――なんというか、完全に別人のようだった。
寝ぼけているのかそれともこれが素面なのか。どちらにせよ、とても、まるで、てんで。どこからどう見ても、どうあがいても自堕落的な人だった。
片腕と片目が使えないのを差し引いても、限度というものがある。
風呂上がりにパンツ一枚で部屋を歩かれそうだったのでリサがズボンを穿いてくれと叱って、そこでようやく穿くくらいには。今までどうやって生活できていたのかも怪しいくらいだ。
かくして。半裸のエヌラスの濡れた髪をタオルで拭きながらリサは呆れ果てている。
「いやまー、確かに。寝起きだとか色々事情はあるかもしれないけれども……いくらなんでも無防備過ぎない? 大丈夫?」
「………………」
「……聞いてます?」
横から顔を覗き込むと、うたた寝をしていた。その頬を引っ張ってみると、違和感に目を覚ましたのか右目だけを開けている。
「……いふぇい」
「もー、ホントしっかりしてって。今まで自分の身の回りのこと、どうしてたの?」
「スピカとカルネに任せっきりだったな……」
「…………誰?」
「専属のメイド」
うっかり口に出してしまったというよりは、当然のことを言ったという口ぶりだった。
今のエヌラスは、リサに対して完全に無防備状態。ノーガード戦法。何を聞かれても、何をされても無抵抗と言ってもいい。現に、頬をつねられても無反応だった。
それほどまでに、エヌラスは魔術の感性に頼り切っている。頼らざるを得ないほど、全身の感覚が摩耗していた。それは度重なる激闘と死闘に次ぐ死闘を一人で駆け抜けてきたからこそ。
自暴自棄なところも含めて、限界ギリギリの死線を常に辛うじて回避し続けている。
(今なら色々聞けちゃうのかな……? よーし、それなら)
髪を梳きながら、リサが此処ぞとばかりに普段は聞けないことを聞き出してみることにした。まずは軽く様子見で。
「今日、なに食べたい?」
「オムライス」
「アタシのこと好きー……?」
「嫌いになる理由がない」
これはかなり重症だ。
「メイドさん、どんな人なの?」
「人間、というかオートマタ。俺の最高傑作」
「……ハンドメイド?」
「メイドだけに」
「――ユウコさん、って。誰?」
以前、寝言で口にしていた名前を出してみる。すると、そこで大あくびを挟んで頭を上げた。
「口うるさくて金にがめつい吸血鬼」
「……大事な人?」
「ああ」
即答される。一寸の迷いもなく、躊躇なく、恥ずかしげもなく言ってのけられた。それだけエヌラスにとって大きな存在なのだろうことは嫌でも感じられる。
「……そう、なんだ」
「胸と態度ばかりでかいが飯が美味い」
「アタシのクッキーよりも?」
「んー……何食っても、美味いからな……」
またカクン、と頭がうなだれた。相当に寝ぼけているようだ。両頬を引っ張ってから、離してみる。眉をひそめながら顔を上げて、リサと目線を合わせたエヌラスはそのまま手を伸ばして抱きついてきた。
「んぇっひ!?」
「……んー」
ぐりぐりと、大型犬のように頭を擦り寄せてくる。
呼吸をされるたびに鼻息が肌をくすぐってきてリサが身体を跳ねさせた。かといって突き放すわけにもいかず、落ち着くのを待ってみる。
すると、動きが止まった。静かに手を離して、それから左目を開けて鼻先が触れそうな距離にお互いの顔があった。キョトンと、寝ぼけたような顔から一転して顔を赤くする。
両手で自分の顔を覆いながらソファーに倒れ込んでいた。
「……………リサ」
「……ひゃい」
「後生だ。俺を殺してくれ……もうやだ生きてくのが恥ずかしい……」
「そ、そこまで!?」
「女で言うところのすっぴん画像見られるレベルで恥ずかしい」
「死活問題じゃん! い、いやほら。アタシは気にしてないっていうかー、そのー……珍しい顔見れたからむしろごちそうさまって感じだし!(?)」
「どういたしましてって言ってやりたいところだが俺にとっては生き恥晒すのもいいところだ」
「甘えてくるの、かわいかったけど……」
「ころせ……俺をころせ……しなせてくれ……いっそ消えたい……――というかちょっと待て。なんでリサが俺の部屋にいるんだ。あとなんで俺半裸なんだ」
「説明、そこから必要なんだ……とりあえず服を着たほうがいいんじゃないかなぁ」
リサに促されるままに、エヌラスが一度寝室に入っていく。
――それから少しして服を着てからリビングに戻ってきた。
テーブルを挟んで胡座をかいている。
そして、両手で頭を抱えて沈み込んでいた。
「俺、何日寝てた?」
「えっと……あれから三日くらいかな?」
「……確か――、天下五剣だったか……? 童子切安綱って名乗ってたな」
「うん……」
今なら近くの川原で街を監視している、と言ったら飛んでいきそうなのでリサは黙っておくことにする。
「それで……リサを俺の部屋まで連れてきてから、三日?」
エヌラスが眠っていた間に起きた出来事をかいつまんで話すと、難しい顔をしていた。
あれから特に街に変わりはなく、だからこそ逆に不穏な空気が漂っている。
「そうだ。お腹空いてない? アタシ、ご飯作ったげる」
「それは助かる。でもな、冷蔵庫の中身何もないだろ」
「そこは大丈夫!」
ひとまず、冷蔵庫で保冷していたパスタサラダをすぐに出しておいた。元々大食らいなのを見越してシチューやカレーを作ろうと思っていたところだが、炊飯器の中身は減っている。童子切におにぎりを渡していなければ余裕はあったかもしれない。しかしそこは抜かり無く、パスタを茹でることでスープパスタにしてかさ増しできる。
一袋丸々。量にしておおよそ六人前。とてもではないが二人で喰いきれる量ではなくなってしまうが、それでもエヌラスがいればこれで一人前で済んでしまう。恐ろしい胃袋である。
サラダを食べつつ、飲み物で流し込みながらエヌラスは不意にキッチンに立つリサに素朴な疑問をぶつけた。
「……なぁリサ? なんで俺の冷蔵庫にこんな材料あるんだ? 確かなんも入ってなかったはずだが――まさかお前、わざわざ買ってきたのか」
「えっ。まずかった……?」
「…………いくらだ。出した金くらいは返すぞ」
「い、いいって。いいですって、大丈夫! アタシが勝手にやってることだし!」
「んじゃ俺も勝手に金出すからな」
「ほら、それ以上のことしてもらってるし」
「俺も自分に出来ないことしてもらってるからには相応に対価を差し出して然るべきだが?」
「ぅ……こういう時大人ってずるい……」
「そもそも、そんな金どっから出した」
「えっとー……バイト代から」
「んじゃ三日分の家事代と食材分な。だいたい俺も日本の通貨持ってたって仕方ねぇしな」
財布からごっそり束で出そうとした手を引き止める。
「待って! そんないらないから!」
「そうは言われてもな……俺基本的に金に困ってないし」
「命の危機に毎回瀕してたらそうかもしんないけど!?」
疲れる。ツッコミに疲れる。非常に疲れるが――リサは、なんだかそれが嬉しかった。
いつもの怖い雰囲気ではなく、親しみやすい空気で接してくれている。自分達が当たり前のように置かれている日常に、やっと踏み込んできてくれたような気がして。
茹でていたパスタの火を止めて、置いておく。その間に切っておいたシチューの具材を鍋に入れて軽く火を通し、煮込む。
結果。お札三枚で妥協。それでも高校生の身分には大金なのだが。
「う、う~ん……ありがとうございます……」
「こっちとしては倍の金額渡してもいいくらいなんだが……にしても、なんかアレだな。自分より年下の女子高生に金渡すのっていけないことしてる気分になるな」
「…………」
「冗談だ。そんな驚いた顔しなくてもいいだろ」
本気で驚いた。そんな冗談を言う人とは欠片も思っていなかったからだ。ただ、それを言う相手はちゃんと選んだ方がいい。万が一にでも紗夜に言おうものなら低評価爆撃からの説教コース待ったなし。そんなことを口走る程度には、今は心を許していると思うことにした。
「……ところで、リサ。俺、なんか変なこと言ってなかったか? 寝言とかで」
「え? 多分、言ってないと思うけれどー……女の人の名前以外は」
「…………心当たりが多すぎるんだが、誰のこと口走った?」
「……ユウコって人」
「よりにもよってアイツのことか…………!」
「あと、スピカとカルネってメイドさんのこともチラッと」
それは自分が聞き出したことなのだが、記憶に無いようなのでついでに。
エヌラスが天井を仰ぎ見ていた。
「あー……それだけか?」
「うん。……うん?」
だけ? だけってどういう意味で?
「他にもいるの? ――ちょっと、ねぇ。なんで顔を逸らしてるの?」
「……その、なんだ……数え切れないくらいにはいるわ、女の知り合い……いや男もいるけど」
「…………ご飯食べながらでいいから、色々聞いてもいい?」
「はい……」
世話になる手前、断れないのだろう。そうと決まれば、リサはシチューを手際よく作っていく。
――ボウルのサラダパスタ。作ったスープパスタ(約六人前)。食後のデザートと言わんばかりに炊飯器のご飯も含めて、大体十人前ほどの量を作ったはずだが……リビングのテーブルの上は綺麗に平らげられていた。
「美味いものは別腹」
エヌラス曰く。いやおかしい。昨日今日で買い込んできた材料があっという間に空になってしまった。それでまだちょっと物足りない様子を見せているのが驚きだ。リサの手元にはご飯と漬物とスーパーで買ってきた魚の缶詰にインスタントの味噌汁。それで足りるのか、とエヌラスが心配していたがむしろこれで十分なくらいだ。食い過ぎにも程がある。
「それだけ食べて、どこに消えてるのか不思議でならないんだけど」
「俺の場合は食ったもの全部魔力に変換してるからな。だから食っても太らないし、食った分だけ怪我の治りも早いし調子も良くなる。ある程度までは」
「食べても太らないとか女子からすると羨ましい限りなんですけど……」
「体質とかあるからな。そこはうまく自分と相談して食生活を見直して、運動とか……ってダメだな。あんま余計なこと言うのは」
「痩せるコツとかあったら教えて!」
「そんなもんはねぇ! 食ったら太るのは当然だ! そもそも俺の場合は運動量が違うからな」
「あー……」
激しく納得してしまう。アレだけの全身運動をしていたら、それはもう確かにいくら栄養を補給したところで足りないだろう。
「……ん? じゃあ、食べてなかったらどうやって怪我を治したりしてるの?」
「魔力で、と言いたいところだが。それだけじゃない、当然身体を治癒してるわけだから体力も使うし熱量。つまりはカロリーだ。それを保存してる魔力の心臓から引っ張ってきてる」
「――じゃあ、この間の出血とかも全部?」
「今までの怪我、全部。食事で賄ってる」
テーブルの上を見つめて、それからリサはエヌラスの顔を見る。
「冷蔵庫の中身、空っぽになっちゃうけどー……食べる?」
「……食べます……」
心底申し訳無さそうに言う姿に、母性本能がくすぐられてしまう。
多分だけど――出会ったことのないユウコという人にリサは同情してしまった。
これは確かに、手間のかかる大きな子供だ。