――ウルタールで子猫と戯れていた友希那のもとへ、将軍猫達が戻ってきた。
テーブルの上で寝転がる子猫のおなかを指先でくすぐっていた友希那の顔は緩みきっており、『Roselia』のメンバーですら早々見たことがないような表情をしている。将軍猫が戻ってくると子猫が素早く起き上がって一団のもとへ駆け寄った。
「…………」
「お邪魔でしたかな?」
「いえ、そんなことはないわ。さっきのはなんだったのかしら」
「ちょっとした、王様同士の戯れです。お気になさらず」
「そういうわけにもいかないわ。つい最近、あれに似たことに巻き込まれた身としては」
魔術、というものがどういったものなのか今だに友希那はよく理解できていない。だが、危険な代物であることはわかる。それも使い手次第なのだろうが、なにせ身近な相手が相手だけに。
「――地球の邪神災害に対しては、近々我らの王が決断をくだすかと思います。それまではどうか身の回りに細心の注意を…………」
不意に、猫たちが友希那から視線を外して広場へ繋がる通りのひとつを一斉に向いた。つられて友希那も同じ方角へ視線を向ける。
――隻眼の、鬼が居た。
右眼に眼帯を着けて、刀を携えて。白と黒の混じった跳ねた髪に、残された左目は友希那を真っ直ぐに射抜いている。その表情は、どこか険しい。
音もなく、一歩踏み出す。青具足の四肢に、身軽な格好。だが、それはどこか高貴な身分を示すように装飾品が付いていた。
「何者だ、貴様は」
「……天下五剣。鬼丸国綱」
「付喪神か。ウルタールへ、何用だ!」
「……そこの少女が、気にかかった」
友希那が自分を指差しながら、首を傾げる。
「私が……?」
「……貴方の纏う空気、雰囲気というべきか。どこか、現実のものではない残り香があった。夢に鬼でも出ていたのならと思い、こうして馳せ参じた次第」
鬼丸は周囲を見渡し、特に危険がないことを確認すると頷いた。
「この辺りは、まだ安全らしい」
「……貴方が私を気にかける必要はないと思うけれども」
「……いいや。オレは、オレの名に恥じぬ行いと振る舞いをする。オレの力は皇族の為に捧げられてきた。人の身体を得た今は、一人でも多く、オレの力で守りたいと思っている」
将軍猫に友希那が目配せをすると、頷いている。どうやら嘘ではない、心からの本音らしい。
「一度目の顕現。オレは、帝に謁見した――その際に、オレは、オレの考えを述べた。とても信じられない光景で、荒唐無稽で出鱈目極まりない出来事だっただろうに。にも関わらず、オレを一目見て、オレが御物であることを見抜いた」
度肝を抜かれた侍従職員達を他所に、ただ静かに言葉を聞き入れてくれた皇室を思い出す。
そして、自らの胸中を打ち明けた。
鎌倉時代より生を受け、太刀として授かった命。今や皇族の守り刀として務めてきた。
「オレは、皇族の許しを得て行動をしている。ミカヅキと接触したのは、その後だ――」
三日月宗近の言い分は、童子切のものとほとんど変わらない。
今の世に、自分達が一挙に顕現したとなれば日本になにか危機が迫っている証拠。起こり得てはならない事が起きている、と。
『鬼丸国綱よ。天下五剣に名を連ねる我が友よ。どうか、今一度。俺の力で眠りに就いてはくれまいか? 俺が倒れた後に、お前は再び目を覚ますだろう。そう遠くない時に訪れる』
――今にして思えば、あれは自らが討たれる覚悟と責任があったのだろう。
鬼丸は知らない。三日月宗近が誰よりも先んじて顕現し、そして、月の狂気に魅入られて狂いながらも日本を守る為に手を尽くそうとしていたことを。
『良いか、鬼丸国綱。再び目覚めたその時は――お前の持つ力で、この国を支えてやってくれまいか。お前にしか、頼めぬことなのだ』
その言葉を、疑問の余地なく信用した。共に生まれた時代は違えど、生まれた国が同じであるならば、思いは同じであった。そうして、鬼丸国綱は三日月宗近の手でその晩に眠りに就き、再び内閣府に回収される。
――童子切の時は即座に背後より斬って捨てたのは、そうせざるを得なかったからだ。
「……だから、オレは。もし貴方の身に災いが降りかかるのであれば、その火の粉を払わなければならない」
「ゆきな様。あの者は一切の嘘を申していません。心底、惚れ惚れするほどに真っ直ぐな言葉です。信頼に値します」
「どっかの黄金の怪物と違ってな」
余計な口を挟んだ軍属の猫が他の猫たちから頭を叩かれている。
「しかし、どうやってこの幻夢境へ。我らの抜け道を使ったわけでもあるまいに」
「……オレは、どうやらその“夢”に関与する力が強いらしい。長い間、鬼を斬ってきたからな」
「では、ゆきにゃ様。お迎えも来たことですし、今宵はこの辺りで目を覚ました方が良さそうです。大したおもてなしも出来ずに申し訳ありません」
深々と頭を下げる将軍猫に「そんなことはない」と友希那は謙遜した。むしろ十分過ぎるくらい和ませてもらっている。子猫も堪能できた。一晩と言わず永住したい。
「……人の言葉を解する猫又のようだが、敵意や害意。悪意は感じられない」
「ほっほっほ。なにせ日本に古くから我らはいましたからな。いや懐かしい。マヨヒガも……おっと、失礼をしました。歳を重ねると話が長引いて仕方ない」
「世話を掛ける」
鬼丸は姿勢を正して、深く頭を下げた。型にはまった礼に、思わず友希那も背を正す。
「では、ゆきな様。くれぐれもお気をつけください」
「ええ。将軍もありがとう」
「……友希那。オレの力で少しばかり、その身に留まっている邪気を祓う。目を閉じてくれ」
「わかったわ」
「――次に目を覚ました時が、貴方にとって良い日でありますように」
「――…………」
驚くほど、目覚めが良かった。身体が軽く、肩の荷がすとんと落ちたような感覚。
いつになく絶好調の体調に、目を丸くする。
どうやら鬼丸の言葉は本当だったようだ。
部屋のカーテンから、隣の家の部屋を覗き見る。カーテンが締め切られたまま、人のいる気配がしなかった。
昨夜、リサからのメールではバイトが長引いて帰りが遅くなるので友達の家に泊まることにしたらしい。安全第一に越したことはない。
それでも、どこかやはり気にかかる。後ろ髪が引かれる思いがあった。
(……リサ、まだ帰ってきてないみたいね)
学校も時間短縮で昼までとはいえ、何の用意もなく泊まり込みをする以上朝早くから戻ってきて身支度くらいは整えるはずだ。しかし、スマフォに通知は来ていない。
「……大丈夫かしら」
また変な事件に巻き込まれていないといいが。
ベッドから降りてから、すぐに部屋の扉がノックされる。
――――、身体に違和感を覚えてまぶたを開ける。
温かいような、重たいような。それでいて、何処か心地よさを覚える。言葉にできない安心感に今井リサは目を覚ました。
吸い込む部屋の香りも、自分の部屋の嗅ぎ慣れた匂いではなく、どこか生活感のない無臭。いつもと違うシャンプーの香りに深く息を吸い込んで肺に酸素を送り込む。
(……ん……アタシ、昨日……)
自分が着ている服も、いつもの寝間着ではない。男物のシャツ。そういえば少し下半身が涼しいような気が――そこで一気にリサの意識が現実感を捉えて覚醒した。
恐る恐る振り返れば、エヌラスの無防備な寝顔。顔に垂れている長い前髪に、静かで浅い呼吸。眠る時はいつもその格好なのか、上は下着一枚で下はラフなズボンだ。添い寝するような形で、後ろから軽く抱きしめられていることにリサは自分の顔が茹で上がるのを自覚する。
昨夜の事を思いだす。恐る恐る首に目を向けて、それから髪に隠れている首筋を手で触れた。
跡形もなく完治している。しっかり繋がっているし、脈もある。念の為前髪をかきあげて額も確認すると、傷は残っていなかった。
残らない傷跡もあれば、全身に残っている傷跡の凄惨さは語るべくもない。半袖から覗く腕ですら銃痕や刀傷、爪痕と思わしきものまである。肉を再生させているからか、新しい傷と古い傷で肌の色が若干違う。
――徐々に昨日の記憶が戻ってくる。
バイトが終わって、それから童子切安綱に連れ去られ――鬼丸国綱、大典太光世とエヌラスが敵対した。その後、大典太は撃破したものの致命傷を負ったエヌラスを放っておけずに、モカの誘導もあってか泊まって…………――リサは撃沈する。
恥ずかしさとか、気まずさとか、なんか色々と整理できない感情が一挙に押し寄せてきて泣きそうになるが、それでも何とか向き合って気持ちを落ち着ける。
端的に言ってしまえば、告白は断られた。だがそれは、ちゃんと事情があってのことだ。薄っぺらな承諾でもなければ、身勝手な拒絶でもなく。互いの身の上をきちんと鑑みた上で、エヌラスはリサの気持ちだけを受け止めた。だから、それ以上のことは望まない。
たったそれだけのことだ。
(…………)
寝返りを打つと、向かい合う。眠っていて、完全に無防備な相手の腕の中にすっぽり収まると心臓の鼓動が聞こえてきた。穏やかで、一定のリズムで脈打つ心臓の音に耳を傾ける。だが、それ以上に高鳴る自分の鼓動がうるさくてよく聞こえてこなかった。
(起こしちゃ、ダメだよね……)
起こさないように静かに離れてベッドから降りると、スマフォに通知がきていた。それは、昨晩の騒ぎを受けて学校からの緊急連絡網で、今日も休校という知らせ。
警察も被害を受けたということから、夜間外出を当面禁止するという話だった。致し方ないことだとやんわりと受け止めながらも、何も知らない身だったらとも思う。
きっと、他人事のように聞き流していた。
リビングに出ると、テーブルの上には部屋の鍵と、自分の手には収まらないような巨大な拳銃が置かれていた。弾丸まで置きっぱなしにされている。
部屋の鍵を持ち、部屋干しにしていた制服に袖を通す。洗って返そうと思った男物のシャツを洗濯機に入れるか考えたが、家に持ち帰ることにした。洗濯の音で起こしてもかわいそうだという気遣いが半分、もう半分は憧れがあったという個人的な欲求。
一度だけ部屋を覗き、眠っているエヌラスの頬にキスをしてから逃げるように部屋を後にした。
ちゃんと戸締まりを確認して、部屋に鍵を掛ける。
今、何よりも大事なことは――知り合いに見られる前に自宅に帰ること。
「よし」
意気込んだリサがエヌラスの部屋から出て廊下を早足で歩く。すると、階段前の部屋の扉が開かれた。ゴミ袋を持って出てきた住人が寝ぼけ眼でリサと目が合う。
「…………」
「あ、あはははは。おはようございまーす」
「え? ああ、はい……おはよう……?」
リサは逃げ出した。早足で階段を降りて、朝の住宅街を走り抜ける。
その後姿を見ていたマンションの住人はあくびをこぼした。
――あんな子、このマンションに住んでいたっけ? などと呑気に考えながら。