【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第百九二幕 今は遠き、夢の残り香は

 

 

 

 あれから奇跡的に知り合いと鉢合わせすることなく、自宅へ辿り着いたリサは両親から少し注意を受けつつも、学校が休みになった連絡を知らせる。

 昨夜の報道もあってか、バイトも休みになった。一日の予定がいきなり空いてしまったが、それでも昼間のうちはまだマシなはずだ。

 ――念の為、モカに先日の感謝の言葉と報酬のパンとクッキーの件を伝える。できるだけ早いうちに渡しておきたいところだが、それよりもモカの関心は別な物に向けられていた。

 

『昨日はお楽しみでしたかー?』

 そんなわけないじゃんッ! と、胸中で突っ込みながらも、なんと返すか指が迷う。

 

『それどころじゃなかったからね? それよりも、昨日のお礼。できれば早めに渡しておきたいんだけど今日は予定大丈夫?』

『全然おkでーす』

『じゃあお昼頃に出来たて用意しておくね』

『おー、今日のモカちゃんランチは豪華になりそう』

『場所はどうしよっか?』

『それなら、エヌラスさんの家でどうでしょう。きっとお腹空かせてるでしょうしー』

 勝手に人の家を集合場所にするな――エヌラスが聞いていたらきっと言うに違いない。そんなことを思いつつも、リサは返信する。

 

『昨日の怪我がひどかったみたいで、爆睡してたから別な場所!』

『はーい。モカちゃんはおじゃま虫ってことで遠慮しておきますねー』

「んもーっ!」

 そうじゃないのに。いやそうでもあるかもしれないけれども!

 とにもかくにも。まずは着替え。それからパンとクッキーの準備。それから――午後の予定、もといこれからの予定を考える。やることも考えることも山積みだが、ひとつひとつ丁寧に切り崩していけばできないことではない。

 そうと決まれば早速私服に着替えて、それからエプロンを着けて、キッチンに立つ。

 材料を確認する。するとそこで、必要なものが致命的に足りていなかったことに気づく。よりにもよってベーキングパウダー。パンが作れない。

 そもそもにして何故パンなのか。それならやまぶきベーカリーで奢りでいいじゃないか。どうしてアタシの負担を増やすのか。そんなに手作りがいいのだろうか、いや頼られて嬉しいけども。

 顔を覆うリサだが、悩んでいても無いものはない。なんで買っておかなかったの、なんて親にも言えない。一般家庭にベーキングパウダーは常備されていないのだから。

 

『モカー、ごめん。材料足りなくてパン作れそうにないや。やまぶきベーカリー奢るから、それで手を打たない?』

『モカちゃん審議中……』

 今月も相変わらず学生のお財布事情は厳しいので、できれば出費は抑えたいところ。

 シンギング・モカちゃんの下した判決は如何に――!

 

『そういうことなら、今日はクッキーだけで妥協しまーす』

「よかったぁ~……」

 ああ見えて、案外モカは大食いだ。しかも体型変わりなく。女子の敵め……。そのカロリーはひまりに送られているという話だが、果たして。いや本当に何処に消えているのだろう。羨ましい限りである。

 そうと決まれば、早速クッキー作り。リサは即座に取り掛かった。

 手を動かしていれば、後の予定も決まろう。

 

 

 

 そうして、モカの報酬分を一袋丸々、大盛りで準備したリサは今回の出来栄えを確認する。我なら上出来、悪くない出来だ。焦げもなし、型崩れもしていない。店売りと言ってもいいのではないかという出来栄え――は、ちょっと言いすぎだろうか。

 問題はどこで渡すか。家に行くのも、かといって受け取りに来させるのも。そして、自分がこれからどうするか。

 

「う~ん……」

 エヌラスの容態も気になる。爆睡しているだろうけれども、一人暮らしというのは常々不便なものだ。

 風邪を引いて、家に一人で留守番をしている子供の心細さを思うと放っておけない。どうしても頭の片隅に居残ってしまう。きっと、そういう気配りの良さを注意していたのだろう。

 

「――よし、決めた!」

 自分にできることをしよう。出来る限り、できることを。

 お泊りセットを用意。今度はちゃんと、着替えも普段使っているシャンプーとかも準備万端。少しだけ大掛かりな荷物になってしまったが、それでもなんとかうまく収納術を駆使してバッグ二つに収める。学生鞄も用意して、勉強道具一式もセット。

 身だしなみチェック、問題なし。忘れ物もない。

 そうと決まれば――。

 

「アタシ、ちょっと友達の家に泊まってくるね! 勉強会してくる!」

 こんなご時世に何を呑気な、と親に少し怒られたが、勉強会とあっては強く言えない。

 手土産のクッキーを持って外出するリサは、すぐにエヌラスのマンションへと向かった。

 まずは荷物を下ろして、身軽になってからモカにクッキーを渡すついでにランチタイム――という予定を組んでいた。

 その後は商店街で夕飯の献立を考えつつ、課題を片付ける。それなら一日くらい余裕で過ごせるはずだ。

 もちろん、そんな話を友希那にすれば断固拒否される。良い顔をしないのは目に見えているし、機嫌を損ねるに違いない。だが、決めてしまった以上は動かなければ。

 

 案の定、『Roselia』のトークルームに紗夜からメッセージが一件。これから先の練習についてのことだった。エヌラスには敢えて触れない方向で話を進めようとしている。

 自主練をメインに、スタジオの予約などは極力控える形で。やるにしても夕方から夜間帯は避ける。この騒動が鎮まるまでは、それが最適だろうというのが紗夜の提案。

 補足として、音楽活動の自粛は長期間ではなく短期間であること。それに返信したのは、友希那と燐子だけだった。リサはどう返答するか考え、あこも悩んでいるのだろう。

 

(……紗夜も心配じゃないのかな、エヌラスさんのこと)

 聞いて確かめたいところだが、此処は我慢。火種を振りまいても仕方ない。

 とりあえず自分の正直な意見としては、賛同。学業に響かない程度に音楽活動に熱を入れる。無難かつ最適解だろう。

 

 エヌラスのマンションに着いてから、エレベーターで最上階へ。

 その最奥部、突き当りにあるエヌラスの部屋の鍵を開けて入る。朝方、逃げるように出てきてそのままになっている室内は静まり返っていた。それが逆に不気味でもあるが、寝室を覗き込むとエヌラスは眠ったままになっている。

 何度も寝返りを打っていたからか、シーツはほとんど床に落ちていた。枕も頭の横に置かれている。着崩れたシャツの隙間からへそが覗いていた。薄っすらと割れた筋肉質な腹部に目を奪われそうになりながらも、シャツを直して毛布を身体に掛け直す。

 バクバクと高鳴る心音を、深呼吸で落ち着かせる。

 部屋の換気もしていないからか、男性用のデオドラントに似た匂いがした。不快ではないが、意識に残るような。奇妙な香り。

 疑問に思いながら、匂いを吸い込む。どうやらそれは、エヌラスの身体に染み付いた香りであるようだ。ミントのような爽快さに、どこか柑橘系の香りを含んだもの。

 

(アロマかな……? あんまりじっくり嗅いだことないけど……そう言えばヒナ、こういうの得意だったっけ……)

 日菜からの贈り物だろうか――そう考えると何故か、少しだけ胸にトゲが引っかかった。薄暗い感情を言葉にするのなら「ずるい」と、思ってしまったのだ。違うかもしれないのに。

 戦いから離れて、こうして眠っている顔を見つめているだけの静かな時間。

 ずっと、こんな風に穏やかに過ごしていてくれればいいのにとも思う。

 ――だが、きっと。

 この人はそんな自分を許せない。自分勝手な戦いに巻き込んで、自己満足の戦いで迷惑を掛けてしまって、これ以上は傍に居られないと言っていた。

 目を覚ませば、次の戦いに。それが終われば、また次の戦いに。それが終われば、また――いつ終わるのかも定かではない闘争に身を投じる理由はただひとつ。

 友達を助けたいというだけの、たったそれだけのシンプルな答え。

 自分の幸福など一切躊躇なく捨ててまで、助けたいと思われている、遠い故郷の人々に嫉妬をするのは無理のないことだ。だが、それほどまでに素敵な人達なら、一度で良い。

 たった一度でもいい。会ってみたいと思う。叶わない願いかもしれないけれど、もしそんな奇跡が起こるのなら――この人が笑顔でいられる場所に、行ってみたい。

 

(――なんて、ワガママだよねー)

 人の気持ちを知った上で、受け取った上で、素知らぬ顔で眠り続けているエヌラスの頬をつつく。少しだけ眉を寄せてうめきながら寝苦しそうにしていた。だが、不思議と頬が綻んでいる。

 

「――――」

 その口から、知らない人の名前が出てきた。それは、多分……女性の名前だ。

 こんなにも無防備で、こんなにも穏やかな寝顔で。自然と、耳にささやく甘言のように名前を呼ばれた相手は、どれほどの幸せな人なのか――そう思うと、胸が窮屈になって、目からこみ上げてくるものが溢れそうになった。

 気を紛らわせたくて、スマフォを取り出すと時間を確認する。それから、モカとの待ち合わせ場所を確かめて。

 画面に、水滴が落ちた。静かに垂れて、操作が効かなくなった液晶画面を袖で拭う。

 

「……遅刻はまずいよねー」

 ただでさえ今回はパンを妥協してもらったのだから。

 クッキーを持って、それからリサはモカとの待ち合わせ場所であるファミレスへと急いだ。

 ――部屋を出て、早足で階段を降りても、街の中を歩いても。

 呟かれた名前が頭の中でリフレインして離れなかった。

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