!」
負けるものか。負けるものか――、自分の本性になど。
歯を食い縛って、血反吐を堪える。
呪詛のように幾度となく繰り返した言葉は、かつて師に教えられた。
何があろうと、絶対に諦めるな。
銀鍵守護器官による拘束と、制御を行う最中で意識が途切れそうになる。神経が焼け切れそうなほどの熱量で自我を奪おうと襲いかかってきた。
腕を大木に打ちつけた痛みで抑え込もうとするが、その前にまた大木が粉砕される。
――破壊の権能。壊す事に特化したこの手で、料理が作れた試しなどない。
だからこそ、モノを作る時は、誰かに触れる時は神経質になる。過敏なほどに、過剰なほど。
だけど、それでも――誰かに触れる時も。誰かを愛する時も、愛を育むことも辞めることはできない。自分が手にしたくて、欲しくて欲しくて堪らない温もりだから。
暗転していくエヌラスの意識の中で、いつか聞いた誰かの声が頭の中で反響する。
底抜けに明るくて、なんとかなると笑っていた少女の声が――嗚呼、またか、と。自分が本当に折れそうになるといつもだ。
決まって、顔は思い出せないが。それでも。
――こんな自分と共に戦って、未来を手にした少女達がいたことだけは、覚えてる。
一連の破壊活動から、翌朝の報道機関は大騒ぎだった。まるで常軌を逸した災害に見舞われた地域では電車は止まり、一部では停電。それだけに留まらず、急遽羽丘女子学園も花咲川女子学園も休校という形となった。
その破壊規模は、隣町の駅と河川敷に始まり、最寄り駅とその広場から商店街、住宅街の手前の橋にまで及んでいる。それでも死者は出ていないことだけは、逆に薄ら寒さを覚えていた。
結局、あの後――『Galaxy』で解散したガールズバンドメンバーはまっすぐに帰宅。ライブ終了後は観客も大騒ぎになった。
エヌラスと連絡を取ろうと試みた紗夜達だったが、音信不通のアナウンスに胸騒ぎがしていた。
報道番組の特番では、どこもかしこも日本を襲った異常気象の数々に不審な光。それこそがまさに「オカルト」の名に相応しい。未確認生物である「ブラックヒューマノイド」で話題騒然となっていた。それが特定されるのも時間の問題だろう。
突如、学校が休みとなったことで今井リサは自宅で待機していた。せっかくの休み、おとなしく自宅で過ごそうと考えていたが、不意に気になって湊友希那に電話を掛ける。
少ししてから、電話に出た。
『もしもし? 何かしら、リサ』
「おはよー、友希那。いやぁ、思ってた以上に大騒ぎになってるね」
『当然よ。そのせいでせっかくのライブも台無しだわ』
「まぁまぁそう言わずに。……あれから結局、よく眠れなくて」
『私はちゃんと寝れたわ』
「健康だねー」
あはは、と空笑いをしながらリサはあれからのことを思い出す。
――アンケートの投票結果から言えば、『Afterglow』は『Roselia』に一歩及ばなかった。それでも精一杯演奏をしたのだと、蘭は口にしていた。
「……モカ達、落ち込んでたね」
『そうね。でも、美竹さん達なら心配はいらないんじゃないかしら?』
「友希那はそう言うけどさ、ほら。あの約束」
『あの人が勝手に約束したことでしょう? 気にかけるほどじゃないわ』
「んー、まぁ。アタシ達の音楽活動に今後関わらないにしても、今はそれどころじゃないし」
『それで、なにか用事でもあったのかしら?』
「ちょっと話がしたかっただけ。なんか自分たちを取り巻く環境が一変して不安になっちゃって」
『元はと言えば、リサが餌付けしたのが発端でしょう?』
「それを言われちゃうと否定できないんだけど……」
餌付けって。
『リサ。私は心配しているのよ?』
「うん、ありがと。友希那」
『……本当にわかってるのかしら……貴方が優しいのは、よく知っているわ。だけど、できればあの人とはこれ以上関わり合いにならない方がいいわ』
「――――そうかも、しんないけどさ」
リサの脳裏をよぎるのは、酸鼻極まる凄惨な姿。
誰のために立ち上がり、誰のために剣を手にしているのか。決してそれが自分だけのためではないとわかっていても、放っておくことなどできないと思った。
しかし、それを口にすれば友希那のへそが曲がるのは目に見えている。
「……あこも、落ち込んでたね」
早々に話題を切り替えると、友希那も相槌を打っていた。
『ええ、そうね。練習を見学していたあの子も、まさかそういう手合だとは思わなかったわ』
「でもさ、いい子だったじゃん? あこによく懐いてたし、それに友希那に似てたし」
『そうかしら』
「……悪い子じゃないと、思うよ」
『…………だといいわね』
あの子も、るーも結局あれから戻ってこなかったが――と、その時。リサのスマフォが震えた。着信の通知に画面を見れば、話をすれば影。
『Roselia』トークルームに投げられたあこからのメッセージだった。
『るーくん戻ってきた!』との一文にスタンプを添えて喜びを表している。それを見て、ほっと一安心、胸を撫で下ろしたのも束の間。すぐに紗夜から返信が飛んできた。
無邪気なあことは別に、危惧しているようだ。今はその対策をしてくれていたエヌラスも音信不通の状態。なにか一歩でも間違いが起きたら取り返しのつかないことになる。
「あー……」
これは、また今日もちょっと荒れるかもしれない、と。リサは外の天気を眺めることにした。
そんな少しずつ険悪な雰囲気になりつつある空気とは裏腹に、空は青い。怖いくらいに。
何も起きないといいのに、と。太陽に願わずにはいられなかった。