大典太光世が討たれた今、次なる相手は頭目である童子切安綱。その手筈であったが、鬼丸国綱は接近してくるパトカーのサイレンに聞き耳を立てていた。派手に雷鳴と閃光と鳴らしては、昨日の今日で駆けつけることもしよう、日本警察は有能だ。
それも単独ではなく、数台。警備の強化も既に施政済みらしい。
「……童子切。“青服”が多勢を率いてこちらへ来ている。日を改めるべきだとオレは進言するが」
「――――」
エヌラスを睨みながら、童子切は大きく息を吸い込んで、深々と吐き出しながら腰に手を当てていた。ずぶ濡れの髪をかきあげ、頭を掻いている。
「……興が削がれた。手負いの鬼を討ったところで俺の腹は膨れん。此処は大典太の顔を立ててやるか」
腰の刀は飾りなどではない。そう易易と抜いてやるほど魂も軽くない。だが、童子切はエヌラスへ向けて大股で歩み寄っていた。
「敵ながら見事な戦働き、褒めて遣わす」
「…………」
「世辞のひとつくらいはいいだろう。戦の習わしだ――勘違いをするなよ? 俺は、大典太光世の手柄を横から掠め取る山賊紛いの事をするつもりなどない。命までは取らん、首もいらん。拳一つで十分」
篭手を打ち鳴らし、童子切安綱は身を低く構えて跳ねる。それはさながら相撲のぶちかまし、エヌラスがそこへ倭刀を抜いていた。だが、刃を捉えるでもなく、防ぐでもなく。童子切は、倭刀の柄へ手を伸ばしている。相手の得物を封じ込める事で自らに有利な状況を作り出す。
その体当てを受け止める形となったエヌラスの足が後退る。
凄まじい怪力に、身体強化魔術を総動員することで辛うじて止まった。刃を押し当てようとするエヌラスを鼻で笑うかのように童子切はその刃を逆にエヌラスの首目掛けて押し込もうとする。ならば、と聴勁にて相手の剛力を利用して流れを組み替えようとするものの、ビクともしない。
手を上から押さえ込む形で童子切は倭刀を押さえ込んでいた。
指の骨が軋み、悲鳴を挙げている。
魔人としての力を振るっているエヌラスに対して、真正面から怪力で封じ込む童子切安綱。それは、付喪神共通の能力である土地の加護を含めた力によるものだ。生前の武将が持つ逸話の豊富さ故に、半ば鬼と同格或いは鬼以上に頑強な肉体を与えられている。
「一撃だ。それで此度は終いとする!」
鬼と呼ばれることだけは、耐えられない。鬼を切った事で与えられた銘を侮辱することだけは神であろうと許さない。
童子切が大きく腰を落としてエヌラスをその場に沈み込ませていく。縫い付けるように身動きを封じられ、球のような汗が流れる。メラメラと、雨が降る中で童子切の手が燃えていた。
「歯を、食い縛れぇぇぇっ!!」
獅子をも怯ませる号砲を鳴らして胸を大きく反らし、身体を弓張りのごとく張り詰めさせた童子切の頭が弦より放たれる。
全身の力を総動員した頭突きは、エヌラスを石畳に叩きつけるだけでは収まらず、頭から沈み込ませて地面から跳ねて吹き飛ばしていた。
エヌラスの身体が街灯をへし折って針葉樹が受け止めるものの、撓んだ樹木が耐えきれずにそのまま半ばより音を立てて折れていく。
「……ふんっ。他愛のない」
――二人が呆気にとられて、立ち尽くしていた。だが、気づいたときには既にエヌラスは森の中で倒れている。
前には、童子切安綱。つまらなさそうに鼻を鳴らしていた。
「大典太は敗れた。ならばその戦利品であるお前ら二人に用もなければ、最早その価値もなし。好きにしろ。此処で俺が刀を抜かずにいるのは、ひとえに大典太光世の御膳立てがあることを努々忘れるなよ――次は斬る」
背筋が凍りつくような言葉を吐き捨てて、頭からずぶ濡れになっているはずの童子切の全身からは蒸発した雨粒が霧のように漂っていた。踵を返して、近づいてきているパトカーのサイレンを鬱陶しそうにしている。
「鬼丸!
「……わかった。だが良いのか、あの二人はそのままで」
「悪鬼が守ると言にしたのだ。俺が知るものか。今は虫の居所が酷く悪い」
「八つ当たりで人を斬るなよ?」
「斬った奴の顔などいちいち覚えていない」
コイツは……。何か言いたげな顔をするが、触らぬ神に祟りなし。くわばらくわばら、とフードを下げながら鬼丸は一度だけ振り返り、リサとモカに申し訳が立たなかった。無性にいたたまれない気持ちになったのだ。
「童子切。オレは、あの二人が気がかりだ。しばし、残る」
「勝手にしろ」
機嫌を損ねた様子で森林公園から歩いて立ち去っていく童子切の背を見送り、鬼丸は改めて二人に向けて歩み寄った。だが、黒猫がヒゲを揺らして威嚇している。
『やい、それ以上近づくな』
「…………」
『お前からはやな感じがする。アイツより鬼に近いだろう、お前』
「…………そうだな。確かに、オレは鬼に近い。お前達が嫌うのはよくわかっている」
『そのくせになんで鬼退治なんぞ! 本当に人間を守る気あるのか?』
「……オレは、昔から鬼を斬ってきた。その不浄を祓い、帝を護るのが俺の務めだ。オレ自身が鬼との混ざり物である身体など、些細なことでしかない」
付喪神という肉の器を得てからは、そのついでに無辜の民にも手を差し伸べようと思っていたがどうにも上手くいかないらしい。
鬼丸が刀を抜き、二人の前で研いで刀身を見せる。
目を奪われるほどに美しい刃紋が緩く波打っていた。それを打った鍛冶師を知らずとも、抜身の鬼丸国綱がどれほど精巧な技術を注ぎ込まれているかは、今となっては知る由もない。
「古来より、オレは不吉な太刀とされた。時の将軍も、敗北を恐れて手放すほどに。だからオレは、誰かの不幸を見過ごせない」
鬼丸は、緩く太刀を振るって空を断つ。それは目に見えない二人の邪気を祓っていた。まるで憑き物でも落ちたかのように“ストン”と、胸のざわめきが平静を取り戻している。恐怖心を拭われた二人が、軽くなった胸中と身体に戸惑っていた。
太刀を収めて、背を向ける。
「……本来ならば、皇室にのみ許したオレの加護を施しておいた。一夜限りではあるが、あらゆる不浄、不運、不幸から守ってくれるだろう」
「……じゃあ、今なら宝くじが当たったりー?」
「……いや。運が良くなるわけじゃないんだ……なんか、すまない」
「むぅ~。そういうことなら、もっと早くお祓いしてくれたらよかったのに」
「こんなことになるとはオレも思わなかった。せめてもの詫びだ……それではな」
頭を下げて、鬼丸が童子切の後を追って駆け出していた。音もなく、踏んだはずの水たまりからは水しぶきひとつあげることなく。
そこで、リサが気づいたようにエヌラスが消えた森の方角へ早足で駆け寄る。モカが続き、黒猫は腕の中で大人しくなっていた。
二人が何本も折れた針葉樹林の後を追って駆けつけた時には、木の根元で仰向けに倒れていた。童子切の頭突きによって割れた額からは血が垂れ、髪の色も血染めから元の黒髪に戻っている。強制的に魔人状態が解除されていた。そのせいで今は生身の人間と大差ないほどの再生速度で、エヌラスは霞む視界で夜空を睨んでいる。
童子切安綱――あの手の相手が、一番面倒だ。自らの肉体のみを頼りにして突っ込んでくる輩ばかりは、止めようがない。どのような手練手管を尽くしても、必ずと言っていいほど一撃を叩き込んでくる。この国にいる限り、あの天下五剣筆頭と戦うのは限りなく旗色が悪い。一国を相手取るのとそう大差ないだろう。それほどまでに、先の一撃は強烈に過ぎた。
この日本に眠る歴史の中で、どれほどの数の神格を得ているのか。歴史に轟かせた名声と、所有者だった武将達の逸話が妖怪の形となって顕現している。七星剣と同格、脅威は童子切のが上だ。
あの気性の荒さと、敵を前にした烈火のような闘志は、まさしく護国の鬼神。ただ一人、好敵手と呼んだ男とよく似ている。
「…………」
左目も、右腕もピクリとも動きそうにない。雨に体温が奪われていき、まるで凍りついたように寒い。ドラッグシガーも、黄金の蜂蜜酒を取り出して摂取する気力も湧かなかった。
「――エヌラスさん!」
パシャパシャと、水面を踏みながら駆け寄ってきた声を聞くまでは。ボロボロの顔を見て、リサが一瞬躊躇いと戸惑いの表情を見せる。モカの手から黒猫が飛び降りて、エヌラスの顔に近づくと鼻を鳴らして猫パンチを繰り出していた。気付けのつもりらしい。
「ちょ、っと……しっかり! 生きてる!? ねぇ、しっかりして!」
「リサさん、落ち着いてください。とりあえず、救急車呼ばなきゃですかね?」
「……生き……てるよ……我ながら、本当に……感心する……」
一体、いつになったら楽になれるのか。死の淵から這い上がる度に、寝ていればよかったと後悔する。息を吸い込み、吐き出す。何とか動く左手をポケットに突っ込んでドラッグシガーを取り出して咥える。そして、もう一個――ペン型注射器。その内容物は、黄金の蜂蜜酒だ。
強心剤代わりに首筋に打ち込むと、劇薬を経口摂取ではなく直接投与された血液が反応する。それは間もなくして、銀鍵守護器官を叩き起こした。焼けるような激痛が全身を駆け巡る。痙攣する右腕を左手で抑え込み、安定するまでの数秒間地獄の責め苦を味わっていた。
割れた頭蓋の再生も終えて、エヌラスの容態がようやく安定してくると上体を起こす。だが、グラグラと揺れる視界は気を抜くと今にも闇に落ちてしまいそうな意識と戦っていた。
「…………」
「俺を病院になんぞ、担ぎ込んでみろ……大騒ぎどころじゃねぇぞ……」
「みたい、ですねー……」
何とか一命は取り留める。我ながら毎回馬鹿みたいな荒療治を繰り返しているものだ。自嘲気味に笑うエヌラスの前に屈み込んだリサがポケットからハンカチを取り出して、顔の血を拭おうとする。だが、その手を止めた。
かわいらしい柄のハンカチは、普段遣いしている逆さウサギのグッズだ。
「……汚れ、落ちなくなるぞ」
「そんなこと言ってる場合じゃないし、ほら、いいから……!」
「いっ……!! 傷口に、触るな……!」
「そう言われても、顔中血まみれでわかんないし。すごく、汚れてるし……」
首も、インナーから覗く腹部も、真っ赤だ。傷口は塞がっているものの、痛々しい姿にリサは涙ぐんでいる。モカもしゃがみ、エヌラスの様子を観察していた。
「どうして、あたしとリサさんが拐われたってわかったんですかー? すごくタイミング良かったみたいですけれど」
「……忘れたのか?」
「?」
エヌラスがハンカチを持っているリサの右手を取り、軽く指で叩く。
「魔除けのおまじない、してやっただろうが」
「――――――」
力なく表情を和らげる。珍しく、いつもの、どこか追い詰められているような剣呑さが鳴りを潜めている事にリサとモカは驚いていた。そして、自分の顔が熱くなっていることにも。
「し……死ぬかもしんなかったんだよ!?」
「死なねぇよ。――まだ、やらなきゃならないことがある。地獄覗くの趣味なんだ」
「……変わった趣味をお持ちですねー、エヌラスさん」
「冗談だからな……?」
「ふふ~。モカちゃんも冗談でーす」
今はただ、冷たい夜風が心地よい。頬の熱を冷ましてくれるのが有り難かった。