童子切が選んだ場所は、地脈の乱れがそれほど酷くなく、かつ、人気の少ない開けた公園だった。周辺への被害を考慮した童子切なりの気遣いでもある。その道中、大典太と合流していたが数珠丸だけは現れる気配がなかった。
リサとモカを担いだままの鬼丸は平気な顔をしている。女の子とはいえ、二人を担いで平然と歩く膂力は童子切ほどではないが、力強い。
「――この辺りが良かろう」
「うっし、鬼丸。その二人降ろしてやれ」
「その前にお前も猫を逃してやったらどうだ」
「え? ああ、こいつ? いいじゃねーか別に。ほれ」
地面に優しく降ろされたリサとモカが立ち、腰を抜かしそうになっている二人に童子切は黒猫を投げた。その猫をキャッチして、リサは体を縮こまらせながら周囲を見渡している。
この夜更けに公園を訪れる物好きは早々いない。事実、いたとしても余程の大馬鹿者だ。瘴気の臭いに童子切は鼻を鳴らし、くしゃみをひとつ。
「へぇーっぶしょいっ! あ~、駄目だわ俺やっぱ。この臭いは昔を思い出す」
「……オレもだ」
「流石は。かつて鬼退治で名を馳せた稀代の名刀、そちらの気配には目聡いようで」
「何の因果か、今度はこっちが怪異側ってな。ま、敵を知るには敵になるのが一番だわ。今なら頼光公より上手く斬れる自信がある。右腕一本と言わず、鬼の六ツ胴割りでもやってやらぁよ」
「折れなければいいがな」
「馬鹿言いやがれ、俺を誰だと思っていやがる。日の本天下に名を知らしめる五振りが筆頭、童子切安綱様だぞ」
はっはっは、と豪快に笑いながらも、童子切はリサとモカに傘を差し出していた。
「返すぜ、別に濡れたところで錆びるわけでもなけりゃ風邪引くわけでもねーしな俺ら」
「……馬鹿と何とか」
「なんか言ったか鬼丸てめぇ。俺のこと馬鹿とか言わなかったか?」
「馬鹿と天狗は高いところが好き、と言ったんだ」
「雷に打たれて死んじまえ」
「……今更だが。オレ達に巻き込んですまないな」
「謝るこたぁねぇだろうよ。この二人だけじゃなくて、大勢とっくの前に巻き込まれてんだから。今更泣き言を言える立場かよ」
「……お前は人の心がないのか?」
「妖怪だからな」
けけけ、と。わざとらしく笑ってみせる童子切に、鬼丸は呆れている。
じっと黙っていると気がおかしくなりそうなリサは黒猫を撫でながら心を落ち着かせていた。喉を鳴らしながら、目を合わせてくる猫の緑色のまんまるい瞳を見つめる。
『――ご安心を』
「…………え?」
「リサさん、どうかしましたかー?」
「え、あ。いやー、なんでも……」
とうとう自分もおかしくなったか、と頭を振って気のせいだと振り払う。だが、息を深く吸って何度か深呼吸を繰り返していくと段々思考が平静を取り戻してくる。
場所は、住宅街から離れている。駅が見えることから、反対側の森林公園まで連れてこられた事がわかった。帰り道を頭の中で辿っていくと、そう難しくないことが分かる。
「え、えっと。アタシ達を餌にエヌラスさんをおびき出すって言っても、そう簡単に来るとは限らないと思うんだけどなぁ~……」
「そうか? ま、その時はその時だ。鬼丸、やれ」
「……なにを」
「なにって、そりゃ決まってんだろ。わかりやすく狼煙でもあげてやれ」
心底呆れながら、鬼丸国綱は右眼の眼帯を押さえながらかぶりを振っていた。
「わかった。ただし……」
「なんだ?」
「童子切。一発殴らせろ」
「よし来い!」
(あ、いいんだ!?)
そこで、初めて鬼丸国綱はレインコートのフードを外す。
白髪混じりの短い黒髪。橙色の切れ長の瞳。整った顔立ちは、浮世離れしていた。雨合羽の袖下から覗く腕には、童子切とは色違いの篭手を着けている。
拳を固く握りしめる、するとその腕を紫電が奔った。口腔より白い息を漏らしながら、大きく拳を振りかぶり、両腕を組んで仁王立ちしている童子切安綱の顔を正面から強烈に殴り倒す。
地面に倒れて一回転、即座に受け身を取って体勢を整えた童子切が駆け出していた。目を丸くした鬼丸の顔には拳が叩き込まれている。
「いってぇだろうが首刎ねんぞてめぇ!!!」
「えぇぇぇぇえええっ!? な、殴っていいって自分で言ってたじゃん!?」
「殴っていいとは言ったが殴り返さないとは言ってねぇッ!!」
理不尽とはこういうことか。殴り返された鬼丸はというと、横殴りに吹き飛ばされて緑化運動を目的に植林された針葉樹に体を受け止められている。木の幹が半ばより折れて地響きを鳴らしていた。口の端から垂れる血を拭いながら、鬼丸は何か物凄く言いたげな顔をしている。
「……刀を抜かないだけマシだと思えよお前」
「おー、そん時はお前が死ぬ時だ。殺すまで斬るつもりだから覚悟しとけよ」
「それと一応言っておくが。オレの方が年上だからな……」
「知らねぇわそんなん。死ねばみな一緒くただろうよ」
コイツ今斬っておいた方がいいのでは? ――鬼丸は刀を抜くか一寸、思考した。だが、それでは目的が変わってしまう。
渋々、ほんっとうに渋々。鬼丸は腕から稲光を天へ向けて打ち上げた。
それを見上げていた童子切安綱が破顔すると、大きく息を吸い込む。
「――我が銘は恐れ多くも天下五剣が一振り、その筆頭格である童子切安綱! 天駆ける稲光を目に恐れを知らぬ無謀者はかかってこいっ!!!」
それは、雷鳴のごとき宣戦布告であった。雨音が地面を叩き、芝生を濡らし、草木を揺らす環境音をかき分けて、耳を澄ませていた三人の空気が変わる。
先程までの冗談と茶々を入れ、殺伐としながらも和やかな空気が消え去り、合戦を前にした剣呑とした緊張感が張り詰めていた。
「――――速いな」
「流石」
鬼丸が視線を逸らし、童子切目掛けて抜刀する。雨粒を斬りながら首目掛けて迷いなく閃刃を走らせていた。だが、童子切は腕を組んだまま身動き一つしていない。
刹那、耳元で火花が散った。甲高い金属の衝突音。鬼丸の太刀が、迫っていた凶刃を弾いた。
次いで、大典太が僅かに踏み込む。肩からすっぽりと全身を覆い隠している外套を払いながら童子切の眼前を斬り上げていた。それは、砲声にも似た重苦しい発砲音とほぼ同時に。
リサとモカの目には、二人が突然童子切に切りかかったようにしか見えなかった。だが、その実態は童子切を即殺させる二手を鬼丸と大典太が太刀で振り払っただけに過ぎない。
ばしゃり、と。水たまりが突如跳ねた。見えないなにかに踏まれたように。
目を凝らせば、街灯に照らされて影法師の如く浮かび上がる黒尽くめの姿があった。それを目の当たりにしていた童子切も、鬼丸も苦い顔をしている。
「あ~……なぁそこの二人。アレでいいのか? 探し人は」
「そ、うですけど……?」
「……正気か? 血の臭いで鼻が曲がりそうだ。ありゃあ、悪鬼だ。見てわかるだろうよ。鬼丸よ、お前の残った左目から見てあれはどう映る」
「……鬼は、斬る。鬼ならば、俺が斬る」
不倶戴天の敵を目の当たりにしたような、怒りに満ちた表情を見せる鬼丸の体を紫電が走っていた。静かな激情が渦巻く胸中を察したのか、童子切が片手で制する。
「まー待てや。やい、探したぞ。お前がエヌラスか」
「…………」
「口聞けねぇわけでもねぇだろうがよ、何か言うことはねぇのか」
「うるせぇ、死ね」
「だーめだありゃ。話が通じるとは思えねぇ」
「お前、人のこと言えるのか……」
しばし、沈黙。
「鎌倉の蛮族よりまともじゃねぇ?」
瞬間、鬼丸の太刀が童子切の顔を叩き割ろうと振り下ろされていた。それを白刃取りで止めて笑っているが、鬼丸は本気で斬ろうとしている。
「やはりお前は今此処で斬っておくべきか童子切よ……!!」
「ははははははは、おいちょっと危ねぇな鬼丸よぉ! 鬼退治のよしみで斬らねぇでおいてやってんだから勘弁しろやてめぇ!」
「ちっ……!」
舌打ちを挟んで、鬼丸が刃を收めた。ともあれ、目的は果たしている。
リサとモカの二人は、大典太の傍ら。何故か黒猫を抱えている。
――エヌラスは、左目を閉じていた。右手には倭刀を握り、左手にはレイジング・ブルマキシカスタムを携えている。
上は魔道装衣のインナー一枚、下は予備のジーンズを履いているが、何の防御機能もない。愛用していたサイバネコートもクァチル・ウタウスの手によって跡形もなくなってしまっている。
道具を仕立てるにしても、手元に材料が無いのだからどうしようもなかった。つまり、現状でエヌラスが用意出来るのは自分の体一つだ。
鬼丸と呼ばれた黄色のレインコートを羽織っている相手は腕を組んでそっぽを向いている。フードを目深に被り直していた。童子切に対する苛立ちと不満を抱えているが、それは今に始まったことではない。大典太は、ただ静かに二人のそばで待機している。逃げるとは考えていないが周囲を警戒していた。
童子切が片手を挙げて、大典太に合図をする。
「む?」
「おし、大典太。その二人はもういらねぇ。あいつに返してやれ」
「……よろしいのか」
「こっちに置いといても邪魔なだけだ。ほれ、突っ立ってないでさっさと行けよ。もう俺達はお前らに用はねぇんだから」
「……」
やけにあっさりと童子切はリサとモカを解放した。おずおずと歩き出し、やがてエヌラスに向かって二人が小走りで駆け寄る。
(……、エヌラスさん。これ怒ってる、よね……)
険しい顔をしたまま構えていたが、嘆息すると表情が和らいだ。なんというか――呆れている。
「関わらない、なんて約束したばかりだってのにな。口約束一つ守れねぇ駄目な奴だよ俺は」
「……できない約束なんかするからじゃない?」
「そーですよ。リサさん落ち込んでたんですからねー」
「いや、別に落ち込んでたりは……」
「……しないのか」
「してなかったんですか。リサさんの薄情者ー、モカちゃんポイント減点でーす」
「なにそれ!? 落ち込まなかったわけじゃ、ないけども……」
上手く言葉にできない。胸の中のモヤモヤをどう形にすればいいのかわからないまま、リサは俯いてしまった。黒猫と目が合う。すると、慰めるように鼻先を押しつけてきた。
みゃ。と短く鳴いている。――なんとなく、それが。
がんばれ、と言われている気がした。
「……やっぱ、いてくれないと寂しいかなって思っちゃった」
「――そうか」
どこか寂しそうな顔を見せて、エヌラスは目を伏せる。そして、次に顔を上げた時にはいつものように、敵を見据えて前へ向けて踏み出していた。
これから自分が、どれだけ傷つくのかもわかっている。これから自分が、どんな馬鹿な真似をしようとしているのかも理解していた。なにせ相手は、あの天下五剣――三日月宗近と同等の実力を持つ者たちだ。
たった一人で付喪神全員を欺いて見せたあの弄月の付喪神と同格の付喪神。その実力の程は痛いほど身に染みている。
頭痛に顔をしかめながら、エヌラスは童子切達の前に踏み出していた。
――どれだけ天下に名を知らしめようと、
童子切安綱は笑いながら小首を傾げていた。
「ははは、おいおいやる気だわあいつ。あんな状態で。然らば……大典太、お前に一任するぞ」
「承知。しかし――拙者でよろしいのか?」
「いやぁ、ほれ。俺も鬼丸も、鬼が相手じゃちっとばかり加減が効かないもんだからよ。大和を火の海地獄にしたければ話は別だがよ?」
「それは拙者も望まぬところ、致し方なし。悪鬼征伐、承ろう」
「お前が斬るなら、それで良し。お前が斬られたなら、それもそれで良し。存分に斬り、存分に斬られてこい――少なくとも俺達の中じゃ、お前の剣術が一番えげつねぇ」
「なに、拙者は
大典太は笠を一度手に掛けて、顔を上げる。左目に眼帯を着け、まだ見ぬ未知の相手との剣術勝負に頬を綻ばせていた。
「拙者は三池典太光世――後世では大典太光世と知られる、天下五剣の一振り。類稀なる奇縁により、今生に顕現致したのはこれで二度目。三日月宗近なる
「……ミカヅキは、自分の体を使って丙子椒林剣を降ろした。神降しの贄となるべく自害した。俺が倒したわけじゃねぇが……丙子椒林剣を倒した時、確かに俺はその場にいたよ」
「ほう。少々事実は異なるようだが、紛れもなくそれが真実と申すならば信ぜよう。残るは立ち会いにて――」
「…………」
エヌラスは、大典太光世を前にして左手の銃を影へしまい込むと、倭刀を両手で構える。
切っ先を落とした下段、地の構えにて大典太は待ち受けていた。肩から足先まで覆うような黒の外套の裾の切れ間から、刀身を覗かせる形で微動だにしない。
中段、上段の構えに対して受け身の姿勢。こちらの実力を測ろうという魂胆だろう。
だが――エヌラスは雨に打たれながら、大典太の構えに隙が無いことにじっとりと嫌な汗が吹き出していた。
武道脱落者たる自分の前に立ちはだかる相手こそは、奇しくも今の自分と同じくして隻眼の剣豪だが、残された右眼が見ているものは自分とは異なるもの。
初手を誤れば、首を断たれるのは予感としてあった。