――どのような事態が起きても、それでも物流を止めるわけにはいかない人々や業種は必ずあるもので。それは例えば、物販店。スーパーやコンビニなど。生鮮食品を取り扱う商店街も普段より売上が多少落ちている事に頭を悩ませていた。とはいえそれはあくまでも一時的な問題だ。
日夜汗水を垂らしながら復興作業に勤しむ方々には頭が上がらない思いだが、それはそれ。
童子切達は警察の執拗な追跡を振り切っていた。そのせいで商店街ではちょっとした指名手配を受けている様子を路地裏からヒッソリと眺めていた野良猫があくびと共に体を伸ばしていた。
ヒゲを揺らし、鼻を鳴らして耳を傾ける。
そこには、エキゾチックショートヘアの猫が物音一つ立てずに歩み寄ってきていた。すぐ隣に座り込む。
『何やらきな臭い様子だが?』
『ああ。なんか例の妖怪達が騒ぎを起こしているらしい。まったく勘弁してもらいたいよ』
互いに、軍属の猫。情報屋と偵察部隊。こうして交流することは珍しくなかった。
『馬鹿殿……失礼。若殿の行方は』
『例の魔術師と一緒だ。賢人バルザイ、その弟子とな』
『煮干しの方ではないのか』
『そういえば最近貰ってないな。ネズミ狩りも飽きてきた』
黒猫は前足で顔を洗う。シトシトと小雨が降っている中、それでも人々はせせこましく日常を送っていた。
街を漂っている瘴気のせいで体調不良を起こす人は少数ながら存在している。気圧の変化のせいだと思われているようだが、それはそれで助かる話だ。
邪神との死闘による霊脈の乱れ、地脈の乱れ、星辰の乱れ――いずれもが、ウルタールの猫たちの管轄。人知れずそれらを正しい形に戻すために猫が暗躍しているとは誰も思うまい。
『あの妖怪達の件は、報告したか?』
『うむ。将軍の話では、捨て置け、とのこと。元よりこの国に住まう者だ』
『古くからこの日本には化け猫だの猫又だの何だのと多いからなぁ』
『野良が一番』
『家猫二番』
にゃー。互いに一声鳴いて、合言葉。
そんな二匹の猫の背後からぬっと手が伸びて、首根っこを掴み上げた。突然の事に驚きを隠せない野良猫は目をまんまるくしている。
そこにいたのは、追われている身の童子切安綱だった。
「おぅ、なんだお前ら。あやかしの類の臭いがすんな? 化け猫かなんかか?」
『…………』
『…………』
「……なんつうか今の俺も“妖怪側”なもんでな。そういうのに目聡いんだわ、今コソコソと俺の話してなかったかお前ら」
なんという地獄耳か。目立ちそうな赤い篭手と具足を着けているというのに、気配を猫以上に消している。ただの無法者、乱暴者ではなく、そこには確かに武芸に身を置く者としての実力が見え隠れしていた。
『……かわいさで許しては貰えないだろうか?』
「みゃー、じゃねぇんだ。みゃー、じゃ。何だお前この黒猫テメェ。かわいさ以前に不吉極まりねぇんだよこの黒さ」
『ダメだな。これは逃してもらえそうにない』
「つーかなんだお前の顔。ぶっさいくだなぁ。生まれつき顔めり込んでんのか、猫らしくねぇ。化け猫かやっぱお前は」
『失礼な! このまん丸おめめの魅力がわからんとは野蛮人め!』
「うるせぇこちとら平安生まれだ。文句あんのか、首切って並べんぞ」
『物騒!!』
ふぎゃーふしゃーお! 猫二匹をふんづかまえて、童子切が鼻を鳴らす。
「ま、いいわ。話通じるみてーだしな。ちょっと俺の為に働け、さもなきゃ斬り捨てる」
『……生類憐れみの令とか、ご存知ではない?』
「あ? なんだその馬鹿みてーな条例。命食って生きてる人間の言葉とはおもえねーぞ。つうか猫のくせに博識な」
駄目だ、これに話が通じるとは思えない。従う他にないだろう。
『背に腹は変えられない。何をしたら良い? 盗みなら得意だ。なんせかわいいから。うん、我らはかわいいからな!』
「うるせぇぞ化け猫みてーな顔しやがって。よく生きてられんな」
『ふぎゃるるるるる!!!』
『お、落ち着けぇ!! それでなにをしたらいいんだ!?』
「おう、ちょっと人を探してほしいんだわ。どこ走り回っても見つかんねーわ、青服には追われるわ散々だっつうの」
『……警察に喧嘩を売るからそうなるのです』
「なんだ警察って。あれか、武士みてーなもんか。それにしては随分腑抜けた奴らだな」
『そりゃ妖怪と切った張ったの時代の野蛮人と比べたら……』
「焼いて食うぞテメェ。腹減ってんだ」
猫たちは有無を言わさず従った。明日は我が身、明日は我が身である。
――今井リサと青葉モカは、本日もバイト。こんな世間様ではあるが、時給に勝る収入無し。高校生とは世知辛いものである。それでも健全な女子高生としては貴重な収入源、疎かにすれば来月の自分が泣くことになるのは目に見えていた。色々と選り取り見取りな彩りのお洒落は最優先。
そんなわけで、いつもより少しだけ短めのシフトでコンビニバイトを終えた帰り道。昼間では小雨だったが、雨脚が強くなった夜道。
例のごとく、リサが不安そうにしていたのでモカは仕方なく途中まで一緒に帰ることにした。
「ね、ねぇモカ~……お願いあるんだけどぉ……いいかな?」
「モカちゃんはいい子なので、クッキーで手を打ちましょうー」
「全然オッケー! よし帰ろう! すぐ帰ろう! 今日はまっすぐ帰る! 寄り道厳禁! 店長お疲れ様でしたー!」
「お疲れさまでしたー」
リサとモカがコンビニを出て、夜道を歩く。厚い雨雲のせいで日が落ちるのも今日は早かった。
肌にまとわりつく湿気も。路面を打つ雨音も。静まり返った町並みも、何もかもが恐怖心ひとつで不気味に映える。物陰からこの世のものではない何かが出てきそうで恐ろしい。
――こんな時に、あの人がいてくれたらどれだけ心強いことか。
「…………そういえばー、あの日もこんな感じでしたよねー」
「え? あ、あの日?」
「……エヌラスさんと出会った日も、コンビニの帰り道だったじゃないですか。もう忘れちゃったんですかー、リサさんのはくじょーものー」
「あ、あー。うん! そう、そうだったよねー。いやぁ、思えばあれからアタシの苦悩が始まったんだよね~……」
「リサさん、学園で人気者でしたもんねー」
下火となっているが、今でもあの噂は根強く残っていた。半ば冗談で広まったが最期、卒業まで尾を引くことだろう。
「あの時も一人で帰るのが怖いって言っててー」
「そうそう。それでその時もクッキーで手を打ったんだよねー」
「それで公園に立ち寄って」
「ベンチで黄昏れていたエヌラスさんのこと見つけたんだよねぇ……今となっては懐かしいなー」
「……案外、寄ったらまたいるかもしれませんよ~?」
「む、無理無理! 今日は絶対無理! だって雨降ってるもん!」
傘の下から覗き込むモカがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。自分は怖いのが大丈夫だからといって人の気も知らずによくもまぁ言ってくれる。リサが少しだけ頬を膨らませて拗ねていた。
……少しだけ、二人の間に沈黙が降りる。
出会った日から、ずっと。もしかするとその前から、自分たちの日常はおかしくなっていたのかもしれない。それを壊さまいとしてくれていたが、その苦労も全部水の泡だ。
どれだけ努力しても。どれだけ身を削っても、結果がコレではあまりにも報われない。
エヌラスのことを想うだけで、リサは沈痛な面持ちで沈み込んでいく。関わるべきではないし、これ以上自分から踏み込むべきではないとわかっている。
あの付喪神達からも同様に進言されていたことだ。現に、関わりを断った今は何事もない以前の日々に戻れている。だから、今はまだ何も知らなかった頃の違和感が残っているだけだ。
きっと、忘れてしまう。
そこにどれだけの苦悩があったのかも。忙しく過ぎ去る日々の中で。
うら若い乙女の青春を飾るには、あまりに血の気が多過ぎる。だからこそ、忘れてしまうべきなのだ――何も見ていない。何も知らない。目と耳を塞いで、貝のようにジッと黙って、嵐が過ぎ去るのを待つだけでいい。
そのはずなのに。
雨の降る夜道の中で、傘も差さずに腕を組んで仁王立ちをしている武士がいた。
異様に静まり返った夜道は、いつもより人通りが少ない。まるでその異常から目を背けるようにしていた。しかし、燃えるような赤い髪は濡れて垂れ下がり、顔に貼り付いている。足元には何故か野良猫が座り込んでいた。
鬼のように笑って、童子切安綱はリサとモカの前に立ちはだかっている。
「夜分遅くに、失礼。お時間をいただいてもよろしいか」
「――――」
「――――」
「……んな驚いた顔するこたぁねぇだろうよ。それより、なんでこんな夜に出歩いてんだ。危険だって言っただろうが」
こちらの身を案じているよりも先に、二人の脳裏には疑問が浮かんでいた。どうしてここにいるのだろうか、ということと、もう一つ――どうして私達なのか。
体を竦めて後ずさる二人に、童子切は不敵な笑みを向けたまま軽く手を挙げていた。
「あれからこっちも追われに追われて仕方ねぇのなんの。そして、そっちもこっちもまだ例の奴は見つけられてないみたいだな?」
「…………だ、だったら、なに? アタシ達、関係ないんじゃ」
「無関係と言うなら、なんで助けてもらってんだ?」
「――――それは」
「一宿一飯の恩義は命に変えても義を果たす。その筋を通すなら、お前らは無関係とは言えまいよ。それでも自分たちには関係のない話と物申すなら、それでいい」
「だったら……」
「だが」
そこで一度区切り、笑みを浮かべていた童子切安綱の眼が二人を射抜く。
燃えるような紅蓮の眼。その奥底には、業火が渦巻いていた。この世の悪行、不徳を許さぬ閻魔も恐れる闘志が静かに燃えている。
よく笑い、よく怒り、よく生きる。まさしく、鬼を体現しているかのような振る舞いの童子切だが一皮剥ければ何のことはない――それは、鬼も恐れる戦働きをする“鬼神”に他ならない。
その眼光に足が竦み、まるでその場に縫い留められたかのように足が動かなくなった。
「だが――それは、畜生同然の不義と知れ。己の命を賭して盾とする武士の覚悟をなびく風の如く当然とするのなら、同様にされても文句はあるまい」
目を逸らせば、斬って捨てる。否定の言葉を吐き出す前に、一も二もなく肯定も許さない。
そちらが不義理を果たすならば、こちらも義理立てする間もなく捨て置く所存。そして、既に童子切安綱は刀に手をかけている。抜刀を前にして、リサ達は悲鳴をあげることも、助けを乞う事もできないまま硬直していた。全身が凍りつくような感覚に、思わず身震いしてしまう。
「犬猫じゃねぇんだ。命に替わる義理はないだろうよ――ってな具合で、ま。お互い進展無しっていうなら此処は一つ協力してくれねぇかって話よ」
途端に、打って変わって。童子切安綱は肩をすくめてみせた。あっけらかんと、まるで子供のように掌を返している。緊張の糸が解けた瞬間、泣きそうになっているリサのことなどお構いなしにして、モカはムッとした顔を向けていた。
「それ、あたし達に拒否権ないじゃないですかー」
「いやぁ? お前たちが無関係であると言い張るなら斬り捨てる。だが、それはそれとして。協力を断るのならそれはそれで良し、だ。無関係であることと同義ではないだろうよ」
「……屁理屈って言いません?」
「これでも割と理的な話をしているつもりだがね? 力比べなら話は手っ取り早いんだが」
「遠慮しておきまーす。話、聞くだけ聞いてもいいですけどー……」
「お、そうこなくちゃな。なに、難しいことじゃない。ちっとばかり、おびき出すのを手伝ってくれってだけさ」
「……エヌラスさんをおびき出すのなんて、それこそ難しいと思いますけれどー?」
モカの言葉に、童子切は明るい笑い声をひとつ。そして、二人を指し示した。
「なに、ほれ。先の言葉どおり――お前たちには、一宿一飯の恩義がある。その義理立てに命を賭して答える輩だろ? ならばこれほど明々白々な撒き餌は無かろうよ」
「――――」
指で輪を作り、口に当てると笛を鳴らす。それは夜鷹の鳴き声のように宵の闇へ響き渡る。
間もなくして雨粒を振り払いながら、閃光が転々としながら馳せ参じた。一寸の間もない出来事である。
青い擦り切れていたレインコートは黄色の真新しいレインコートへと変わっていたが、それは紛れもなく鬼丸国綱だった。フードを目深に押さえながら、童子切の隣に着地すると立ち上がる。そして、リサとモカの二人を視界に入れると会釈した。
「何用だ、童子切」
「はえーな鬼丸」
「……偶々、近くにいただけだ。さっきの指笛はなんだ?」
「ちと手ぇ貸せ。この二人を運ぶぞ」
「……人攫いは、鬼の所業だ。断る」
「そう言うな。小鬼を餌に大物を釣るんだからそこはほれ、左目を閉じろ」
「…………今回だけだぞ」
二人に向かって歩み寄る鬼丸だが、リサとモカが逃げ出そうとするとそれよりも早く踏み込んだ。足場が濡れて不安定であっても損なわぬ脚力には敵わない。
肩に担ぐ形でモカとリサを手にして、通りから飛び立つ。
二人の持っていた傘がヒラヒラと舞い降りて、童子切の前に落ちた。
「おーい、落とし物ー……って聞こえちゃいねぇか。んでこれ、どう持ってくかな……」
『これこれ、ここをこう……』
「お? ほー。こうなってんのか。おー、開いた開いた。そんでこうして閉じる、と。仕掛け物もおもしれーなこの時代、はっはっは。さて――」
傘を閉じて、肩を叩きながら童子切はもののついでに猫を拾う。
「こちとら名を恥じるのも惜しんで人攫いの真似事してんだ、どんな大物が釣れるか楽しみにさせてもらおうか――」
『俺はもう無関係でいいのではにゃかろうか!? そこのところどうにゃの!?』
「うるせぇ猫畜生、剥ぐぞ」
『蛮族ぅぅぅぅぅっ!!!』
猫の悲鳴が夜の街に響き渡った。