宇田川家では、るーが横になっていた。その視線の先には、首輪をつけたロシアンブルーが座り込んでいる。
クァチル・ウタウスとの激戦で想像以上に消耗していた魔力の回復に努めていた。その様子を見ていたロシアンブルーの耳が外からの物音に反応する。部屋を出て、器用に前足で扉を開けると玄関前に座り込んだ。
巴とあこが帰宅する。
『おかえり、お二人さん』
みゃー。
「ただいまー、ネコちゃん! なでなでー」
「……あれ。るーは?」
『寝てるぞ』
みゃふー。ごろごろごろ。
猫の言葉が人間に通じるわけでもなく、巴とあこはすぐに様子を見に行った。
るーにあてがわれた部屋に向かうと、シーツをかぶって眠っている。
あの日から、寝る頻度が多くなっていた。最初は疲れているだけだと思っていたが、この数日は家の手伝い以外はずっと眠っている。ネコもネコで気ままに過ごしていた。
『ほれ起きろ。やれ起きろ』
にゃー。てしってしっ。
眠っている顔に向かってロシアンブルーは前足でパンチを繰り出す。鼻に前足を押しつけると、静かに目を開けられた。
寝ぼけ眼のるーが伸びをして、あくびをこぼす。
「……これじゃどっちも猫だな」
「…………?」
目をこすり、るーが二人に気がつくと手を振る。
「ただいま、るーくん」
目の前に座り込むあこに、るーが頷く。手を出すと、軽くハイタッチをしていた。巴に向けて同じように。
「るー。アタシ達、エヌラスさんを探さないといけないんだ。手伝ってくれるか?」
「――――」
その言葉には、少しだけ複雑な顔をしていた。ほんの些細な変化ではあったが、眉をひそめて、物悲しそうにしている。
「無理にとは言わない。でも、るーにとっても大事なことなんじゃないのか?」
「…………」
確かに、それは否定するべくもない。
次にあれと顔を合わせれば戦わなければならない――だが、なんのために? 互いに刃を向ける理由など、どこにもない。少なくとも、こちらには。しかしこちらに一切の非があろうがなかろうが、お構いなしにアレは刃を振るうだろう。それだけの理由がある。
少し考えて……、それが二人のためになるのならば、と。るーが頷いた。しかし、隣に座り込んでいたロシアンブルーが一声。
『やめとけやめとけ。ろくなことにならないんだから。大体お前だって怪我治りきってないんだろ? 静養に努めとけって。人探しなら俺達の出番だ』
みゃおー、にゃー、ふみゃーん。
しきりに鳴いているようにしか聞こえない二人からすると、お腹が空いているのかと勘違いされそうである。
『あの魔術師なら、すぐ見つけられると思う。それに今は暗くなったら出歩かない方が良さそうだ――あまり良くない奴らがいるようだしな』
「…………」
『任せとけ。大船に乗ったつもりで!』
にゃおー。
ロシアンブルーの目をじっと見てから、るーは二人に猫を掲げた。それをあこが受け取り、しきりに撫で回す。
「あーあー、あこ。制服が毛だらけになってるぞ。ちゃんと後でブラシしておかないとな」
「だってネコちゃんかわいいんだもん」
『ふふーん、これは愛くるしい猫の特権だ。羨ましかろう』
「…………」
――何故か、無性に腹が立ったので。るーはロシアンブルーの顔を両手で掴むとそのままむしゃくしゃにしてやった。
みゃごるもふみゃふんもふぁ。唸ったり鳴いたりでよくわからない鳴き声をあげている猫を抱えて、あこはリビングに向かう。おやつでもあげようとしているのだろうか。さっき食べたばかりだというのに。
制服が猫の毛だらけになっていることで案の定、親から小言を言われていた。
残された巴は、座り込んだるーと向かい合う。
「……手伝って、くれないのか?」
「…………」
「るー。どうして黙っているのか、アタシはわからない。でもさ、声に出せるなら、声にして欲しいんだ。るーは、アタシ達のことがわかるかもしれないけれど、アタシ達はるーのこと全然わからないままなんだから」
理解を深めたところで辛いだけだ。
他人に知られるほど、殊勝な生き方をしていない。生涯の全てを、師の教えに費やしてきた。来る日も来る日も、鍵を打ち続けてきた。それ以外のことなど何も知らない。
この生命の意味は、全部――神剣に捧げてきた。戻らぬ師が渇望した神の鍵を完成させるためだけに。
だから――言葉を交わすことに、意義を見出だせなかった。
それでも、巴は望んでいる。言葉を交わすことを。
きっと、お互いに理解できるはずだと信じて。
「……――ともえ」
「…………え?」
「…………」
ポカン、と。間の抜けた顔をしている。まるで自分の聞き間違いであるかのように、目を白黒させていた。恐る恐る自分を指差して、確かめる。
「今、アタシのこと……呼んでくれたのか?」
「…………」
頷く。多分、聞き逃したのかも知れない。だけど、嬉しさが隠しきれないのか頬が緩みきっている。それでも抑えきれないのか、わしゃわしゃと頭を撫でて抱きしめていた。
「はは、ははは。なんだ、なんだよもー! ちゃんと喋れるじゃないか!」
「……ともえ、苦しい」
あと痛い。
騒がしくなった巴の声が聞こえていたのか、リビングに行ったはずのあこが戻ってくる。ちゃんと猫も後を付いてきていた。
「おねーちゃん、どうしたの?」
「お、あこ! 聞いてくれよ。今、るーがアタシの名前呼んでくれたんだ!」
「ホントに! いーなー! ねぇねぇるーくん、あこも!」
「――――」
目を輝かせて、今か今かと名前を呼んでくれると期待しているあこの顔を見ていたるーだったが少しずつ顔を逸らしていき、そっぽを向いて押し黙っている。
「ねーえー、あこもー! なんで呼んでくれないのー!」
『ははぁん。さてはお前照れてるなー? その歳で……ふぎゃあああやめろぉぉぉ!!!』
るーはロシアンブルーを捕まえてめちゃくちゃに撫で回してやった。抜け毛やら何やらで部屋中猫の毛だらけになってしまったので、掃除をする羽目になったものの、巴は上機嫌だった。
――エヌラスを探そうと駅前の広場でハロハピが捜査活動をしている姿を、物陰から見守っていた黒服達も周囲を見渡して怪しい人影がないか隈なくチェックしていた。
特に異常なし。今日も我らのこころお嬢様はハッピースマイル。
『……そのまま俺の話を聞け』
「――――」
しかし、自分たちの耳に届くその声は、間違いなく探し人の声だった。どこか疲れたような声色をしている。周囲を見渡しても姿は見えず、だがすぐ近くにいることだけはわかった。
「……どちらに?」
『すぐ近くだ』
「なぜ、お姿を隠しているのですか?」
『街をぶっ壊した犯人が大手を振って歩けるか』
確かにそのとおりだ。だが、それでも顔を見せるくらいのことはしてもいいはず。
『あれから何か変わったことは?』
「……先程、付喪神。天下五剣を名乗る方々と接触しました。一連の事件について、エヌラス様に尋ねたいことがあるようで、探しておられます」
『そうか――』
「……よろしければ、弦巻家の別荘をご利用されますか?」
『有り難い申し出だが、遠慮しておく。やることがあるんでな』
「わかりました」
『こころ達には、心配するなとだけ言っておいてくれ。世話をかける』
「いえ、お気になさらず」
自分たちの近くにあった違和感、気配が消えてから改めて黒服達は周囲を警戒する。やはりその姿は何処にも見当たらない。
魔術で姿を隠しているのだろうが、光学迷彩も真っ青だ。それにしても多芸である。
クァチル・ウタウスとの死闘から三日。エヌラスは魔力を過剰燃焼させ続けていた反動から左眼と右腕の感覚が一時的に停止していた。制御が安定するまでの間、銀鍵守護器官の魔力を他に割いている余裕はない。
それでも片手間に扱える魔術程度ならば支障は出なかった。そのため、こうして自分の姿を隠す幻術魔法を用いて様子を見に来ている。それでも街の中を歩くのも気が引けるので屋根の上を飛び移るようにしていた。
駅前の被害は、通りが壊れて交通が不便になっているくらいだろうか。隣町ではホームが壊れて一部の路線が停止しているそうだが。
全身の魔術回路が安定して再稼働するまでには、もう数日を要するだろうと見込んでいた。それまでの間、身を隠さなければならない。
魔道装衣の黒のインナーで全身の怪我の治癒能力を高めているが、それでも限界はある。下手に魔力を使えば残留魔力を辿って狙われる可能性もあった。
幻術魔法もまた同じような理由で、あまり長時間同じ場所に留まっていることはできない。
しかし言ってしまえば、それを扱う理由などは一般人から身を隠すためだ。不要な混乱を避けるために使っている。
エヌラスは、日の傾き始めた空を右眼で見上げていた。雲の多くなってきた空色に、肌を撫でる湿気を含んだ風。あの死闘のせいで天候もめちゃくちゃになっている。
明日には天気が崩れるだろう。雨でも雪でも降りそうだ。
「……ど畜生が」
一人ぼやきたくもなる。
装備の大半も失ってしまった今となっては、頼れるものなどほとんど残されていなかった。
それでも、この命がある限り戦いを止めることだけはできない。