リサはモカにクッキーを渡し、それからファミレスで一緒に御飯を食べてから買い物に向かった。夕飯の買い出しと、それとベーキングパウダーも忘れずに。
あれから、結局『Roselia』のトークルームにあこからの返事はなかった。本当に大丈夫だろうかと考えながらレジ袋に食材を詰め込んでいく。
スーパーを後にしてリサがエヌラスのマンションへ向かう。
その姿を、高所より見下ろす影があった――。
左手首に巻いた数珠を鳴らし、大柄な体格の数珠丸恒次は今井リサの歩く姿を観察していた。
袈裟を着て、刀を携えた姿は少々見慣れない組み合わせかもしれない。そこへ、黄色のレインコートを羽織った鬼丸国綱が音もなく降り立つ。常軌を逸した身体能力を持つ付喪神の上位者である天下五剣であれば、何も驚くことではなかった。
「……やっと見つけたぞ、数珠丸」
「おお、これはこれは鬼丸殿。如何なされた」
「如何なされた、ではない。今まで何処に居た」
「はっはっは。それはすまなんだ。こちらも追われていた手前でな。うむ、実は気になる事が幾つか。この周囲一帯の荒れ果てた地脈に関することですが……童子切殿はどうされた?」
「……腹が減ったと駄々をこねて、動きたがらない。だからこうしてオレが代わりに探し回っていたんだ」
「それはまた、手間を掛けましたな。申し訳有りませぬ」
鬼丸も視線で数珠丸が見ていた相手を目で追う。それは、昨晩自分が迷惑を掛けた相手の一人だった。あれから特に何事もなく過ごしているらしい。
「まぁ、いい……とにかく一度戻って、童子切と合流だ」
「大典太殿の姿が見えませぬが、どうされた。別行動でも?」
「……お前が居ない間に、討たれた。今はオレが預かっている」
「なんと……それはまた――南無」
合掌する数珠丸を責めたところで、どうとなるわけでもない。鬼丸は童子切が待っている近場の神社まで数珠丸を案内した。
――この地域一帯の地脈、霊脈の乱れ有り。というのは最早天下五剣にとって共通の認識であった。土地の流れ、気の流れ。目に見えない力の流れ方は、血の巡りのように循環している。それは不浄を留めずに洗い、清めるために。
それが、壊れていた。ポッカリと穴が空いたように。本来であれば触れることも流れを変えることもできない土地の脈が粉砕されていたのだ。これでは周囲に不浄を清め祓うことも叶わず、溜まる一方。
寂れた神社の小さな境内に腰を下ろして、数珠丸の話に童子切と鬼丸は耳を傾けていた。
霊脈の乱れなど、普通は気にもとめないことだろう。だが、今は妖怪である自分達が顕現してしまうほどに狂ってしまった。となれば、懸念事項はひとつ――このままでは日本妖怪が跋扈する魔界と化すことだ。にもかかわらず、不気味なほど街は静けさに包まれている。
まだそれほど影響が出ている様子は見られない。ならば、手の施しようもある。
「――以上が、拙僧の見立てです。幸いにして、この辺りに力ある妖怪はおらぬようで」
「せいぜいが亡霊程度。だが妖怪というのは人間の恐怖を食らう形で力を強める」
恐怖心。畏怖。そういった絶望的な感情の起伏を妖怪は喰らい、力を増していく。さながら神が信仰を集めるような形で。
特に、名のある妖怪ともなればその効果は絶大だ。
日本三大妖怪――例えば、鬼。天狗。河童。誰もが一度は耳にしたことのある存在。
「さて、どうする童子切。このまま此処で管を巻いていても仕方ないとオレは考えているが」
「何か案があるならば、発言を許す。言ってみろ」
「……西へ向かうべきだと、オレは考える」
「拙僧も同じことを考えておりました。ですが、ひとつ気になることが」
「なんだ、数珠丸」
「此処より北方。そう遠くはない場所にて、何か異様な気配があります」
「……心当たりがないわけじゃねぇな」
童子切の言葉に、鬼丸が先を促した。
「オレの生まれである平安。そしてその後の鎌倉。更に、その後の時代に、天皇誑かした女狐がいたらしい」
「そうなのか……」
「うーむ。拙僧は仏門にいたもので世情には疎いものですが。そうなのですな」
「正直な話、俺もよくは覚えてねーけどな。何百年前の話だと思ってやがる。そいつは、最後に那須野で討たれたはずだが、そっからどうなったのかまでは知らねぇ」
「那須野といえば、此処より北だな」
方角も合っている。となれば、その封印が弱まっていると見ていいかもしれない。
「数珠丸。お前の法力でこの霊脈の乱れを御することは可能か?」
「かなり大掛かりな陣となりますな。時間を要しますぞ」
「どれほどか」
「……閉ざす、というのであれば三日。正すとあれば、一月ほど。ただ拙僧がこの場より動けなくなってしまいますが」
間に合わない、と童子切は即座に判断した。焼け石に水だ。
「鬼丸。お前は此れより西へ向かえ。お前ほどの足があれば、二日もあれば着くだろう」
「承知」
「数珠丸は北に向かい、その気配を辿れ。もし女狐の復活を阻止できるようであれば、頼めるか」
「お任せを」
「俺は此処で、鬼を見張る。あの悪鬼羅刹とは、近々一戦交えることになるだろうしな」
数珠丸は大典太がその悪鬼に討たれたと察した。静かに手を合わせ、祈祷する。
「西、か……となれば、京の都辺りが妥当だな」
「ああ。あそこは昔っから魑魅魍魎が跋扈する魔界に片足突っ込んだような場所だったしな。何かあるとしたら、まずはそこだろう」
「大江山、鞍馬山……あの辺りはお前の方が詳しいんじゃないのか、童子切」
「まぁなー。懐かしいわ、鬼一族を酒で潰して首を斬り落として回ったの」
「それ以外にも色々あるだろう、お前のところ……」
「髭切の野郎の話なんざ、腐るほど」
アレがいたら、どれほど心強かったことか。妖怪退治で名を馳せた源氏一族の名刀と言えば、まずは自分よりも先に髭切と膝丸の二振りだ。付喪神となった今、顔を合わせることが叶わないことが少しばかり名残惜しい。だが、いない相手のことを語っても仕方がない。
「俺も俺で何か手を打っておく。――ところで、俺はひとつ気がかりなことがある」
まだ他になにかあるだろうか? 鬼丸と数珠丸が浮かせた腰を再び落ち着かせる。童子切の視線は、数珠丸へ向けられていた。
「数珠丸。お前、西から馳せ参じたと最初に語っていたな?」
「然り。それが如何なされた」
「一度目の顕現、それも西か?」
「……それが?」
「俺は三日月宗近に、此処で斬られた。だがお前は、どうあってアイツと接触した?」
「ふむ……我ら付喪神の中で、最初に顕現した者が三日月宗近。次いで、拙僧という形になります。おそらくは法力、神通力――そういった霊力の強いものから個別に顕現したと見るのが妥当と思われますが。拙僧も三日月殿と直接言葉を交わしたわけではありませぬ」
法力による念話。その対話による説得で数珠丸もまた、三日月の言葉を承諾して再度眠りに就いた。順序的には――三日月が接触したのは、数珠丸、童子切、鬼丸の順。大典太は定かではない。
「なにか、拙僧に良からぬ企みでもある、と?」
「いや、ちょっとばかり疑問だっただけだ――
「……」
「こんな時勢だ。さぞ、あちらもとち狂っていることだろう。ならば、此処より妖怪共も多いはずだ。特に、京の都にはな――酒呑童子の首がある。アイツは最後、宇治の宝蔵に納められた。それ以外の妖怪の遺骸や、その一部があるはずだ。まっさかお前、それ全部検閲も無しに眠りこけたわけでもあるまい?」
「いやはや、拙僧も俗世に疎いもので――」
「お前の袈裟は見掛け倒しか。平等院を知らぬ、とは言わせねぇぞ。だから俺は、敢えて鬼丸を西へ行かせることにした」
童子切の思惑としては、法力が強いはずの数珠丸が西の異変を見過ごしたことが疑わしいようだ。横で聞いていた鬼丸も顎に手を当てて考えに耽る。
大妖怪の復活、それは阻止しなければならない。特に鬼一族は、童子切や鬼丸を強く怨んでいるはずだ。その仕手であった源氏一族も。
一族郎党、討伐されてから千年の怨念。それは、何も鬼だけに留まらない。
酒呑童子、玉藻の前、大嶽丸。鵺に土蜘蛛、牛鬼。
何よりも、酒呑童子は配下の四天王も含めれば軍勢と言っても良い。
「場合によっては、此処でお前の首を刎ねてもいいと俺は思っている」
「……本気か、童子切殿。いや、その燃える眼を見れば口に出すまでもないか」
天下五剣同士の衝突など、周囲の被害は目も当てられない。鬼丸は間を外すように立ち上がり、レインコートのフードを目深に直した。
「……オレは行くぞ。鬼が気がかりだ。鬼は、斬る。斬らねばならぬ。オレが斬らねばならぬ不倶戴天の敵に他ならない」
「ああ、わかった。鬼丸――」
「なんだ、童子切」
「……武運を祈る」
「南無八幡大菩薩。吉報を持って帰ってくる、此処で待っていてくれ。童子切安綱」
不意に、思い出したように下げていた大典太の下げ緒を解いて童子切に差し出す。
「鬼の本丸に乗り込むことになるかもしれない。ならば、これはお前が持つべきだ。万が一も考えるとな」
「仕損じるなよ」
「わかっている。数珠丸、そちらも女狐に化かされないようにな」
「はっはっは、心配無用。拙僧、こう見えておなごの扱いは心得ております故。化性が如何に化粧で顔を覆い隠しても見抜いてみせますとも。出立前に斬られては堪りませぬからな、拙僧も出るとしましょう」
数珠丸も立ち上がり、手を合わせて童子切に深々と拝礼すると鳥居を超えてから姿を消した。
その後姿が見えなくなってから、最後に立ち上がる。
「……鬼丸、どう思う」
「数珠丸はオレ達と違う。仏門の佩刀だ。その法力は桁外れだろう、敵に回れば手強いぞ」
「知るか。敵は斬る。俺の敵は、日ノ本の敵だ。だったら、俺は斬るぞ」
「……迷っているのか?」
「――正直なところな。あの悪鬼羅刹を、本当に斬るべきかどうか。一寸、道を違えば後は地獄行きだ。果たして、本当に俺でいいのかと思っている」
首級を挙げた数であれば、確かに髭切と膝丸も数多い。だが童子切は、酒呑童子の首を斬ってからというものさした功績を立てていない。
ならば、なぜ自分が天下五剣の筆頭として選ばれたのか。その格の高さに、童子切自身は迷っていた。だが、その迷いは刃を鈍らせる。在り方を迷えば、己の下にいる者共すら貶める。
武士ではなく、将として。
かつての仕手である源頼光が、歴史に名を置く将であることが己の誇りであればこそ童子切安綱は自らの迷いを踏み倒す。
「その点、お前が羨ましいぜ。鬼丸よ――お前は、惚れ惚れするほどに真っ直ぐだ。何がお前をそうさせる」
「……オレは、お前の強さが誇らしい。オレに信を置くお前と。今の皇族に背くわけにはいかないからな。なら、成すべきことは決まっている。お前が前に立ち、この国の先行きを切り開くのであれば――オレは、オレの名に恥じぬ行いと振る舞いを示す。天下五剣が一振、鬼丸国綱として。だからお前は誇るといい、童子切安綱。胸を張り、背を正し、前を見据えてくれ。オレは、それを良しとする」
「…………」
「では、またな。童子切」
「ああ。ありがとよ、鬼丸」
早駆けで去っていく鬼丸国綱の背を見送り、ひとり残った童子切安綱は腕を組んだ。
迷っているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。背を押されたのなら、進むだけだ。
信に背くことなど、出来やしない。上に立つものならば尚更。ならば――己の足が進む先など、決まっている。
童子切安綱もまた、その寂れた神社の境内より去っていく。