――完敗、だった。二代目賢人バルザイは、童子切安綱に何一つとして反論も、抵抗もできなかった。師より教わり、与えられた命題の全てを否定された。
何一つとして、あの付喪神には届かなかった。
悔しい、とは思わない。ただ疑問だけが積もる。何故なのか。
俺に、何が足りていないというのか――それだけは、わからない。
巴とあこに連れられて、家に戻ってから二代目賢人バルザイは、すぐに床に就いた。魔力の消耗もそうだが、怪我も治りかけだったというのに。しかし、一番の問題は精神的なものだった。
動揺、困惑、疑問――魔術を扱う上で大事な精神制御を欠いている。
不貞寝するように毛布をかぶって丸くなる二代目賢人バルザイの傍らに、ロシアンブルーキャットが座り込んだ。
『にゃー、そんな気を落とすなよ。ありゃ無理だって』
「…………」
『この国を守護してきた付喪神の中でも群を抜いてる。千年だぞ、千年。しかも平安の名刀ときた。お前がいくつか知らないけど、勝てっこない』
鍵を打ち続けて、どれほどの歳月が過ぎただろう。完成を待ち侘びて、どれほどまでに繰り返してきただろう。その一切が、無意味だと一蹴された。
あの付喪神と、自分で何が違うのか。
自分の存在を否定された気がして――それは、師の全てを否定された気もして――胸に穴が空いたような感覚を覚えた。無力感、敗北感。重くのしかかる毛布に、身動き一つとれない。
話し声が少し聞こえてきて、それから部屋の扉が開けられた。
そこには、巴とあこがいた。枕を持って、パジャマ姿で。
「るー、大丈夫か? 怪我、痛まないか?」
「…………」
毛布から顔だけ出した芋虫状態の二代目賢人バルザイが頷く。
「そんな落ち込まなくたって大丈夫だって」
「…………?」
何も言っていないのに、なんでそんなことがわかるのだろう。巴の顔をじっと見つめて、二代目賢人バルザイは毛布をかぶったまま身体を起こした。
「……るーも、エヌラスさんと同じ魔術師ってやつなんだろ? でもさ、アタシ達は別にそんなのどっちでもいいんだ。乗りかかった舟で、それに、放っておけない。ひまりも、蘭も、モカもつぐみも皆同じ気持ちだ」
「あこだって。るーくん、わたし達のためにエヌラスさんみたいに戦ってくれたんだもんね」
「…………」
それは、どうだろう。イレク=ヴァド王の命令とあっては、幻夢境に住まう者として逆らうわけにはいかなかった。戻ることが叶わずとも。
これから先、どうするべきか。以前の自分であれば、変わらず鍵の完成に費やしていたであろう時間と思考が宙ぶらりんの状態となっている。
なんとなく、察していた。なんとなく、わかっていた。感覚的なもので、決して自分の手で鍵が完成しないことは。これ以上の完成は見込めないことだけは。
だが、あと一手。あと一歩。大事な何かが足りていないことだけはわかっている。それが何なのかは未だにわからない。
――師は、何のために“鍵”を完成させようとしたのだろう。託された命題の意味が、そこに込められていたはずの真意はいまだ分からない。
「またあんな風に抜け出されたらたまんないからな。あこと一緒に寝ることにしたんだ」
「…………?」
「そう、るーと。アタシ達が。逃さないから覚悟しろー?」
頭から毛布をかぶったままの二代目賢人バルザイににじり寄る二人が、左右から捕まえた。
三人で川の字になって横になるものの、流石に狭い。あこと巴が二代目賢人バルザイに身体をくっつける。
「なんか、るーくんいい匂いするね」
「くんくん……確かに。同じシャンプーとか使ってるはずなのにな」
「お肌すべすべだし、髪の毛サラサラだし。なんかあんまり男の子っぽくないよね?」
「最初は女の子と間違えたくらいだしな……」
今となってはそれも懐かしい気がした。家の手伝いもしてくれるし、おつかいも一人でできるし家の留守も猫と一緒にしてくれる。首輪を付けたロシアンブルーはどこの飼い猫なのかわからないが、とても人馴れしているので巴達の癒やしにもなっていた。
自分の寝る場所が巴達に奪われたのでウロウロと寝床を探していた猫は、仰向けになっている二代目賢人バルザイの胸板に着地して身体を丸める。ちょっとだけ、重い。
「……るーくん、大丈夫だよね? あこ達のそばからいなくなったり、しない……?」
「――――」
それは、どうだろう。
あんな付喪神が顕現するとは思いもしなかった。あんなのがいるとは考えもしなかった。
もし、再び相まみえる事があれば今度こそ自分を倒すまで刃を止めることはしないだろう。
そうなったら、あこ達は自分がいなくなった後で悲しむのだろうか。泣いたり、するのだろうか――自分には、よくわからない。
「……るー?」
「…………」
「疲れてたんだな。もう寝てるし……」
怖くないと聞かれれば、本当は少しだけ怖いと思っている。だが、何も話してくれなかった子が本当に少しだけ、自分から歩み寄ってきてくれた。悪い子じゃないと、確信がある。
もっと時間をかければ。もっと時間があれば。もっと、ちゃんと話してくれるはずだ。
だからどうか――それまでの間、待っていてほしい。
別れの時には、まだ早すぎるのだから。
――リサは、不意に目を覚ました。
(やばっ、アタシ寝ちゃってた!?)
リビングの電気を点けたまま。勉強道具一式を広げっぱなしのまま、つい仮眠してしまっていた。だが、それほど時間は経っていなかったらしい。エヌラスの腕の拘束が緩んでいたので、起こさないようにそっと抜け出してからリビングを片付ける。それから灯りを消して、浴室で身体を念入りに洗っておいた。
身体を拭いて、髪を乾かして、それからクールダウンタイム。飲み物で水分補給も忘れずに、スマフォで時間を潰す。
モカに言われて、ネットで検索すれば相手の弱点を探すというのは盲点だった。
確かに、日本で暮らしてきた自分達にとって当たり前の文化であるがエヌラスにとっては完全に未知の文化。日本の歴史にしてもそうだろう。リサ自身、日本史の成績が良いかどうかと聞かれれば授業の範囲内としか答えられない。近年では歴女とかそういう人達が増えてたりするようだが。
(ちょっと息抜きに調べ物くらいしてあげよっかな……)
天下五剣のことなど調べてもさっぱりわからないが、多分なにか役に立つだろう。必要そうな情報だけを抜き取って、リサはルーズリーフにまとめておいた。
――ところが、童子切安綱に関連する情報だけで一晩明かしてしまいそうな勢いだったので断念する。源氏の逸話多すぎ問題。
「って、うわ。もうこんな時間!? 早く寝よっと……」
スマフォを見れば、もう日付が変わりそうになっていた。
慌ててリサは寝る準備を整えて――、リビングで寝ようかとも一瞬考える。
それでも、足が向かうのはエヌラスが眠っている寝室。随分と落ち着いた様子で熟睡している姿を見るに、だいぶ容態が安定してきたようだ。峠は越えたらしく、リサは胸を撫で下ろす。
きっと、余計なお世話なんだろう。一人でも乗り切れたに違いない。自分がしていることがただのお節介だったとしても、少しでも助けてあげたいと思ってしまった。
「……おじゃましまーす、なんて……」
ベッドと毛布の隙間に身体をもぐらせて、リサはエヌラスの腕を枕にして横になる。
横から寝顔を見てみると、無防備なままだった。こんな顔を見せてくれるほどに信頼してくれていると思うと、顔が熱くなる。
眠れなくなりそうなので、平常心を保つようにしながら身体をくっつけて眠りにつく。
重なり、感じ取れる心音が子守唄のように気持ちを落ち着かせてくれてリサはすんなりと夢の世界に行くことができた。
――羽丘女子学園と花咲川女子学園は、頻繁に起きている怪事件に生徒が巻き込まれないようにと対策会議を開いていた。
夜間外出の禁止を含めて、学校の授業時間の短縮。或いは休校も視野に入れている。だがそれも今すぐというわけにもいかなかった。
そもそもにして一連の騒動の落とし所が見つからない。肝心の霊能学講師は既に退職の手続きを済ませていた。同時に行方知れず、連絡先も通じないと、あまりにも手際が良すぎる動きに頭を悩ませる。中でも交流のあった生徒たちから何か手がかりはないかと聴き込んでみるものの、少し前から同様に手がかり一つもない。
神頼みに等しく、弦巻こころに聞いても疑問符を浮かべるばかりで断念。弦巻家が知らないなら無理、と即座に判断した。
どれだけの期間、こんな状態が続くことになるのか見通しがきかない事も踏まえて。
結論として、今月いっぱいは短縮授業。かつ、夜間外出禁止という無難な対策に落ち着いた。
生徒たちの夏休みを控えているこの時期に、期末テストが待っているというのに授業時間の大幅短縮というのは教師たちにとって頭を悩ませる話だった。
羽丘女子学園では、生徒たちがいつものように登校していた。一見いつもどおりだが、普段と異なるのはその会話の内容。
燃える川原の話。鬼火を見たという噂。父親の知り合いの警察官が怪我をした、等など――信憑性の疑わしいオカルト話ばかり。だがそれも今となっては他人事だと切り離せない。
そんな中、リサは学校の廊下で窓によりかかりながら黄昏れていた。
目の高さに持ち上げた部屋の合鍵をじっと見つめながら、考える。
(……エヌラスさん、もう起きたかなー)
念の為テーブルにおにぎりは置いてきたけれども。レンジで温めるくらいはできるはず。
冷蔵庫の中にはパスタサラダも残っているし、一食くらいは保つ。
(忘れ物、無いよね。大丈夫だよね。家に帰ったらギター持って行こうかな……あ、でも寝てるから練習はちょっとマズイよね……うん、押さえ方だけ確認すればいっか)
何の飾り気もない鍵を見ながらお昼以降の予定を考えていたリサの肩が叩かれる。
「ぅわひゃあっ!?」
「リサちー、黄昏れてどうしたのー?」
「あっ!」
驚いた拍子に、鍵を落としてしまった。下を見れば、中庭の茂み。
日菜は首を傾げていたが、恨めしく自分の顔を見てくるリサの顔を見て何か落としたのだろうということを察した。
「ヒーナ~……もう、驚かせないでよ」
「ごめーん、でもどうしたの? 何か考え事? 悩み事とか? アタシでよかったら聞くよ。エヌラスさんのことだったり?」
「…………」
「もしかして、図星?」
「アタシ、そんなわかりやすい顔してた……?」
「ううん、適当!」
「はぁ……鍵落としちゃったから、探すの手伝ってくれる?」
「オッケー!」
顔に出てただろうか。そんなことを考えながらも、リサは日菜と一緒に三階から一階に降りて中庭に出る。そこから、落としたであろう鍵の場所に目星をつけて茂みを探し始めた。
「この辺だよね?」
「うん。アタシ達がいたのはちょうどこの真上辺りだったし。どこかなー? ところで、何の鍵だったの?」
「え? あー、それは……部屋の鍵、かな?」
間違ってはいない。
「ほら、今は用心に越したことって無いし。部屋も鍵掛けておかないと」
「そうなんだ。アタシはてっきりエヌラスさんの部屋の合鍵かと思っちゃった」
「……ヒナ、それ絶対他で言わないでね?」
本当に気づいていないのだろうか、この生徒会長は?