【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第二百二幕 人妖衆生済度

 

 

 

 ――鬼丸国綱は、夜道を駆ける。頭から膝まですっぽりと覆った黄色のレインコートをなびかせながら、人目を避けて走り続けていた。

 途中、野山の中を走らざるを得なくなり、それでも足を止めることはない。幸いにも、昨今の怪異騒ぎのおかげで目立つことはなかった。

 いかに付喪神と言えど、休まずに東から西までの踏破は難題となる。都度、休息を取りながらも鬼丸は走り続けた。飛脚もかくや、という速度で僅か二日足らず。

 そうして、辿り着いたのは寄り道をした関ヶ原跡地。無数の刀剣が野ざらしとされていた事に地元では不審がられていたが、早急に回収がなされていた。しかし、誰もその場の地脈が乱されていることには気づかなかったらしい。

 

(……ふむ)

 鬼丸は、しばし月に照らされながらその場に留まる。周囲に人気はない。丑三つ時ならば無理もないのだが。

 なにか、大きな戦があったらしい。此処には、その名残があった。とはいえ、放置も出来ない。

 地面に手を当てて、地脈の乱れを正そうとした瞬間、不意に寒気を感じた。

 よく観察してみれば、ここで堰き止められているようにも思える。

 レインコートのフードを目深に直しながら、思考を巡らせた。

 ――もしや、此処にいた名も知らぬ“番人”は、西からの妖気を止めていたのではないかとも。

 

(帰りでも遅くはないか)

 鬼丸国綱は先を急いだ。

 まる二日掛けて、ようやく辿り着く頃には空の異変に気づく。否応もなしに。

 月が割れていた。ひび割れた空は、黒く裂けていた。どおりで今宵は随分と不吉な空気が流れているわけだ。

 そうして、東の関所を抜けた鬼丸国綱が向かう先はかつての都――だが、その内部に渦巻く瘴気はとてもではないが信じられなかった。

 まるで“魔界”だ。

 思わず足を止めてしまうほどには、そこは異界の入り口と化している。

 かつて、現世壬生狼士組が日夜問わず妖魔を斬り続けていたのは理由がある。此処がその異変の大本であり、同時に“夜行童子”の手による付喪神事変の発端であったからこそ。そして、西と東に関所を設けたのは、そこから怪異が溢れないようにしていた。

 だが大和国にて七星剣が顕現したことによりそれらの異常はひとまず、鳴りを潜めている。正しく、人の手による人の世の政治を成すために尽くしていたのだ。

 

 そして今。鬼丸国綱が前にしているのは、鞍馬山。

 かつて大天狗正家が守護していた西の関所である。

 不意に、木々がさざめいた。それは夜風によるものではない。木陰に隠れていた生き物によってだ。ヒラヒラと夜闇に紛れて目の前に落ちてきたのは、鳥の羽根。黒一色の、掌に収まりきらないほどの巨大なものだった。

 それを見て、鬼丸国綱はすぐに思い当たる。

 

「――鞍馬山には天狗がいると聞いていたが、その話は本当らしいな」

 日本妖怪を代表する、鬼に天狗に河童。

 中でも、天狗は修験者の姿で描かれる。神の使いであったり、妖怪であったりと諸説ある。鬼丸が感じているのは、妖気。山全体を覆うように、重苦しい空気を感じていた。

 

「……オレは、鬼丸国綱。恐れ多くも天下五剣が一振に数えられる付喪神だ。こちらに敵意はない、どうか姿を見せられよ」

 ――夜闇が震える。そして、頭上より降り立つは山伏の格好をした妖怪。いずれも面をかぶっており、素性は定かではないが総じて鼻が大きく伸びていた。

 

「――付喪神。そちらは皆倒れたと聞き及んでいたが」

「訳あって、天下五剣は遅れての参上となる」

「天下五剣、なるほど確かに。その霊格の高さは至上のものと存ずる。我らの本山へ何用か」

 鬼丸国綱は、自らを包囲する天狗達へ事情を説明する。

 意外にも、天狗たちはすんなりと理解を示した。というのも、天狗達の頭領である鞍馬天狗も困り果てているらしい。

 天狗の中でも神通力が強いとされている大天狗の部類だが、それらを治めていたのは他ならぬ付喪神、大天狗正家その人である。亡き今となっては、姿を隠しながら人々を見守っていた。

 

「話というのは、他でもない。大江山に、鬼が出た」

「――――」

 やはり、という予感に鬼丸が表情を険しくさせる。

 

「それは、いつからだ」

「我らは付喪神が顕現されたその後、おそらくは鬼も同時期。鞍馬寺の毘沙門天の加護を得ての顕現となる」

「……妖怪は人の恐怖だ。それなしでは独立した存在となりえないはずだが」

「うむ……我ら天狗も、また戸惑いを隠せぬのだ」

 あの頃とは、あまりに時代がかけ離れている。人々の間で、妖怪などというものはすでに廃れて久しいものだ。にも関わらず、何故今になって形を得てしまったものかと。

 そして、それらの元凶を辿れば世を脅かす怪事件の数々のみならず、月の異変に気づいた。それらは、鬼丸と共通した認識である。

 

「鞍馬天狗殿は、なんと?」

「我らが頭領の方針としては、此度の異変。妖魔の手を離れた神仏の気紛れ也と。我ら天狗の出張る意義なしとの仰せである。我ら天狗は人の世の平定を望む。これこそ、付喪神に名を連ねる大天狗正家との盟約なれば」

 事は妖怪だけの域に留まらず、ともすれば静観に徹するほかなし。

 深夜の総本山、鞍馬寺には大柄な山伏が一人、境内にて鬼丸を待ち構えていた。

 それこそは天狗達を束ねる頭領、鞍馬天狗。別名を鞍馬山僧正坊。或いは、鬼一法眼とも。かの源義経に剣術を教えたという伝説があるが、果たして。

 錫杖杖を鳴らし、黒く大きな翼を畳み、鬼丸を見下ろす立ち姿は仁王のようでもある。だが、その威風堂々たる佇まいに臆さず、鬼丸国綱は頭を下げた。

 

「天下五剣、鬼丸国綱だ」

「大天狗、鞍馬山僧正坊である。遠路遥々足労いただき、感謝に尽きぬ」

「……礼は、いい。オレではなく、下知を飛ばした童子切安綱に」

「童子切――なるほど、源氏の……。ともすれば、我ら天狗も協力を惜しむわけにはいくまい」

「鬼に頭を悩ませていると聞いた。それは、本当か?」

 重く、鞍馬天狗が頷く。

 

 ――鬼が出た。その話は、瞬く間に妖怪たちの間で話に挙がった。というのも、現世壬生狼士組

が現役であった時は都に手が出せなかったからだ。源氏の重宝である髭切と膝丸までもが人間に与しているとあっては如何に鬼が強大な存在であったとしても逃げ腰になる。

 だが、状況は一変した。というのも、髭切と膝丸の双方、気が触れたかのように鬼も付喪神も見境なく斬り始めたからである。それを斬り伏せたのは、長曽祢虎徹率いる現世壬生狼士組。当然無傷とはいかなかったものの、鬼もまた同様に手酷い損害を被っていた。

 鞍馬天狗はその神通力にて元凶を突き止め、途方に暮れる。

 天を指し示す。そこには煌々ときらめく月があった。

 

「源氏の重宝、髭切膝丸。双方ともに気が狂うた元凶は、月にある。遥か天上にて輝くあの月明かり。あれより、時折放たれる神気に当てられたと見なしている」

「…………」

「そして、それは我ら妖怪の出現にも起因しているものとみた」

「――月を壊せば、世は元通り、と?」

「そう見るのが妥当であると考えている。世を乱した元凶……“黒い月”と、我らは呼んでいる」

「……確かに。アレは何かおかしい」

「だが恐るべきは、黒い月は今だ顕界に至っておらぬこと」

「……それでこの影響力か。凄まじいものだ」

「到底。それこそ我らにしてみれば、雲の上の話。詭弁、空論、それを前に何ができよう――結論として、我ら鞍馬山僧正坊一派は、人の世の平定に尽くす。これに尽きる。如何にそちらが盟友大天狗正家の同胞といえど譲れぬこと。ご理解いただきたく」

「構わない。相手が鬼とあれば、オレの領分だ――そちらには、市井の治安維持を頼みたい」

「心得た。十分に、留意なされよ」

 大江山に陣取る鬼の拠点は、かつての猛威を振るっている。

 鬼の首魁、酒呑童子の姿が無いとはいえ、かつての四天王も顔を見せているようだ。それだけではない。酒呑童子の右腕、腹心とも言うべき茨木童子も復活を遂げている。

 木の葉天狗の偵察によると、異界の神を讃える事で復活を成したのか、何か不気味な祝詞が聞こえてきた、という。その偵察に向かった木の葉天狗は、二度とその任を負おうとはしなかった。それほどまでに、おぞましい光景であったのだろう。

 

「しかしながら、単独での突入は心許ないことだろう。こちらからも数名、護衛をつける。万事に備えて損はない」

「感謝に尽きない。では、後ほど」

 鬼丸国綱は、鞍馬天狗の配下を数名引き連れて、大江山へと向かった。

 ――夜空を見上げる。月があった。不穏な、夜の翳りと共に。

 

 

 

 ――数珠丸恒次は、北へ向かっていた。

 道中、僧の振りをして――いや仏僧なのだが――数珠丸は、妖怪の情報を集めていた。聞くところによると、やはり有名所は那須の殺生石。玉藻の前という。

 そして、最近はその近辺で妙な事件が頻発しているとも。

 曰く、男女が行方不明になっているようだ。それも年若い、未来ある若者。

 ほぼ十中八九、妖怪の仕業だろう。生きてはいまい。

 

(いやはや、しかし。童子切殿にも困ったものだ)

 かつて、仏門に帰依する高名な僧の佩刀であった。戦に用いられることなど以ての外。

 殺生を好まず、衆生済度を旨とする。それはかつての主と同じ思いだ。だがひとつ、決定的な違いがある。

 かの高名な僧は、人であった。人であるがゆえに、人を救う道を選んだ。

 だが数珠丸恒次は違った。己は妖怪である。付喪神であるのならば、かつての主の悲願を代わって果たすのならば、人妖を別け隔てなく救済すべきであると考えている。

 たとえそれが、三大妖怪の鬼であろうと。天狗であろうと。玉藻前であろうとも。

 

 そうして、辿り着いた目的地、那須。

 殺生石の近隣は、有毒な火山ガスが噴出することから時折立ち入りが禁じられていた。しかし、昨今の事情からすれば、それは常に生き物を殺さんとしているようにも思われる。

 数珠丸は殺生石園地と呼ばれている一帯を見渡していた。漂う妖気も邪気も桁外れだ。

 

「……む?」

 近隣は、温泉業で賑わっている。旅行客も多く訪れている。だが、その中に奇妙な気配があった。人であるようだが、人ではないような。数珠丸恒次は先を急ぐ。

 そこには、ふらふらと何処か危うい足取りの女性が一人。夜道を歩いていた。周囲の宿を見渡してみても、人が来る気配はない。

 数珠丸が女性に声をかけようと、近づく。そして、殺気を感じた。しかしそれで身を震わせるほどではなかった。むしろ合点がいったほどである。だが、他の人間はこれを殺気とは呼ばずに美貌に目と心を奪われていたに違いない。寒気を感じるほどの美しさに、数珠丸は決して油断せずに声をかけた。

 

「もしもし、そこな麗しきお方。このような時間に一人で出歩いては危険です」

「……?」

 黄金の稲穂のように揺れる金の髪、同様に金の瞳。宝玉のようにきらめいている。だがそこに宿るのは美貌と邪気、妖気の類。ただの人間であれば、目を合わせただけで瞬く間に魅了されていたに違いない。それは、女性が目を合わせた数珠丸に対して警戒心を露わにしている事でより明らかになった。

 

「ははは、拙僧はこう見えても妖術にも精通しておりますぞ。そのように魅力ある瞳で操ろうとしたところで無駄です」

「――貴様、何者だ?」

「拙僧は数珠丸恒次。付喪神でございます」

「恒次? ……きさま、青江の一派か?」

「いかにも。こちらがそちらに危害を加えるつもりはありません、ですのでそのように殺気立つことはないかと」

「……ふん。どの口が、高名な僧を名乗り気取る輩など信用できるものか」

「まぁまぁそう仰らずに。此処は人目につく、場所を変えませぬか? ()()()殿?」

「――――」

「おや人違いかと思っていましたが、どうも図星のようだ。探す手間が省けました」

 

 

 

 ――殺生石園地にて、浴衣姿の玉藻前と数珠丸恒次は向かい合う。着ている服は、旅館や旅行客から奪ったものだろう。

 縁石に腰を下ろし、自販機で買った緑茶を数珠丸に放る。

 

「――つまり、玉藻前殿も何故自分が復活を遂げたのか甚だ疑問であると?」

「どこぞの異界の神が妾に目をかけたのか、まぁそんなものはどうでもいい。しかし、随分と知った時代より移り変わったものだ。そのおかげで食事には困らぬのはいいことだが」

「これからどうされるおつもりか」

「さて、な。妾とて馬鹿ではない。上手いこと振る舞うつもりだ」

「なるほど。人に紛れて余生を過ごすおつもりと」

「昔のように征伐されてはたまらんからな」

「日本三大妖怪の玉藻前ともあろうお方がなんとも弱気な」

「やかましいわ、生臭坊主め。だいたい、貴様はどうなのだ? この先どうするつもりだ」

「はてさて。如何ようにでも。さりとて、今の世の乱れは見過ごすわけにはいきませぬ。かといって童子切殿の言い分を無視するわけにもいかず。困りましたな、はっはっは!」

「――待て。貴様今、童子切と言ったか?」

「はて? なにか問題が?」

 手にしていた緑茶のアルミ缶を握り潰し、玉藻前が数珠丸を睨む。

 

「貴様、それは源氏の――」

「いかにも」

「やつも貴様同様に顕現を?」

「いかにも。それが?」

「――気が変わった! そやつを連れてこい! さもなくば貴様の素っ首をもぎ取るぞ!」

「無理を言いなさるな。でしたらば、拙僧が居場所を知っております故。ご案内いたしますが?」

「いいだろう、受けて立ってやる! 源氏なぞ滅ぼしてくれるわ!」

「いやしかし、それならば心強いものです」

「なに?」

「実は拙僧も童子切殿とは少々相容れぬ思想ゆえ、困り果てていたものでしてな。人妖の別け隔てなく、衆生済度を旨とする拙僧とはどうにも折り合いが悪く」

「ほほう? この妾と手を組むと」

「まぁ結果的にはそうなってしまいますか」

 カカカ、と。楽しげに笑う玉藻前は、旅行客から奪い取った現代の服装を引っ張り出した。

 

(その源氏も、遥か以前に廃れているはずですが。それでもまだ過去の因縁に縋らずにはいられませぬか……哀れなものだ)

 元より人に忘れ去られた存在が、現代で理由もなく復活を遂げるはずがない。数珠丸は、そこにこそ解決の糸口があると見ていた。

 そのためならば、妖怪を利用しようとも、その逆もまた然り。己の為すべきことは変わらない。

 ――今も昔も、衆生済度の一念のみ。

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