【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第百八三幕 命の価値は

 

 森の中とはいえ、そこまで深いわけではない。そのうえ、木々をなぎ倒して倒れていたエヌラスとしては場所を一刻も早く変えたい。警察隊も近づいてきていることは、サイレンの音が殺到してきていたことから時間の問題だろう。見つかると、かなり厄介なことになる。

 しかし、その時だった。公園にまで響いてくる爆発音と、盛大な破壊音と男性の野太い悲鳴が次々と聞こえてくるのは。なんとなく察しはついているが――童子切が警官相手にひと暴れしているのだろう。

 ――そんなエヌラスの予想は的中していた。

 

 

 

 森林公園の出入り口で鬼丸を待っていた童子切は腕を組んでふてくされている。

 

「……先に行っているんじゃなかったのか」

「はんっ。一人で怒りを抱えたところで仕方ないから、口直しにお前と昔語りでもと思って待っていただけだ」

「……それはかまわないが。あれはどうするつもりだ?」

 赤いパトランプを点滅させながら、サイレンの音を鳴らして白と黒の車両が接近していたことにすでに気づいていたが、童子切は何を思ったか道路に歩を進めていた。

 その時代錯誤な風貌が、ヘッドライトのハイビームによって照らされる。十分な距離から減速し始めたパトカーに向かって、童子切は自分から近寄っていた。

 咄嗟に運転していた警官がハンドルを切ろうとするが、路面の状況が悪く思うように車体を逸らすことはできず、側面衝突は免れないと思っていた――その矢先に、足を持ち上げている。

 不機嫌そうに腕を組んだまま、ただ足を突き出して突っ込んでくる車両を受け止めていた。道路に足をめりこませながら、僅かに後退している。

 助手席に座り込んでいた警官が衝撃が収まってから、間の抜けた顔で童子切を見れば――まるで燃える鬼のような形相をしていた。眉間に皺を寄せて、犬歯をむき出しにしている。その口腔、歯の隙間からは外気との温度差からか白い蒸気が漏れていた。

 後続の警察車両が数台。それに向けて、童子切はおもむろに拳を構える。そして、車両の前席ドアのガラスをぶち抜いて力任せに引っ剥がした。まるで最初から外れるようになっていたような軽さで開放的になった助手席に、ドアを捨てて警官の胸ぐらを掴み上げる。

 

「降りろ、死ぬたくなければな」

 だが、相手の返答を待たずにシートベルトごと引き剥がすと植木に向けて警官の一人を放り捨てていた。頭部を打ちそうな角度だったので鬼丸が警官を受け止め、そのまま気絶させる。

 ――おそらく、今夜最も幸運なのはその警官だった。

 

 童子切が身を屈めてパトカーのサイドシルに手を掛ける。運転席の警官は、これから自分の身に起こる危機を察して慌ててシートベルトを外し、転がり落ちるように抜け出した。それを確認してから、童子切は勢いよくパトカーを持ち上げる。さながらちゃぶ台返し。飯台を放り投げるが如し軽さと共に宙を舞う車両が後続の隊列を乱す。

 そのうちの一台が、慌てて避けたせいで童子切目掛けて減速が間に合わないままに突っ込んできた。ボンネットに手を叩きつければ、車両が“沈む”。タイヤが浮いて空回りをしていた。

 ハンドルを握りしめたまま目の前で起きている出来事が理解できずに運転手はアクセルを踏み続けている。

 ――赤い篭手に、赤い脛当て。白の羽織。胴鎧も肩当ても兜も付けていない、最低限のもの。

 燃えるような赤い髪。赤い瞳。眼光は鋭く、その目を見た瞬間に身体が竦む。生物的な本能が危機感を訴える程に。

 あろうことか――童子切は、()()で警察車両を止めていた。ボンネットは飴細工のようにひしゃげている。両手で掴み、車体を持ち上げた。角度にして九十度、直角である。

 そうまでされては、警官も恐怖感でもはや体を成さなかった。

 大きく踏み込み、まるで太刀を振り下ろすがごとく車両を道路に向けて勢いよく叩きつける。中で跳ねた警官はシートベルトをしていたから良かったものの、頭部を屋根にぶつけて昏倒した。

 辛うじて止まり、降りてきた警官が童子切と鬼丸を包囲する。相手が人知を超えた怪物であろうとも、本職は市民の安全を守るために身を削らなければならない。

 

「う、動くな――!」

「――――」

 鬼を見た。鬼を見た――絵巻物に出てくるような、鬼を見た。

 その夜、その場に居合わせ、現場へ駆けつけた警察官は口を揃えて供述している。

 燃える鬼を見た、と。

 

退()け。貴殿らは何を思ってその服に袖を通した――命捨てるためではないはずだ」

「…………」

 驚愕。人の言葉を話す鬼に、警官は自らの正気を疑った。目の当たりにしているだけで身体が恐怖で震える。自らの意志とは関係なく目尻に涙が溜まっていた。恐怖と、緊張で嫌な汗が止めどなく吹き出す。下手をすると、漏らしていたかもしれない。

 

「青服。俺はそちらの衣の拵えが意味する事を知らぬ。教授願おう。それが、意味するところは」

「……け、警察は……日本警察は、市民の安全を守ることが仕事だ……」

「その務め、命捨てるほどの責務を微塵でも感じているのならば――退け。人としての生を全うしたくば、道を譲られよ」

「――――――そ、それができない時は……?」

「斬って、捨てる」

 その一言だけで、童子切の前に立っていた警官は腰を抜かしていた。

 怒りに燃える、鬼がいた。雨がしとしと降る夜に、鬼火を散らす鬼がいた。赤鬼だ。

 包囲していた警察も、その眼光で射止められている。

 

「動くな。斬るぞ――日の本に仕える身ならば、俺の()を知らぬはずがない」

「……あ、貴方は……」

「童子切安綱――今宵、見たものは他言無用に」

 鬼丸国綱は、静かに抜刀していた。警官の頭上に向けて、刃を振るう。リサ達にしたような加護ではなく、より軽い形で怖気を除いた。

 極度の緊張感から解放された警察官達は、糸の切れた人形のように倒れていく。

 

「……すぐ目覚める。今のうちに此処を離れるぞ」

「…………」

「どうした?」

「いいや。今の時代にも、市井を守る武士の務めを果たす者がこれほどいるとは、と感心していたところだ。中々どうして捨てたものではない」

「……当然だろう。オレ達の主が生まれ、生きた国だ」

「それもそうだな。疑うべくもなかったことだ――んじゃ、走るか!」

 一転して、破顔した童子切が鬼丸へ笑みを向けて走り出していた。その後を追う前に、鬼丸は一度だけ倒れた警官達に頭を下げて謝罪の言葉を残して去る。

 本来ならば、撫で斬りにしていたであろうに。一人とて斬らずに時間を稼いだところを見るとあの悪鬼を買っているようだ。

 

「……ふっ」

「おう、なに笑ってんだ鬼丸てめぇ。転けろ」

「なんでもない」

 

 

 

 ――公園の外が不気味に静まり返り、だがパトランプが点灯したままなところを見ると童子切が制圧したようだ。とはいえ、それに甘んじて此処でじっとしているわけにもいかない。

 エヌラスが立ち上がると、立ち眩みを起こして木の幹に背中を預けていた。

 急速に身体を再生させたせいでまだ完全に馴染みきっていない。血も足りず、魔力の環境適応能力も極端に落ちていた。かぶりを振って歩き出そうとしたエヌラスの手を、リサが掴む。

 

「待って! どこ、行くの……?」

「……どこだっていいだろう。とにかく、ここから離れないとな。リサ達だって、見つかって下手な騒ぎに巻き込まれたくないだろ」

「……そんなの、出会った時からなんだけど」

「……あー……そうだったな……」

 表は無理そうだ。となれば、少々遠回りとなるが逆の出口から抜けるしかない。

 エヌラスが黒猫に向けてかがみ込む。ポケットから煮干しを取り出すと、目を丸くして顔を寄せてきた。

 

「道案内、頼めるか」

 みゃうんっ。

 一声鳴いて、煮干しにかじりつくと早足で先導し始める。その後を追おうとしてエヌラスの視界が揺れた。ふらつく身体を、咄嗟にリサが支える。

 触れた肌が、やけに熱かった。雨粒の冷たさも気にならないくらいに。

 手から伝わってくる感触に不安以上の気恥ずかしさがこみ上げてきて、リサは耳まで真っ赤にしていた。

 

「あ、……ごめん!」

「? いや、それは俺の台詞なんだが……大丈夫か、リサ」

「だい、じょうぶだよぉ!? あはははは……」

「声、上ずってんぞ……」

 エヌラスが感覚の戻った右手で煙草に火を点けようとして、モカの顔を盗み見る。

 何が面白いのか、ニヤニヤと。頬を緩めている。

 

「なに笑ってんだ、モカ。あんなことがあったばかりだってのに」

「ふふ~、青春してますな~」

「……そんな歳でもねぇんだけどな俺」

「旬に年齢関係ないと思いますけどー」

「……そういうもんか」

 みゃうー。黒猫が、まだか、と催促してきていた。

 エヌラスがその後を尾けていく。それにリサとモカが続いた。

 咄嗟に触れた手を見下ろしながら立ち止まるリサの肩を、モカが叩く。

 

「みゃあっ!? な、なに!?」

「置いていかれちゃいますよー、リサさん」

「う、うん!」

「……それで、これからどうするんですか?」

「どう、って……?」

 どうもこうも、家に帰るだけだが――モカは違うようだ。エヌラスの背中に視線を向けている。

 

「このままだと、またどこか消えちゃいますよ。あの人のことだから」

「――――」

 その気になれば、自分たちのことなど見捨てて何処へでも姿を消すことが出来るだろう。だが、そうしなかった。

 今でも初めて出会った日に差し出した、あの小さなクッキーの恩を返そうとしている。

 命の恩人には、その命を持って報いる――自分達には理解できないような、人智を越えた怪物でりながらその義理人情への姿勢はあまりにも人間じみている。だからだろうか。

 今井リサは、エヌラスを怖いと思えなかった。なにかのために一生懸命な、それこそ命懸けでひたむきに頑張る姿を幼馴染と重ねてしまう。

 

 ――これ以上関わり合いにならないほうがいいわ。

 

 友希那の言葉を思い返す。

 本当に、その通りだと思う。

 これ以上、この人が自分達の為に傷つく理由なんてない。あの日の親切は、大きなお世話だったのかもしれない。

 まるで、自分の命をクッキー程度にしか思っていないのだろう。掌に乗るほど小さく、指先でつまめるほどに軽く。だけど、命はそんな簡単に食べてなくなってしまう物ではない。

 

「……モカは、どうするの?」

「まっすぐ、寄り道せずに帰りますけど? 宿題やらないとですしー」

「だよね……」

 今夜、起きた出来事は。

 今夜見た出来事は。

 自分が目と耳を閉じて、口を閉ざして、忘れてしまうべきなのだ。一日でも早く、何も知らなかった日々に戻るべきだと自分に言い聞かせる。

 ――だけどそれは、本当に“正しい選択”と言えるだろうか?

 今宵散った、大典太光世を。

 今夜、命を落としそうになったエヌラスの命の価値を貶めることではないか。

 

 時折倒れそうになりながらも、前を歩く黒猫についていくエヌラスにリサは手を伸ばしていた。

 この手を離してしまえば、また消えてしまうのだと思った。モカの言う通り、音もなく、影も残さずに。だけど、自分達が危険な目に遭った時は駆けつけてきてくれる。

 そんな確信が今はあった。

 クッキーなんかより、ずっと大事なものをくれたのに。

 あんな子供だましのような“魔除けのおまじない”で。

 

 手を握られて、エヌラスが立ち止まる。少しだけ戸惑った顔をしていた。自分の手を握るリサを見て、眉を寄せている。

 

「……どうした、リサ」

「――アタシ、帰りたくない。一緒にいたい……」

「…………駄目だ。大人しく帰れ」

「あんなことがあったのに? あんな、怖い目に遭ったのに……一人にするの?」

 ずるい、と。自分でも思う。そんなことを言えば、この人は必ず困ると分かっていて。

 そして、リサの思ったとおりにエヌラスは困り果てていた。なんと説得するべきか、頭を悩ませている。疲れているだろうに、精一杯自分達の事を考えてくれていた。

 

「んなこと言われてもな……友希那も心配するだろ」

「――友希那は、今関係ないじゃん。アタシの問題」

「……親も心配するぞ」

「電話するから、大丈夫」

「……明日、学校どうするんだ?」

「休もっかな~……なんて……」

「…………」

 流石にそれは怒ったのか、エヌラスが眉を吊り上げている。口をへの字に曲げていた。仮にも教職の真似事をしていた手前見過ごせないのだろう。だが、リサは引き下がらなかった。

 

「駄目、かな……このまま帰ったらもう会えなくなる気がして……アタシ、怖いよ」

「――――」

 何かを言いかけて、エヌラスが口を閉ざす。どうやら、図星だったらしい。

 付喪神がいなければ、こうして引き合わせることもなかっただろう。皮肉にも。

 

 必死に考えるエヌラスと、何とか引き止めたいリサの二人を見比べてからモカはわざとらしく唸ってみせた。

 

「う~ん、これは困りましたなー。リサさんの家にエヌラスさんが上がるわけにもいきませんし、かといってうちも無理ですしー……事情があっても、他の人の家も無理だと思いますよ」

「……だったらどうしろってんだ」

「そりゃあもちろん――お持ち帰りしかないと思いますけどー? 大丈夫です、モカちゃんの口はクッキーとパンでいっぱいになってますので誰にも言いませんよー」

 ニヤニヤと。心底ニヤニヤと、面白そうに高みの見物をしている青葉モカは抜かり無く口止め料を上乗せしていた。

 確かに、まだマンションは引き払っていない。電気ガス水道はまだ使えるだろう。無くてもどうにかなるが――、エヌラスがリサに視線で問いかける。

 

「……そうなるみたいだが、いいのか?」

「――――ん」

 小さく頷き、視線を逸らしながらではあったが。

 頬を紅潮させたリサはエヌラスの手を握る力を、少しだけ強めていた。

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