──月が満ちる。月が欠ける。空を翔ける流星。夜を裂く双星が駆けていた。
超常的な速度で空を跳ねる凶星の双子。それに気づかないはずがない。だが。誰もそれを気に留めなかった。
魔術による拘束も、探知も、気づく頃には既に遅い。等身大のステルス戦闘機。エヌラスの魔力探知すら振り切ってティオとティアは夜空を駆けていた。
もう少し、もうちょっと、あと一日。我慢できずに駆け回っていた。衝動のままに、思い描くままに夜空を走る。
自分たちは最速であると信じて疑わない。誰にも止められない。だが──二人は不愉快な顔をして緩やかに空を漂う。
どれだけ速度を出しても、どれだけ自分達の神気を隠しても視られている感覚が拭えない。それが堪らなく不愉快だった。
どこから見ているのか、誰が見ているのかもわからない。
それこそが二人の最も警戒する“わかんないの”だった。
“おっかないの”は、今頃自分達と同じように他の力を取り込んだ上で来るだろう。
“つまんないの”は、自分から何かをしようとはしないだろう。来るとしたら“おっかないの”に協力する形だ。だからお前は“つまんない”のに。
だがどうでもいい。何もかもがどうでもいいことだ。
この星にアイツ等が来ることはない。この星は自分達の遊び場だ。もう十分走った。何処にだって行けるこの両脚で。
ひとつだけ、解せないことがあった。
何故、どうして“のろま”は此処に居座っているのだろうかということ。
人間なんてどうでもいいはずなのに。人類なんてどうでもいいはずなのに。なんでだろう?
人間のフリをしている理由がわからない。姿形が似通っているだけで全くの別物なのに。
──怪物め。
──化物め。
邪神狩りなんてお前が始めたのが全ての元凶なのに。
神の傀儡になることを選んだお前が全ての元凶なのに。
そんなお前に負けるものか。そんなお前にボクらが捉えられるものか。追いつくものか。追いつけるものか。追い越せるものか、置き去りにして捨て去ってくれる。
もう少し。あと少し。もうちょっとだけの我慢だ。
星が動く。場所さえわかれば、後はウチらが走るだけ。
星辰を操作して、星の陣を描く。そこに邪神の瘴気と神気を充てれば、完成だ。
氷川日菜の計算が正しければ、人類が終わる。大した天才だ。
人間にしておくには惜しいくらいだ。他の塵芥はどうでもいいけれど、あの子は連れて行ってもいいかもしれない。きっと気に入る。外宇宙の図書館にでも、それこそ無窮の果てでも。
最悪、首から上だけでもいい。その方が持ち運びは便利かもしれない。でも手も足も人間には必要なものだ。
そんなものに頼らなくては生きていけない弱小種族だが、そうして侮ってきたからこそ敗北を続けてきた。だが、致し方ないことだ。進化の速度が違いすぎる。欠伸が出るような歳月ほどしか生きられないのに進化を続けていく種族も、限界は近い。それを超えるには人類に計り知れない感性と法則が必要になる。
もしかしたら、もしかするかもしれない。
氷川日菜の才能に人類が気づきさえすれば、この宇宙は変わるかもしれない。
もうとっくに手遅れかもしれないが、そんなことはティオとティアには関係がなかった。
あるのはただ、明日の希望。約束の日。人類終末の引き金に成り得る演算の終わり。
「──出来たぁー!」
日菜は、自分の部屋で思わず歓声を挙げてしまった。案の定、少ししてから紗夜にうるさいと怒られてしまう。平謝りしながらも、星の計算を終えたノートを見直す。
多少の誤差はあるが、それも想定の範囲内。計算済みだ。あの二人は何とかしてくれるだろう。
『星図ノート』と見出しを書いて、もう一冊。『演算ノート』を開く。
紗夜から借りた魔術教本?の暗号を紐解こうと試みているが、通常の計算とは少々体裁が異なる。その法則性を見つけ出そうとするが、それが分からない。まったく理解が及ばない。公式に当てはめても答えが異なる。量子力学や幾何学でも何か違和感を覚えた。
「……こっちは出来ないなー」
現代に存在しない魔術が数式で解明できるということ事態がそもそもおかしい。はて、と。日菜が考え込む。この数式には、何かおかしな点があった。
計算に次ぐ計算、演算に次ぐ演算。そこまで書いて答えがなぜ出ていないのかが不思議だ。ここまで長いとむしろパソコンに入力した方が速い。計算させた方が早いのに、なぜ自分の手で書き続けるのか。そのアナログな手間をかけること事態に日菜が首を傾げる。
書き記すことに意味があるのだろうか? だとしたら、なぜ? ──やっぱりわからない。
一ページだけ埋めて、その日は眠ることにした。楽しみで眠れなくなりそうだったが、慣れない計算に疲労していた脳は睡眠を求めていたらしく気がつけば夜が明けていた。
約束の日。ティオとティアと日菜の取引当日──その頃、エヌラスは徹夜で演算を続けていた。
まだ終わらない魔術理論の構築に、つくづく化物の下にいたのだと痛感する。
こんなものを四六時中絶やさずやっている脳みそはどうなってんだ。得手不得手の問題ではなくニューロンを常にフル稼働させているようなものだ。それこそ脳が焼き切れる。
ぼんやりとした頭でボールペンを走らせているとインクが切れた。ついでに集中力も切れた。同時になんか吹っ切れた。
頬杖をついて朝日を眺める。今日もバイトは休みだ。大あくびをもらし、テーブルの傍らに置いていたパンの詰め合わせから適当に一個取り出す。メロンパンの香り高い風味に頷きながら、もう一個。チョココロネ。実に美味である。売り切れ御免の逸品に舌鼓を打つ。
「……もぐひゅご」
もう無い。一日分の食料が消えた。
人間、うまくいかない時は飯食って寝るのが一番。エヌラスは仮眠することにした。目を覚ますとお昼すぎ、寝汗をシャワーで流して服を着替えると街に出る。
商店街を覗くと、人々の活気に溢れていた。ついでに良くない奴らの活気も。具体的には幽霊。腕を組んで、エヌラスは地面を見下ろす。
土地にも脈はある。地脈や水脈だけでなく、血管のように広がる龍脈。気の流れを辿ってみるとどうやらそれが自分が世話になっているマンションから流れているものだと気づく。この周辺に墓地があればそちらへ誘導するのだが、生憎とそんな暇もない。
とりあえず本日もやまぶきベーカリーのお世話になることにした。今日はちゃんと代金を支払、お礼も言って店を出る。
マンションに戻ると、管理人が声を掛けてきた。何か面倒事でも持ってきたのだろうか、それとも家賃のお支払いだろうか。生憎とそんな金は無いと堂々と胸を張って言える。
「いやぁ、友人のアパートも最近幽霊騒ぎがあるってんでねー。頼まれてくれませんか」
「タダ働きは遠慮しますが」
「ちゃんとお礼はするそうです」
「んー、まぁ引き受けますが。急ぎでないなら来週中に」
「助かります。私の方から言っておきますんで」
部屋に戻ってから再び計算を続ける。ぶっちゃけ除霊くらい他に頼め。霊媒師とか霊能力者とかそういうのいないのかこの国は。エヌラスは胸中で毒づきながらも不安になってきた。
一通りの計算を終えてから、自分から伸びる影に視線を落とす。そこへノートを落とすと、飲み込まれるように消えた。
(……ここまでの計算で発動できるのが二種類か)
自分の優位性を保つための陣地作成技術は魔術師にとって基本となる技術だが、エヌラスはその初歩中の初歩すら出来ない。様々な課程をすっ飛ばして学んできたのだからそれも致し方のないことだが、まさかそれが裏目に出ることになるとは思いもしなかった。
そもそも自分から重力を変動させてそれを計算の視野に入れた上に結界で相手を拘束しながら空間固定など、どんな脳みそをしていればできるのか。それで死に目に遭ったのは一度や二度ではないし、嫌という程叩き込まれてきた。そもそも防御不可能で回避不可能な一撃をノーモーションで繰り出してくる。それで学習しろと言ってくるのだから始末に負えない。
そんなん一万回繰り返されても覚えられるか。思い出したら腹立ってきた。筆を執り、半ば書き殴る形で再開する。
──日が沈み、帰宅して。夕飯の時間になっても日菜が帰ってこないことに紗夜はパスパレのレッスンがあるのだろうと思っていた。しかし、帰りが遅れるくらい一言あってもよかったはずなのに連絡ひとつない。
電話してみるが、携帯の電源を切っているのか不通のアナウンスが流れる。
紗夜は、何か嫌な予感がしていた。念の為、千聖達にも連絡してみる。だが、今日はいつも通りレッスンをしてから別れた、という。まだ帰宅していないことに驚いていた。
(日菜……)
胸騒ぎがする。
何も言わなかった。何にも言ってくれなかった。いつも通りだったはずなのに、何かがおかしい気がする。
紗夜は一言だけ謝罪して、日菜の部屋の扉を開けた。勝手に入るつもりはなかったが、突然いなくなるのだけは耐えられない。まだちゃんと向き合えていない。まだ、ちゃんとお互いの溝を埋めていないのに。
いつも一緒だった。家族だから当然のことだと。だけど、自分が見てないところで、自分の知らないことをしていたのなら。それが悪いことなら尚更、ちゃんと止めなければ。
部屋の中を見渡して、机の上に置かれたノートを手にする。『演算ノート』と書かれた中身を見れば、虚数の公式が書かれていた。しかし、それだけ。
(……魔術の解析しようとしてたのね)
大抵のことは何でも出来てしまう天才肌の妹のことだ、そうなのだろうと思った。だが、本当にそれだけだろうか? 他になにかの計算をしていたはずだ。
“出来た”と、言っていたのだから。とても嬉しそうに。とても楽しそうに。子供のようにはしゃいでいた。しかし、この『演算ノート』は途中で止まっている。なら他に何があるのだろう。
──わからない。自分の妹のことなのに。
しかし、何故このノートだけをこれ見よがしに机の上に置いていたのだろう? 紗夜は手がかりを求めてページをめくる。だが、半分以上が公式に埋め尽くされていた。ふとページの隅を見るとなにか落書きがされている。
一文字だけ『に』と、だけ。次のページには何も書かれておらず、前のページに戻ると『夜』とだけ。
(……に、夜……夜に……?)
最初からノートを開き、その隅に注目してページをパラパラと捲っていく。
『羽』『丘』『女』『子』『学』『園』『へ』『満』『月』『の』『夜』『に』──それ以降は全て空白だった。
どうしてこんな回りくどい書き方をしたのか、日菜の意図は分からなかった。だが、何か嫌な予感がする。閉め切った部屋のカーテンを開けると今夜は満月だった。
胸騒ぎに急かされるように、背中を押されるようにして、気がつけばノートを持って家を飛び出していた。
何を考えているのかわからない。だけど、なにか異常なことに巻き込まれている。だからこんなにもわかりやすい形でメッセージを残していた。自分でもわかるように。
家から学園までの距離が遠く感じられる。しかし、足を止めるわけにはいかず焦燥感に駆られて駆け出していた足がもつれ、ノートを落としてしまう。
拾い上げようとして、ページを開いてしまった。
『なにか、違和感を覚えた場所とかで絶対に開くなよ。“寄ってくる”から──』
そんなことを、あの人は言っていた気がする。
(……寄ってくる、寄ってくるって一体。なにが──?)
不意に、紗夜が顔をあげる。
電柱の下。街灯の下に、白い服を着た女性が立っていた。物陰から、何かが覗いていた。人、のようなものが。
違和感を覚えた場所で、異変を感じた場所で開いたつもりはないのに“寄ってきた”ことに紗夜は息を呑んだ。
魔術師に求められる必要最低限のものは精神力、超常の現象を前に起こる不可解理不尽な超自然的な事象を前にしても不動である事が要求される。隙を見せれば脅威は容易く心の隙間に入り込んでくる。
足が止まり、道を引き返そうかとも思った。だが、日菜が助けを求めていた事実に気づけなかった。それが紗夜を踏みとどまらせる。
人外の脅威に何ができるわけでもない、それでも日菜のもとへ行くと決めた。その気持ちは裏切れない。
風が吹いた。不快な血の臭いを纏わりつかせた凶風だった。怪鳥が翼を広げるように、夜空に羽ばたく黒いコートを翻して、赤い瞳と目が合う。右の手にした刀を振るい、その寄ってきた何かを切り裂きながら着地して瞬く間に断ち切っていく。
煙草を咥えたまま振り返り、紗夜とエヌラスが同時に歩み寄る。
「なんでノート開いた?」
「あなたはどうして此処に?」
「決まってんだろ、魔力探知に引っかかった」
「別に私は魔術なんて……」
「この辺り一帯、瘴気が漂い始めてる。簡単に言うなら“汚染”だな」
「人体に有害なものなんですか?」
「直接的な害はないだろうが、今みたいなのが増える。だからそいつも反応した……って、それ俺が書いたやつじゃないな。紗夜が書いたのか?」
「違います。これは日菜が」
「……あいつマジで天才かよ」
適当に書いたからといって魔術というものは発動するわけではない。しかし、日菜が書いたものは僅かに、ほんの一瞬とはいえ誤作動を起こした。
「んで、なんでお前はこんな夜に出歩いてんだ? 俺だってほっつき歩きたくないんだが」
「日菜が帰ってこないんです。それで、部屋を見たらこのノートが……何が起きているのかわかりませんけれど、何かに巻き込まれているのは確かです」
「……で、どこに向かってんだ」
「羽丘女子学園。満月の夜に来るようにと、書き残してありました。手間の掛かる方法で」
月を見上げて、それから納得する。人間の手に負えない領域の事態が発生していた事に、どうして気づけなかったのだろう。魔力探知の精度もそうだが、想像力が足りなかったことをエヌラスは悔やんだ。
“あの”日菜が、万が一にでも双子と接触していたらどうなるかなんて解りきっていたことだと言うのに。
「今、何時だ」
「……時計、持ってないんですか?」
「持ってるわけねーだろ」
「十時過ぎてます」
「二時間以内に決着つけねーと人類ヤベーなおい」
「はい?」
「アイツ等、星を落とす気だ」
だが学園まで走って計画を阻止しようにも時間が惜しい。エヌラスは舌打ちを一度してから自分の影に呼びかける。
「ハンティングホラー」
陽炎のように影が揺れたかと思った次の瞬間、地面と靴の隙間の空間から大型自動二輪車が飛び出してきたことに紗夜が驚いていた。無人の車両は独りでにアクセルを踏み、自らの意思を持つかのように二人の前に停まる。エヌラスが跨がり、紗夜に手を差し出す。
「乗れ。急いでんだろ」
「へ、ヘルメットは無いんですか?」
「持ち歩いてるはずがないだろ。大体こいつバイクじゃねぇし、無機物魔導生命体だし。あれだ、馬と一緒だ」
「何処からどう見てもバイクです! ノーヘルで運転するなんて常識外にも程があります!」
「紗夜。お前自分の妹と法律どっちが大事なんだ?」
「……そんなの、決まっているじゃありませんか」
「んじゃ乗れ。何もしてやれなかったとしても日菜の隣にいてやれよ──俺は妹が殺された時、隣にいてやれなかったんだからな」
妹が、殺された──? 紗夜が言葉をかける前に、エヌラスは既に腕を引いて後部座席に乗せていた。
「しっかり掴まってろ。ちょっとばかり法定速度違反するから」
「ヘルメットもかぶらない人が言うセリフとは思えませんね」
腰に手を回してしっかり掴まると、ハンティングホラーが咆哮と共に駆け出す。
猛獣の雄叫びじみたエンジン音に近隣の迷惑になるかと思ったが、想像以上に軽快な走りに驚かされる。
「さっきの。妹が殺された、というのは……」
「神様に頭狂わされた道化師に殺された。左目の傷はその仇討ちの時にヘマしてな。ついでに言うと俺の右腕はその前にぶっ壊れた」
「────」
「今はこうして動いてるが、魔力で神経接続してるからだ」
暴風が不意に和らぐ。それも魔術によるものだが、紗夜はそれよりもエヌラスの話に耳を傾けていた。
「……日菜は、無事なんですか?」
「知るか。お前は日菜を助ける、俺はクソガキ共をぶちのめす。以上だ」
「知らないって、あなた……!」
「もう少し飛ばすぞ、舌噛むなよ!」
「助けるって言っても、私に何が……きゃあ!」
「手ぇ繋ぐぐれぇしてやれ、お姉ちゃんだろうが!」
ハンティングホラーを加速させて、暴力的な速度に紗夜が小さく悲鳴をあげた。
妹が殺された、その言葉が頭から離れない。もしも、自分の身に起きていたらと考えるだけで震えが止まらなかった。
「俺みてぇな出来損ないの“兄様”なんかよりお前の方がずっと立派なんだから、やれるだけやってから考えろ!」
「でも、もしも日菜が──!」
「その時は俺を殺すほど憎んでくれていい! それでも俺はお前のこと嫌いになれねぇだろうけどな!」
「だ──だからあなたは何なんですか、本当に!? 真面目にやる気があるんですか!」
「大真面目だっつうの!」
喧々囂々と口論しながらも、目的地の羽丘女子学園は二人の目前に迫っている。
氷川日菜が、凶星の双子と共にそこにいる。