リクエストされていたオムライスを作って、エヌラスに差し出す。材料が少々足りなかったので物足りないかもしれないが、そこは妥協してもらうことにして。
文句のひとつも言わずに黙々と平らげる。口の端にケチャップがついているのを指摘すると、すぐにティッシュで拭いていた。
「どう? 美味しい?」
「うん、美味い。美味い以外の感想がないくらいには美味い」
「いやー、ほんと美味しそうに食べてくれるなぁ……」
作り甲斐があるというもの。ただ、その食事の量が半端じゃないのだが。
結局、リサが買い込んできていた材料は全部エヌラスの胃の中に消えた。最終的に残った白米ですら雑炊にして胃袋にダイレクト。その間、食べている顔を眺めているだけでも飽きなかった。
「ユウコさんも料理上手なの?」
「まぁな。リサも負けてないが」
「でもアタシ二番目なんでしょー。いいなー、食べてみたいな。その人の手料理」
「正直、女の子にはあんまりオススメしない。彩とか、リサみたいにスタイルを気にするタイプは。ひまりもか」
「どうして?」
「アイツの飯が美味いのは真実だが、カロリー度外視で作るから女子の天敵だ」
「うわっ、こわっ!」
見た目がヘルシーなのがまた怖い話でもある。フルコースから出てくるデザートは別腹なものの、それを完食して体重計に乗った女子からは悲鳴が絶えない。
エヌラスのような大食漢でもなければ完食はオススメできない。
「あとは、知り合いのやたら和食作る量がおかしいやつとかいたりする」
「その人も女性?」
「ああ。一度に百人前とか楽しそうに作る」
「すごっ! どんな体力してたらそうなるの?」
「まー、やんごとなき事情のお姫様なんだが……姫らしくねぇんだよな。俺以上の体力馬鹿」
「エヌラスさんより体力あるってすごいんじゃ……」
「国から脱走するのなんて日常茶飯事だぞ……」
「……お姫様なんだよね?」
「軍事国家のお姫様」
ちょっと、リサには想像つかなかった。だが、聞いているだけでも興味が湧いてくる。
「旅行みたいな感じで行ってみたいなー、エヌラスさんの故郷」
「……ま、ユウコのところなら案内してやってもいいけどな。安全だし」
「やっぱり危険なところとかあるの?」
「俺の古巣がぶっちぎりでヤバイ」
説明は割愛。あまり触れてほしくない話題のようなので、話題を切り替えることにした。
「メイドさんとかアタシよく知らないんだけど、どういうことするの?」
「家事が出来ないご主人さまに代わって炊事洗濯掃除に公務の補佐に実務と、やること盛り沢山な楽しい職場」
「家政婦兼任の秘書、みたいな感じ?」
「そんな感じであってる」
「……実務って?」
「戦闘。ま、護衛任務とかだ」
ボディーガードも兼ねてとは恐れ入る。話を聞くだけなら激務かもしれないが、今の自分とやっていることはあまり変わらない。
「アタシでもできそう? なーんて」
「……戦闘以外ならバッチリ任せてもいいな」
「あ……そ、そう?」
「……非常勤のメイドとしてなら雇ってもいいが」
「それ、メイドっていうの?」
「雇用主が俺ならメイド扱いでいい。そもそもメイドっていうのは給仕のことで、その種類も――説明しようと思ったが腹減りそうだからやめとくわ」
(メイドさん好きなのかな……)
「……別に俺はメイドが好きなわけじゃないからな? 嫌いなわけでもないんだが」
「でも割と好きなんじゃない?」
「…………まぁ」
そういうところは男の人らしいというか。
「ご主人様、次は何を食べたいですかー? ――なんちゃって」
「リ――クエスト聞いてくれるならオムライスおかわりで」
「えっと、残念ながら材料がもう……」
「そうかぁ……」
危うく、リサをリクエストするところだったが辛うじて回避に成功した。今の自分は相当気が緩んでいると再認識して、気を引き締める。
これからどうするか――身体の不調も、大部分は回復していた。首の違和感も無い。
エヌラスがしきりに自分の身体を確認していると、リサはその手をじっと見ていた。
「なにしてるの?」
「ちょっと調子の確認。やっぱ治ったばかりだと少し違和感残ってるな……」
特に右腕が時折しびれるような感覚を訴えている。魔術回路と神経の継ぎ目が不安定な証拠だ。
――過去に、一度は壊れた右腕を再生する際には敵討ちを最優先してまともな手術などせずに強引な方法で接続した。その状態で癒着してしまったばかりに、今となっては不便なときもある。
「アタシにできることある?」
「んー。じゃあ、ちょっと手を貸してくれるか?」
「手? こう?」
リサが席を替えて、隣に座り込むと右手を差し出してきた。その手をとり、エヌラスが指を絡めるように手を繋ぐ。
突然のことにキョトンとした顔を見せた次の瞬間、耳まで真っ赤になって俯いてしまった。だがそんなことはお構いなしと、エヌラスが握る。
触れている手から伝わってくる熱を意識してしまって、リサは軽くパニック状態に陥った。手を繋ぐのは初めてではないし、なんなら友希那や紗夜、燐子やあこだけでなく他のバンドメンバーとも手を繋いだりしたことがあるのにも関わらず。何故かエヌラスと触れているだけで心臓が飛び出しそうになってしまう。それだけ自分が異性に慣れていない証拠でもあるのだが、これほど感情を乱されるとは思いもしなかった。
「…………」
「リサ。痛くないか? ……リサ? おーい、聞いてるか?」
小さく、何度もしきりに頷いている。真剣な表情で繋いでいる手を見つめている姿にはエヌラスも眉を寄せていた。
力を入れてみると、リサも同じように手を握り返してくる。
ギターを弾いている指先は、それでもお洒落は欠かせないのかマニキュアが塗られていた。女の子らしい、か細く、弱々しい力の入れ方にエヌラスも黙っている。
肌を撫でるように指先で手の甲を撫でると、口元を押さえながら顔を逸していた。
「……な、なんか触り方やらしいんですけど……」
「リサの手。綺麗だな。肌もしっとりしてるし、なめらかだし。若い女の子の手って感じだ。ちゃんと手入れされてるし、ネイルも決めててお洒落も欠かさないしで、これ以上言うこと無いな」
「ぅ、う~……!」
「……褒めてるんだぞ?」
「褒めちぎりすぎ! アタシのこと、どうしたいの!? こっちは乙女なのにー、そんな事言われちゃったら……なんかもう、わかんなくなるじゃん……」
「どうって……そりゃ。大切にしたいさ」
人としての生活を。当たり前の毎日を。そんな、当然の権利を――今井リサの持つ、在るべき日々の幸せを。その隣人を、過ごす毎日を大切なものと思っている。
だからこそ、一日でも早く決着をつけるべきだとエヌラスは考えていた。
なにひとつ後腐れ無く、次の戦地に赴くためにも地球での邪神退治は一刻も早く終わらせるべきなのだ。しかし、そう簡単にいく話ではない。
付喪神の再臨。その原因がエヌラスは気がかりだった。ミカヅキの策で目覚めが遅れたとはいえ、それがなぜ今なのか、ということ。
外の景色を眺めてみても、言い知れない不安が街を包み込んでいた。
どこまでいっても見透かされているかのような感覚には、心当たりがある。
――思えば、ずっと。
“月”が見ていた。
ティオもティアも。ミカヅキも、そしてクァチル・ウタウスも“月”を気にかけていた。
ましてや、あの小さな魔術師が使っていたのもまた、「バルザイの偃月刀」に他ならなかった。
その気配も、日に日に強まっている。特に今夜は。
「……とにかく、リサ。今日はもう帰った方がいい。嫌な予感がする」
「――……、や」
「や、ってお前な……家まで送っていくぞ」
ぎゅっと、手を握る力を強めてリサが涙目で見上げてくる。
「そうじゃなくって――そばにいたいって思っちゃダメかな?」
「……俺は、お前のおかげでもう大丈夫だ」
「アタシは――」
何かを言いかけて、口をつぐむ。身体を寄せてきて、そのまましがみついてくる。
「リサ?」
「……アタシじゃ、ダメなんだよね」
「…………」
「考えてたんだ。アタシなんかより、ヒナのほうがずっといいんじゃないかなって。ほら、ヒナって頭良いし、行動的だし――そう考えたら、何をしてあげられるのかなーって」
「……なんか、とか言うな。俺は隣にいてくれたらそれだけで十分だよ」
「でもそれって、アタシじゃなくてもいいんでしょ。ヒナでも、紗夜でも……」
困らせることばかり、口から出てくる。本当はこんなことが言いたいわけじゃないのに。こんな意地悪がしたくて、勇気を振り絞っているわけでもないのに――涙が溢れてくる。
ただ、一緒にいたいだけなのに。なのに、自分以外の顔ばかりが出てくる。
「何もしてあげられないアタシが、こうしてていいのかな……? こんな風に一緒にいたいって思っちゃダメ……?」
「…………」
「自分でも、ズルしてるんじゃないかなって思っちゃって……あはは、考えすぎかな……」
誤魔化すように空笑いするリサを、エヌラスは背中に手を回して抱きしめた。
心臓の鼓動が、少しだけ早足になっている。感じる肌の温もりも、いつも以上に熱い。
夕焼け以上に赤く染まった頬が、潤んだ瞳が見つめてくる。
鼻腔の嗅ぎ取る匂いが肺を満たしていた。
柔らかな唇も、瑞々しい柔肌の潤いも。
今井リサが自分の手の中にある、という独占欲にも似た感情は、それ以上に危険な誘惑だった。
――我慢弱い自分が、不思議とここまで抑え込めていることも疑問ではあるものの、一度タガが外れたら絶対に戻らないことも冷静な部分が理解している。
壊してしまいたい感情と、壊したくない感情が、ないまぜになってしまっていた。こんなことだから、師匠には万年半人前扱いをされるのだ――お前は気安く他人に命と心を預けすぎる、と。
魔術師として致命的な欠点を抱えている。
「――リサ。何ができるとか、どうとか。そういうのはどうだっていいんだ、俺にとって。隣で笑顔の花を咲かせていてくれたら、それだけで……」
それだけで、よかった。
たった、それだけのことで満ち足りていた。他には何もいらなかったくらいに。
――それすら、奪われた。恋をすることすら自分には許されなかった。
「……ごめんな。本当に」
「なんで謝るの? 困らせてるの、アタシの方なのに」
「……昔な。本当に、もう。ずっと昔の話だけど、恋人がいたんだ――何も出来ない奴だったけど、いつも隣で笑っていてくれた。自分なりに何かしようと、気を利かせてくれていたんだ。俺はそれが本当に嬉しくて。ずっと一緒にいられると思ってた」
「…………」
「将来を誓い合うまで付き合いが長かったわけじゃないんだけどな。でも、そいつとなら苦にならないと本気で思ってた。今も、多分」
リサが、そこでエヌラスの恋人の話が全て過去形であることに気づく。
「――そいつが死んだ時。俺は、預けていた心も、全部一緒に亡くしたんだと思う。だからかな。誰かと愛を育むとか、恋をするっていう感覚が、よくわからない」
こうして触れて。こうして抱き寄せていても。相手のことを本気で求めているわけではない。
「有り体に言うと誰でもいいんだろうな俺は。我ながら最低だと思ってるよ。だから、それで相手が傷つかないようにと気をつけちゃいるが……上手くいかなくてな。最終的に、相手に合わせることにした」
相手が自分に求めているレベルに合わせて付き合う。
それでも度が過ぎるようなら、セーブする。
「――だからな。お前は、俺みたいなやつに。こんな風に心も身体も預けるべきじゃないんだよ」
「……自分でも、俺みたいなー、って言ってる」
「…………あー」
「……あはは。もー、しっかりしてよー」
「あー、ははは。ほんとな、自分でもびっくりするくらいダメだわこれ」
額を合わせて、笑い合う。どこか中身のない笑い方に、目を合わせる。
頬に手を添えて指の腹で撫でる。少しだけ驚いた顔をするリサが、静かに目を伏せた。
「……いいのか?」
「ん……」
「……今夜だけだぞ、泊まっていいの」
「――キスより先はお預け?」
「俺としては今すぐにでも、と言いたいところだが――まだお預けだ」
まだ、ということは。
そのいつかが、きっと来るということだろうか? そんな期待を込めながら、リサは自分の唇が塞がれる優しい温もりに身体を寄せていた。