互いに太刀を構えたまま、身動き一つしない。大典太はともかく、エヌラスとしては攻めあぐねていた。落とし下段で受けに徹している大典太の一見して無防備な姿勢は、どう太刀を振るおうと防がれるであろう未来が容易に想像できる。それは、曲がりなりにも武芸に足を踏み込み、極めることができなかった半端者の魔術師であろうと肌で感じていた。
静かに吐息をこぼせば、白い。ジッと、まるで樹木の如く静けさを持って立っていた大典太が不意に口を開いた。
「……こちらから攻めることはせぬ。胸を借りるつもりで、存分に打ち込んで参れ」
「――、気遣い痛み入る」
「まだ首を落としはせん」
まだ、という言葉にエヌラスが顔をしかめる。それはいつでも自分の首など落とせるという意味に聞こえたからだ。仮にそうであったとして、修羅場をくぐり抜けてきた数ならば比肩するほどではない。
しかし、相手がそういうのであれば遠慮なく。
二人の立ち会いを離れて見ていたリサとモカも固唾を呑んでいた。童子切は腕を組んで笑みを湛えている。鬼丸は童子切に背を向けたままだが、左目で様子を窺っている。
達人同士の読み合いは一朝一夕で片付くような先手の取り合いではないが、それは大典太とはいえ例外ではない。これまでエヌラスが相手してきたどの剣豪よりも、遥かに地味で、だからこそ底知れない恐ろしさがあった。
エヌラスが動く。それは、緩やかに切っ先を下げていき――落とし下段。それには大典太も僅かに表情を見せた。ほう、と短く呟く。
構えを崩すこと無く、互いの間合いに入る。三池典太光世、その刀身とエヌラスの持つ倭刀の刀身の間合いは僅差であった。
音もなく、刃が跳ね上がる。先に仕掛けたのはエヌラスだった。相手が受けに徹するというならばこちらから動く他にない。
狙うは、小手先。降り注ぐ雨粒を斬りながら最小限の動きで最速の一手を用いる。しかし、大典太はそれをほんの僅かに手首を返すことで十文字で受けていた。
「――――、」
刃先が防がれて、その感触にエヌラスが総毛立つ。点の受けから相手の力量を推し量れば、まるで山に刃を打ち込んだような重さがあった。動きは最小限、丹田より膂力を持って刃に通した弾きが倭刀を捌く。返し刃が閃けば、防御の間もなく首が断たれていた――はずだが、大典太はそれに留めて下段の構えに戻し、一歩下がっていた。
間合いを離して、静寂を挟む。
「……何のつもりだ。今の一手、俺の首を落とすに十分だったはずだが?」
「なに、手負いを相手に早々の決着は味気がなさすぎると思っての加減よ。気を悪くしたのなら許されよ」
「…………心遣いが古傷に染みる」
「真剣勝負、ならば決着は刹那。そこに至るまでの“戯れ”程度は、目を瞑ってはいただけまいか」
「…………」
「先に申した通り。こちらからは仕掛けぬ。存分に、打ち込んでまいれ――」
強者の余裕というわけではない。大典太はあくまでも、本気で言っている。エヌラスの実力を測るために、一切仕掛けないという言の葉は真実だろう。現に、今の打ち合いで決着は着いていた。打ち返しにて首を断つことでエヌラスの敗北は喫している。しかし、そうはしなかった。
こちらの手を存分に受けきった後に、仕掛けてくる腹づもりだ。ならば、その前に討たねば敗北は覆らない。
邪神との戦いでは、相手の術理――魔術と権能の駆け引きが重要だが。こと刀剣の付喪神が相手とあっては、小細工をどれほど弄したところで無意味だろう。
ならば。
「――ハンティングホラー、“
「……ほう」
エヌラスが倭刀を収める。足元の影が揺らめき、野太刀の柄が背後から伸びる。それを右肩に担ぎ上げる形で背負うと、留め具で固定した。足を開いて腰を落とし、意識を集中させる。
体に張り付くような不快な感覚に大典太は短く唸り、その構えが上段より打ち下ろす姿勢であることから腰を僅かに沈ませて防御に意識を割いていた。
その様子を見ていた童子切が、目を丸くしている。
「ありゃあ大太刀だな。馬ごと敵武将ぶった斬る代物だ。いやなっつかしいなー」
「……オレも見覚えがある。とはいえ、すぐ廃れたが」
「人の身に余る代物だしな――とはいえ、あの拵え。あの構え。堂に入った見事なものよ。と、くれば、自慢の得物だろうな」
戦場慣れしている童子切の鑑識眼に狂いはなく、それを見ていたリサとモカが少しだけ後ろへ下がった。ふと、何かに気づいたのかモカが呟く。
「リサさん。あの天下五剣の人達なんですけど、ネットで検索したら何か弱点とか出ると思うんですけど、どうでしょう?」
「じゃ、弱点? いやぁでもそれっていいのかなぁ……」
「何もしないで見てるのも、エヌラスさんの旗色が悪そうですし」
「……確かに、そうだよね」
三対一。数の不利があるのなら、それくらいはお咎めなしだろう。念の為童子切達を見てみると、ちょうど目が合った。相変わらず緊張感のない顔で片手を挙げて挨拶をされる。
……なんというか、ちょっと腹が立った。
「よし。モカ、猫ちゃんよろしく」
「はいはーい。おいでー」
「えっと、確か名前……」
大典太と名乗っていたはず。ネットの検索フォームに名前を入力すると、先行結果からすぐに出た。真っ先に見出しで盗難事件の一文が出てきたが、リサはそれを無視してすぐにネット辞書の表記をタップする。
ズラリと並ぶ、大典太光世の情報。さながら文字の洪水、その情報量に目がくらみそうになる。なにせ漢字が多いったらない。いたいけな女子高生には少々目に痛い光景だが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
生前の所有者の名前を探すのも一苦労だ。なにせ出てくるのは刃渡りだの拵えだの保管場所だの逸話だのと、今必要としていない情報が雪崩込んでくる。刀工の名前が出てきて誤タップ、違うこれじゃないと即座にブラウザバック。
――エヌラスの全身を、紫電が迸る。雨粒を蒸発させながら、“
権能抑制に割いているだけに、いつもより制御が甘い。魔術回路が軋む幻聴と幻肢痛を覚えながら、野太刀に正極と負極を付与して重ねていく。
握りは浅く、柄に手を添えていた。大典太はというと、紫電に照らされながらも微塵も動いていない。ただ残されている右眼だけが、背筋を凍らせるほどの眼光を放っている。
「――――
(来るか――)
極限まで高めた磁極より放たれる光速の抜刀術。「“
言うなれば、対剣豪抜刀術。人外の理を持ってして固めた外道の抜刀術に良い顔をする者はいなかった。
リサの手が、不意に止まる。血の気が引いた顔をしていた。唇が震えている。
モカもその様子がおかしいことにすぐ気づき、手元のスマートフォンを覗き込んだ。黒猫も明るい画面を見ている。
大典太光世――生前、用いたとされる者の名前がそこには載っていた。
――
歴史の授業で一度は耳にする江戸幕府。その中でも徳川将軍家の名前は必ず出てくる。その兵法指南役を務めた者は、その父親であった。
童子切や鬼丸よりも後世の出でありながら、その知名度と武勇が身に染み付いている大典太光世の剣術こそは、まさに無双の境地。剣豪中の剣豪。
剣術無双・三池典太光世――。
「――“
それは、まさしく。天より落ちる稲光、比肩することなき抜刀術であった。音より速く、光に劣らぬ抜刀速度で鯉口を切る野太刀の間合い。大典太の刀身から遠ざかっている。
閃光を見た刹那、大典太はおのが手が頭より先に動いていた。笠に影が降りるか否か、食い気味に太刀を跳ね上げる。
野太刀の切っ先と太刀が触れた。その重量、その速度、その打ち込みに乗せられた破壊力はまともに受ければ押し潰されるだけの圧を放っている。だが、刀とは粘り強いが正面より受けるものではなく“捌く”ものだ。
大きく開き、腰を沈ませ、僅かに踏み込んだ大典太が十文字で受ける。
「柳生新陰目録――“天貫”」
そして、雷鳴が夜の公園に轟く。街灯が瞬き、針葉樹林が震え戦いていた。
打ち下ろされる野太刀を太刀で受け流し、軸を据えた打ち込みによる威力を分散させる。それを手首の返し一つで捌き切ることで大典太は超電磁抜刀術・零式を凌いでいた。エヌラスが感じた手応えは十分であったが、野太刀の刃先は地面へ打ち込まれている。上から抑え込まれる形で太刀が乗せられていた。
唖然とする間もなく、大典太の刃が滑り出す。
打ち込まれた一撃によって中腰になり、深く地面に沈み込んだ両脚が地面を蹴る。アスファルトを砕き、水面に浮かぶ舟の如く僅かに浮かせた足から一本に据えた居合は天から余すこと無く降り注ぐ雨粒を刀身に乗せながら放たれた。
その間合いは、野太刀の間合いだ。太刀が相手に触れるには不十分が過ぎるほどに離れている。刃が届くはずがなかった――しかし、この天候こそが味方していた。
そうでなかったとしても、既にエヌラスは大典太光世の
「――
手からこぼれ落ちる野太刀が、空虚な金属音を鳴らす。そして、エヌラスが咄嗟に自らの首筋を左手で押さえ込んでいた。
何が起きているのか、リサとモカはわからなかったがそれはすぐにわかった。
指の隙間から血が止めどなく溢れてくる。歯を食い縛るエヌラスの口から血が垂れていた。
――壊れた蛇口のように、エヌラスの首から赤い飛沫が吹き出す。首を押さえていなければ危うく飛んでいるところだ。
大典太の放った抜刀は、光速に至らぬながら見切れなかった。ならばそれこそは神速と呼ぶ他にない。相手の意より先んじて刃を閃かせる。そしてそれは、刃を濡らしていた雨粒を乗せる事でエヌラスの首を水圧カッターのように断ち切っていた。
付喪神の身体を得た事により成し得た、神業である。
「……鬼丸、お前あれ見えたか?」
「いいや全然」
口ぶりこそ軽いが、それは味方であるはずの童子切と鬼丸ですら畏怖するほどに大典太の剣術は極まっていた。
遥か間合いより離れていた街灯が断ち切られて滑り落ち、地に伏せる。後を追ってそうなるはずであったエヌラスはまだ両の足で立ちながらも大量の血を吐き出していた。それを見ていたリサの口から、絹を裂くような悲鳴が上がる。