自由人ここに極まれり、一人と一匹が頭を悩ませている横を涼しい顔で通り過ぎようとしてイレク=ヴァド王に呼び止められた。
「待て――今、邪神に遭遇したと言ったな?」
「ああ。さりとて珍しいことではないと思うが?」
「それは、どんな相手だった」
「さぁ? どういうわけか、手負いだったのでな。
「…………」
人外の摂理にあって、それを大事無いと一言で片付ける男には恐怖しか無い。
「たかが時間加速程度でこの俺を止められると思っていたようだが、相性は最悪だったな。動かなければ、進むこともないのだから」
「……そもそもにして、その理論そのものが暴論だぞ」
「暴力は良いぞ。一方的に相手を制圧できるからな」
「そういう話ではない」
人類の暴力が邪神に通じるはずがないというのに、大魔導師はそれを当然のように片付ける。
外見的特徴を尋ねて、覚えている限りで箇条書きのように述べていく。驚くべきことに、それは邪神の中でも際立って危険性のある一柱だった。
しかし、手負いであったという一点が気にかかる。将軍猫に視線を移し、イレク=ヴァド王は事実を確認していた。
すると、それは地球に出現したという邪神と一致する。
「地球で交戦していた邪神、クァチル・ウタウスがこの幻夢境に逃げ延び、そして大魔導師。貴方に討たれた、と……」
「あの調子ではどちらにしろ長くは保ちそうになかったがな。もういいか? ひとっ風呂浴びたい気分だ」
「――大魔導師」
「なんだ、イレク=ヴァド王」
おおよそ、あらゆる魔道に通じている。
おおよそ、あらゆる脅威を物ともしない。
おおよそ、あらゆる万象が通じない。
それを、怪物と呼ぶ他にない。ならば、だがしかし――この男こそが人類の脅威なのではないかとイレク=ヴァド王は感じていた。邪神を片手間に屠るなど、魔術師としての範疇を明らかに超えている。もはや、邪神に匹敵している。
玉座より立ち上がり、ステッキの先端を突きつける。将軍猫が驚いていた。
明確な、敵意を示している。
「やはり貴方は危険過ぎる。みだりに神域を乱すべからず――邪神をその手で屠るということの意味がわからない貴方ではないはずだ」
「殺される奴が悪い。それは例え神であろうともな」
「それは殺す側の詭弁だ!」
「守る側の妄言は、そうだろうな。だが生憎と、王というものは総じて支配者である。それは神とさほどの差はない」
「もし彼らに仲間意識があったとしたら、それは貴方個人の問題ではないのだ! この幻夢境において“神殺し”が行われたとあっては、未知なるカダスの神々が黙ってはいない!」
「問題はなかろう? 腫れ物のような扱いだったのなら、死んで清々したことだろう。感謝のひとつくらいはあっても良いと思うが。はっはっは」
から笑いする男の、なんと空虚な心か。思ってもいないことを、まるで心底願っているように語り、思っていることをまるで他人事のように口から語る。生きているのに死んでいるかのような言葉に、イレク=ヴァド王は不信感を拭えなかった。
「――ならば私は、幻夢境の主として。王の務めを果たすだけだ。大魔導師! ――貴様を、ドリームランドより追放処分とする! 永久にな!」
「なんと……本気ですか、イレク=ヴァド王」
「この男を野放しにしてはならない。この男だけは、あの箱庭に収めて然るべきだ! その獣じみた貪欲さ、探究心はあまりに危険過ぎる!」
いずれ、神の摂理すら覆すほどに。
それは“
いずれ白痴にして蒙昧の神、宇宙の揺り籠で眠り続ける邪神にすら到達してしまうだろう。
これ以上、この怪物の知識を満たしてはならない。これ以上その欲望を満たしてはならない。
イレク=ヴァド王は正しく、即座に人類の為に立ち上がった。――そしてその正義を、大魔導師は鼻で笑ってみせる。
「断る」
「――――理由を聞こう」
「まだ温泉巡りぶらり旅の途中でな。流石に手ぶらで帰るわけにはいかんのだ」
「私の言葉が、虚仮脅しだとでも?」
「いいや、至言だよ。幻夢境より永久追放処分、正しい制裁だろう。だが本当に良いのか、イレク=ヴァド王よ」
「……なに?」
「お前のその正しさは確かに、万人を救うだろう。しかし、それは今の話だ。先を見越せば、それを後悔するぞ」
「…………何を知っている」
大魔導師は腕を組み、イレク=ヴァド王のステッキ。その先端を見つめながら静かに口を開く。
「二度の邪神災害。それに、今一度蓋をしたところで人類がこの先邪神の魔の手より逃れる事が可能だとでも? 断言する。
「……」
「“黒い月”の正体を、お前も知らないわけではあるまい? なぁ将軍。土星の裏側、月の裏側、宇宙の“外側”――即ち外宇宙からの
邪神船団――天体規模の侵略戦争。それは、致命的な人類史の終焉を意味する。だが、今の地球には魔術という神秘が存在しない。何故ならば、イレク=ヴァド王が放棄したからだ。
「イレク=ヴァド王。目を背けるな。人類を守護せしめる善の神であり続けるのならば、お前は正しく在らねばならない」
「……分かっているとも。今、地球に向けて侵略しようとしている
「あれの眷属が地球に降り立てば、たちまち人類など“食料”だ。肥え太るだけの女神など目も当てられん。なにせ妊婦は子を育てるために大食らいでなくてはならないからな」
地球にいる魔術師がどのような人物であるかは、定かではない。邪神を屠るにも限度がある。そして、災害規模を鑑みれば想定するべくもない。
――その接触は、人類七十億を超える人口が死滅する事を意味する。
日本という島国一つですらコレほどの苦戦と死地に立たされていながら、“黒き月”という天体をどうにかできるとはとても考えられない。イレク=ヴァド王は大魔導師より視線を外して逡巡する。果たして、どうすべきか。
「さて、困ったな。地球にいる、その身の程知らずの馬鹿は邪神の一柱を倒すのに不足している。だが地球最後の魔術師である隠居している身分のイレク=ヴァド王は厄介な奴に目を付けられている。姿を現せば、たちまち奴がくる。地球にな? かといって、猫の手も借りたいがとても足りんだろう?」
「…………何が、言いたい」
「此処が分岐点だ、王よ。今此処で、即刻私を永久追放処分と断ずるならば甘んじて受けよう。私は確かに、自らの知識欲と探究心は獣性のソレだと理解している。こればかりは自分でも歯止めが効かなくてな。未知が欲しい、まだ見ぬ明日が欲しい。足りないのだ。これほどまでに渇望してもまだ渇く、まだ飢える。終わらぬ日々の全てを舐め尽くしてもまだ、まだだ。人の果てに、神の果に、真理の最果てに何があるのか。それが知りたい――だが、いい加減飽きたのだ。変わらぬ日々に、変わらぬ平和に。終わらぬ平穏に」
「…………だから、世界の摂理を壊すと? そのためならば、邪神を手に掛け。世界を危機に陥れると。貴様はそう言うのか!」
「嗚呼そうだ。魔道という道を究め、修めたところで世界には未知が溢れている。だが、此処ではない。其処でもない。
何処までも渇く。
何処までも飢える。
満たされることのないまま、日々を生きる苦痛。求めても求めても、飽き足りぬ欲望。膨大な知識を修めてもまだ、まだ、まだ足りない。過程の牙城を崩していてはきりがない。
「――だからな。私はまず、
「――――――――」
「結果は見えているだろう? そして、その過程も。ならばその因果を逆転させてしまえばいい。そうして、私という怪物は“死産”したのだ。求めるべき答えを逆算した」
――嗚呼、ダメだ。
この男は、駄目だ。
最早、これは人ではない。ヒトというカテゴリに分類されるべきではない。
狂っている。正気の沙汰ではない。
邪神の狂気などではなく、
怖気が走る。寒気がする。果てしない嫌悪感は、それが正体だ。
超常の摂理において、人間の生命において、神の造り出した理論に基づいて――その全てを大魔導師は放棄した。冒涜的行為によって。
死して、なお生きる。デッドマン・ウォーキング――死霊秘術の主を体現している。だがそれは、決して自らを死に至らしめることで到達してはならない。そこで終わらなくてはならないのだから。
「貴様は、狂っている――!!!」
イレク=ヴァド王は、あらん限りの力で吠えた。叩きつけるように、激情を大魔導師に突きつける。ステッキの先端より迸る魔力の奔流は、しかしまるでそよ風のように大魔導師の頬を撫でていった。
王宮を震撼させる衝撃を、事も無げに涼し気な顔をして流している男は――総毛立つほどの美しさを持って微笑んだ。夢魔ですらそれほどの魅了を持ちはしない。
「この私に言わせてみればな。狂わぬ偉業に価値などない。魔道を修めておきながら正気の沙汰に治まるのであれば、「嗚呼、この程度か」と思っているよ。心底軽蔑する。何を思ってその道に足を踏み入れた? その先はあまねく外道に通ずる万象の道だ、違うか? 狂えぬならば、お前は其処までだイレク=ヴァド王。お前が救える人類など、
「人類は尊くあるべきだ! かく、あるべきだ! 覚醒世界における人は、人の領域外に存在するものを知らずに生きていくべきだ! 違うか!」
「然り。そのとおりだ。正論だな。人は、人の脳で理解出来る範疇の社会で生きるべきだ。だがな、如何な皇帝といえど時には最大級の不幸に見舞われることもある。民草であれば、尚更死に繋がる不幸など転がっているだろう。お前にその全てが救えるか? その覚悟の是非は問うまでもないが」
「救えずとも、願うとも――ひとりでも多く、救われるようにと」
「願いだけで救えるならば、安い命だな――さて。先程の答えを出そうか、イレク=ヴァド王」
靴を鳴らして、大魔導師が一歩踏み出す。
そして、王宮が凍結した。将軍猫は咄嗟にイレク=ヴァド王の肩に飛び乗って回避している。空間凍結――気体も、液体も、空間座標ですら固体と化した王宮は耳障りな静寂感に包まれた。自らの呼吸ですら明確に聞き取れるほどの無音の中で、大魔導師が歩み寄る。
「
「…………」
「私なら出来るが……残念ながら、そこへ通じる道を知っているのはそこの猫と、お前だけだ。地球などという辺境の星、どうなろうと知ったことではないが――たかが知れている。その程度で滅ぶならば、お前の覚悟もその程度であるというべきか」
確かに――、大魔導師であれば可能だ。だが果たして、本当にそれでいいのか。
イレク=ヴァド王は迷っていた。
かつての窮地を救った将軍猫に目配せをしながら、重大な決断を迫られる。
「私では不服か? ならそれでも構わんよ。地球にいる命知らずの馬鹿に頼れ。もっとも、私の見立てではそいつに任せた場合は半数が死滅するだろうがな」
「……貴方の一番弟子ではなかったのか?」
「弟子をとった覚えなど無い。そんな馬鹿、一度や二度殺した程度で死ぬならば弟子にする価値すらもない。どうせなら死んでも治らないような飛び級の馬鹿ぐらいが丁度いい。それと、その話題は何故かひどく不愉快だ。二度と口にするな」
静かに息を吐き出せば、白く凍りついていた。
「答えが出るまで時間を要するか? ならばよろしい――イレク=ヴァド王よ。この俺は、喧嘩を売られて黙っていられるほど気が長くないぞ」
「っ――!」
指を
「王が、王に喧嘩を売ったのだ。その意味するところは国家代表の一騎打ち。受けて立とう、イレク=ヴァド王よ――風呂を借りる前に一汗流すのも乙なものだ」
「何処まで本気だ、大魔導師!」
「徹頭徹尾、全部だ――征くぞ!」