【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第百九四幕 心ノ火色

 

 エヌラスの部屋に戻ってきたリサは、買ってきた食材などを冷蔵庫に保管する。少々買い込みすぎたかもしれないが、目を覚ました時にお腹を空かせているに違いない。腹が減っては戦はできぬと昔から言うのだから間違いないのだ。

 それとは別に、自分が食べる為の夕飯の支度もしておく。米も多少ながら買ってきてある。少し重かったのであまり多くないが、足りるだろうか。

 その時はパンもパスタも用意してあるので一日二日は保つだろう。

 

(でも、流石に連泊はできないなー……)

 今日はまだいい。だが、問題は明日から。様子を見に来る程度なら大丈夫だろう。

 頭が重くなってくる問題から目を逸らすように、リサはエヌラスの様子を見に寝室を覗いた。

 カーテンも閉めずに、陽が差し込んでいるというのにも関わらず相変わらず爆睡中。部屋の中もベッドくらいで、机の一つも置いていなかった。生活感というものがまるでない。

 以前来た時にはあったはずのテレビも無くなっている。既に退去の用意をしていたのだろう――実際は、穿雷の改修をするために解体したのだが――。

 

 じっとりと汗ばんだ額に触れる。少しだけ熱っぽくなっていた。寝苦しそうにしている顔にかかる前髪をかきあげると、左目のまぶたが赤くなっている。内出血でもしているのか皮膚の下、身体の内側から火傷のような痣が浮き上がっていた。目で辿っていくと、それは首筋から鎖骨、左胸にまで続いている。右腕は一層酷い。手で触れてみれば、まるでお湯を沸かしたやかんのように熱くなっていた。反射的に手を離してしまうが、それはあくまで錯覚だ。

 タオルを水で濡らし、絞って寝汗を拭う。身体の腫れは、どうすることもできない。だが、冷やしておくと多少は気は休まるのかエヌラスの呼吸も落ち着いていた。

 

(とりあえず冷やしておけばいいかな?)

 一時しのぎにしかならないかもしれない。それで少しでも痛みが和らぐならば、やっておくに越したことはない。湿布はないが、吸熱シートは買ってきておいた。

 右腕に貼っておき、左目の周りはタオルをあてがっておく。汗も引いて、呼吸も安定していた。

 応急処置としては上々の成果と言っていいだろう。――魔力焼け、或いは魔力疾患ともいう肉体的な拒否反応。人体に“回路”の外付けというのは、適合しない場合は酷い神経痛に悩まされる。最悪の場合、死に至ることも。その難易度は施術箇所が多ければ多いほどに高くなる。

 エヌラスの場合は、それが全身。特に、左目と右腕は酷いものだ。それだけに、ひとたび魔力疾患を起こした場合、銀鍵守護器官の再生機能も相まって中々治まらない。幸いにして、今はまだ休眠状態で拒否反応も落ち着いている方だ。

 

 心配そうに寝顔を見つめていたリサが頭を撫でる。

 きっと、すぐに良くなるはずだ。一日二日、こうして無防備になると言っていたのだから。

 明日には。遅くとも、明後日には目を覚ますはず。

 リビングに戻ったリサが、学生鞄から教材を取り出して課題に取り掛かった。親には勉強会と言った手前、それなりのことは格好だけでもしておかなくては。

 

 

 

 スマフォにイヤフォンを差して、音楽を聴きながら課題を片付ける。片耳にだけ付けているが、部屋の静けさは本当に人が住んでいるのかと疑わしくなるほどだ。

 不意に、リビングから外の景色を眺める。

 高層マンションの一角という、人が滅多に訪れない場所。そこから見る景色は、自分の家の景色とは全く違っていた。窓を覗けばすぐに隣の家の友希那が見える。だが、ここからは青空しか見えなかった。まるで、自分が世界から切り離されたような静けさに包まれて、リサは雲の流れる高い空を見上げる。

 見渡す限りの青。ポッカリと、自分だけが取り残されているような部屋の景色に寂しさが訪れてくる。イヤフォンから流れてくる音楽も、どこか空虚に聞こえてしまった。

 こんなにも自分が小さな存在であると語りかけられてくるようで、とてもではないが孤独感に耐えきれない。

 ――自分が住むなら、もうちょっと馴染みやすい場所でいいかな。

 そんなことを思いながら、リサは課題を片付けていく。

 確かにちょっと、こういう部屋も憧れではあるけれども。

 

「――ん~……! よし、ちょっと休憩ーっと」

 取り掛かっていた課題の幾つかを必要なだけ進めてから、時間を確認する。ちょうど夕飯前の時刻だ。

 献立を考える前に、エヌラスの様子を見る。

 

「ありゃー……」

 まだ眠っている様子だが、寝相は先程よりもひどくなっていた。今にもベッドから転げ落ちそうなほど身体が傾いている。既に腕がはみ出していた。枕も落ちている。

 リサは枕を元の場所に戻し、それから寝ているエヌラスの身体を落ちないように直した。思った以上に重くて少し息が乱れる。

 タオルも床に落ちていた。念の為症状を確認すると、まだ少し赤くなっている。それでも先程よりは治まっているのか、首筋で腫れは引いていた。

 再びタオルを水で濡らしてから、寝汗を拭う。少しだけ嫌がるような素振りを見せたことから、少し意識が戻ったようだ。

 ベッドの縁に腰掛けて、その様子を観察する。

 頭を撫でて、それから頬をつつく。寝返りを打ち、振りほどくように頭を揺らしていた。背中を向けて、身体を丸めて眠る姿は――本当に、信じられないほど自分達と変わらない人間のようだった。髪の色も、肌の色も、日本の成人男性のようで。そう思った瞬間、自分の顔が熱くなってきたリサは部屋から出てキッチンに向かう。

 買ってきたパスタを茹でて、その間にサラダの準備。自分一人で食べる分には余るほどの量だが、食べきれない分はボウルに入れて冷蔵庫へ。パスタサラダにしておけばドレッシングをかけるだけで食べられる。あとヘルシーなので健康にもいい。

 一人で夕飯を済ませてから食器を片付ける。

 日が傾いてきたので部屋の灯りを点けようかとも考えたが、エヌラスは眠ったままだ。できれば点けないほうがいいのかもしれない。

 

(……多分大丈夫だよね)

 カーテンがなくても、こんな高い場所の部屋なんて誰も覗きに来ないだろう。しかし、気になるので念の為部屋の外から周囲の景色を観察してみる。

 周囲が住宅街ということもあって、二階建ての家がほとんど。部屋を覗けるような家は見当たらなかった。なら大丈夫だろう、ということで暗くなってきたリビングの灯りを点けて、リサは充電の減ってきたスマフォにケーブルを刺してから持ってきた恋愛小説を読み始める。

 

 ――何の変哲もない。ありきたりで、当たり障りのない話。

 偶然出会った男女が、徐々に仲を深めていく。その周りの人間関係も物語の進行に応じて変化していくのだが、中には二人の恋を応援したり、独自に発展していったりと目が離せない。

 共学制の高校で繰り広げられる恋愛模様は、進学や就職してからの展開も匂わせている。

 そんな風に、なんでもないごく普通で、当たり前の恋の話。

 思い描いたこともある。自分に運命の人が巡ってくるような恥ずかしい話を。しかし、事実は小説より奇なり。

 この出会いが、運命と呼べるものならばどんなに残酷な話だろう。

 こんなにも辛い思いをするくらいならば、いっそ出会わなければよかったとさえ考える。

 叶わぬ恋を抱いていられるほど、自分は強くない。どこかで踏ん切りをつけなければ、到底割り切れそうにもない。

 顔を覆って、うずくまって、ひとしきり泣き喚いて。それで全て忘れたように吹っ切れたら苦労も苦悩もしない。それが出来ないからこそ、こんなにも胸が苦しいのに。

 ソファーの背もたれに体重を預けて、リサは天井を見上げる。

 壁掛け時計もない静かなリビングでそうでもしていなければ涙が零れ落ちそうになった。

 以前のように何も知らない日々に戻れるのなら、それはどれほど幸福なことだろう。

 

 リサは堪えきれずに溢れてくる涙を拭って、寝室に向かう。リビングから差し込む灯りを気にも留めずに眠りこけるエヌラスの隣に寝転がる。

 呼吸しているのかも怪しい、浅い寝息。暗殺者の訓練の中にあった、呼吸を悟らせないための独自の呼吸法だが、リサはそんなことは知らない。

 眠っているのを良いことに、無防備な身体に抱きついてみたりする。何の反応も返ってこないだろうと油断していたのが運の尽き。

 

「……ん、んー…………?」

「ふゃ――!?」

 思わず、変な声が出た。

 エヌラスの腕が、リサの身体を抱きしめていた。そしてそのまま寝返りを打って落ち着く姿勢に収まると、先程よりもリラックスしたように深く息を吸い込む。

 まるで抱き枕のようにされて、リサは心臓が跳ねそうなほど鼓動が早まるのを感じていた。沸騰しそうなほど熱くなった顔をどうすることもできず、ただ胸の中にうずくめる。

 強く抱きしめられるが、痛みはなかった。少しだけ息苦しさはあったが、それは頭を動かせばすぐに解消される。

 ――まるで、甘えるように。手放したくない宝物を独り占めにするかのような、無言のワガママにリサは誰かの温もりを手にしたくているのは、エヌラスも同じだと知った。

 あんなに強い人でも、孤独には耐えられないのだと思うと――つい、抱きしめる手に力がこもってしまう。

 相手の匂いに包まれて、それが不思議と居心地が良くて。胸の高鳴りも気にならないほどの安心感に、リサはそのまま目を閉じる。

 きっと、明日には目を覚ましてくれるはずだと思いながら。

 

 

 

 ――宇田川家。

 学校が休みになった巴とあこは、食卓を囲んでいた。そこには、るーも一緒にいたし、ロシアンブルーキャットも行儀よく足元に座り込んで食事をしている。

 あこの隣に座って器用に箸を使いこなして焼き魚を解体していく。綺麗に骨だけを取り除くと、巴もあこも感心していた。

 

「るーくん、箸使うの上手だよね」

「あこも見習わないとな」

「…………」

 もくもくとご飯を食べる横顔を見ていた巴が、ふと気になっていたことを口にする。それは、ローポニーの髪を留めている青いシュシュのことだった。

 

「るー。その髪留め、綺麗な色してるけど……どこで買ったんだ?」

「…………」

 巴に聞かれて、何かを思い出そうとしているのか箸を咥えたまま天井を見つめる。日本ではあまり見かけない意趣が凝らされていた。元々髪が綺麗なのも相まって、これまであまり気に留めていなかったが、話してくれるようになってくれたのでいい機会だと考えてのことだったが、返事はない。天井を見つめたまま、固まっている。

 テーブルに登ったロシアンブルーが座り込み、ほっぺたを前足で叩く。てふっ。

 

『やいこら。聞かれてるんだから答えてやれ』

「…………」

 

 地球に初めて来た時に、自分を保護してくれた家族がいた――はず。

 そこに居た子が、綺麗な髪だから、と。贈ってくれた物だ。

 大切なもの、なのかどうかもわからない。ただ、なんとなく。これを手放す理由もないので着けている。

 その家族も、今はもういない。消えてしまった。あの烈光に照らされて。

 自分がいたら、宇田川家もそうなってしまうのだろうか――そう考えると、ひどく嫌な気分になる。言葉にできないが、胸の辺りがモヤモヤとする。

 

「あー……はは。まぁ話したくなったらでいいよ」

 巴の言葉に頷いてから、箸を置く。手を合わせてから、るーは外の気配に向けて歩き出した。その後をロシアンブルーが付いてくる。

 

『にゃんだ、どうした。外の気配なら付喪神じゃないのか?』

「…………」

『そんなおっかねー顔すんなよぅ。だいたいこんな見え透いた挑発してくるような相手の誘いになんで乗っかるんだ? そんなにこの家が気に入ってるのか、お前さんは』

 怪我だって治りきってないくせに。と、猫が注釈する。

 靴紐を結んでから、るーは外に出た。

 

 夜間外出が禁止された住宅地の歩道には、堂々と。逃げも隠れもせずに仁王立ちをしている付喪神がいた。

 天下五剣が一振り、その筆頭格――童子切安綱。

 燃えるような赤。炎の鬼が立っている。その眼光を真っ直ぐに睨み返しながら、二代目賢人バルザイはいつでも魔刃鍛造ができるように構えた。

 

「――お前か。俺達を顕現させた張本人は」

「…………」

 しかし、その闘争の火はすぐに下火となる。明らかな落胆、期待はずれの水を浴びたように。

 異界の付喪神、同じ生まれの相手だということに意表は突かれたが、だからといって加減をするつもりはなかった。

 閑散とした住宅街の通りに、童子切は背を向ける。

 

「場所を変える、ついてこい」

「…………」

 その大きな背中に向けて、るーは静かについていった。

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