──魔術の基本は魂の研鑽と精錬だ。よって死ぬ気で鍛えろ。なんなら軽く死んでみろ、感覚で掴め。あれだ、臨死体験とかしてみるか。おい逃げるな、というか逃げられると思っているのか?
──おいバカ弟子。修行に行くぞ。脱げ。なに? 脱ぐ必要? そんなもの極限環境下において生存するのに衣類を着用した状態である必要があるのか? いいから脱げ、三時間以内に環境に適応しろ。現地は氷点下三十度だが、まぁ全裸でも何とかなる。一週間後に迎えに行くから生き残れよ。死んだら許さんからな。はよ脱げ。
──魔術を行使するのに体力が必要か、だと? バカかお前はこのバカ弟子。当然だろう。体力気力精神力、そのいずれも必要に決まっている。術式の構成維持と魔力の制御に体力と気力は必要だ。威力はその精神力次第だ。極まるとちょっとした天変地異も引き起こせる。なに、私がいつもやっているだろう、だと? 永久凍土作ったくらいでガタガタ抜かすな。ブラックホールに叩き込むぞ貴様。
「………………」
朝。窓から射し込む陽の光に起こされて目蓋を開けたエヌラスは、部屋に大の字になっていた。洋室のリビングにはカーテンも付けず、とはいえ夜も月明かりで部屋が照らされるために電気を点けていない。
床に散らかしたノートには数式が目も痛くなるほど書き込まれ、投げ出されている。
どうやら、計算の途中で寝落ちしたらしい。時計もなく、外から小鳥のさえずりが聞こえてきていた。霞がかった思考と頭を起こして、額を押さえる。
なにか、とても嫌な夢を見た気がした。悪夢じみたものを。一秒でも思い出したくない修行時代の光景が脳裏にフラッシュバックして、エヌラスは即座に頭を振った。
(顔洗うか……ていうか、風呂入るか……)
寝ぼけた頭に熱湯を浴びて、湯船に浸かる。ゆっくりとした朝風呂で気分転換しつつも、計算式の構成は止めない。
(朝風呂とか、師匠も好きだったな)
気が向くと秘境の温泉を求めてフラリと姿を消す。ついでにどっかの森とか山とか村とか消し飛ばしたりする。そんな師匠だった。お土産に原生生物持ち帰ってきたりするような、とにかく何をしてくるかわからない人だったが──こと魔術においては称賛と尊敬の念しかない。
術式の構成。魔術骨格の強度。展開速度。魔力維持。ありとあらゆる面において勝算と呼べるものは存在しなかった。ただ、その犠牲になったのは人生における刺激。
日常の全てが。人生の全てが、退屈と暇潰しに彩られた灰色の航路。何一つ楽しみが無くなってしまった師の唯一の娯楽といえば、弟子を面白おかしく半殺しにするくらいだ。冗談ではないし、それで死にかけたのは一度や二度ではなく数えきれないほど。
生き残ってしまったのが悔やまれる──鏡に映る自分の身体を見て、左胸の紋様をなぞる。
無限の魔力貯蔵庫。それを扱うための魔術回路。第二の神経に魔力の心臓。身体中の傷跡は、その自己再生機能による修復の名残。
──貴様はこれくらいしなければ生き残れないだろうからな。
事実、コレが無ければとっくの昔に死んでいた。
ちっぽけな、だが無くてはならない勝利の鍵として。
遠く離れた異国の地で、未知の世界でも自分の胸に息づく銀鍵守護器官から魔力を引き出す。
何度殺したか覚えてすらいない。何度殺されかけたかも覚えていない。
自分を鍛えるために、自分の命を投げ出す覚悟を決めていた師を未だに越えられない。
神殺しの刃。邪神狩りを始めたのは、果たして本当に“正しい選択”をしたと言えるのか。間違いだったとしても、道を引き返すわけにはいかない。どれだけの邪悪に染まろうと、どれだけの大罪を背負うことになろうとも。この地獄を進むと決めた覚悟は裏切れない。
(……たかが、この程度だ。あの頃に比べれば……“この程度”だ)
歯を食いしばる。歯を食いしばる。立ち止まってしまえば、堪えきれない重さに押し潰されてしまう。だから、立ち止まれない。自らの行いを間違いと認めた上で、それでも進まなければならない。数えきれないほどの犠牲と屍の上に立っているのだから。
シャワーを止めて、身体を乾かしてからエヌラスはノートと睨み合う。
「いえー、三桁台突入ー、はっはっは。ふざけんなクソ師匠め」
ちょっと大きめな独り言をこぼしながら、まだ終わらない術式の構成に頭を抱えていると玄関のチャイムが鳴った。自分の部屋を知っているのと言えば、マンションの管理人か弦巻家くらいだが今回は果たしてどちらか。どちらでもなければティオとティアだ。
左手に銃を構えながら玄関を開ける。立っていたのは黒スーツの女性。こころの付き人達だ。
「おはようございます、エヌラス様」
「はいおはようございます。うちそういうの間に合ってるんで、んじゃ」
「こころ様から贈り物です」
「なんて?」
「家具一式でございます」
「待てや待て待て、なんで!? どうして送りつけてきた、というかなんで持ってきた。どういった意図があって贈ってよこした!?」
服を買ってもらっただけでも頭が上がらないというのに、さほど不便もしていない状態。棚からぼた餅、瓢箪から駒、こころばかりの贈り物。厚意からくる家具一式を運び込もうにも中はダンボール箱でいっぱいだ。
黒服の女性達は顔を見合わせる。
──そうだわ、きっと慣れない日本での生活に不便してるんじゃないかしら。家具も買ってあげればよかったわね。でもエヌラスの住所がわからないし、どうやって送ればいいのかしら? うーん、困ったわ。
「──とのことでしたので」
「俺を困らせることに関しては一切の躊躇なしか弦巻家」
「そうは申されましてもこころ様の頼みでしたので……」
「次に俺はどんな顔して会えばいいんだよ……とりあえず礼は言っておいてくれ」
見た限り、冷蔵庫にレンジにベッドにテーブルに掃除機にテレビにパソコンと。だが中のダンボール箱が邪魔をしているのがわかる。未開封のものはどこかに寄付してくれると助かるので手配するように頼むと、すぐに携帯でどこかと連絡を取り合っていた。とりあえず半分ほど持っていってくれるらしい。
キッチン回りの道具が充足するのはいいが、料理に関しては壊滅的だ。卵すら割れないレベルの生活能力に何を作れと言うのか。なんなら焼き肉プレート一枚のほうがまだマシだ。肉は良い、焼くだけで食えるから。焼かなくても食える。食中毒とかは知らん。
「他に何か必要なものはありますか?」
「金持ちの親切に怯えなくて済む毎日かな……」
割と切実な呟きは無視された。
「では私達はこれで」
宅配トラックにダンボール箱を積み込み、黒服の人達が去っていく。一気に生活感の増した部屋を見て、エヌラスは天井を仰ぎ──とりあえず朝飯でも買ってこようと目の前の現実から目を逸らした。
ちょうど学生の登校時間だったのか、ちらほらと見かける女子高生の制服姿。
「あ、オカルトハンターさんだ」
「本当だ。おはようございまーす」
「朝から元気だなー、おはよう」
気さくに挨拶を返すと欠伸を噛み殺す。花咲川女子学園の生徒達は元気なものだ。マンションが住宅街にあるからか、すれ違う生徒も多い。
何か朝食でも買おうかと思ったものの、コンビニで済ませる気分ではなかった。
「あー、ちょっといいか? この辺りで買い物出来る場所ってどこか知らないか」
「それなら商店街の方とかオススメですよ」
「商店街か……」
通学路の途中ということで、ついでに案内してもらった。そのことに感謝して、エヌラスは花咲川女子学園の生徒と別れて商店街を見て回る。朝方ということもあり、まだ開店してない店舗の方が多かった。
(ん……?)
空腹に響く芳醇なパンの香り。その向かいの店舗からは煎った珈琲豆の独特な匂いが漂ってきていた。パンにコーヒー、定番の組み合わせ。朝食の食べ合わせとしても悪くない。
羽沢珈琲店。向かいのやまぶきベーカリー。そして北沢精肉店。はて、何やら見覚えと聞き覚えがあるような名前の店舗……。エヌラスが記憶の引き出しから該当者を検索しながらもやまぶきベーカリーを覗く。すると、すぐに中から沙綾が出てきた。
「あれ、エヌラスさん。おはようございます」
「ん、ああ。おはよう」
「まだ開店時間じゃないんですけど……もしかして、パン買いにきてくれました?」
「……あー、そっか。ここ、沙綾の家か」
ということはまさか──はぐみとつぐみの家が、超ご近所さん。
「ぐみぐみの家、超ちけぇな……」
「ぐ、ぐみぐみ? ちょっと待ってて──」
よーしこの辺は厄介ごとの匂いしかしないぞー、でも人間は空腹には勝てないんだ。背に腹も代えられないわけで、たびたびお世話になるかもしれない。商店街は確かに便利かもしれないがそのぶん余計な厄介事も抱え込む羽目になるだろう。
すぐに戻ってきた沙綾の手にはパンの詰め合わせセットが入った袋。
「はい、おまたせ。どうぞー」
「……いいのか? これ、いくらだ」
「お代はいいって、お父さんが。『Circle』で最近働き始めた海外の人って話したら、今回はサービスだってさ」
「んー、そうは言われてもなぁ……」
何かお返しはできないだろうか。エヌラスはポケットに手を入れるフリをして、適当な物を探した。使い魔、とは少し違うが大型自動二輪の姿をした無機物魔導生命体の有する機能の空間魔術。それを応用した異次元ポケットには様々な物を半ば捨てる形で保管している。
(この間はまりなさんになんか貰った鉱石渡したしな……沙綾には……)
ちゃりっ、と。指先に触れた硬貨の感覚。エヌラスがポケットから取り出すと、それはこの国に来る少し前に怪異に襲われていた海賊船から火事場泥棒さながらに拾ってきてしまった金貨。
「んじゃ、今日のところはこれで」
「? 海外の硬貨? でもなんか古びてるけど……」
「まー小汚くて悪いが、それで勘弁してくれ。ありがとな」
「どういたしましてー」
見たことがない硬貨の表と裏の模様。通貨も見たことがない表記だ。しかし、小さな割にはしっかりとした重みがある。
「……まさか純金? なんてことないよねー」
一応お代として貰ったことを両親にも見せた。もしかすると、それはアンティークコインとして非常に高価なものかもしれないと言われてネットで調べながら登校していた沙綾の足が止まる。
類似画像の値段──約十万ドル。あるいはさらに桁が跳ね上がる。
見間違いかと、そんなはずないだろうと詳しく調べてみると、海外のニュースが目についた。
一ヶ月ほど前のこと。海底に眠る古代の神殿から、未知の硬貨が発見された。それは世界中で巻き起こるオカルトブームに乗じたニュースだった。しかし、読み進めていくとその硬貨が詰まった宝箱を開けた船が戻ることはなかったらしい。悪天候に次ぐ悪天候の異常気象に見舞われ、船は海の藻屑となった。嵐が収まってから、大海原に浮かんでいたのは木片と僅かな生存者。そして未知の生物の肉片とおびただしい血液。
乗組員の証言では──「怪物に襲われた」と口を揃えていたという。
世紀の大発見になるかもしれなかった金貨は、当時の時代背景では有り得ない高度な文明によるものだったと。
「おはよ、沙綾。調べ物?」
「……おたえ、私達もしかしたらとんでもない人と知り合いかもしんない」
「? オカルトハンターなんて人、そうそういないと思うけど。それがどうかしたの?」
「本物かもしんない……」
日本に来る前に何をしていたのか今度ちゃんと聞いてみよう。そしてできれば貰ったコインは返しておこう。こんな高価な物受け取れない。
海老で鯛を釣るどころか、パンが金塊に化けた。そして朝の眠気も吹っ飛んだ。