【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第百九五幕 紅蓮の心鉄

 

 

 

 童子切安綱が選んだ場所は、河川敷だった。

 街の灯りからは離れて星空と月明かりに照らされるばかりの薄暗い川沿いの土手で、童子切とるーは向き合う。その傍らにはロシアンブルーも座り込んでいた。

 お互いの空気がとても良く似た雰囲気であることを直感している童子切は、一目見て相手が異国の付喪神であることを見抜いている。だからこそ、余計に不可解であった。

 

「……俺がお前に問いただしたいのは、ひとつだけだ。何故、俺達を呼び起こした?」

「…………」

「天下五剣、のみならず世の平穏を見守る日本の刀剣数知れず。志半ばに散った輩、幾千幾万の屍が眠るこの日の本で、何故俺達を呼び起こした」

 それは、童子切安綱にとって、素朴な疑問である。純粋に、それだけが気になっていた。

 千年。時代に必要とされ、将に仕え、武に身を置き、そして眠りに就いた。その千年あまりの時を童子切安綱は過ごしてきた。

 もはや自分達は、現代に無用の長物。にもかかわらず、必要とされた。人の肉体を得てまで。

 

「お前とて、同じ付喪神だろう。ならば、俺と同じように必要とされて生まれたはずだ。その肉の器と人の身体で、お前は何を成すために顕現した」

「…………」

 この身体を造り出した師の教えは、ただひとつ――鍵の完成を。

 神剣、バルザイの偃月刀の本懐。神鍵としてのバルザイの偃月刀を完成させることのみ。

 今は邪神の末席に師弟共々に名を連ねる手前、他の邪神に協力を求められれば応じた。

 童子切安綱達も、エヌラスを討伐するための策として利用しただけに過ぎない。……その過程に、どこかでズレが生じたようだが瑣末事だ。

 二代目賢人バルザイは、童子切を見つめる――間違いなく、付喪神だ。正しく、人類側ではなく妖怪側――邪神の手に落ちているはずの身だ。しかし、どういうわけかその精神汚染を全く意に介していない。それどころか、何か致命的な欠陥を抱えている。

 一介の妖怪であるはずの天下五剣。そのはずだ。あの三日月宗近でさえも抗うことの出来なかった邪神の狂気に呑まれている。――だが、童子切安綱は狂ってなどいなかった。

 

 童子切は腕を組んだまま、黙って見下ろしている。口を開こうとしない姿を見ていたが、視線を外して座り込んでいるロシアンブルーを睨む。

 

「おい、化け猫」

『だーれが化猫だこの野郎! 妖怪風情がこの俺になんて口を!』

「テメェも妖怪だろうが。畜生の分際で一丁前に日ノ本の言葉を介すな。剥いでなめして三味線に仕立ててやろうか? 大体お前ら、なんであっちこっちいるんだよ。マヨヒガに帰りやがれ」

『ぅぐ……、こんな状況だってのに帰れるか!』

「後ろめたい奴はみな口を揃えてそう言う。家を飛び出した童と変わらん」

 頭を掻いて、億劫そうに童子切はるーを睨んでいた。

 変わらず、答えようとしない姿に肩を落とす。

 

「話すつもりはない、か……喋る気がないのなら、別にいいが」

 踵を返した童子切が無造作に一歩踏み出した。その次の瞬間、二代目賢人バルザイは迫る死の気配に飛び下がりながら左手で剣指を結び魔刃鍛造。逆手に携えた偃月刀で抜刀術を防ぐと、勢いよく吹き飛ばされていく。それでも空中で体勢を整えて、受け身を取った。

 刃の触れる間合いではなかったはずだが、剣圧だけで空を断つ腕は最早術理のそれではない。

 童子切安綱が、太刀を抜いていた。己の名を冠する天下の名刀。その完成度の高さから日本刀の筆頭とさえ謳われた。その刀身の反りも、刃紋の美しさも、月明かりを反射して輝く切っ先も何もかもが見惚れるほどの危うさを魅せている。

 

「――語る口を持たぬなら、骸も同じこと。口を開くか、腹を割られるか選べ」

「…………」

「……沈黙を貫くか。ならばよし、残るは武によって問うものとする――黄泉路の支度は整っているか」

 轟くような熱波が。轟々とした熱が。火が――炎の波が川を燃やしていた。吸い込むだけで身体の内側から焼けただれそうな火の海と化した河川敷で、二代目賢人バルザイが周囲を見渡す。

 それは、さながら土俵のように二人を囲っていた。

 背を向けていた童子切安綱が振り返る。その左手を炎で焼きながら、燃える吐息を歯の隙間より吐き出しながら、怒りと、恨みと、憎しみと――己のうちで渦巻く激情を滾らせながら太刀を構えていた。

 熱い。暑くて、熱くて、鉄も溶かしそうなほどの熱に包まれながら、背筋は凍りつくような寒さを感じている。

 

「俺は童子切安綱。天下五剣が一振――俺の敵は日ノ本の敵だ。俺は、俺の国の民を守る為に刃を振るう。覚悟は良いか、のっぺらぼう」

「――――」

 

 

 

 ――今を遡ること千年前。平安と呼ばれる時代があった。

 魔京、である。人妖入り乱れる時代が果たして、本当に起こり得た出来事であるかは定かではないが、確かにその時を書き記した絵巻は数多く現存していた。

 その中に、一人の武将が居た。名を、源頼光。妖怪退治の逸話を多く残す“神秘殺し”の将であるが、際立って名の知れたものは鬼退治。

 その時、鬼の首魁である酒呑童子の首を斬った際に用いられたものが童子切安綱――今や天下五剣に数えられる名刀。

 しかし。

 果たして、本当に。

 ――鬼の血を吸った太刀は、名刀の枠に納まる器だろうか。

 魔刀。妖刀。呪われた刀として数えられても不思議はない。

 事実、童子切は、酒呑童子の首を斬る以前に呼ばれていた名がある。それを口にすることは、逆鱗に触れることを意味していた。

 

 そして、現代。

 付喪神として顕現した、童子切安綱。その格の高さは、言うべくもなく。語るべくもない。名を馳せ、並ぶものは指の数程度。その筆頭ともすれば、これまでの付喪神とは比肩するだけ無駄というもの。それこそ――七星剣、丙子椒林剣の二振りにも迫る。否、こと妖怪が相手ともなれば無類の強さを誇る。

 現代にて、魔術を正面より断ち切る太刀捌きの凄まじさ。

 その身より溢れる炎、留まるところを知らぬ激情の波は、異界の鍛冶師が打つ偃月刀を正面より焼き切っていた。

 

 ()()()()()()()()として顕現した童子切安綱は魔術師の天敵である。そして、担ぐ太刀の切れ味も強度も、異様なまでの切れ味を誇る。平安・鎌倉時代に打たれた日本刀は、恐ろしいほどによく斬れる。それほどの技術はすでに失われて久しい。

 二代目賢人バルザイの放つ偃月刀の多重投擲。矢の雨嵐にも似た斬撃と刺突の槍衾を前に、童子切は両手で柄を握り、雷鳴の如く吼える。

 獅子吼の一閃、ことごとくが触れた瞬間に焼き切れ、押し返され、断ち切られていた。乾坤一擲の剣圧によって切り開いた道を正面より駆ける。

 仕手に恵まれ、多くの逸話を身に宿し、名声を欲しいままに手にした童子切は、二代目賢人バルザイの手に携えられた偃月刀と打ち合う。

 甲高い音と火花を散らして、刀身が断ち切られていた――偃月刀の術式など、無意味に等しく。そしてその呆気ない強度に、童子切安綱は今度こそ怒りに顔を染めていた。

 

「なんだ、お前は。なんだお前のその刀は。その程度の“なまくら”で、この俺を止められるとでも思うなぁぁぁっ!!!」

「っ……!?」

 赤から青へと燐光を放ち、燃え盛る刀身から二代目賢人バルザイが転がるように避ける。

 あれは、()()だ。怨念の火だ。千年、尽きること無く燃え続けてきた怨嗟の炎だ。

 怪異。魔術師も、なるほど。現代に存在し得ない術を操る“怪異”であるならば、童子切にとって恐るに足らない。

 

「無数の剣の鍛造、恐れ入る。感服する術技の凄まじさよ。だが、貴様の打つ刃はなんだ。それは、なんだ? まるで成っていない。なに一つとして、貴様の刃には籠もっていない」

 炎に舐めずられるだけで、偃月刀が容易く融解していく。

 刃に触れれば、縦に断ち切れる。

 

「刀鍛冶とは、それ即ち炎である。鉄を打ち、火と共に有り、幾晩も重ねて打ち続ける。絶やすことなく、執念と粘りによって生み出される――俺は、炎と共に在った。火の中で生まれた。仕手を“雷光”と恵まれ過ぎたほどにな。俺の炎は、千年由来の“鬼の怨嗟”だ」

 炎を浮かべていた左手を強く握りしめれば、その手から稲光が迸った。

 

「俺の主は、合戦(いくさ)の武勲よりも、内政の将として有能であった。だからか、俺はそちらよりも、戦の方が得手としていてな? 朝家の守護、なんて謂われもしていたわ――だが俺は戦に恵まれなかった。ただそれだけが、千年前より名残惜しい。悔しくもあった。鬼の首を獲ってからというもの、戦場を離れて久しい」

「…………、」

 二代目賢人バルザイが両手に偃月刀を鍛造する。先程よりも強度を増した、やや大柄な刀身を持つ二刀流を、しかし童子切は一切の遠慮なく叩き折った。

 

「だからな――足りぬよ、お前の刀は。なんの為に、刃を振るう。なんのために鍛冶を打つ」

「――――」

「“空っぽ”だ。貴様の打つ刃は、悉く! なにひとつとして足りていない! 興醒めもよいところだ、ああまったく時間の無駄だ!」

 邪神などよりも、余程恐ろしい。童子切の苛烈さが、その身に宿した、尽きぬ炎が。

 何一つとして理解できない。その心理が。何に怒り、何がそこまで猛らせるのか。二代目賢人バルザイには、童子切安綱の何もかもが理解の及ばない域にあった。

 ――何が、違うのだろう。不意に、そう考える。

 

「お前とて、俺と同じ付喪神であろうに――お前はつまらん奴だな……なにもない。まるで、空っぽだ」

「…………」

「お前は、ただ在るだけだ。ただ在るだけで、狂わせる。忠告も警告も一度きりだ――この国より立ち去れ。さすれば、俺も追わぬ」

 その言葉の意味が理解できないわけではない。

 童子切安綱は、ただ日本から脅威を排除したいだけ。何もそれは、自分の首を獲るわけではなく追放という形で。その温情は、一度限り。付喪神のよしみ、という奴だ。

 だが――二代目賢人バルザイは、最早その帰路すら断たれている。

 カルナマゴスの遺言。邪神クァチル・ウタウスの遺した呪詛によって、幻夢境へ戻るための道が断たれている。進む先もなく、帰る場所もない。漂うだけ、留まることしか出来ない。

 立ちすくむ二代目賢人バルザイに、童子切安綱は無言で睨み続けていた。

 

「申し開きが無いのならば、俺はお前を斬って捨てる」

「…………、」

『ちょちょいちょーい! 待て! あっつ! アチチチチ! いいか、コイツは邪神の呪いを受けて帰れないんだよっちゃぁあ! この鬼火なんとかならねぇのか!』

「知らん」

 横から割って入ってロシアンブルーの助け舟もむなしく、ジワジワと迫る小さな火の玉にお尻を追われて猫が泣き叫びながら走り回る。

 

「大体、そこな化猫。何故にお前はこの小僧に与している?」

『そこは、なんというか……成り行きで……』

「言ってみろ」

『その……ふみゃー』

「斬るぞ畜生」

『ふぎゃー!!! もうやだこの蛮族ぅぅぅ、お家帰るぅぅぅ!! そもそもこいつ、何も悪いことしてねぇじゃんかー!! なのになんでお前そんな目の敵にしてんだよー!』

「寝言は寝て言え。俺達を呼び起こした。その理由を問いただしているにも関わらず、この小僧は口を岩戸のように閉ざしたきりだ。付喪神、妖怪を利用した。それだけで大いに日ノ本に災いを持ち込んだ。罪状などそれひとつで十分よ」

『だったらお前だって同罪じゃねぇか!』

「俺は俺の敵を斬る。例えこの国に生きる人間であろうと、例外ではない――」

 童子切安綱が太刀を鳴らして構え直し、二代目賢人バルザイに振るう。防御陣で防がれるが、今度は力任せの拳骨を叩き込む。そこに一切の権能は含まれていない。だが、二代目賢人バルザイの防御がひび割れ、後退っていた。

 

「この千年、血を求めた。この千年、戦を求めた。この千年! 俺は、敵を求めた! かつて人であった俺の仕手が成せなかった“鬼殺し”を己の手で成すために! 俺を起こすということは、俺に並び立つ敵を呼び覚ますことに他ならない! その責務を貴様に咎めだてられる筋合いなど無いわ化猫めが! 一丁前に口を挟むな!」

 ――ただ、利用するためだった。

 あの時はクァチル・ウタウスの策に命じられるままに、この国の怪異をあの魔術師に差し向けるために。だがそれは、大きな過ちだった。

 精神汚染を物ともしない強靭な精神力。この童子切安綱は、元より狂気に等しい信念を備えていた。だからこそ、三日月宗近は真っ先に障害になると見ていたのだが――それは遥かに正しいと言える。

 

 燃える河川敷に駆け寄ってくる姉妹がいた。夜間外出禁止令が出されているにも関わらず、何も言わずに出ていった二代目賢人バルザイを探しに街を走り出していた宇田川巴とあこの二人は、燃え盛る土俵で膝をついている姿を見つけて駆け寄ろうとする。しかし、炎に阻まれて足踏みしていた。それを横目で睨む童子切は、太刀を軽く振るう。

 すると、炎がかきわけられて通り道が出来た。そこへ巴とあこが駆け込み、二代目賢人バルザイのそばにかがみ込む。肺が焼けるような熱気の中で、ハンカチを額に当てて汗を拭っている。

 

「るー、大丈夫か!?」

「…………」

 驚いた顔をしていたが、すぐに巴から顔を背けた。

 

「おい。貴様らはそいつの知り合いか?」

「そうだったら――」

「口の聞けないそいつに変わって聞くぞ。何故、そいつに与する。世を乱した張本人だぞ」

「――――、でも。でも、るーくん何も悪いことしてない!」

「何もしていないからと言って、人類の味方であるとは限らない。むしろ、何もしないということは最悪でもある」

「だけど、るーくんはあこ達の味方だもん! ――そうだよね!」

 何の疑いもなく、潤んだ瞳で見つめてくるあこの顔を見て――二代目賢人バルザイは、自分がどう答えるべきか悩んでいた。迷った。

 本当に、自分は彼女たちの味方であるのかどうかを。

 

「自分で生き方も選べん奴など、刀の錆にしてやる価値もない。そんな奴の打つ刀など、それこそ千年鍛えたところで完成せんだろうな」

「…………――」

「自分が何のために生まれたのかもわからん付喪神など、いるだけ無駄だ。仏像の方がまだご利益があるだろうよ」

 邪魔が入ったのはこれで二度目だ。肩を落とす。

 

「おい、小僧」

 背を向けていた童子切安綱が肩越しに二代目賢人バルザイを見やる。

 

「己の成すべきこと。己の生き方。それを選ぶのは他人ではなく、自らの意志だ。その決定権すら選べぬようなら、そこで腹を切れ。付喪神であるならば尚更だ――お前の弱さは話にならん」

 太刀を収めてから、童子切は頭を掻いていた。

 

「……心ゆくまで合戦(いくさ)がしたいものだ」

 それがどれだけこの国を戦火に飲み込むのかは理解している。だが、それは己の悲願なのだ。

 世に鬼あらば鬼を断つ。世に悪あらば悪を断つ――それが、己の在り方なのだから。

 一時は火の海となった河川敷に近づいてくるサイレンに童子切が苦い顔をした。

 またこの音か、と駆け出してその場から走り去る。

 巴とあこの二人も、しゃがみこんで動かない二代目賢人バルザイの背を支えながら急いでその場を離れた。流石にこれ以上の面倒事は御免だ。

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