【本編完結】冥き宿星に光の道標   作:アメリカ兎

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第二一一幕 言を成す

 ――勝敗は決した。少なくとも、それは誰の目に見ても明らかな程に。

 全身で偃月刀を投擲した二代目賢人バルザイは、バランスを崩して前のめりに砂浜に倒れ込む。口の中に入り込んできた砂をツバと一緒に吐き出し、顔の砂を袖で拭う。

 仰向けに倒れたエヌラスは動かなかった。四肢を投げ出して砂浜に倒れている。

 惜しくは、僅かに手元が狂ったこと。しかし、これは明らかに致命傷だ。相手の魔術の核である左胸の心臓に偃月刀が突き立っているのだから。

 手を掲げて、刻み込んだ魔術を遠隔起動させる。

 これで魔力の心臓を停止させ、解呪すれば全てが終わる。そうすれば師の命題であった偃月刀の完成に到達する。

 人類を、神の脅威より遠ざける。人類の為の魔剣が。

 だが――そうはならなかった。

 

「…………」

 二代目賢人バルザイは、手を掲げたまま絶句する。致命傷を負ったはずの男が、まだ立ち上がろうとしているからだ。

 身体に突き立つ無数の偃月刀をそのままに、口から血を吐き出しながら上体を起こしている。

 おびただしい出血。尋常ではない。少なくとも、絶命して然るべき。死んで当然の怪我、なのに――まだ、生きている。

 偃月刀を引き抜かないのは、それが傷口を押さえているからだ。それを抜けば、更に出血することは明白。邪神という超常の存在と戦い続けてきた合間、培ってきた膨大な戦闘経験から学習している。

 

 全身に突き立つ偃月刀が行動を阻害しているのはエヌラス自身、理解していた。だが、それが逆に役立つことも理解している。

 魔術に必要な触媒として、これほど手に馴染み、うってつけの品はない。

 ――大魔導師は、それすら予見して“バルザイの偃月刀”を自分に与えていたのかとも思う。

 いつか、自分が賢人バルザイと刃を交えることを想定して。そして、自分が敵わないであろうことも想定していて。

 鼻で笑ってしまうほどに、荒唐無稽が過ぎる妄想だ。いつだって大魔導師はその上を行くからこそ、エヌラスは自分の命を持って報いる。

 

(――バルザイの偃月刀、か)

 息を吸い込み、吐き出す。整息し、魔術回路に意識を集中させる。

 異物によって内勁が乱れるが、それを魔力で整える。身体に突き刺さっている偃月刀を、敢えて利用して魔力の増幅器として回路に接続。

 銀鍵守護器官による無尽蔵の魔力放出に耐えきれなければ自壊するだろう。普段のエヌラスであれば、それは内臓から煮崩れていくような感覚に陥る。しかし、今は違う。

 あろうことか、偃月刀を媒介にして出力を引き上げていた。

 最早、後先を一切考慮しない自殺行為に二代目賢人バルザイは後退る。

 たたらを踏む足を留めて、エヌラスは霞む視界に相手を捉えた。

 前へ進む。一歩でも前に。この身体がどうなろうとも構わない。

 死ぬまで戦うと決めたのだ。――だから。

 

 ――不意に、自分の手に違和感を覚えた。いつから握りしめた拳の中に、一振りの刀があった。

 赤い鞘には見覚えがある。忘れもしない。自分がこの手で斬った戦友なのだから。

 

「――――」

 なぜ、という疑問よりも先に、エヌラスの脳裏に声が響いた。

 

 ――言ったろう。オレは、アンタの外道を信じると。

 

 それが、人の世を救うためならば。望んで共に地獄を駆けよう。

 

 自然と笑みが溢れる。ああ、馬鹿野郎が。本当に、大馬鹿野郎が――こんな時にも、お前は力を貸してくれるのかと。

 

「……だったら、俺の地獄に付き合え兼定」

 夜の穏やかな潮風の中に、どこか爽やかな春風が肩を叩いて消えていった気がした。

 果たして、自分の魔術に耐えてくれるだろうか。そんな疑問を振り払う。

 今は、これに頼るしかないのだから。

 鯉口を切り、抜刀する。澄んだ風切り音と共に、月明かりを浴びて刀身が輝いていた。

 

 いかな刀工の手掛けた名刀、業物と言えど超常の摂理を前に耐えきれるはずがない――だが、この一振りは違う。

 このおかしくなった世界の怪異をことごとく、斬り伏せてみせた。その血を啜り、妖気を帯びてしまった。あまつさえ、エヌラスの心臓すら貫いてしまっている。

 和泉守兼定は――妖刀・九十九兼定として、戦友の手にあった。

 

 身体が持つかはわからないが、今ならできるはずだと。そんな確信があった。

 エヌラスが普段から常用している身体強化の魔術は、筋繊維から骨格に至るまでを魔術で補強している。常軌を逸した運動能力はそのせいだが、制限を設けていた。それは、魔術回路と同時に身体負荷の両面を考慮したもの。規格外の出力を誇る銀鍵守護器官といえど、引き出せる魔力の上限はエヌラスの肉体に依存する。

 ――だからこそ、今。自分の全身に突き刺さっているバルザイの偃月刀を媒介として限界以上の魔力を引き出すことができる。

 今までやったことがない未知数の身体強化。その反動がどれほどのダメージになるのかは、エヌラスも定かではない。だが、今しかない。これまでも限界を超えた魔術を酷使してきたが、それでも死んだことは一度もなかった。だから、これは賭けだ。

 自分の命を賭け金にした、大博打に打って出る。

 

「――“磁気加速(リニアアクセル)”!」

 自身の身体を対象とした磁場鍛装。血流を加速させることで出血量が加速するが、その血に触れている偃月刀が侵食されていく。その内部構造の術式を血液で上書きし、エヌラスは自分の身体に取り込んだ。

 二代目賢人バルザイが目を見張る。まさか、そんな手段で自分の魔術を突破してくるとは思いもしなかったからだ。

 溶け落ちた偃月刀が砂浜に落ちる。その断面は溶断されており、エヌラスの傷口を塞いでいた。

 しかし、相手は限界を超えている状態を維持している。ならば、まだ余力のあるこちらが有利のはず。二代目賢人バルザイの手に、再び偃月刀が鍛造された。

 

 踏み込んだエヌラスの身体が、紫電を残してかき消える。爆発的な加速を前にして、後ろへ飛び下がりながら二代目賢人バルザイが偃月刀を振るう。宙で咲く火花と甲高い金属音の衝突。

 今にも爆発しそうな回路の魔力を制御しながら、エヌラスは更に踏み込む。前へ、前へと。

 魔術師が手掛けた叡智の結晶である賢人バルザイの偃月刀が、島国の刀工の打った刃を前に遅れを取るはずがない。本来ならば。

 しかし、二代目賢人バルザイが手にしていた偃月刀は、あろうことか兼定の刃に触れて真っ二つに両断されていた。折れたのではなく、断ち切られている。

 ありえない、という一瞬の隙を突かれてエヌラスの刃が額を掠めた。

 細かな砂粒に足を取られながら、二代目賢人バルザイは刀身半ばから綺麗な断面を覗かせている偃月刀を見やる。心の底から、自分と、師の魔術を否定された気分になって悔しさがこみ上げてきた。これは、人類を守るために命を費やして鍛え続けてきた刃であったはずなのに。

 なのにどうしてそれが、折れたのか。どうして断ち切られたのか、と。

 あらゆる邪神と、審神の脅威から人類を守護せしめる魔術をどうしてこんな島国の刀剣ごときが断ち切られてしまったのか――二代目賢人バルザイが無数の魔刃鍛造を繰り返し、エヌラスへと殺到させる。一度刻まれれば原型も残さぬほどの偃月刀の多重投擲。

 

 そこへ、エヌラスの姿は無かった。人体の限界を超えた加速と、その好機を与えたのは他でもない二代目賢人バルザイ自身だ。

 

 ――身体が熱い。血液が沸騰しそうなほどの熱量で全身を駆け巡る。意識を途切れさせてしまいそうなほどの激痛が神経を貫く。それを、歯を食いしばって堪える。

 斬らねばならぬ敵がいる。斬らなければならない、賢人がいる。

 あれを此処で斬らなければ、俺が友達を斬った理由がなくなってしまう。

 共に肩を並べて、笑って生きていけたはずだった。自分がどこかで妥協して、その男を認めてさえいれば今も笑っていたはずだ。そうなることを選ばなかったことを正しいと信じたのは他ならぬ自分だ。斬ったのも、全部自己責任だ。

 だから、あの賢人を斬って捨てなければならない。この日本で培ってきた全てを失うことになったのだとしても――!

 九十九兼定は、無駄死になんかじゃない。決して、その命を無駄になんかさせない。

 そのために、剣を手に執ると決めたのだ。この手で幸せを掴むことができなくなったとしても。

 

 夜闇に吠える。血を吐き出しながら、エヌラスが鬼気迫る表情で二代目賢人バルザイへと切迫していた。無数の偃月刀を太刀で切り払いながら、紫電と共に。

 如何なる超常の摂理と論理を持ってしても、人が結んだ絆だけは断ち切れない。

 

「――――、おまえ、だけは……!!」

 二代目賢人バルザイの両手が焔に包まれる。魔刃鍛造。だが、白い炎から産み落とされた偃月刀は他とは比べ物にならない魔力を孕んでいた。

 それは、二振りの偃月刀。初代賢人バルザイが鍛えた神剣。そしてもう一振りは、己の手で作り出した神剣。

 

「我が運命は断ち切れない! 例え御身が神であろうと――!!」

 口訣を結ぶ。

 それは初代賢人バルザイが教えてくれた、禁忌の呪文。たった一人の肉親が教えてくれた、大切な言葉。

 

「“此処に、イレク=ヴァド王の権能を代行する”!」

 鍵は、開くものであり、同時に閉ざすためのもの。

 柄頭を合わせて、螺子を巻く。螺旋を描いてその魔術は起動した。

 王が有する“銀の鍵”の完全なる模倣。それを目指して作られた偃月刀――“輝くトラペゾヘドロン”の贋作を手にした二代目賢人バルザイがその膨大な魔力の制御に意識を集中させる。魔力の大嵐が暴発しそうなほどに荒れ狂う。

 その刀身に触れたものは、例外なく消滅していた。どこか、宇宙の彼方。何もない虚空へと転移させられる“対神呪装”を振るい、二代目賢人バルザイがエヌラスを迎え撃つ。

 触れれば、その瞬間に必滅することをエヌラスは()()()()()。なぜならば、それを持っているのだから。

 だからこそ、防御するなど以ての外。論外の極み、愚の骨頂。あれを止める術など無い。術者の絶命、或いは魔力切れの二択だ。そして、エヌラスが選ぶべきは前者である。

 左目と、右腕だけが異様な熱を持っている。暴走しかけている魔力によるものだ。炉心の異常燃焼による過負荷が集中する二箇所、それはエヌラスの意思に反して反応速度がずば抜けている。

 二代目賢人バルザイの振るう白と黒の銀鍵は残像を残しながら空間を切り裂き、エヌラスを必滅させようとするが、その刃に触れることなく兼定を振るう。持ち手である手首を狙うが、それも防がれていた。

 一度、大きく距離を取る。

 チャンスはそう多くない。自分の身体の熱量を鑑みて――次が限界だろう。

 ――本当に、つくづく。自分の運命なんてものは、馬鹿げた連続だと鼻で笑い飛ばす。

 この全てが大魔導師の敷いたレールの上であるというのなら、この手で切り開く他にない。

 

「――超電磁抜刀術(レールガン)

 だが。

 だが今だけは違う。この手にあるのは、この地で出会った、かけがえのない戦友なのだから。

 笑って共に生きていけると信じていながら、斬り結んだ約束を違うわけにはいかない。

 

 エヌラスが踏み込む。刹那、爆音と暴風を置き去りに二代目賢人バルザイへと真正面から突貫していた。当然、その魔力の塊であるエヌラスを、二代目賢人バルザイが補足できないはずがない。対敵を視界に入れているのなら、それはどれほどの細かな挙動であろうと捕捉できる。足元の砂粒程度の細やかな変化でさえ。

 しかし、その手練手管だけは――長年の戦場で養ったものであり、詰まるところ外道の一言に尽きる。

 

 二代目賢人バルザイが贋作“輝くトラペゾヘドロン”を振り下ろした。完璧なタイミングであったはずだが、あろうことか。

 エヌラスは、踏みとどまった。急制動を掛けて、足に砂粒を乗せると一気に蹴り上げる。目潰しだ。事此処に至り、騙し討ち――!

 視界を塞がれた二代目賢人バルザイだが、それでも相手の魔力の気配を辿れば手に取るようにエヌラスの位置取りが把握できる。

 

(そこか――!!)

 目を閉じたまま、今度こそ“鍵”で相手の心臓を突き刺す――!

 

 しかし、次の瞬間。その身体が砕けた。虚像だ。鏡像であった。“ニトクリスの鏡”を用いた、寸分違わぬ自分自身の姿を投影して身代わりにしている。――人形工学を嗜んだ副産物であった。

 どこに行ったのか、全身から冷や汗がどっと吹き出す。どういうことか、あれほどの熱量を誇っていたはずの魔力の気配が遮断されていた。

 慌てて目をこすり、涙が浮かぶ目尻で薄っすらと目を開ける。そこには、夜の砂浜があるばかりだった。相手の姿はない。

 足跡を辿れば、自分の目の前で踏み止まった跡が残っている。そこで一際強く踏み込んだのか、砂が盛り上がっていた。

 波の音に混じり、パチリ、という。紫電の奔る音が聞こえた。そして、月明かりとは別に自分の背後から照らされていることに気づく――既に、その時には手遅れだった。

 

「――裏壱式“雷迅”」

 ほんの数秒、一寸で事足りる気配遮断。

 頭と右肩で挟み込むようにして、和泉守兼定は固定されていた。

 掌から発せられる内勁による電磁パルス発勁、その応用。電磁発勁による抜刀術。左目と右腕を犠牲にした隻腕の抜刀に、二代目賢人バルザイがやぶれかぶれの斬撃を振るうが、勝敗は決した。

 

 ――邪神狩りに生涯を費やしてきた魔人と、完成しない鍵の完成を望んだ賢人では踏んできた場数と、犠牲にしてきた幸福が違う。

 

 渾身の超電磁抜刀術が、二代目賢人バルザイの腕から贋作“輝くトラペゾヘドロン”を吹き飛ばした。空中で霧散して魔力の霞となって消えていく“銀の鍵”を呆然と見やっていた少年の心臓に向けてエヌラスが太刀を押し込む。

 それは、一寸の狂いなく急所を貫いていた。

 エヌラスとの相違点は、彼はその致命傷を治す炉心を持っていなかったこと。

 

 彼が師から与えられたものは、その命だけだったのだ。

 自分の中に芽生えたものに気づけなかった。

 “心”までは与えられなかったことに気づくのが、遅すぎただけ――ただ、それだけが。彼の唯一の敗因だったのだ。

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